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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「必死の願い」が“館主”や“救助隊員”を動かす


誰であっても、どうしようもない状況に陥った時には「救い」を求めるしかない。けれども、その“救いの求め方”によって、結果が違ってくることがある。コロナ禍の状況でも、そういうケースがしばしば見られたが、人間、窮地に陥った時には「必死に縋りつく」のがいちばんなのだ。そうすれば、誰かが何とかしてくれる。少なくとも、その可能性はある。朝日岳山頂を目指して登山した男女二人が5月8日に遭難した。強風25メートルの中で1800mの広場付近までは何んとか辿り着けたのだが、そこで女性の方が身動き出来なくなってしまったのだ。仕方がなく男性の方が119番通報をする。ところが強風が強まって山岳救助隊も現場にまで辿り着くことが出来なかった。夜になって二次遭難が起きてはいけないので、とりあえず、その日の救助は見送りとなった。それを電話で伝えた時、女性の方が「どうすればいいんですか」と声を震わせた。その声が桜庭警部補の耳に残った。もしかしたら明日まで持たないかもしれない。そういう予感が走ったのだ。そこで桜庭警部補ら3人だけは、風邪が収まってから再度のチャレンジをしたい旨、山岳警備隊本部に申し出る。無理をしないことを条件に許可が出た。それとは別に、遭難した男性会社員は宿泊先の山小屋旅館にも電話を入れていた。その旅館の館主が“このままでは不味い”と不吉なものを憶えて、アルバイト従業員を誘って山に向かった。こうして、それから1時間後には遭難した男女の元に辿り着き、用意していった毛布や飲食物などを提供した。そして、そのあとになって桜庭警部補なども現地に到着する。そこで本格的な救助用テントで朝を待つ形を取った。こうして民間と救助隊とのリレーによって若い2人の命は救われた。わたしが思うに多分、この日遭難した二人はあまり“山登り”など慣れていない方達だったに違いない。ベテランであれば遭難するほどのこともない状況でも、初心者は命を取られたりする。ただ必死になって救助を求めれば、必ず、救いの手は差し伸べられることが多い。人生上の出来事でもすべてはそうなのだ。恥ずかしがったり、茫然自失となったり、右往左往するのがいちばんいけない。各方面に救いを求めながら「運を天に任せる」という姿勢がいちばん良いのだ。
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