天文学の世界で「惑星」のはずだった冥王星が、条件を満たさないとして正規の惑星から降格したのは去年のことだ。世界的な天文学の世界では、落ちぶれ(?)てしまった冥王星だが、つい先頃、日本の学会では独自に「準惑星」の称号を与えたのだそうだ。
「惑星」でも「準惑星」でも、一般の人達にとってはどうでも良い話だが、西洋占星学上ではちょっとだけ関係してくる。元々、西洋占星学では長期にわたって肉眼関節可能な「七惑星」だけが「惑星」として扱われてきていた。つまり、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星の七惑星である。この内、太陽と月(太陰)とは、天文学上は惑星ではない。太陽は「恒星」であり、月は「衛星」と呼ばれる。ただ占星術では天空上にあって我々を「惑わす星=惑星」と見立ててきたのは、ごく自然な発想である。現代でも占星術上は太陽も月も惑星として扱う。ホロスコープ占星術が登場してどのくらいになるか正確なことは不明だが、仮に紀元前五百年頃とすれば、西暦1800年代まで約2300年間は、古代の七惑星だけで占断していた。天王星、海王星、冥王星を加え出したのは、近世に入ってからのことなのだ。それも、天文学から「占星術=非科学的なもの」というレッテルを貼られまいとするアカデミズム意識の強い占星家たちからだった。
実際、古代の占星家は例外なく天文学者を兼ねていた。今のように「天文暦」が売られている時代ではないから、実際に天文観察や位置計算をしなければ、ホロスコープは作成できないからだ。そういう時代が2000年以上も続いていたのだ。ティコ・ブラーエやケプラーのような歴史に名だたる天文学者は、同時に宮廷占星術師として、実質収益を得ながら生活していたのだ。よく歴史書などでは、ケプラーは生活を支えるために占星術を行っていたかのように記されているが、これは正しくない。彼は個人的な運命判断だけでなく、気象判断も占星術によって可能だと考えていて、その種の研究も行っていた。占星学史の上でも重要で、マイナーアスペクトの多くは、彼の研究によって採用され出したものなのである。
したがって十九世紀の占星家たちが、天文学から遅れを取るまいとする意識の中で、見えざる惑星達を次々と判断に加えていったのは、苦渋の選択だった。こうして、最初に天王星が加わり、次に海王星が加わり、やがて冥王星も加えられるに至った。二十世紀後半になると、それこそ準惑星的なキローンが加わり、ジュノー、ベスタなどの小惑星が加わり、中には未知の未確認惑星まで加える者まで出てきた。
こうしてホロスコープには沢山の惑星が並び、判断を複雑にしていった。惑星らしきものは沢山並んだが、実際の判断はできない、という占星家(?)が多くなった。中にはプロとして活躍しながら、惑星同士のアスペクト判断はほとんど取り入れない、というおかしな人まで出てきている。
総じて現代の占星家は、コンピュータのお陰で精密なホロスコープは作れるが―どう判断して良いか判らない―というプロとしてあるまじき人達が多くなってきている。そういう人達の多くは、西洋占星学の基礎的知識は十分すぎるほど持っている。けれども、実際に多くの人たちのホロスコープを手書きで作成していないので、個々の惑星の位置や関わりが実感として体得されていない。私はそういう人達に、まず手書きで何百人ものホロスコープを実際に作成してみることを勧めたい。そうすると、実感として、個々の惑星というものの表す作用が感覚的に把握できるよう変わっていくからだ。コンピュータで表出されたホロスコープでは判らなかったことが、見えてくるようになる。古代の占星家は七惑星だけで十分に判断出来ていた秘密が感得できるようになる。
ホロスコープを一見して、その人の性格や運命の大要が把握できなければ、プロ占星家として恥ずかしいではないか。どんなに沢山の西洋占星学知識を所有していたとしても、それを実際に使いこなせなければ、宝の持ち腐れである。準惑星に降格されてしまった冥王星は、そのことを判らせたくて、現代の占星家たちに無言の警告を発していたのかもしれない。
いつもパソコンに向かうとき、私の眼下には豊平川に架かる橋があり、その橋を行き交う車の方列が見える。それ以外の部分が、まだ残雪で白いため、余計に橋が際立ち、車の方列が陽の光を受けて鈍く輝く。
その昔、川に架かる橋は人が通るところで、車の通るところではなかった。人以外で通るのは、馬車や人力車だった。時代劇などで時折見掛けるが、橋を行き交う人たちは当然のことながら和服姿で、そぞろ歩きしながら会話を愉しんでいた。現代でも、花火大会の夜などは、それに近い光景が見られることもある。
そういう環境下の中で「辻占い」は生れた。辻占いは通常、四つ角に立って占う占法だが、橋の袂で行われることも多かった。おもに夕方に行うので「夕占(ゆうけ)」と呼ばれることもあった。一説によると、占なう本人が四つ角、或いは橋の袂に立って、辻占の神に心の中で祈りを捧げてから、三番目に来た人たちの会話が占いの決め手になるという。つまり、その人達が何を話しているか―その内容が、そのまま占なうことへの答えだ、と云うのだ。例えば、本人が恋愛の今後を占なって、三番目に通った人達が、仮に「本当に仕様がない奴だよ。結局、別れたんだろう」と、云っているのが聴こえてきたとする。そうすると、それはそのまま占いの答えなので、本人の恋愛も、そのような結末に向かっていく―と、判断するのだ。
単なる偶然の会話に過ぎない―それに答えを求めるのは、非科学的だ、と考える人がいるかもしれない。けれども、占いというのは、最終的には非科学的なものであって、決して科学的に占なっているわけではない。一見、科学的なように見える占星術や四柱推命なども、その判断へのプロセスが科学的(又は合理的)なだけなのであって、判断そのものは必ずしも科学的とは云い得ない。
科学として公認されている気象予報や地震予報なども、実質的にはそうだ。だから、開花予想や長期予想など、間違えることが多いのだ。大体、長期予想など、当たることの方が少ない。漁師や農家などで勘の鋭い人の方が、余程正確である。それは明日の生活が掛かっているから、経験的な予知能力が磨かれるからだ。鼠などの動物だって、生きていく上での予知能力は、科学的な予知よりはるかに正確だ。
科学(合理)的なプロセスを踏む占いのみを、正しいなどという占い師は、あまり信用できない。そういうような占い師に限って、実際の自然科学を持ち出して理屈をつけるが、そんなに科学的だというなら、一般の科学者たちからの力添えを得て、占いを学校の正規の教科書で取り上げられるように、1日も早くしてもらいたいものだ。実際、私は昔、それが夢であった。占いを学校の教科書に載せること―しかし、いつの頃からか、そういう幻想は抱かなくなった。占いは、人生や運命と直接関わる。薄っぺらな学校の教科書で、むしろ教えられてはいけないもののような気がし出したからだ。人間の運命と真正面から向き合うことの出来る人のみに、神はその役割を託そうとしているのではないだろうか。
朝方、と云ってもほとんどの人達にとってまだ真夜中の時間に私は起き出す。新しい住居は、橋の袂に立つマンションの東端12階に位置しているので、ソファーに座っていてもカーテン越しの夜景から、橋を行き交う車のライトの点滅が判る。以前のマンションも8階だったが、向かい側に同じようなマンションが建っていたため、あまり景観は良くなかった。ここは橋の袂で、角地であるために景観をさえぎるものがない。リビングだけでなく、キッチンにも窓があり、浴室にも窓があり、洗面所にも窓があり、それぞれの窓から街が見渡せる。今はまだ寒いので出来ないが、夏になれば星を見ながら入浴できることだろう。
札幌という大都会の中心に近い位置へと引っ越してきて、ソファーから街や川が見渡せたり、入浴しながら星を眺められたりするのは、なんと幸せなことだろう。海外のホテルで生活しているような落ち着きのなさは中々抜けないが、精神衛生的には癒される環境下の生活と云えるだろう。すぐ近くに「札幌ファクトリー」と呼ばれる総合商業パークもある。
近年、この「札幌ファクトリー」のような総合施設化されたパークとしての商業ビル郡が脚光を浴びつつある。ここは元々サッポロビール工場の跡地で、ビル自体もその建物を再利用した部分も含まれている。小樽の旧倉庫群も観光化されているが、ここも昔から観光化されていて、海外からの団体客等がやって来ているようだ。ただ、昔は今のようにマンション群が近くにはなかったので、近隣の人達がやってくる場所ではなかった。ところが近年、にわかに商業パークが脚光を浴びる時代となって、ここもまた注目され出したのか、昔は乏しかった来場者がぐんぐん増えつつあるように見える。私の記憶では10年前に訪れたときには、館内を歩いていても、ほとんど人を見かけなかったのに、先日出掛けたときなどは、身動きが難しいほど人の波が押し寄せていた。確かに、ここ4,5年、この付近にはマンションが急速に増えた。大通の西側はビルで埋め尽くされているが、東側は用地が残っていたため、マンションラッシュとなったのだ。つまり、それまでは遠方からの観光客主体だった来客が、近隣の人々が家族連れで訪れる施設に変化しつつあることで、自然と活気ある商業施設に生まれ変わりつつある、というわけだ。それを後押しするのが、近年の総合的な商業パークのブームなのだろう。
時代の波は、ひと気が乏しかったビル群を身動きが難しいほどのビル群へと変えた。中庭にはさまざまな植物が咲き誇り、水のせせらぎが聴こえていて、元々風水的には良い環境だった。この施設の隣には本当の公園もある。それでも、時代が味方して初めて人気のスポットとなった。人間の運勢も、この時代が味方してくれるかどうかは極めて重要で、どんなに優れた素質があっても、時代が後押ししてくれないと、脚光を浴びることは難しい。しかも、その「時代」というのは、かなり気まぐれなもののように思えるのは私だけであろうか。
久しぶりに書店で、長時間立ち読みをした。長時間といっても、実際には25分くらいだが、ほとんど普段、立ち読みというものをしない私には、珍しいことであった。読んでいたのは伊東龍一著『西洋手相術の世界』という新刊である。この本の手相術そのものに対しての記述は特に目新しいものではない。難を云えば、図解が余りにも不明瞭で、読者に対して親切とは云えない。
ただ、私がこの本を立ち読みしたのは、その後半の大部分で、西洋手相学に対する歴史を、かなり突っ込んで書いていたからである。実際この本のタイトルは『西洋手相術の歴史』とした方がお似合いなくらいである。特に、彼がページを割いていたのはキロに関しての記述で、それもどちらかというと批判的な記述であった。
キロと云うのは、19世紀後半から20世紀にかけて実在した英国生れの手相研究者で、今なお世界的に名声を誇っている伝説的手相家である。実際、私が手相研究を始めたのも、彼の的中エピソードに刺激されたところが大きい。しかし、この本では、その伝説的エピソードの数々が、かなり疑わしいものであることを明かしている。
確かに、キロに関しては、アメリカの現代手相家フレッド・ゲッティングなども、以前から批判的に記述している。彼が著述の中で公開している著名人の手型は、修正されたものである可能性が高い、というのだ。その点に関しては、私も異論がない。明らかに修正された、と思われる掌紋記号などが著述に散見されるからだ。しかし、そのことと彼の手相学に対する功績を一緒くたにして批判するのは、どうだろう。
キロの著述を読むと、彼が実際に多くの地域や場所を廻って、膨大な手形を採取し、さまざまな科学論文にも目を通し、種々な著名人の手を見ていたことは確実である。そして、世界的に読まれることになった『手の言葉』を初めとする何冊もの著作を残したことも事実だ。又、彼の名声を一躍高めた新聞紙上での終身刑予言も偽りとは云えない。
彼が自分の著述の中で、実践エピソードに対し、かなりの脚色を行っていた可能性はあるが、それは現代でもしばしば行われることであって、必ずしも詐欺師的な行為とみなすことは出来ない。私自身は好みではないが、自分を誇大宣伝する占いの輩は現代でもゴマンといる。彼は貴族の家系を名乗るなど虚飾性があったことは事実で、自己陶酔型の性質も持っていた。ただ、稀に見る美貌の占い師であっただけに、多少の虚飾や自己陶酔は許されるだろう。何よりも、私のような後進としての研究者を多数輩出させた功績は称えられるべきであろう。
もっとも、彼の手相術そのものは、伊東氏の云うように、特別目新しいものでもなく、優れているとも云いがたい。当時としては、比較的体系だって書かれてはいるが、多少、偏見があることは事実だ。大体、今から百年以上も前の著述を、何の疑念も抱かず、そのまま用いようとすること自体、私に云わせれば信じがたいことだ。これは占術世界では、洋の東西を問わず、未だに続けられている悪習である。もちろん、古代からの知恵は、尊重すべきではあるが、そのまま用いて現代に当てはまるとは限らない。すべての占いは、完成品ではなく、未完成だからだ。
暖冬、暖冬と云っていたら、あっという間に真冬に逆戻りしてしまった。北国の冬は、白くなる。橋の袂に立つマンションの12階の窓から、見る見る雪化粧を施してゆく街を見下ろしていると、同じ日本でも、札幌のような四季のハッキリしている地域の方が、自然界の循環を肌で実感できるかも知れない…と奇妙なところで納得する。春になれば、白かった視界は鮮やかな緑に変わってゆくはずだ。
それにしても、今年はもう、このまま春が来るものだと、何となく誰もが感じていたに違いない。大自然はいつも、そういうときに、自らの力を鼓舞するかのような脅威を見せ付ける。地震、豪雨、強風、寒波、大雪…大自然の威力を改めて印象付ける。そうして、古代人の英知が見破った大自然の循環法則が、決して絵空事でないことを証明してみせる。陰陽・五行の循環理論では、気温や天候で季節を捉えない。四季の変化は、日照時間のみで捉えていく。そうすると、一見どんなにいつもの年とは違う気温や天候になっても、この日照時間だけは毎年一定・同一で、しかも冬至以降、徐々に徐々に増え続けていくものなので、季節が確実に春に向かって動いていることを物語ってくれるからだ。どんなに異常気象の年が来たとしても、この日照時間に変化が起きない限り、四季の巡りは確実に循環し、何事もなかったかのように気温・天候の軌道修正を行いながら、季節を巡らせていく。
そういう意味では、四季の巡りは、我々の運命のめぐりと非常に良く似ている。運命と呼ぶか、人生と呼ぶかは自由だが、それは時々行きつ戻りつしながら、或いは軌道修正しながら、けれども確かに、何かに導かれているかのように、運勢としての軌道を暗黙の内に歩んでいく。それは時として、坂道を転がり落ちるように突き進んでいくこともあれば、逆に、ある時期を境に上昇軌道へと逞しく進み始めることもある。その下降や上昇が緩やかな人もいれば、際立って激しいケースもある。
ただ、そのこと自体に間違いはないが、若い頃頭で考えていた法則通り進むものではないことに、徐々に気付くようになった。いわゆる運命学の法則通りとは云えないのだ。運命学の法則をはるかに超えて、動き出す人生が確かに存在する。例えば、四柱推命では、大運とか行運とか呼んで十年後との運気を語ることが多いが、実際の運命というか、人生というか、そんなに型に嵌まったものばかりではない。そんなことは誰でも経験的に知っているのに、誰一人、占いの研究者で、それを口にするものはいない。私に云わせれば、占い師全員『裸の王様』の物語を地で行っているようなものだ。何故、運勢の波が「十年毎と云うのはおかしい」と、言葉に出せないのだろう。たぶん、みんな怖いのだ。古代から、正しいとされ続けてきたことを、否定する勇気がないのだ。土台が、この移り変りの激しい世の中で、十年毎でないと運が変わらない、という考え自体、おかしい。実は、理論的にも、十年ではなく、五年の方が理に合っている―と、私は考えている。このことに関して説明し出すと長くなるので話さないが、多くの人は知らないが、元々四柱(子平)推命というのは、出生日干が「我」ではなく、出生年干が「我」であったのだ。おそらく、これを読む人の9割は、このこと自体も知らなかったはずである。
占いには、このように本当のことが知られていないで今日まで来ているケースがたくさんある。私の役割の一つには、それら秘められてきていることを一般公開して、運命というものを、改めて考える機会を与えることにもあるような気がするのだ。
2007年3月2日、これまでの古いマンションから、新しく建ったばかりのマンションへと引っ越しました。色々な想い出が詰まったマンションでしたが、一昨年辺りから、妙に動かなければ…という思いが強まり、我慢できなくなって、とうとう新たなるマンション探しが始まりました。
最初は賃貸で探していたのですが、中々思うような物件がなく、いつしか分譲物件を当たることになりました。こうして最終的にたどり着いたのが、このマンションでした。
まず、地理的な問題でした。札幌の中心部になるべく近いこと。風水的観点から、条件の良い場所であること。なるべく眺望の良いマンションであること。地下鉄の駅に近いこと。
これらの条件をすべて満たしてくれるマンションというのは、実際には中々見当たらないものです。特に、占い師である以上、風水的観点から、条件の良い場所であることは絶対的ともいえる条件です。ところが、これが中々ないのです。いや、正確に云えば存在はするのですが、地下鉄の駅から遠い場所が多いのです。私は、自分が車を持っていないこともあって、地下鉄の駅から遠いところは、どんなに他の条件が良くても呑めないのです。
出来れば地下鉄の駅から3分以内というのが、私の希望です。他の部分が満たされていれば、5分までなら一応OKと思っていました。いったん、決めかけたマンションは、大通駅から5分の位置にありました。14階建ての12階で、すでに出来上がったばかりでした。街の中心に近く、12階という高さも気に入りました。3LDKとしては、やや狭いかもしれないけれど、場所だけで云えば、風水的には悪くありません。それに、独身女性や新婚さんが多く入居している、という説明も私には好都合に思われました。マンション自体から見て、東側に位置する部屋であることも、私の望みにかなっていました。
ただ一つだけ、私には気になる部分がありました。それは部屋の南東部分が欠けていることでした。もう一つ、街の中心に近いため、棟の形が完全に箱型で遊びがないことでした。南東部分と云うのは、その人の信頼度に関わり風水上きわめて重要です。私は、最後まで迷いました。いったん、決めかけ家具屋さんで種々注文まで出したのです。結果的には迷いに迷って、それをキャンセルしてしまいました。
振り出しに戻って、新たなるマンション探しが始まりました。まるで恋愛のように、いったん断っておきながら、やはりキャンセルすべきではなかったのではないか…という後悔も頭を掠めることがありました。
ある日、インターネット上で新たなマンションを見つけ出しました。これだ! 私は迷いなくこのマンションのDタイプの最上階を希望しました。ところが、電話をかけて見ると、早くも15,14,13までの階は決まってしまった…と云うのです。12階は、以前のマンションと同じでした。一瞬、迷ったのですが、これ以上の風水的に良いところは見い出しがたいと考えた私は、即、購入を決めていました。
以前のような迷いはありませんでした。地下鉄駅出口から3分であること。図面上では地下鉄線路のカーブ内位置に建つこと。東から南東位置にかけて豊平川が流れていること。さらに西側をメイン道路が走っていること。棟の南側に庭も造られること。歩いても10分ほどで大通り駅に着くこと。Dタイプは棟の一番東側にあり、ベランダがもっとも広いこと。さらに、東側、南東側、南側に、それぞれベランダがあること。角地で橋の袂に建つため、半永久的に眺望が保障されていること。浴室が東側に来ること。キッチンが南東に来ること。南東側のベランダが、やや出っ張りとなってカーブしていること。リビングが南東から南に位置すること。
風水的観点から、これだけの条件を引き出すことは容易ではない。
実際にマンションが出来上がるまで、時間があったせいもあり、今度は家具店からではなく、インターネットを通じて主要な家具を買うこにしました。さまざまな家具類を見ている内に、私は自分が無意識でイタリア家具に強く引き寄せられているということを知りました。それも、どちらかというとセミ・クラシック系の家具類でした。それらは、中々一般の家具店に置かれることは少なく、また高価でもありました。新しいマンションに暮らすのであれば、家具類も新しく豪華なものにしたいと思うのは人情です。もっとも、経済的には決して裕福ではない私には、それらの購入は大きな決断を必要としました。
けれども、時間があったせいで、何回もネットで見ていると、しだいに我慢できなくなってしまったのです。こうして、高価なイタリア家具の注文が開始されました。ただ一つの店のみからだけでなく、種々の店から購入する結果となりました。最終的に8つくらいの店に注文を出していました。これが、まず間違いの元でした。種々なところで購入すると、当然のことながら種々なところから届きます。これが、引越し時でなければ種々なところから届いても、何とかなるのです。ところが引越しに合わせて届くよう手配すると、どうしても何所から何時くらいに届くのか、混乱してきてしまうのです。そうして、何所からのがまだ来ていないのか、判別できなくなってしまうのです。
しかも、ネットというのは写真ですから、実際の見た目とは違っているものです。大きさも材質も大体は解かりますが、ハッキリしない部分もあります。これらで一番の失敗は、机と椅子と書棚でした。これらは、いずれもあまりにも巨大で、届けられたとき言葉を失ったほどです。中でも椅子は、あまりにも馬鹿でかく大巨人の椅子のようでした。机も想像以上に大きく、立派なものでした。立派なのは良いのですが、あまりに重く、分厚く、動かすのでさえ一苦労なのです。
一番困ったのは書棚でした。きちんと部屋の高さを見極めた上で注文すれば良かったのですが、マンションなので部屋の天井には張りが出っ張っていたのです。これを見逃していたため、最初考えていた部屋には、書棚がおさまらず、急遽部屋を変更しなければならなかったのです。それでも、何とか机も書棚も椅子も、部屋の中に収めることができました。今回はすべてそうですが、ぎりぎりセーフといったところです。
私の部屋は、まるで立派な社長室のような雰囲気になってしまいましたが、風水的観点から見ると、社会的地位には恵まれても人気運には乏しそうな気がしてしまいます。まあ、それでも、立派な部屋で新たなるスタートを切るのも「神が私に授けた部屋」と考えれば、何とありがたく、恵まれたスタートと感謝すべきことかもしれません。そして巨大な椅子や机負けないようベストセラーの著述を生み出さなければなりません(?)。
いつも、いつも、心苦しく思いながら、忙しさのまま私のホームページが更新されないままとなってしまっている。この「素顔の独り言」にしてもそうだ。そこで、気分を変えるために、やる気を起こさせるために「占いタウン」という占い師達の集まっているサイトの「占いブログ」の方に、多少、気楽な気持でエッセーを綴ることにした。いつまで続くか判らないので、ここに書くことに抵抗があったのだが、とにかく毎日、何かしら書いているので、この「素顔の独り言」が気に入ってくれていた方であれば、もっと生な形で書いているだけに、面白く読んでくれるだろうと思う。
もう一つ、ここに載せていないのは「波木星龍・占い大全」というサイトがオープンしていることだ。これは今までの私の占いサイトの中でも、その集大成として私が力を入れているものなので、ぜひ試していただきたい。私は、オンラインの占いサイトとしては、最高のものを「波木星龍・占い大全」に提供したいと思っている。それと、私の単行本についても、なるべく早い時点で書き上げたいと思っている。何人もの方々から、早く出してくれるよう要望されながら、出来ないでいる私を優しく見守っていて欲しい。このホームページも同様である。