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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


何かを問いかける“踊り”


10月8日の新宿公演を前に“新作の舞”「果し合い」の練習を“幽鬼”のように続けている人物、それがギリヤーク尼ケ崎氏だ。今年の新宿公演は、彼の“街頭デビュー50周年”の記念公演でもある。齢88歳。大道芸人であり創作舞踏家。誰もが一目で記憶に残る“独特の風貌”。現在はパーキンソン病で手足が震え、脊柱管狭窄症で背骨が曲がり、車いすが無ければ遠くへは行けない。ハッキリ言って“踊り”を踊れるような身体ではない。それでも、なぜか踊る時だけは手肢も震えない。今回披露するのは“新作”である。もっとも、この人の“踊り”に本当の意味でのストーリーはない。気合で踊っているからストーリーなど重要ではないのだ。私が、彼を見たのはまったくの偶然だった。たまたまお祭りの“出店”を見に行ったときに、裏手に回ったら、彼が裸で黙々と踊りの練習をしていたのだ。今からもう40年以上も前の夏である。彼の周りには誰もいなかった。独り、ひょうひょうとふんどし姿で踊っていた。私には、それが異様に見えた。すぐ傍を離れようと思ったが、なぜか身体がいうことを利かないのだ。そのまま5分以上、私は立ち尽くしていた。彼は黙ったままで、黙々と練習し続けた。私の方を一瞥したが、それだけだった。裏道なので狭く、大胆に動き回ることなど出来ない。多分、彼は踊りの順序的なものを確認していたのだろう。まだ、当然だが、彼は若かった。それまで私は彼のことを知らなかった。それなのに風貌は独特で“路上で踊り続けている人”であることが一瞬で判った。「私には出来ないな」というのが、率直な感想だった。同時に「何かが憑依しているな」とも思った。その当時、私はアルバイト的に“占い”を行っていたが、路上で行ったことはなかった。お祭りのイベントで誘われ「路上鑑定」を初めて行ったのは、確かその翌年だったような気がする。私が直接彼を見たのは、それが最初で最後だった。今回の「果し合い」には、俳優・近藤正臣氏から譲り受けた“刀のつば”が使われるという。この人の十八番は“大きな数珠”である。赤いふんどし姿で数珠を振り回しながら、飛び跳ねて踊る。もちろん、今は飛び跳ねるなど出来ない。気合だけで“幽鬼”のように踊りながら、観る者すべてに“生きるとは何か”を問い掛けるに違いない。

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