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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


街の「書店」は「二形態の書店」に分類すべき


昨日、東京の赤坂にある「文教堂書店」が閉店となった。赤坂では、この一年間の間に3軒の書店が無くなったことになる。赤坂だけではない。近年、書店が続々と廃業に追い込まれているのだ。一つには、わざわざ書店まで出向かなくても、目的の書籍が手に入る時代となったせいもある。アマゾン等のネット書店が広く普及したからだ。また書籍そのものを“購入して所有する”ということ自体を好まない人たちもいる。部屋が狭くて、置き場所に困るからだ。読むのはパソコンやスマホの画面で良い、という若い人達だ。確かに漫画や雑誌などであれば、最初から“読み捨て”の意識があるなら、その方が便利で早い。昔は本箱に“書籍を並べる”ことが、或る種ステータスだった時代もある。けれども、いまは本箱そのものの需要が少ない。本箱(扉の付いた書棚)はスペースを取る。薄い書棚にして、文庫本だけを購入するようにすれば、仮に書籍を購入しても狭い面積で済む。とにかく“書籍が財産”の時代は終わったのだ。そうは認識していても、やはり私は“紙書籍”が好い。本そのものの持っている“雰囲気”というか、“存在感”というか、私と一緒に“生き抜いてきた証”のようなボロボロになった本が好い。それは何回も何回も読んだ証拠だからだ。もっとも、最近は齢のせいもあって、何回も同じ本を読まなくなった。時間的なものも含めて読めなくなった。だからボロボロの本など古書以外は無くなってしまった。もしかすると、だから時々古書を買い求めたくなったりするのだろうか。ところで、衰退する“書籍販売”業界だが、私は“売れるモノ優先”の現在の在り方が、ほんとうの読書好きの人たちから敬遠され始めていることも、原因の一因としてあると思う。ほとんどの書店が“同じ方式”で売っている。つまり“売れる本”中心の販売戦略だ。どの書店に入っても、まず、眼に着くのは“ベストセラー書籍”だ。或いは大手出版社が“強力に押している書籍”、或いは各種事情からその販売店が“売りたがっている書籍”だ。そして、それ以外の書籍は、基本的に“平積み”はされない。平積みされないどころか、書棚にさえ並ばない。“押し”の書籍は何十冊も並べられているのに、弱小出版社の書籍はほとんどの場合、書棚にも並ばず、返品される。だから一般の方の眼に触れることなく、出版社に戻って来るのだ。そういう感じなので、自分が読みたいと思っている書籍があっても、普通の書店では“書棚にない”というケースが少なくない。これでは書店に向かう意味がない。確かに、書籍販売店として“売れる本”を優先にするのは解かるが、そういう書店ばかりだと、潰し合いになる。だから、そういう「ベストセラー店」と、コアなファンを抱える「専門書籍店」と、完全に分けてしまえば良いのだ。そうすればスペース的にも余裕が出て来て、専門的知識を持った書店員を置くことも出来る。そういう風に、分けていかないと、遠からず「どっちつかずの書店」は無くなっていく。
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