5月, 2010年

週刊誌の見出しが意味するもの

2010-05-31

新聞を開くと嫌でも飛び込んでくるのが週刊誌等の見出しだ。電車の吊革から眼に入ることもあれば、駅の売店などで何気なく眼に入ることもある。もっとも、その前に大抵はスポーツ新聞とか、TVのワイドショーとか、ニュース報道とかで、目や耳にしている事件や出来事が多いのだが、それでも週刊誌の見出しほどセンセーショナルではない。週刊誌の見出しには、或る種“占い師感覚”で“予言している見出し”が多いことに気付いた。

そう週刊誌の記者や編集長というのは“占うことが仕事”なのかもしれない。例えば「鳩山内閣6月崩壊…次の総理は…」等といった文字が大きく躍っている。占い師としての言葉としか思えないような記事か書かれ、それが売れる。そういえば私も似たようなことを書いたが、それは8ヶ月以上も前の話で、そういう前もっての予言・予測というのは残念ながら注目はされない。人というのは面白いもので、目前のことには関心を寄せるが、長期的な予測にはそれほど関心を持たない。今現在の問題に対する見通しが分かれば、それで良いのだ。というより、その先は余分なのだ。だから週刊誌的先行きで十分、それ以上の未来予測にはふたをする。

私は昔、ある夫婦を鑑定して、引っ越し後のことを訊かれて「やがては別居生活から離婚に至る可能性もある相をされていて…」と判断したところ、怪訝な顔をされ、後で良からぬ噂を立てられたことがある。確かに夫婦の前で言うべき言葉ではなかった。だから仕方がないが、それから十数年が経って、その夫婦の親戚の方から「あの時の先生が判断されたように、二人は今年離婚されたのです」と知らされた。私の方はもう忘れていて、思い出すのに時間が掛ったが、ああ…あの時の…と、しばらくたってから記憶が蘇ってきた。このようなケースは多い。私の判断が形になるのには歳月を要するのだ。長期的未来に関しては自信がなければ判断しないが、すぐに結果が出ないと、人は中々許してはくれない。その点、週刊誌の記事は、たとえその予測が当たらなかったとしても何ら批判されることもなく、責任を問われることもない。大体週刊誌というのは事件や出来事の主人公達に対して手厳しいが、自分たちの記事に対する評価は極めて甘い。だからこそ“占い師的な見出し”が可能なのだ。占い師的と言えば、いくつかの週刊誌で、鳩山総理がインド人占い師に“お伺いを立てている”という噂が報じられている。昔、アメリカのレーガン大統領が、星占い師のご託宣で月時を決めている…と評判になったことがある。元々古代は、王の側近が占いや呪術で国家予測を行ったケースは多く、中国の殷王朝、バビロニア王朝、マヤ王朝、日本の卑弥呼など…いずれも“占い国家・呪術国家”が形成されていた。したがって占い師を側近とすること自体は必ずしも不思議ではないが、自国のことを外国の占い師に訊くのは、国の“危機管理上”からも大いに問題がある。

一時期、緊張状態が和らいだかに見えた日本周辺も、近年に至ってまた暗雲がたちこみ始めている。そればかりでなく世界各国で、国家と大衆との間の信頼関係が崩れ始めている。ギリシャやタイがその典型だが、スペイン、イタリア、中国、韓国、日本、イギリス、アメリカなどあらゆる国や地域で問題がくすぶり始めている。いつ、ギリシャやタイと同じような問題が起きたとして不思議はないのだ。各国とも、国の威信ともいうべきものが失われつつある。

嘆いているのは、現世の人達ばかりではない。先ごろ、故・鳩山一郎の墓石にペンキが塗られる―という事件があった。許されざる行為であるが、運命学的には“墓石は死者の身体”であって、言って見れば“顔に泥を塗られた”のと同じなのだ。我々の先祖達も、この現状を“そのような想い”で見守っているのに違いない。

不思議な占い方

2010-05-16

海外に出掛けるとき、見知らぬ街や古代遺跡の観光以外に、私には二つの大きな課題がある。まず第一は参考となりそうな“占い書籍の購入”であり、その第二は興味深い海外の“占いを実際に体験してみること”である。そのどちらもが期待外れのこともあれば、期待をはるかに越えた収穫をもたらしてくれることもある。今回の旅行は期待が小さかった分、収穫は大きかった。もっとも旅行自体は必ずしも順調とはいえなかった。

出発時からして天候に恵まれなかったが、インドネシアに着いてからもスコールに見舞われ続けた。特にジョグジャカルタからデンパサールへと帰るはずの航空機が、ものすごいスコールの中をどこまでも進んで見知らぬ場所へと降り立った時には、これからいったいどうなるのか…と気が気ではなかった。それがインドネシア第2の都市スラバヤの飛行場だった。乗る飛行機を間違えたのかと思ったが、そうではなくデンパサールに着陸出来なくて、緊急避難的にスラバヤへ着陸して給油し再チャレンジしよう―ということらしかった。ホッと胸をなでおろす半面、あの豪雨の中に再び突き進むのかと思うと不安もよぎった。なにしろものすごい雷と豪雨だった。再チャレンジして着陸出来るという保証はなかった。実際、スラバヤで怒って降りてしまった人達も二十名くらいはいた。なにしろ手書きで航空チケットを発行している会社なのだ。この国の人達は慣れているらしいが搭乗ゲートも3回変わった。ここは度胸を据えて掛るしかない。2度目の着陸チャレンジは見事に成功した。乗客たちは何故か大きな拍手を機長に送った。

バリ島のウブドへと向かった時にも強烈なスコールがやってきた。この島はどこもそうだが、雨宿りできるような公共の場や施設というものがない。車から降りられないのだ。あっと言う間に水溜りが出来て洪水となる。“癒しの島”と言われているが、それはリゾートホテルやスパ・エステの話であって、街中自体は決して“癒しの雰囲気”ではない。アリの巣を突いたように集まって来るオートバイの群れ、信号や横断歩道というものが極端に乏しい道路、日本人は道路を横切るのに大変な決断と勇気がいる。とにかく車もオートバイも歩行者の為に停まってはくれないからだ。間一髪のところで逃れたが、私は猛烈な勢いのオートバイに跳ね飛ばされそうになった。

その一方、占いの書籍は注目すべきものを4~5冊手に入れることが出来た。本当は『ジャカルタ占星術』という書籍も購入したかったのだが、分厚く、重そうなのであきらめた。海外書籍はあまりぶ厚く重いものはパスせざるを得ない。その代わり興味深い手相術書を数冊買った。実例写真が100枚近く掲載されている本や、実例手型とその解説が多数掲載されている本を入手出来た。毎回、海外に行くたび占い書籍を購入してくるので、我が家には世界各国の書物が古書店のように積まれている。

二人のバリアン(呪術占い師)による占いの実占も体験してきた。二人とも占い方はまったく異なり、それぞれが個性的だった。その1人は12項目にわたって占ってくれるのだが、その占い方が面白い。顔面を凝視しながら1回1回奇妙な手指による動作を繰り返す。まるで試写室で映像を確認しているかのような占い方だった。そして各項目に対して4~8までのランク付けを行う。例えば金運は7で、老後運は8という具合に…である。私の場合、運命という項目が一番悪く5だったが、それ以外はすべて7か8だった。このバリアンの占いは地元では名士らしく高額だった。次に観て貰ったバリアンは、まず両手を出させて掌から発する“オーラを観察する”ところからスタートする。私の場合、赤いオーラが一番強く、紫のオーラが続いて強いらしい。この二つのオーラから、私は自分と同じく霊感的に人々を指導する立場の人間だ…というようなことを言った。私は自分の身分を明かしていなかったので、その鑑定能力に内心驚いたが、黙っていた。その後、インドネシア独特のカードを使った占いに入った。判断は具体的で、私の場合、今年8月に仕事上の幸運がやって来て、そのお陰で4年間は安泰で順調に推移するそうだ。近くの湖に15日に金の指輪を着け出掛ければ“水の神が霊感とパワーを授けてくれる”らしい。単純な私は日本に帰ったら支笏湖へ出掛けて見ようか…と思った。私はいつでもそうだが、占ってもらうときには純粋に“占ってもらう人”になりきって座る。そうでなければ愉しくない。もちろん自分自身が占うときの参考にもするが、人それぞれの占い方を黙って堪能するのも良いものだ。人様からの助言には何かがある。何かしら得るものがある。それは当たるとか当たらないとかいう以前の問題であって、そういう謙虚な気持ちが無ければ占ってもらう価値がない。自分で占えば好さそうなものなのに、わざわざ海外まで出掛け普通に占ってもらうのは、占いを行う側として真摯な気持ちを保ちたいからでもある。こうして私の奇妙な形の“占い修業”は続くのであった。

春の嵐と旅立ちの時

2010-05-02

いつもこの時期は天候に恵まれるはずだった。だから3月下旬でなく、4月半ばを択んだのだった。ところが昨日から今日にかけて札幌は大荒れ、春の嵐の到来である。瞬間最大風速が30メートルを超える。しかも雨や雪が伴っている。わざわざそんな時に旅立たなくても…という声が聞こえそうだが、何しろ海外旅行はそう簡単に日時の変更ができない。そういえば今年は3月の登別旅行も天候は良くなかった。まだ雪が積もっていて、寒くて外での観光はほとんど出来なかった。おまけに“客室露天風呂付”に惹かれて選んだのだが、実際それはそうだったのだが、今一つ雰囲気が盛り上がらない“後から強引にくっ付けました”という感じの“露天風呂”だった。おまけに雪が降って来るので湯が冷めやすい。見上げると雪が落ちてくるので、見上げることも出来ない。寒いので浴槽から出られない…。室内も簡素で“豪華客室”とはとても言えない。ただ日本の温泉ホテルの良いところは食事内容に凝っていることである。渡り廊下に人工的な川が流れていて、そこに橋が掛っていて、それを見ながら通された風情のある和室に日本食が運ばれてくる。その品数の豊富さにも目を見張るが、何よりも器が良い。よその国をけなすつもりはないが、韓国料理の店など今一つ“豪華な食事”に思えないのは一つには“器の凡庸さ”にあるのかもしれない。

それにしても最近はどこの国へ行っても日本料理店がある。昔は地元料理に比べ割高なのが当たり前だったが、最近はそうでもなく、海外なせいもあって実においしく感じられるものだ。大昔の私は海外まで出向いて何で日本料理を食べなければいけないのか、そういう人たちの気持ちが解からなかった。せっかくの海外なのだから、その国特有の食事をすれば良いではないか…そう思い、実際それを実行していた。ところが、人間歳を取ると何かと変わる。最近はどこの国へ行っても先ず日本料理の店を捜す。エジプトでもそうだったし、チェコでもそうだったし、マレーシアでもそうだった。多分、今回も1度は日本食を味わうことになるだろう。そう若い頃と何が変わったのかというと、堅い肉が苦手となったのだ。辛いものも1~2日は良いが3日目からは胃腸が受け付けなくなる。不思議なもので歳を取るほど、自分が日本人であることを実感させられることが多くなった。海外での日本茶は格別美味しいのだ。

スパとかマッサージとかも、若い頃は全く興味がなかった。何でそんなものにお金をかけるのか、女性ならまだしも男性でやってもらおうとする人の気がしれなかった。ところが、今は自分から進んで…という気持ちはないが、勧められれば“受けてみようか”という気にはなる。もっとも私の場合、眠ってしまう確率の方が高いのだが…。人間というのは変わるものだ。スパなどを併設しているホテルは大体が高級ホテルでインテリアにも凝っているところが多い。ホテル内の豪華さという点では、どうしても日本のホテルは見劣りする。ラスベガスもマカオもドバイも、その外観からしてド派手なホテルが多い。ホテル同士が豪華さを競い合っているような印象さえ受ける。中国系のホテルは単に豪華というだけでなく、風水的な要素を取り入れて設計されているホテルも多い。いやホテルだけでなくビジネスビルとか商業ビルであっても、風水的な要素を取り入れた建造物も多い。但し、必ずしもそれらが良い成果を発揮しているものばかりかどうかには疑問もある。例えばビルの中央を“がらんどうにした建物”等があるが、私から謂わせれば“明らかな風水間違い”で、むしろ悪い影響のようが強いはずだ。時折そういった誤りが見受けられる。中国の風水流派も種々あって、皆が皆良いものばかりではない。日本人はとかく選別なしに取り入れたりするが危険なことである。

私の場合、海外に出向くのは仕事上の研究も兼ねているので、今回も何らかの成果を持って帰りたい。実際には“行ってみなければ分からない”部分が多く、出だしが良くないと、楽しみでもあるが少々不安でもある。少しでも良い成果、新たな研究資料などが持ち帰って来れることを神に祈るしかない。