2月, 2009年

故・中川一郎を振り払え

2009-02-28

それを私が感じたのは、もう二年ほども前になる。どうしてだろう…と奇妙に思い、まさか…と或る直観を押し殺した。ただ、あの時の感覚を、思い出さずにはいられない事態が起きた。今回の中川財務相のG7記者会見での顔貌だ。

すでに辞任し、さまざまな視点から報じられているので、政治そのものの観点からどうこう言う気はない。私が言いたいのは彼の顔貌の変化なのだ。彼の父親である中川一郎氏は「将来の総理候補」として注目を集めていた人物だった。それが突然、北海道の自宅で首つり自殺した。その弔い合戦―と云う形で急きょ政界入りしたのが中川昭一氏だった。実はこの時、現在は「新党大地」で党首を務める鈴木宗雄氏も中川一郎秘書であったが出馬し、両方とも当選している。その時、私が何よりも注目したのは息子・昭一氏の端正な顔立ちだった。と云うのも中川一郎氏はどう見ても端正とはほど遠い顔立ちで全く似ていなかったからだ。母親似なのか…と勝手に納得した。

あれからどのくらい経ったのか…ここ四五年、私には妙に気になっていたことがある。中川昭一氏が中川一郎氏に似て来たのだ。もちろん私も若き日の記憶で一郎氏の顔貌を仔細に覚えているわけではない。手元に写真を置いて見比べているわけでもない。ただあまりにも初当選時の昭一氏が端正な顔立ちであったため、印象として父親との違いが鮮明に残っているのだ。それが何故なのか、ここに来て顔が崩れ始めていた。端正だった面影は…もうない。そして二年前、何の時だったか忘れたが、彼の顔がTVでアップになった時、これはまずい、と思った。明らかに故・一郎の顔貌が重なりつつあるような印象を持ったからだ。そして、それが決定的に重なり合ったのが、今回のローマでの記者会見だった。多分、赤ら顔になっていたので余計に似て見えたのだ。

しかし同時に、それは私に「危険だな」と云う思いを与えた。もちろん、それは今回の辞任劇ではない。側近から「ガラスの心臓」だと云われるその部分だ。政治家としてはまだまだ若く、頭脳も優秀で、復活が可能なのだから焦る必要はない。彼に今必要なのは故・中川一郎を振り払うことなのだ。しかも、それは急務を要する。私は中川家の宗教・土地・家屋・墓標等がどうなっているのか知らないのでどうこう云えないが、少なくとも一郎氏は成仏されていない。成仏させて、自らに憑いている念や縋りを振り払うことだ。

それにしても麻生総理は、私が就任の前に予言した通りとなって「口は災いのもと」と云う試練から逃れられないでいる。ただ世界の主要国の政治家は総じて試練に立たされている。まさしく「チェンジ」が必要なのだが、日本の場合は民主党政権に変わったなら大丈夫かと云うと、残念ながらそうも云えない。小沢一郎氏は「泣きを見る相」を持っていて、反逆を受けてしまいそうな予感があるからだ。もっとも、大昔私はあるTV番組で「小沢一郎は将来総理になる」と予言したことがあるので、そういう点から云えば的中してしまう可能性はある。彼がまだ自民党時代の話で「泣きを見る相」でもなかった頃の判断だ。あの頃は政治・社会を占う形でTVに出ていた私が、今は夜のススキノ女性たちを占う…と云う形でTVに出ていたりする。実は昨日その収録があった。お酒の店に行きながら、お酒が飲めないのは何ともつまらない。まあ、でもススキノ美女相手に占いをするのも悪くはない。ススキノも不景気なせいか、心なしか活気がない。三件目の店はTV収録の時間になっても店内が片付けられていなかった。遅い時間でないと客が入ってこないのだろう。

景気が悪くなると、まず第一に遊興・娯楽に関しての商売に影響が出る。生活費で精いっぱいで、それ以外の出費を極力抑えようとするからだ。外需頼みだった日本は、内需に期待をかけたいところだが、それは元々外需から回って来たお金なので、実際には内需も冷え込んでいくのだ。私が前から懸念していたように、輸出産業で成り立っている我が国は、他の主要国に比べ実体経済の落ち込み率が大きい。株価から心配していたのは、もう一年以上も前の話なのだ。私の興味が薄れる頃、物事は形として現れて来る。

薬物が人生・運命を変えていく

2009-02-19

大相撲力士やゴールドメダリストの大麻事件がまた起こった。芸能界、スポーツ界、さらには大学生と、大麻とか覚せい剤とかが、再びじわじわと広がりを見せ始めている。自分とは無縁だと思う人が多いはずだが、案外身近なところにも薬物の魔の手は忍び寄っている。私のお客さんで仮にAと云う女性がいた。彼女は高校3年生の時から私の元へと鑑定に訪れるようになった。真面目な女性で、通常そのくらいの年齢だと恋愛のことを必ず訊いてくるものだが、彼女は違った。看護大学に入れるかどうか、医療系の道に進むことは適正かどうか、それだけを訊いて来た。私はそれらに関しては太鼓判を押し、ついでに学校に入ったら、好きな男性が出て来るだろう、と付け加えておいた。彼女は「そうかなあ…」と、興味がなさそうであった。

やがて無事大学に入学した彼女は明るくお礼に来た。そして、どの部活だったかサークルだったかの選択で、私に相談してきた。明るく聡明で真面目そうな印象も変わらなかった。ところが、夏休みに入ってアルバイトを始めたころから彼女に変化が出始めた。私の予言通りにアルバイト先の男性に恋してしまったのだ。それまで勉強一筋できた彼女は、男性に対しての免疫性がなかった。どうすれば付き合えるか…問われるまま私はいくつかのアドバイスを彼女に与えた。こうして彼女の恋愛遍歴が始まった。

それから何回か似たような恋愛相談で彼女は私のアドバイスを聴きに来た。徐々に彼女のファッションにも変化が出てきた。最初、聡明で真面目そうな印象が強かった彼女だが、大人っぽい雰囲気と云うか、女性的な華やかさが出て来ていた。ところが或る日、深刻そうな表情で彼女は現れた。そこで初めて彼女の父親が病院長であったことを知った。その父親が急死し、病院そのものも閉鎖が決まったという。卒業後は父親の病院で勤務するつもりだった彼女にはショックが大きかったようだ。しかも莫大な借金があり、送金も急きょストップしてしまうと云うのだ。学生として優秀である彼女が、あと1年を残して辞めるのはもったいない。ちゃんと卒業した方が良いと私は励ました。

私はその時、或ることを見逃していた。莫大な借金が彼女にも影を落とし、学生を続けるなら或る種の覚悟が必要だったと云うことを

…。それから三年ほどが経過した。突如、彼女が私の前に現れた時、私にはそれがAさんであるとは分からなかった。記された名前を見て初めて気付いたのだ。そのくらい彼女は変貌していた。まず髪が美しい金髪に変わっていた。金髪の前髪を目の手前までおかっぱにし、後ろをポニーテールにして、スパンコールのノースリーブとオレンジの極端なミニスカートで決めていた。元々、洋風の顔立ちをしていた彼女は金髪にすると外人風に見える。実際、ハーフの女性が訪ねてきたのかと思ったくらいだ。そして、その姿はどう見ても医療学生や看護師のそれではなかった。「先生、驚いたでしょう」それが、開口一番の言葉だった。化粧のせいだけではないかもしれない大き過ぎる眼は誇らしげに笑っていた。「風俗になったの?」彼女は大きく頷くと「今度、写真集とビデオも出る予定なの。今、東京に居るから…今度、来たとき持ってきてあげる」多分、彼女は懐かしさで立ち寄っただけなのに違いない。恵まれた現在の生活に後悔はないようだった。

ところが、話はこれで終わりではない。それから二年ほど経って、或る日、私の元に電話鑑定を依頼してきた女性は、どこかおかしかった。何がと云われると困るのだが、言葉のテンポ、会話のろれつ、話の筋道に、薬物特有の危うさが感じられるのだ。偽名を使ったが、声と云うのは記憶に残っている。最初、分からなかったが、話している内に彼女だと気付いたのだ。危険だと私は思った。彼女は元々が薬物の扱いに慣れている。そういう人が薬物に溺れると深みにはまり易いのだ。彼女の薬物とは、多分、私の勘では覚せい剤の方だ。私はそれとなく、今なら引き返せると忠告した。「私が誰だか分かってるの?」「もちろん」「…もう遅いわ…」「いや、遅くない」「…ダメなの」「なぜ?」「……」電話はそのまま切られた。

その後、彼女が顔を見せたこともなく、電話してきたこともない。今、どうしているか私は知らない。ただ、彼女が薬物から立ち直る日々が来ることだけを願っている。

二人とも、とても優しく良い方なので…

2009-02-12

あなたには元々人生の主要な場面で二者択一で迷いやすい傾向が示されています。それとちょっと気になったのは、常に受け身で自分からは積極的に出ていない点です。容貌的にも恵まれ、知性もあり性格も良いのに独身のまま婚期を逃していく男女には受け身で生きている方が少なくありません。だから二者択一が出来ないのです。ご自身の人生なのですから、物事によって積極的に出ることも必要です。もしドイツ在住の方が今年も帰国されるなら、もっと頻繁にメール・電話のやり取りをしましょう。会社関係の方とは何度もドライブすべきです。占いでは前者の方がお勧めです。(占断=波木星龍)

時代が「007」に追いついて来た

2009-02-05

久しぶりに映画館へ出向いて「007・慰めの報酬」を観た。私が唯一、子供の頃から見続けている映画が「007」シリーズだ。本当はもう一つ「男はつらいよ」シリーズがあったのだが、渥美清亡き後、続編は作られていない。確か前にも何かに書いた記憶があるが、この二つの映画には共通性があって、主人公は共に定まった住所と云うものがなく、常に動きまわっていて、その行く先々でトラブルに巻き込まれ、マドンナが出現して惚れっぽく、窮地から救い出す役目と相場が決まっている。一見、まったく異なった筋書きのように思えるが、案外共通性も多かったのだ。

ところが前作あたりから、007の方は何かが違ってきている。007のジェームズボンドが、あまり惚れっぽくなくなって、マドンナはどこか脇役的存在へと追いやられ、「正義の使者」と「悪の権化」と云う図式も崩れ、何となくシリアスでスリルが連続する組織犯罪撲滅へと挑む一匹狼の映画に変わりつつあるのだ。今回の「慰めの報酬」は、これまでの記録を塗り替えるほどのヒットだと云うが、確かに映画そのものの出来は良く、観る者を飽きさせない。場面展開が早く、ひとつのシーンでも「動」と「静」とを巧みに重ね合わせながら、さまざまな角度・方向からカメラを向け、必要以外の部分をわざとぼかす手法で臨場感を与えようとしている。特撮をあまり用いていないのも、反ってスリリングな印象を与えてくれる。

日本でもたまにサスペンス映画を作ることがあるが、たいていは面白くない。緊迫感や臨場感が観ているものにまで伝わらないのだ。巨額な経費を掛けるハリウッド映画と製作部分で比べるのも酷だが、ストーリー上の問題もある。日本の映画は観客に対して親切すぎるのだ。つまり、その映画を見ている誰もがストーリーを理解できるように描こうとする。それでどうしても単純で平面的なストーリーとなる。アメリカ映画は総じて場面展開が早く、そのシーンだけ見ていたのでは何が何だかわからない。次々と場面を変えながら、結果的にそれが何を意味するものだったのか理解させていく手法を使っている。だから最初から最後まできちんと見ていないと、物語が分からないように出来ている。日本のサスペンスドラマは最初と最後のシーンだけ見れば、およそのストーリー展開は把握できるように作られている。順序立てて誰にも理解できるように作ろうとすれば、日本のような緊迫感の乏しいサスペンスになる。

ただ、そういう日本的描写の仕方がプラスに働く映画ストーリーもある。芸術的要素の高い心理描写の多い作品群だ。日本人は古来、茶道や日本庭園のような静寂への美意識が強い。日本画にみられるような空間に語らせる技法にたけている。和歌にしろ、俳句にしろ、すべて「無」の中に語らせる手法で、心の中を表そうとする文学表現だ。映画と云うのは、この「無」に語らせる手法を少なからず取り入れないと、芸術的な作品にはならない。人を本当の意味で感動させる作品を誕生させにくい。そういう意味では日本人に合っている芸術なのだ。歴史大作とかサスペンス巨編は巨費を投じなければ良い作品は生まれないが、心の中を描こうとするなら、日本人の持っている空間描写が生きて来るはずだ。アメリカでも昨今、一時期に比べると派手な特撮に頼る作品は少なくなって、ストーリー重視、心理描写重視の作品が多くなった。「007」にしても、派手で華やかなアクション場面だけを売りとしていたのは過去のものに変わりつつある。思えば私が最初に007を観たのは、まだ中学生のときで隣の席の友人に強く勧められたからだ。彼は授業中、007がいかに面白い映画かを饒舌に語った。私はつい引き込まれ、おかげで成績はぐんぐん下がった。トップクラスだった成績は真ん中くらいまで落ちてしまった。それでも私は、都会的風貌とオシャレセンスにたけていた彼を嫌うことが出来なかった。或る種、憧れるような気持ちの中で、授業中の彼の話に聴き入っていた。確かに彼にはジェームズボンドとは違うが、未来社会からやって来た洋風ダンディな雰囲気があった。ところが、その彼が急に学校に来なくなった。肺炎で入院してしまったらしい。長期入院で欠席のままクラス替えとなったので、その後どうなったのか私は知らない。私の成績はかなり回復したが、それよりも、せっかく出来た友人を失ってしまったことの方が私にはショックだった。

その後、私は007シリーズの多くの作品を観た。そして観るたび、あの友人を思い出す。007の初期の作品群は、どこかスーパーマンのようなところがあって、諜報部員と云う職業も絵空事にしか思えなかった。さまざまな未来兵器・化学兵器が登場し、国家間の機密情報流出なども、当時としては近未来の出来事で日本人的感覚としては絵空事にしか思えなかった。

けれども、映画の中で語られていたような状況が、多少形は変えているが、現実の出来事として世界中で展開されるような時代に入りつつある。諜報部員と云う職業も違和感がなくなったし、国家の機密情報流出とか、スパイの暗躍なども、今や現実の出来事として語られる時代に変わった。そのせいか007の内容にも変化が出て来て、初期の作品群では東西の対立と云うことが絶対的基準だったのが、今やそういう図式は取り払われ、最近の世界情勢を反映するものに変わりつつあるようだ。言ってみれば、昔は映画フィクションの方が時代をリードしていたのに、今では時代の変化・事象が007のストーリーに挿入されるまでになっている。そうしないと現実と遊離してしまうからだ。未来の夢物語だったはずの作品は、いつの間にか現実を投射する作品群へと変わりつつあるのかもしれない。