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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「将来への不安」が「投げ銭」を助長する⁉


最近、ライブ配信アプリの「投げ銭」に関しての相談やトラブルが増えて来ているという。俗にいう「推し活」と呼ばれるもので、世間的にはそれほど知られていないが“現在売り出し中”とか“秘かなブーム”とか“地下アイドル的活躍”とかをしている人達がライブ配信を行う時、金銭に等しい「投げ銭」と呼ばれるアプリを贈ることで、その人物の支援者となれる。要するに、片想いの相手に“貢ぐ行為”という言い方がいちばん的を得ているのかもしれない。昔は、そういう形での支援というのはホステスとかホストとかの職業、もしくは完全に芸術家や芸能人などに限られていたが、現在のライブ配信者はなかなかに幅広く、売れない芸人とか、アスリート、特殊な技能者、地下アイドル、シンガーソングライターなど無数にいる。それらの中で自分が気に入った人物に対し、その人物を支えるべく「投げ銭」を与えるわけだが、実際には生活など支えずとも大丈夫な人もいて、その実態は闇に包まれている。通常「投げ銭」を貰った場合は、それに対して配信者が当然のことながら“お礼”を言う。そうすることで、その人物がいつも誰から「投げ銭」を得ているのか、どのくらいの額を得ているのか、何となくだが判別できる仕組みになっている。つまり「投げ銭」の額が大きくなれば、当然、その人物は“大切な支援者”として配信者も、それを視ている支援者たちも共通認識を持つ。たぶん、わたしが思うに、この“共通認識”というのが「推し活」を行う人たちにとっては、自身の悦びに繋がるのだ。つまり「自分の投げ銭で、この子は頑張っている」という密やかな満足感。それと同時に、視ている仲間たちの誰もが「それを知っている」という秘かな満足感。ところが、これが高じると、自らの生活というものを顧みず、どんどん「投げ銭」額が増えていく。ライブ配信されるごと毎回「投げ銭」しなければ気がすまなくなっていく。こうして、暮しそのものに支障が出て来て、自ら居住していたアパートに放火した人物が居た。その裁判記録がニュースとなってネット上で話題となった。相手に尽くすとか、貢いでいくこと自体は悪いことではないが、それが限界を超えてしまったとき、引き返せなくなったとき、危うい状況がやって来るのだ。
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