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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「氷り水」屋さんの“お店”は、どこへ行った…


夏になると「氷り水」屋さん、冬になると「焼き芋」屋さん、季節はよく解からないが「お豆腐」屋さん、そして「納豆」屋さん、さらには「お花」屋さん、それから「お茶」屋さん、あと「お薬」屋さん……いろんな人たちが、子供の頃には“売り歩いて”いた。考えてみると、一時期は完全にすたれてしまっていた「売り歩き型の商売」が都会では“復活”し始めているような気がする。或る意味では今流行りの「出前館」のような“宅配型”サービスだって、もともとの“売り歩き型”の現代版とみることも出来る。ただ違うのは、現代の場合には“宅配してくれた人”と世間話をすることはないが、昔の場合には土間に腰かけて、世間話などしながら“売り買いする”のが普通だったことだ。今年は珍しく、わが札幌の地も、暑さが続いた。そういう時に、子供の頃の赤文字で描かれた「氷り水」の独特な“のれん”や“のぼり”を思い出す。そういえば近年「氷り水」の大きな文字を見掛けない。もしかすると「氷り水」屋さん自体が無くなってしまったのか。それとも、いまは「氷り水」自体はあっても、それを看板にはせず、夏場メニューの“一品目”に変わってしまったからなのか。考えてみれば、昔は、暑いときの定番として「氷り水」以外はなかったから、それだけで商売が成り立ったのか。私は自分が初めて“真夏の東京”で暮らした一時期を想い出す。北海道から東京の真夏に“飛び込んだ形”であったので、とにかく暑かった。だから私は、毎日、十条の辺りの「氷り水」屋さんをはしごしたのだ。とにかく、それ以外は口に入れたくなかった。あの頃は瘦せていて、ある意味、痩せこけていて、真っ黒に日焼けした顔で眼だけが異様にぎらつき、4軒目の「氷り水」屋さんを見つけようと必死だった。いま考えると、一軒目で何倍もお替りすれば良いものを、北海道から出てきたと見透かされるのが嫌で、痩せこけた獣のような風貌で探し続けていた。だいたいフラフラするのは暑さのせいばかりではなく、氷り水以外を口にしていないせいかもしれなかった。なぜか真夏になって、暑い日が続くと、私は“あの頃の自分”をナデナデしてあげたいような妙な気分になる。

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