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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


いでよ‼「やすし・寺山・江頭」に続く危なさ


人間だれだって実際には“危ない”要素をどこかに持っている人に“惹かれ”しまう部分がある。だから昨日、ビートたけし氏が浅草の東洋館で行われた「ビートたけし杯」後のトークでいま活躍中のTV界の芸人たちに対して「芸人としての危うさがない」「コンプライアンスばかり重視するからテレビなんて面白くもなんともない」という趣旨の発言をしていた。確かにその通りで、コンプライアンス重視のTVは面白くない。芸人とか、お笑いだけでなく、あらゆる分野がそうなっている。ドラマにしても歌謡曲にしてもバラエティーにしても“危うさ”のないものばかりで、要するに“毒”にも“薬”にもならない内容が多い。そういう意味では横山やすし氏や寺山修司氏や江頭2:50氏などは“ギリギリ路線”の常連で、何度も警察に捕まり、かといって“ほんとうの悪い事”をしているわけではなく、そういう意味では「バカ」と「悪ガキ」の中間のような「ほんとうにしょうがない奴だなあ」と酒を酌み交わしたくなるような“危うさ”を持っていた。たとえば寺山修司氏などは“天才詩人”として脚光を浴び、若くして第一線の芸術家となったが、その一方では他家の“屋根裏”に潜り込んでの「覗き」を繰り返し、何度も逮捕されていた。懲りないというか、病気というか、愚かというか、その風貌も合わせて“何とも言えないコミカルさ”があった。もちろん「覗き」は立派な軽犯罪だが、ふつう、大人は危険を冒してまで他人の家に入り込まないし、そんなにまでして“覗きたい”とも思わない。ただ“覗かれて”死ぬ人は居ないので、そういう意味では“可愛い犯罪”ともいえる。江頭2:50氏にしても自らが興奮してしまうと、ところかまわず“露出”してしまう癖があるようで、その罪で何度も捕まった。一度は確かイスラム教の聖地で裸となって大衆たちから“袋叩き”にあった。大衆の前で裸となることは“神に対する冒涜”と考えるのがイスラム教徒なのだ。それをわきまえず裸となったのだから、袋叩きは当然だった。横山やすし氏の場合は極端に神経過敏で頭に血が上りやすく“すぐ喧嘩する”ことで有名だった。誰とでも喧嘩をするので危険極まりない。丁度、鎖のない場所で「猛犬を飼ってはいけません」という貼り紙を出しておきたいような人物だった。とにかく、そういう“危ない人物”が昔は多かった。コンプライアンスということを持ち出していたら、すぐに消えてしまうような人物がたくさんいた。それでも、大らかに“受け入れていた”のが「昭和」という時代だった。人は、なぜか、そういう人物を見て「まだ自分は大丈夫だ」と安心するのだ。
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