「single-blog2.php」* 有料カテゴリ:「過去の占いコラム」は一括2,000円で全て読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

過去の占いコラム

素顔のひとり言(エッセイ集)


古代の占星術を蘇らせる「準惑星」


天文学の世界で「惑星」のはずだった冥王星が、条件を満たさないとして正規の惑星から降格したのは去年のことだ。世界的な天文学の世界では、落ちぶれ(?)てしまった冥王星だが、つい先頃、日本の学会では独自に「準惑星」の称号を与えたのだそうだ。

「惑星」でも「準惑星」でも、一般の人達にとってはどうでも良い話だが、西洋占星学上ではちょっとだけ関係してくる。元々、西洋占星学では長期にわたって肉眼関節可能な「七惑星」だけが「惑星」として扱われてきていた。つまり、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星の七惑星である。この内、太陽と月(太陰)とは、天文学上は惑星ではない。太陽は「恒星」であり、月は「衛星」と呼ばれる。ただ占星術では天空上にあって我々を「惑わす星=惑星」と見立ててきたのは、ごく自然な発想である。現代でも占星術上は太陽も月も惑星として扱う。ホロスコープ占星術が登場してどのくらいになるか正確なことは不明だが、仮に紀元前五百年頃とすれば、西暦1800年代まで約2300年間は、古代の七惑星だけで占断していた。天王星、海王星、冥王星を加え出したのは、近世に入ってからのことなのだ。それも、天文学から「占星術=非科学的なもの」というレッテルを貼られまいとするアカデミズム意識の強い占星家たちからだった。

実際、古代の占星家は例外なく天文学者を兼ねていた。今のように「天文暦」が売られている時代ではないから、実際に天文観察や位置計算をしなければ、ホロスコープは作成できないからだ。そういう時代が2000年以上も続いていたのだ。ティコ・ブラーエやケプラーのような歴史に名だたる天文学者は、同時に宮廷占星術師として、実質収益を得ながら生活していたのだ。よく歴史書などでは、ケプラーは生活を支えるために占星術を行っていたかのように記されているが、これは正しくない。彼は個人的な運命判断だけでなく、気象判断も占星術によって可能だと考えていて、その種の研究も行っていた。占星学史の上でも重要で、マイナーアスペクトの多くは、彼の研究によって採用され出したものなのである。

したがって十九世紀の占星家たちが、天文学から遅れを取るまいとする意識の中で、見えざる惑星達を次々と判断に加えていったのは、苦渋の選択だった。こうして、最初に天王星が加わり、次に海王星が加わり、やがて冥王星も加えられるに至った。二十世紀後半になると、それこそ準惑星的なキローンが加わり、ジュノー、ベスタなどの小惑星が加わり、中には未知の未確認惑星まで加える者まで出てきた。

こうしてホロスコープには沢山の惑星が並び、判断を複雑にしていった。惑星らしきものは沢山並んだが、実際の判断はできない、という占星家(?)が多くなった。中にはプロとして活躍しながら、惑星同士のアスペクト判断はほとんど取り入れない、というおかしな人まで出てきている。

総じて現代の占星家は、コンピュータのお陰で精密なホロスコープは作れるが―どう判断して良いか判らない―というプロとしてあるまじき人達が多くなってきている。そういう人達の多くは、西洋占星学の基礎的知識は十分すぎるほど持っている。けれども、実際に多くの人たちのホロスコープを手書きで作成していないので、個々の惑星の位置や関わりが実感として体得されていない。私はそういう人達に、まず手書きで何百人ものホロスコープを実際に作成してみることを勧めたい。そうすると、実感として、個々の惑星というものの表す作用が感覚的に把握できるよう変わっていくからだ。コンピュータで表出されたホロスコープでは判らなかったことが、見えてくるようになる。古代の占星家は七惑星だけで十分に判断出来ていた秘密が感得できるようになる。

ホロスコープを一見して、その人の性格や運命の大要が把握できなければ、プロ占星家として恥ずかしいではないか。どんなに沢山の西洋占星学知識を所有していたとしても、それを実際に使いこなせなければ、宝の持ち腐れである。準惑星に降格されてしまった冥王星は、そのことを判らせたくて、現代の占星家たちに無言の警告を発していたのかもしれない。

「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧素顔のひとり言

  • 「大谷選手の故障」と「株価予測」が見事的中‼

    早いもので今年も“雪景色”の季節となった。そこで、今年一年の「波木星龍の占い予言」を振り返ることにする。私は別に、有名人の予言とか、社会的な予言とか、本当はそんなことはどうでも良い 続きを読む

  • 波木星龍の公的な「予言の的中率」

    占い師の評価というのは、必ずしも“的中率”にあるわけではないが、そうは言っても“どの程度的中しているのか”は、その評価の重要なポイントであるには違いない。よく“口コミ”と言われる“ 続きを読む

  • 自らが創り出す「未来」

    占星学や推命学の研究者の中には“先天的な運命”を動かしがたいものとして、本人の“意志”とか“選択”とか“努力”などを認めないような判断の仕方をされている方が多い。私自身も占星学や推 続きを読む

  • あまりにもお粗末な「ツタンカーメン」番組

    こういう番組をどう捉えれば良いのだろう。制作サイドは日本の視聴者をあまりにも軽んじすぎているのではないだろうか。7月18日のTBS古代エジプト世紀の大発見プロジェクト「ツタンカーメ 続きを読む

  • 日進月歩で「後退していく」占いの世界

    世の中、日進月歩で進んでいくものが多い中で、まるで“後退りしている”ような世界が「占いの世界」だといってもよい。どうして後退りなのか、ここ20年ほど「新たな研究」「新たな学説」「新 続きを読む

  • 人は“さまよいながら”生きていく

    人間社会は「勘違い」で成り立っている。例えば、私は“書きもの”などでは何でも明確に“ズバズバ書く”ので、現実にもさぞかし「即断即決の人」「迷いのない人」「怖い人」であるかのよう誤解 続きを読む

  • 「パスワード」という魔物

    私は元々が“IT型の人間”ではないので、日頃から“IT関連のもの”は苦手である。その中でも一番厄介なのが「パスワード」で、あらゆる場合にこの部分で躓いてしまう。何故、もう少し簡単に 続きを読む

  • 占い依頼者との「距離」について

    当然のことながら、占い師は常に何らかの悩みや問題を抱えた相談者や依頼者と相対して仕事を行っている。初めての依頼者もいるが、その多くは過去に“占っている方”で、いわば“常連さん”に属 続きを読む

  • 「使命感」の持っている美しさ

    どのような世界であっても「使命感」の中で生きている人達は、それぞれに“美しい”ものです。もちろん、これは外見的なことではなくて、“生き方としての美しさ”です。その人なりが滲み出てく 続きを読む

  • 日本人であるということ

    今年は正月から週刊誌が飛びつきそうな話題やネタが矢継ぎ早に飛び出している。「ベッキー不倫騒動」があり「スマップ独立失敗」があり「甘利金銭疑惑」があり「宮崎育児不倫」があり「清原覚せ 続きを読む