11月, 2008年

愛のタイムラグ

2008-11-27

ドバイの原油先物価格が急落し続けている。8月に1バレル=147ドルくらいまで急騰していた価格は、わずか3ヶ月の間に100ドル下がって今は1バレル=50ドル以下となってしまっている。上げ方も異常だったが、下げ方もやや異常だ。車のガソリン価格もそれを反映して下がって来た。ところが、どういうわけか航空機のサーチャージ(割増料金)は一向に下がらない。それどころか10月→11月→12月とサーチャージは上がり続けている。例えばヨーロッパへの12月のツアーは正規の料金に60,000~70,000円をプラスしなければ行けないのだ。原油は100ドルも下がったと云うのに、何故このような現象が起こるのか。それは航空運賃の決め方にタイムラグ(時間のずれ)があるからだ。それを解消しない限り、今現在は下がっていることは分かっていても、簡単には下げられない決まりとなっているのだ。航空会社がダメなら…と云うことで、旅行会社は下がることを見越して「サーチャージ料金込みの価格」を発表するケースも多くなっている。これは多分12月のツアーに行く人たちのサーチャージ分を、例えば10月のサーチャージ代で前払いすることで安くあげているのだ。だから海外の遠い所に11月~12月に旅立とうと云う人は「サーチャージ込み」のツアーに参加される方が1~3万円くらい得をするはずだ。と云っても、別に私は旅行会社の回し者ではない。タイムラグと云うモノの不思議について述べたいだけだ。

タイムラグは、何も原油などの商品価格だけに存在するわけではない。たとえば月刊誌だ。今は昔と違って活字を組むのもコンピュータで、印刷や製本もスピーディーなので、実際に著述される時期と、読者が手に取って読む時期との間のタイムラグは少なくなったが、それでも1ヶ月半のずれは生じる。ずれなど気にならないような月刊誌なら問題ないが、社会的事件、時事問題、経済問題を扱う雑誌の場合、動きや変化が激しいだけに1ヶ月半のずれは致命的となる。かと云って、印刷に間に合うギリギリまで書き直すのでは著述者や編集部もたまったものではない。週刊誌の場合はずれても1週間から10日なので、その出来事が過去になっても新鮮さは失われていない。ところが1ヶ月以上となると「あの時は…」と云うような印象度が強い。

以前「たまごっち」が大ブームとなった時、多くの業者が新規参入をした。ところがブームは意外なほど早く去り、新規に製造機械を導入して作り始めた業者たちは「たまごっち」の返品の山を抱えて泣くに泣けない状態となってしまった。

このように商売でもタイミングが重要だが、男女間の間でもタイムラグは往々にして起こる。つまり相手の方が好きで追いかけて来ている内は邪険に扱いながら、その相手が去っていってしまった途端、自分も好きだったことに気付き、お願い戻って来てと懇願し始めるようなケースだ。俗に云う「復活愛」のほとんど9割はこういうケースだ。ただ、このような場合、そのタイムラグが大きい場合、復活は困難だと知ってほしい。例えば相手に対して一方的に別れを告げておきながら、2年以上経ってから「復縁」を求めようとする人がいる。この場合「お互いに好きであったのに…」何らかの事情から分かれている場合は復縁の可能性がある。けれども一方的に別れを告げながら復縁を求める場合は、それが1年以内なら復縁する可能性はあるが、2年以上経過している場合は余程のことがない限り元に戻すのは難しい。どうしてかと云うと、お互いの愛を感じるピークの時期が大きくずれている。だから別れを告げながら、相手の熱が冷めた頃になって元に戻りたいとせがむのだ。縁の深いカップルと云うのは、愛情が強まる時期が一致しているケースが多い。したがって長期間離れていたとしても、一方が再び愛を求める時に、もう一方も復活したいと望むのだ。そしてこのようなケースでは、お互いが愛し合いながら何らかの事情によって泣き泣き別れている場合が多い。仮に一方的な別れを宣言する形をとっていても、そう云う場合は嫌いになったからではないはず…と漠然とではあっても通じるので、そう云う場合なら心配はいらない。

多くの場合、運命は奇妙な偶然によって二人を再び巡り合わせるからだ。ただ、そのような場合でも、時期と云うか、タイミングと云うか、運命の女神が手を貸さない内はどんなに頑張ったとしても逢うことはできない。たとえば両方ともに相手の居場所を探しながら突き止められなくなっていたりする。あるいは居場所は知っていても、すぐそばに居ても、なにかの手違いとかミスとかがあって連絡も取れず、逢えないような状況を作り出していたりする。

愛のタイムラグは人知では計り知れないほど不可思議で奇妙なものなのだ。

ネットバブルの旋律

2008-11-19

日本では1980年代後半、異様なほど株価や不動産が上昇していた時代があった。日経平均は4万円近くまで高騰し、それ以上に不動産価格は跳ね上がっていた。多くの人がそれらに飛びつき、やがて一気にバブルは崩壊した。当然その当時に土地や株に手を出していた人たちの多くは深い痛手を負った。

それから10年ほど経って、今度は「ネットバブル」と呼ばれる時代が到来した。1万円台へと低迷していた日経平均は再び勢いを取り戻したかのようであった。但し、この時急上昇していたのはIT関連の株に限られ、次々と新興市場に新たなIT企業が名を連ねて来た。僅か数名の独立まもない企業が、あっという間に上場し何十倍もの株価に跳ね上がる。そういうことが珍しくない時代であった。実際、この時にもっとも注目されたのがアメリカではビル・ゲイツであり、日本では孫正義であった。それを象徴するソフトバンクの株価は2年ほどで20倍となったが、バブルが崩壊すると一気に崩れ、売りが売りを呼んで倒産の危機にすら変わった。これは当時のネット新興企業はどの企業もそうであり基盤の脆弱な企業ほどあっという間に崩壊してしまった。ただネットバブル崩壊後も生き残ったIT新興企業は2003年以降再び勢いを取り戻しつつあった。じわじわと株価も上がり、土地・不動産もアメリカにつられる形で上昇し始めていた。

ところが日本ではライブドア事件以降、あいまいさの残る新興市場から投資家が離れて資金が集まらなくなった。せっかく盛り上がりかけた若者たちの投資への関心も波が引いたように消えてしまった。加えてアメリカのサブプライム問題が起こって世界の投機資金が一気に逆流し始めた。それでなくても投資家が離れていた日本の新興企業の株価は身動きがとれないほどに落ち込んだままである。

実は新興ネット企業と、極めて似た経緯をたどった人物が詐欺事件で逮捕となった小室哲也なのだ。彼が一世を風靡していた時代、それはまさしくネットバブル期に符合する。そして彼の用いた音楽手法もまたIT音楽であった。それまでとは楽器が異なり、作曲手法が違った。つまりIT関連機器が進歩したことによって彼の音楽・作曲は誕生したのだ。その成果として一人勝ちのような形で小室ファミリーの歌が売れ、金が入った。莫大な金が一気に飛び込んできた。彼は100億以上とも言われるこの金がバブルによるものであることに気付かなかった。そこに彼の最大の失敗がある。

何の商売・事業・投資・ギャンブルであれ、一気に得られた金と云うのは失われるのも早い。奇妙なことにそうなっているのだ。運命学的には「回転財」と呼ばれる。回転寿司ではない。この回転財はあくまでも回すものであって寝かせておけるものではない。したがって、どうしても新たな事業・商売・投資に回してしまう仕掛けになっているのだ。したがって、あの時黙って取っておけば…などと後から云うが、実際には放っておけない仕組みになっているのだ。これは何10億でも何100億でも同じことである。世の中と云うのはうまい具合に出来ていて、たくさん入って来る人にはたくさん出て行くところが用意されているものなのだ。

同じ事業や商売でも、地味に入って来るお金には本人の元に残ろうとする性質がある。そういう点から云うなら、お金は徐々に増えていくのが理想的なのだ。地味に入って来るのに派手に出て行くと云う方は、潜在的にお金と云うものを嫌っているに違いない。人でもお金でも、自分を嫌っている人には近づきたくないものだ。だから、すぐ出ていくのだ。お金にまつわる厭な事件や問題が報道されるたびに、そういう人は「結局お金が悪いんだ」と思ってしまう。つまり、お金を嫌うようになる。お金の方もそれを何となく感じるから、近づいては来ないのだ。当然と云えば当然のことではある。私も、もう少しお金を愛さなければ…。