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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「何千枚もの手型」が“私の課業”を蘇らせる⁉


昨日、わたしの“大いなる誤り”で210㎝の書棚を新居に搬入できなかったことを書いたが、その結果として行わなければならなくなった作業がある。ムダな書籍や資料などは極力“捨てる”ための判別作業だ。特に“占い関係の無意味な資料”を捨ててしまうことは今だから出来る“唯一の作業”といって良い。ところが、これが意外にも大変なのだった。何しろ、わたしは何十年間も同じ仕事をしている。そして、その間に鑑定した人たちの“手書きホロスコープ”と“手型”の多くを保存してきた。自分のためというよりも、後進の人たちにとって何らかの役に立つかもしれない……という意識が強かった。その時々で“棄てて来たもの”もあるのだが、保存してきたものも多い。ただ書棚が搬入できず、絶体絶命の今そんなことにこだわっている場合ではない。そのまま全部を棄ててしまうのは、あまりに惜しい。そこで、ホロスコープは全部棄てて“手型”のみ、手筋などが判然としているモノのみ遺しておこうと考えた。わたしは鑑定をする時むかしは必ず“相談者の手型”を採った。だから、その数は半端ではない。そこで“判然としている手型”の仕分け作業に入ったのだが、これがなかなかに難しい。年数が経ち過ぎて消えかけている手型が多い。そういう中から、まるで“宝物”でも探し当てるように“判然としている手型”を択び出す。ホロスコープが挟まっているので難しく、時間が掛かる。そして、さまざまな特徴ある人物の手型に遭遇する。おそらく相談者の方だって、わたしが何十年もの間“自分の手型”を資料として保存し続けていたとは思わないことだろう。そして、その手型が意外にも“生命力”を持ち、わたしの手元で言葉を発するとは思わなかっただろう。どういうことかというと、手型の脇には簡単な“その時の診たて”が記されているのだ。どういう相談内容だったとか、手相として、又は人相として、どういう特徴だったとか、時には簡単な図解まで記したものもある。だから、それらの手型は何十年も経っているのだが、まるで“その時”の場面を想い起させるのだ。そうして、わたしがこのところ忘れていた「課業(かごう)」というものを呼び覚ます。そうなのだ。わたしは自分の研究を形として、もっと遺していかなければならない。少なくとも、このような手型が出て来て、その一枚一枚と向き合うことになったのは、神が私に「初心を想い出せ」といっているような気がする。誰か後進の人に“任せる”のではなく、もう少しだけ自分自身で“手相の真実”を追求していかなければならない。それが“書棚が遅れる”ことになった本当の理由かもしれない。
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