4月, 2011年

生きる―ということの「意味」と「答え」

2011-04-21

私が生まれる直前、父親は事業に失敗し、岩手の地を離れて北海道へと移住した。我が家が“極貧”の時になって生まれ育った私は、六畳一間に親子6人が寝起きする生活の中で幼少期を過ごした。幼い頃、天井の隙間から“星が輝く”翌日は決まって晴天だった。物心付いた時から「人間の運命」というものについて思い考えた私は “子供らしくない子供”だったかもしれない。

父親は昼も夜も働き、母親は病弱で寝たり起きたり入退院を繰り返した。兄と姉は学校に通い、ひとり残された幼い私は誰もいない部屋の中で、毎日黙って窓から外ばかり見つめていた。外へ出て遊ぶことはほとんどなかった。けれど、不幸だったのではない。空想力豊かで、その空想世界の中で“愉しむ”ことが出来た私は、そういう“自分だけの世界”を誰にも邪魔されることがない“独り”に満足していた。当時、私が気に入っていた空想世界の一つに、人は誰でも“仮面を附けられる”と、その仮面通りの人物にならなければならず、どんな善人でも「般若」の仮面を附けられると、狂気の人間に変身をして生きていかなければならなくなる…というのがあった。この“原作”とも言うべきものを土台として、様々なストーリーを連想するのが大好きだった。仮面を附けられないよう必死に抵抗するのだが“悪魔の組織”とでも呼ぶべきグループがいて、強引に仮面を附けて組織に取り込まれてしまう。そして一度附けられた仮面は、24時間以内に何か(何だったか忘れた)を探し出せば“引き剥がす”ことが出来るのだが、もし間に合わないと一生仮面を附けたまま“狂気の人間”として生きていかなければいけないのだ。

こういう奇妙なストーリーを空想しながら、窓を外の通行人達を見ているのが好きだった。はた目から見れば“独りぼっちの寂しい子”でしかなかったが、私には“独りの大切な時間”として今も記憶に残っている。

今回の地震や津波や放射能は、多くの罪もない人達を“不幸のどん底”へと押しやり、多くの“震災孤児”をも生み出した。それらの人々に同情する気持ちはもっともだし理解できるが、過度な“思い入れ”は私の体験から反って危険なこともある―と気付いて欲しい。極貧の家庭で幼少期を過ごした私だが、そして給食費やPTA会費を払わないと言って教師から怒鳴られ立たされた私だが、高校さえも行くことが許されなかった私だが、幽体離脱で霊界を見て来た私だが、火事で家屋が全焼した私だが、横断歩道で車に跳ね飛ばされ九死に一生を得た私だが、母親が熱湯風呂に落ち全身火傷で急死した私だが、或る日急に最初の妻から離婚を言い渡された私だが、我が子にも急に逢えなくなった私だが、株で一気に1千5百万を失った私だが…要するに人生いろいろあっての私だが、それでも、いや、それだからこそ、人生とは味わい深く良いものだ―という実感がある。運命とは不思議なもので、今現在どのような境遇にあっても、生きるということ、生きていく…ということは意味のあることなのだ。

誰しも、不幸になろうとしてなる人はいない。不慮の災難は、いつ、どういう形で、誰に降りかかって来るか、分からない。今、自分が恵まれた状況にあっても、明日、災難が襲って来ない―という保証は何処にもないのだ。人は人知では推し量れないような出来事に出逢って、初めて「運命」というものの存在を認めようとする。暗黙の内に認めざるを得ないからだ。理不尽だとどんなに叫んでも、過去は帰らない。そして不思議なことに、同じように不慮の災難に出逢っても、突然の不幸に襲われても、それから後の人生は同じではない。いや、むしろ大きく分かれていくことが多い。ここに、より“人間の運命”の不思議さがある。同じ境遇に置かれたからと言って、その後の人生が同一にならないところに「生きる」ということの本当の“意味”と“答え”がある。人間は誰しも弱い。ましてや自分に“非がない状態”の中での災難や不幸は、生きていく意欲や情熱を奪う十字架を背負わせる。今回の被災者の中に「お前達も同じような不幸に出逢ってみるがよい」という言葉を発した方がおられるそうだが、確かに“運命は不公平”なのだ。呪いたい気持ちも解かる。運命は決して公平・均一ではない。神仏は存在するのだろうかと疑問を抱くだろう。それが自然なのだ。但し、周りを見渡してみれば分かるが、長く生きているなら“幸運”だけが続いている人生もなければ“不運”だけが続いている人生もないことに気付くだろう。奇妙なことに誰であっても“幸運”な時期があり“不運”な時期がある。一見どんなに幸福そうな人生を歩んでいても、不運に打ちのめされた時期は必ず通過している。だから「運命」は不思議なのだ。被災者の中には“もう幸運な時期などない”と決めつけておられる方がいるかもしれないが、そんなことはない。自信を持って言う。希望を失うことなく生きていれば、必ず“幸運”や“チャンス”の時期は廻って来て、徐々にではあるが人生を変えてくれるものだ。決して投げ出してはならない。「頑張れ!」という表現は良くない、などという方がいるが、それは違う。「生きる」ということは誰しもが、それなりに“頑張る”ということなのだ。頑張らず生きるのは“生きる屍”であり、自ら“未来も幸運も放棄する生き方”となってしまう。辛くても、苦しくても、本能的に頑張って生きていくのが“本来の姿”なのだ。但し、苦しい時やみくもにもがくのが良いとは限らない。ただじっと耐え抜かなければならない時もある。同じ現象に出逢っても、人それぞれ運気は異なり、性格も異なる。まず、どうすべきかは人によって異なるのだ。共通して言えることは「自暴自棄」や「人生を放棄する」のが一番良くない。何度も言うように時に“試練”は与えても「運命の神」は決して見捨てることはなく、投げ出しさえしなければ必ず“幸運”を授けに来てくれる。“突然の不幸”を与えた見返りのように “信じ難い幸運”を授けて、あなたに頬笑みを取り戻させてくれるに違いない。

恐れていたことの始まり

2011-04-10

東北・関東に大地震が来た。私のいる札幌でもかなり揺れたが、幸い特別な被害は受けなかった。ニュースを見る前に、部屋の揺れが不気味に長く続いたことで、私は相当に広範囲な地震だなと思った。案の定、東北・関東の大部分では大地震となり、その後の津波でも大被害が続いた。各地で火災が起き、今も燃えている。けた外れの大惨事だ。

実は今年1月、九州で火山噴火が起きた時から、私には気になっていることがあった。それは何となく“あの年に似ている”と感じて仕方がなかったのだ。あの年―というのは1995年で所謂“阪神・神戸大地震”の起こった年だ。何が似ているのか? と問われても答えられない。あくまで私の中での何となく…だった。だから、私は前回の時にも自然災害について書いたのだ。ニュージーランドで大地震が起こり日本人多数が巻き込まれたが、私は何故か “これだけでは終わらない”と思った。だから、そのこと自体についてはあまり書かなかった。東北・北海道の“屋根の雪下ろし”で滑り落ち、亡くなる人々について書いた。対策が急務だと書いた。ご老人達の住まいに目を向けるべきだと書いた。地球という生命体に対して、どう向き合うべきなのか、自然界の神々を軽んじてはならないと述べた。大自然を神々として崇めた古代人はもしかしたら正しかったのかもしれないとも述べた。もちろん、それには或る種の揶揄もあり、自戒もあり、警告の意味合いもあった。けれどもこんなにも早く、分かりやすい形で、悲惨な形で、大自然がモノを言い出すとは思わなかった。“生き物としての地球”大自然の威力を、日本人達に対してまざまざと見せつけるとは思わなかった。いや、今こうして東北・関東の大地震が現実化した後でも“これだけでは終わらない”と思ってしまう自分がいる。どうしてかというと、1995年には“地下鉄サリン事件”や“オウム真理教絡みの種々な事件”が起こっているからだ。ああいう“奇怪な事件”“異様な集団事件”が起こって初めて“本当に似ている年”ということになる。

まさに、あの年は“悲惨で異様な年” であった。あのときにも当時の村山内閣は崩壊寸前であったが、矢継ぎ早に大事件が重なったことで継続せざるを得なかった。そして私はというと家の中に籠りきりで『占星学秘密教本』の原稿を書きあげた年だった。或るTV番組の収録を行い「明日放送されます」とスタッフは帰ったが、その翌日TVに出ていたのは「波木星龍」ではなく、オウム真理教の教祖「麻原彰晃」の逮捕劇だった。つまり1日中特別番組に切り替わっていて、私の収録したVTRは完全にお蔵入りとなった。だから余計あの年のことは忘れないのだ。ちなみに麻原彰晃とは奇妙な因縁があって、その10年以上前、雑誌『ムー』に私の“占いレポート”が掲載された前号で麻原彰晃の“空中浮遊レポート”が掲載されているのだ。人生とは分からないもので、その後、麻原彰晃は一躍“時の人”となり、人気を集め「オウム神仙の会」から「オウム真理教」へと名称を変え、彼のグループは拡大していった。一方の私は掲載されても全く反応はなく、無名の占い師(当時は波木星龍ではない)として、その後の数年間日蔭者として彷徨い続けていた。そしてようやく出版のチャンスを掴んだ時、彼は逮捕されたのだ。

あの年に似ていると感じるのは何故なのだろう。本当のところ何故なのか解からない。それに“地下鉄サリン事件”のような凄惨な事件、奇怪な事件は二度と起こって欲しくない。騒乱はエジプトやリビア等アラブ諸国だけで沢山だ。テレサ・テンが謎めいた死を遂げたのもあの年だが、最近の芸能界も入院する者が続いていて不穏な空気がある。とりあえず、4月始めに起こる“おひつじ座に6惑星が集結する日”を無事のり越えたいものだ。