7月, 2010年

本当の「風水」の背後にあるもの…

2010-07-28

近年になって、日本各地で集中豪雨・ゲリラ豪雨と呼ばれるものが頻発している。教科書的には、熱帯地方にのみある…と言われていた「スコール」が現実のものとなっている。ここ数日も、そういう雨が一部地域を集中的に襲い被害をもたらしている。私は前から言っているのだが、日本列島の気象は近年になって明かに変貌しつつある。正確に言えば日本列島だけでなく、地球規模で自然界の変動が起こっていて、それは一般的に言う「温暖化」とも微妙に異なる。一つの“生命体”として、地球そのものが喘ぎ苦しみながら、まるで生まれ変わろうとしている…かのような大規模な変貌なのだ。

元々人類は“地球という生命体”の上で生きていくよう定められた“生き物”なのだ。我々は元々“巨大な生命体”の上に乗っかって生きている。その巨大な生命体が、何の理由かは定かではないが、今、無言の喘ぎ苦しみを体現しているような気がする。その結果としての“様々な異常気象”“地震などの地殻変動”“風水害”“気温の急変動”となって表れているような気がする。しかも、このような現象は本当は初めてではない。何十万年という人類の歴史からすれば“何度目かの変貌”なのに違いない。それらの遠い記憶が、我々の祖先に“風水術”というものを学ばせた。風水は人間が作ったというよりも、本能的な記憶の中で“大自然に学ばせられた”教訓なのに違いない。

もちろん、ここで言う「風水」は、部屋のどこに何をおけば良いとか、何色がラッキーとか、方位がどうだとか言う「風水」ではない。それらも風水の一部には違いないが、もっと根源的な大自然と向き合う形のスケールの大きな“本物の風水”のことを私は言っている。元々風水は雄大な中国の本土の中で、どの地域・自然環境に王朝を定めれば“国家的繁栄が長く続くか”という命題から考察されていったものだ。実はもう一つ、もっと古くからの“仙道的生き方”も混じり合っている。「仙道」とは、文字通り“仙人の道”で、仙人というのは元々“山奥の中で暮らす人”を指す。一言で言えば“大自然と一体化して暮らす”ことの出来る人が「仙人」なのだ。何千年も前のそういう“先人たちの知恵”と、悠久の王朝繁栄を願う“研究者たちの知恵や経験”とを合わせたものが「原初風水」なのだ。したがって山々も含めた自然環境を重視し、地質、水源、道路、風と気の流れが良い所が絶対条件とされた。人間が自然環境を作るのではなく、元々良い自然環境を見い出し、そこに“一族の地を定める”という考え方だ。実際、記録によれば中国最初の「商(殷)王朝」はそのため遷都を繰り返した。しかも、彼らは自分たちだけの“良い地”を求めたわけではない。自分たちの祖先も“安住できるような最良の地”を求め続けたのだ。つまり、亡くなった先祖達の墓標から“見守られ易い地域”であることを絶対条件とした。それは一方で、自分達が日々“供養・祈願しやすい場所”ともなった。こうした成果なのかどうか…商王朝は500年間近く命脈を保ったのだ。彼らは“呪術王朝”とも呼ばれたが、或る意味、大自然を畏怖し、大自然と共存し、大自然と調和しようとする生き方でもあった。ここで間違えてほしくないのは「地球環境を守ろう」等という発想とは根本的に異なることだ。何故なら、そこには“我々が地球生命体の上に乗っかって生かされている存在”という意識がまるでない。逆に“人類が地球を守ってやる!”という高飛車な発想がある。そうではなくて、あくまで地球生命体の大自然に“調和する形”で生活しようとするのが“本来の風水”の発想なのだ。地球を人間に合わせて変えていくのではなく、人間が“地球の生命の鼓動”に合わせる形で、暮らしていく姿を模索する…それが真の風水的発想なのだ。大自然の鼓動に耳をすませ、地球が生まれ変わろうとする喘ぎ苦しみを理解出来た時、大自然はもっと優しい姿で我々に接してくれるのに違いない。

“病気になる”ということ

2010-07-17

海外から日本に戻ったのが6月の20日だった。それから3~4日は普通に仕事が出来たのだが、その後体調がおかしくなった。発熱し、咳が出て、寝込むことになった。7月 1日現在も、特別な仕事以外は休ませていただいている状態だ。実は28日にも雑誌上での鑑定撮影の仕事があった。これは海外に行く以前からの話で、どうしても外せなかった。何しろ編集者もカメラマンも人気キャバクラ嬢も、その日時でスケジュールを調節してある。その前日になって38度5分まで熱が上がったからと言ってドタキャンは出来ない。私は身体の状態を一切告げずに仕事をこなした。ただ写真撮影をするので、熱っぽい顔がばれないか…と内心は冷や冷やだった。もっともメインは女性の容貌なので、私の顔などどうでも良い。私自身も本来は顔を載せるのは好きではない。昔から私は営業スマイルとか、営業トークとかが苦手だし、メールや電話で対応する分には良いが、顔を向き合わせる直接鑑定自体も本当はあまり好きではない。大体が私は“人前に出る仕事”自体を好んではいないのだ。よく仕事と関係のない場所でも、自分が占い師であることを名乗りたがる人がいるが、私は絶対に名乗らない。色々な書面で職業欄に「自営業」と記すことはあっても「占い師」と記すことは絶対にしない。何でプライベートにも職業を持ち込まなければならないのか。

とにかく最悪の体調に気付かれることなく無事に仕事が終わってホッとした。風邪の薬を飲み、抗生物質を飲み、解熱剤を飲んでも、とにかく熱が下がらない。通常の体温であれば 37度4分程度なら特に高熱とは言えないが、私の場合は平熱が低い…というか低すぎる。大体35度4分前後なのだ。これはこれで問題なのかもしれないが、日常に支障はないので特に問題視はしていない。確かに太腿部分が異様に冷えやすい体質ではある。だから38度代になると寝込むしかないのだ。実は気になっていることがある。

日本に戻って3~4日の間、私は普通の健康状態で仕事をしていた。その3~4日の間に直接鑑定した女性に奇妙にも“深刻な健康問題を抱えている女性”が何人か…重なっていたことだ。その時には、別に気にも留めていなかったが、正直いずれも占いでどうにかなる相談内容ではなかったので、やや戸惑いながら鑑定した記憶がある。自分が体調を崩して寝込む番になってみると、偶然の符合が妙に気になるのだ。

海外から戻った後に病気となって、まず思い浮かべるのは“変なモノは食べていなかったか?”で、特別、問題のあるものを食べた記憶はない。日常から見ると、少し食べ過ぎの傾向はあったが…生で食したモノもないし…刺身はあったがあれは何という名の魚だったのだろう? ただそういうものが原因なら下痢をするはずだが、むしろ便秘で、それも困っている原因の一つなのだ。笑うと咳が出る。トイレで下腹を力むと咳が出る。どうも下腹と咳とが関係しているようだ。実は熱が出る前から、おかしな咳は出ていた。これにこの病気の正体があるような気もする。

とにかく普段健康な私は、そして病院にもいかない私は、体調を崩して、病気となって、寝込むことになって、気付かなかった種々のことに気付かされた。まずは“人間というのは健康が何より大切”という当たり前の事実を忘れがちなことだ。よく“運の良し悪し”に関して“社会的な成功”とか“愛情の獲得”とか“金運の良好”とか種々なことが言われるが、まず第一に来るべきは“体調の万全・健康の獲得”にある。したがって、何も無くても取りあえず体調が良ければ、それは“幸運の証”なのだ。どんなに才能や手腕があっても体調が良くなければ“優れた仕事”を果たしていくことは出来ない。そしてもう一つ“或る真実”に気付いた。それは世の中というのは、実は健康な人達を対象とした“表社会” の住人達に向けて扉が開かれていて、世の中にごまんといる病人達の暮らす“裏社会”には扉が閉ざされた状態のままだという事実だ。これは誤解を招きやすい表現なので言っておくが、決して“裏の仕事をしている方達”を意図した表現ではない。それに“闇社会”とも何の関係もない。“病人”と言っても“麻薬関連の病人”を指しているわけでもない。そうではなくて、考え方、生き方も含めて“心身とも健全な人達”という意味での“表社会”には「扉」がある…ということだ。実は病気にならないと、この「扉」の存在に気付かない。誰もが“表社会の住人”のように錯覚してしまっているからだ。ところが、病気になると通常の “健康生活”の前には扉があって“自分の存在を遮断している”かのように見えてくる。長期入院をしたりすると、窓の向こうが“はるか遠くの世界”“生命力あふれる別世界”に見えてくる。そして、そういう健全な人々だけに“立ち入りが許されている”かのような錯覚が抜けないのだ。この錯覚が消えると、急速に病気は治る。

このコラムも、7月1日に書きだして、今日は4日で、ほぼ体調も元に戻った。その間も必要な仕事のみに制限したが、元気になると同時に“美味しく感じられるもの”が増えてきて困った。それに何よりも“生命力の強いもの”に対して“違和感を覚えない”。病気をすると何故か違和感を覚えるのだ。例えばTV番組でも“静かな番組”は良いが“激しいスポーツ番組”とか“賑やかなバラエティー番組”には拒絶反応が出る。面白くないどころか“うるさく”しか感じないのだ。

昨日夕方から映画『アデル』を見てきた。まだ万全ではないので決断が要ったが、気分転換も兼ね、観に行った。古代エジプトの世界への冒険…という触れ込みで観に行ったのだが、正直、完全に肩透かしをくらった。あまりにも子供だましだったからだ。それに古代エジプト関連のシーンが短すぎる。かつての『ハムナプトラ』的な映画を期待した私の読み違いだ。ただ面白くなかったわけではない。むしろハチャメチャなストーリー展開としては良く出来ていて、それはそれで面白い。そういえば、今月行ったマニラでも既に『SEX&city』が公開されていて、今は世界中、どの都市でも同じ時期に同じ映画をやっているのだ…と感慨深かったものだ。ファッションにしろ、書物にしろ、映画にしろ、世界に差が無くなる…そこには良さもあるが、或る種危険もある。つまらなさもある。日本人が日本人でいられること…私はそういうところで暮らし続けたい。

“予感のある生活”の良し悪し

2010-07-04

当たり前の話だが、スポーツ観戦は応援しているチームや選手が活躍してくれないと見ていてもつまらない。ましてや周囲を相手側応援の人々に囲まれているなら尚更だ。

札幌ドームで野球のセ・パ交流戦が行われ、幼い頃から何故か“中日ファン”である私は、北海道が地元・日ハムとの交流戦を昨年に続き観戦に行った。今年は中日も日ハムもあまり良い成績ではない。昨年の場合は確か観戦した前日が破れ、その日も最初はリードされていたが途中で逆転し、そのまま逃げ切る…という展開だった。今年も同じように前日は9-0と大敗していた。ただ今年の方が内野席前方の座席であったのに、どうも前の人の頭に邪魔され、打席部分が良く見えない。そして、すぐ後ろに大歓声を送る“日ハム家族”が陣取っている。我々の近くには“岩瀬ファン”も“荒木ファン”もいる(何故なら名前入りユニフォームを着用している)のだが、その人達はおとなしい。何となく嫌なムードだな…と思っていたら、案の定、初回から3点を献上してしまった。これはまずい。今年の中日はこういう展開ではいつも破れている。早い回に3~4点取られてしまうと、その後反撃できなくなってしまうのだ。2回にも1点を取られて4-0となった。実は、この時点で私はもう負けた…と思った。ただ、まだ2回終了時点で4-0というのは、通常の野球観戦で“負けた”考えることではない。私は 6-0になったら、どんなに早い回でも帰ろうと思った。今の中日には勝ち目がないからだ。ところが4点で踏みとどまった。それで仕方がなく観戦し続けた。勝負事であるから、勝ち負けはどちらでも良い。ただ試合が一方的で守りの時間が長く、攻撃時間があっと言う間なのは困る。応援のし甲斐が無い、というものだ。とにかくヒットさえも出ない。ランナーが出ない。反撃する雰囲気が感じられないのだ。結局6回の途中でいたたまれずに席をたった。このまま破れることが分かり切っている試合を見続けることは出来なかった。家に戻って知ったことだが、結局、試合はその後ホームランが出て1点を追加され5-0で敗れた。我々が帰った後、中日は1本しかヒットを打てなかったらしい。これでは見ていてもストレスがたまるばかりで面白くなかっただろう。選手達には失礼だが、途中で帰って正解だったと思う。私は帰る時、中日ファンの人達に…何故あなた達は帰ろうとはしないのだろう…と不思議だったが、よくよく考えると反撃を期待するから帰れないのだった。私のように完全に負けると解っていたなら、残ってはいないかもしれないのだ。つまり、残っている人達から見れば、まだ4回も残している時点で、帰ってしまう方がおかしい、ということになる。これが10-0とか、8-0とかいうならともかく、4-0というのは大差とは言えない。いくらでも跳ね返せる点数なはずなのだ。ましてやファンなら、負けると解っても最後まで応援しろ…という声が聞こえてきそうである。

ただ本当にそうだろうか。私のように完全に“解かってしまう”場合、応援は虚しいものなのだ。これはたまたま野球の試合観戦だが、あらゆることで“予感が生まれる”ことがある。そういう場合、まず9割方そういう予感は外れない。それが経験上分かっているから、理屈でなく、それに沿った行動で対処してしまうのだ。台風が来ると解っていて、その地に旅立てないのと同様である。

私の場合、母親の時にも、父親の時にも“死の予感”はあった。だから母親を説得しようとしたが、聞き入れては貰えなかった。父親の時にも同居中の兄を説得しようとしたが、聞き入れては貰えなかった。よく、予感があれば“未来に備えられるから良いですね”と言われることがあるが、実際にはそうもいかない場合が多く、必ずしもプラスに働くとばかりは言えないのだ。

実は告白になるけれども、私は20代の一時期、短期間だが半同棲し、結婚を約束した女性がいた。その後、結婚をし、離婚をし、再婚をして現在に至っているけれども、私には“結婚を約束”しながら別れなければならなかった女性の面影が、今でも鮮明に蘇ることがある。その女性との出逢いも変わっていた。私はある会合に出席していたが、その女性を別な女性と勘違いし、声を掛けたのだ。数日後その女性から電話がきて、たまたま話している内に札幌へと同一の日に行くことになっていた。当時、二人とも室蘭に住んでいたので、札幌などめったに行くところではなかった。それで、じゃあ札幌で逢おう…ということになった。ところがドジな私は、約束の場所を間違え待っていたが、20分くらい経ってから気付き、あわてて本来の場所へと行った。「来ないかと思った…」泣きそうな顔で彼女は笑った。それから食事をし、お酒を飲んだのだが、何故か彼女は酔いつぶれ、深夜のストリップショーを見に行くと言ってきかない。仕方なくタクシーを拾った。ところが乗ってすぐ気分が悪いと言いだし、吐きそう…と繰り返した。飲み過ぎているのは見ている。仕方がないので、とりあえず車を降りた。どうしようか困ったが、すぐ眼の前にラブホテルがあった。苦しい、苦しいと呻くので、すがるような思いでホテルに入った。まるでそれを待っていたかのように、彼女は吐いた。それも大量に吐いたのだ。私は新聞紙を使って処理したが大変だった。それを処理しながら、私は何故か“この女性と暮らすかもしれない”と予感があった。

そのような予感から始まった恋だったが、別れも又、予感から始まった。二人の“新居”を意識して一緒に選んだ住居を訪れた時、彼女ははしゃいで「同じマンションに住む人達に挨拶しなくっちゃ…」と張り切っていた。ところが一番奥の住人の表札を見て様子が変わり「この名前の人…知っている」と眉をひそめたのだ。彼女は部屋に入ってから、すぐに知人に電話し“知っている人”に間違いないことを確認した。その時の表情を見た時“彼女の暮らせない住居”となるような予感を持った。案の定、最初は愛情いっぱいに通っていた彼女も、しだいにその住居から遠ざかり、やがて一方的に別れを告げられた。親・兄弟にも挨拶をすませていただけに、私のショックは大きかった。自分に関連することは、予感があっても信じたくないときには忘れてしまう。意識して忘れるのではなく、本当に自然なまま数週間経つと忘れてしまうのだ。だからこそ真摯に愛することが出来る。多分、神様はそういう風にさせてくれているのだ。何もかもに予感が働くわけではない。むしろ、普段の生活では鈍感な方だろう。占いだって、もっと霊感が働いたなら…と、いつも思う。役に立っているのか立っていないのか、よく分からない予感は、人生上の大きな出来事の前には必ず顔を出して来て…私を悩ませる。