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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


これからは「ハーフ」が「日本の伝統」を継承


なんとなく「ハーフの時代が来るのかな」と思った。日仏ハーフの「初代・尾上眞秀」襲名初舞台のニュースが流れていたからだ。女優・寺島しのぶ氏の長男であるが、歌舞伎俳優としての本格デビューを飾る。幼いころから舞台そのものは既に経験済みで和服姿も似合っている。歌舞伎の世界だけでなく、さまざまな日本の“伝統的な世界”において、外国人やハーフの人たちが“その技”や“秘伝”を継承しつつある。どちらかというと、これまでは純潔の外国人が“継承していく形”が多かったが“血統”という点から言えば、或いは“わび・さびの本能”という点から言えば、日本と他国のハーフである方が、身に付きやすいのではないか、という気がしている。大昔、映画で“眠狂四郎シリーズ”を見ていた時、元々は柴田錬三郎氏の小説だが、外国人宣教師とのハーフとして生まれた“剣豪の達人”として眠狂四郎は世間に知れ渡っていく。演じていた市川雷蔵氏は“ハーフ”ではないが、何となく独特な雰囲気を持っていた。自分の出生が“バテレンの血”であることに狂四郎は葛藤する。確かに鎖国中で外国人が居ない国において、ハーフとして“生まれ育つ”ということは煩悶すべきことだったに違いない。それでも“異色の剣豪”として「円月殺法」と呼ばれる“独特の刀捌き”を身に着けて成長する。私が言いたいのは、ここなのだ。つまり、ハーフの人たちは、ただ単に“日本の伝統”をそのまま継承するだけではない。それを身につけながらも、もう一つの母国につながる“何らかの技”を取り込んで集大成していくように思えてならないのだ。そういう意味で、わたしは純潔の外国人が“日本の伝統”を身に着けるよりも、日本人とのハーフの子が“日本の伝統的技法”を身に着けていく方が、発展性があるよう思えてならないのだ。尾上眞秀氏自身が「父親の母国のフランスでも歌舞伎を演じたい」と語っている。それは、ただ単に日本の歌舞伎役者がやってきたような“伝統芸”をそのまま異国に投影するのではなく、もしかすると、何らかのプラスアルファを加えた形で、或いは斬新な改良を加えた形で“もう一つの歌舞伎”としての上演になるのではないだろうか。
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