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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


誰からも“咎められない”「離婚」の仕方


女優の長谷川京子氏とミュージシャンの新藤晴一氏が“連名”でコメントを出して「離婚」を報告した。これに対して、数多くの“激励コメント”が寄せられているらしい。最近、この種のことに関しては“批難コメント”が多いだけに、珍しい現象と言える。おそらく、そのような反応に至った理由は三つある。まず一つは、二人の場合、13年間の結婚生活で十年以上という長い期間を一緒に過ごしてきているという事実。どんなカップルでも十年以上の月日を一緒に過ごしてきていれば、多少の“ずれ”や“食い違い”は出て来る。二人のコメントでは、それを「価値観や生活スタイルの違い」と表現している。さらにコメントでは「熟考を重ねた結果」の結論だとしている。人は“衝動的な行動”に対しては批判的になるものだが、熟考を重ねた…と言っているのだから、もはや他人の入る余地はない。そして多分もっとも“激励コメント”に変えた秘密は、互いに“それぞれの仕事”には今後も「尊敬は変わらず」と加えている点だ。どちらも“互いの批判”をしていない。ここは重要なところだ。特に有名人カップルの場合は、それぞれにファンや関係者が居る。お互いの“今後”に「疵」が付かないよう配慮することは重要なのだ。さらに二人の場合、子供の問題に関しても“双方が協力し合う”ことを鮮明にしている。一部報道では、週末と他の曜日とで互いに“子育て”業務を分けているらしい。一見、そのような関係がすでに築かれているなら、いまさら「離婚」しなくても…と思う人が居るかもしれない。けれども日本の場合、正式離婚をしている場合と、していない場合とでは「世間の眼」というものがまったく違ってくる。極端な話、離婚していれば「新たな出逢い」を堂々と求めることが出来る。いくら本人たちの間で“終わっている関係”でも、正式離婚されていないものに対して日本人は許そうとしない風潮がある。報道されて傷つくのは本人たちより子供や親などの“周り”である場合も多いのだ。最近の長谷川京子氏は“セクシー路線”に切り替えているようにも窺えるが、そういう方向性も“籍が抜けていない”場合は、非難の対象となったりする。ところで私は今年の10月1日、別居報道が出た翌日に長谷川京子氏を占い《…妥協の余地とぼしく“正式離婚”は時間の問題⁉…》というふうにブログに記した。ホロスコープから考えると、来年3月まで待った方が本当は良いのだが、待てなくなったのだろう。それでも、連名で「離婚コメント」を出して、予想以上の“激励コメント”にあふれ、非難するものがほとんど見当たらなかったのは「熟考を重ねた結果」が効いていたのだ。
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