6月, 2011年

芸能スポーツ界とネット社会の問題点

2011-06-22

韓国の女子アナウンサーが自宅マンションから飛び降り自殺したらしい。プロ野球選手との交際報道と、それに関連したインターネット上の書き込みが大きく影響したのだという。日本でも心ない中傷・批判がネット上で展開されるケースはよくあるが、韓国ほど一方的ではない。お国柄と言ってしまえばそれまでだが、韓国のネット上の書き込みは怨念こもった辛辣な内容が多い。そういうものを気にする人にとっては、居たたまれないに違いない。ここ数年、韓国ではアイドルタレントや女優などネット上の批判・中傷が元で命を絶ったと思われる有名人が多い。日本でもかつて中学生や高校生でそれに近い事件があった。

私は以前から言っていることだが、ネット上の匿名性には大いなる疑問があって、常軌を逸した批判・中傷は名を明かしてしまうシステムも、時に必要なのではないか―と思っている。もちろん常に…ということではない。ものによっては匿名にせざるを得ないこともあるから、その辺の境界線が難しいが、少なくともすべてが野放しになっている現状は早急に改めた方が良い。個人情報をうかつに出せない問題もあるとは思うが、それを良いことに言いたい放題で無責任な批判を繰り広げるのは人間として卑怯でもある。

私自身はどんなことに対してもそうだが、また誰に対してでもそうだが、必ず、批判するときには自分の名が解かる形で行う。このコーナーでも、ずいぶん色々な方達に対して批判もしたが、陰に回って隠れた形では絶対に行わない。自分の主張が正しいと思うのであれば、名を晒して全世界を敵に回してでも主張を貫く。そういう意識がないのなら、逆に最初から中途半端な批判はしない方が良いと思っているからだ。

もちろん、ネット上で日々繰り広げられている批判や噂には傾聴すべきものもあって、一概にすべてが無責任でくだらないと排除できない。或る意味でマスコミに踊らされない“冷静な眼”としての役割もある。ただ世の中には“批判しやすい人”と“批判しにくい人”とがいて、前者の場合に批判・中傷が集中する傾向があり、そういう意味で必ずしも公平とは言い難い。それに“悪意のある書き込み”というものも世の中にはあって、モラルとか良識とか限度というものを超えた書き込みに対しては“罰する制度”があってしかるべきだと私には思える。

その一方、芸能人やプロスポーツ選手など社会的著名人というのは“世間に顔をさらしている”のだから、その分一般の方より“支持・称賛”も受けるが“批判・中傷”も受けて当然とも言える。同じ著名人であってもブログやツイッターを自ら行っている方は、その影響力を知っているのだから無意識なのかもしれないが、ネット上の批判も称賛もその両方を受け入れる心構えが既に出来ている―と見られても仕方がないだろう。

それに対してブログやツイッターなどを一切行っていない著名人の場合、それは暗黙のルールとしてネット上で反論できないのだから一方的に批判・中傷すべきではない。毎日のようにTVに出ている著名人は別だが、そうでなければ“陰湿なイジメ”的中傷に繋がりかねないからだ。

時代の変化は、芸能界・スポーツ界・マスコミ世界・芸術分野・政治世界…TVや雑誌などで取り上げられる世界に身を置く者は、或る程度“世間の眼”で常に監視されていることを十分意識した上で生活することが必要な時代に入ったと言えるだろう。いや、正確に言えばどの分野であってもネット時代の今“世間の眼” を避けることは出来ない。それと同時に怖いのは、インターネット社会というのは“情報操作がしやすい”という点だ。巨大な組織が組織的に誰かをターゲットとして攻撃を仕掛ければ、あっという間にそれはネット上を駆け巡って、事実でなくても事実とされるような怖さがネット社会にはある。そういう意味からも、すべて匿名の形の批判・中傷には問題があるのだ。

日本でも近年、女子アナウンサーは“花形職業”となっている。最近は世間の注目度が高い分、人気も出やすいが批判にさらされるケースも多い。可愛いことや美しいことが採用基準として重要視されつつあるような気もする。確かにその方が視聴率に有利に働く。次から次へと新人が抜擢されて、30代になるとTVから消えてしまう。一方プロスポーツ選手も若くして何億という収入を得られる可能性ある花形職業だ。特にスポーツ選手は学生時代から勉強そっちのけで試合に打ち込むケースも多く、社会人としての良識が身に着かない内に地位・名誉・収入を得てしまう可能性もある。歌手やお笑いタレントも同様だが、あまりに若くして人気や巨富を掴むと、何をしても許されるかのような勘違いが生まれやすい。身近な人達が彼らを教育・コントロールしてあげて“悲劇的な人生”とならないよう願わずにはいられない。