人の一生には、あまり極端な変動なく過ごしていく人と、正に“激変”ともいうべき人生を歩む人と、大きく二つに分かれる。比較的“変動が少ない人”は大体共通していて、妙な表現だが“無難な人生”を歩んでいくことが多い。それに対して、人生の前半と後半とでは“別人”かと思うほど“激変”を遂げていく人生もある。その好例ともいうべき人物が中江滋樹氏だった。2月20日に自宅の火災により66歳で焼死した。1980年代「兜町の風雲児」として注目を浴びていた人物である。彼は「投資ジャーナル」という会員制の雑誌で人を集めて、株式情報などを提供していたのだが、やがて“架空取引”などで商売を拡大、7600人以上から580億円を集めた詐欺商法として告発・逮捕された。この少し前に、中江滋樹の“愛人”としてマスコミ報道されたのがアイドル歌手・倉田まり子氏であった。料亭での“決定的写真”もあって、本人は“愛人”を否定したが、ダークな印象をぬぐえず芸能界引退に追い込まれた。実は、この“愛人”報道が出る少し前、私は或るコンサートホールの廊下で彼女とすれ違っていた。なぜ、そんなところに居たのかというと、私が作詞のコンクールで大賞を得て、その記念式典がアイドル達の“歌謡音楽祭”というのに併せて行われたからである。その時、私は主催者に連れられて、北島三郎氏の楽屋に挨拶へと出向く途中だった。私は、それまで何も聞かされていなかったので、表彰式など出席したくなかったが、それに出ないと賞金を受け取れないということで、やむなく出たのだった。私はその当時会社員だったから、主催者であるスポーツ新聞の社長とかが、なぜ北島三郎氏にぺこぺこするのか分からなかった。とにかく、そういう事情で、私は絶頂期アイドルだった倉田まり子氏とすれ違ったのである。だから正直、そのすぐ後でスキャンダルが出た時、大いに驚いたものだ。やがて、兜町の風雲児は逮捕され、バブルの象徴のような人物は消えた。その晩年は貸しアパートで“独り暮らし”の老人になっていたようだ。一方の倉田まり子氏は、芸能界を引退後、本名の「坪田まり子」として見事に蘇っていた。2003年に起業し、2010年からはキャリアカウンセラーとして人気を集めていた。あの廊下ですれ違った時、確かに彼女には“華やかなオーラ”があった。世間からバッシングされ、芸能界からは締め出されたが、自らの実力で蘇っていた。今回、中江滋樹氏の死亡を知って、どういう想いでいることだろう。
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