「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「冬至」から“古代の人々”は「運勢」を学んだ⁉


今日は12月22日ー冬至ーの日だ。「カボチャを食べる日」ではない。もちろん、一年の内でもっとも“日照時間の短い日”だ。逆な言い方をすれば「暗い夜の長い日」ということになる。当然のことながら、古代からずっとそうだった。毎年、同じころに“長い夜”が多くなり、半年経つと“短い夜”が多くなる。つまり、正確に“長い夜”と“短い夜”とが繰り返される。そういう中で、われわれは生きていく。そうだとすれば、われわれの永い人生にも“長くて辛い夜”と“あっという間に朝が来る夜(真昼の明るさが続く日)”とがあるのではないか……。大自然がもたらす不可思議な事実は、舞台の中央で“スポットライトに照らされる時”と“暗闇の中で耐え続けなければならない時”とがあることを、暗黙に教えているのではないか……。こうして古代の人々は、人間の運勢の“微妙な変化”に気付いていく。ただ「冬至」も「夏至」も、すべての人間に平等だが、運勢の微妙な変化は、その人その人によって“訪れる時期”に違いがある。どうして違うのだろう。それは多分“生まれている時”が違うからだ。こうして、古代の人々は、人間の個々の運勢の変化が、その人の“生れ年時の違い”に基づくのではないか……と考えるようになる。自然界を見渡してみよう。春になって咲く花々は、春にしか咲かない。夏になって咲く花々は、夏になってしか咲かない。秋になって咲く花は、秋になってしか咲かない。冬になって咲く花は少ないが、それでも冬にしか咲かない花もある。花々に、それぞれ“開花時期”や“開花する季節”があるのだから、人間にだって“早咲きの人”や“遅咲きの人”がいたって当然のように思える。それぞれの花の形や色などは、人間の場合はそれぞれ“美しく咲き誇れる分野”があることを暗示しているのではないだろうか。こうして、古代の人々は、人間にも運勢があり、咲き誇れる分野や時期があり、それぞれに“命の違い”があり、花々と同じように生きていることを自然観察の中で悟るのだった。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言