1月, 2012年

ミケランジェロの偉大さ

2012-01-28

絵画や小説や音楽は時として人を昔に帰らせる。テレビ東京の「美の巨人たち」でミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井壁画を見た。それを最初に見たのは十代半ばで、書店で偶然手に取った本がミケランジェロ作品の解説書だった。あのとき私は理由もなく、この人物の作品群にぐいぐいと引き寄せられた。彫刻にも絵画にも引き寄せられたが、絵画では今回放映されたシスティーナ礼拝堂壁画が一番だった。別に私はキリスト教徒ではないが『旧約聖書』の<創世記>をテーマとした500㎡の天井壁画は誰が考えても大仕事だった。しかも、彼はほとんど一人だけで天井を向きっぱなしでこの作品を仕上げたのだ。後年、首が曲がってしまったのも、腰が曲がってしまったのも、視力が極端に衰えていったのも、この仕事が影響していた。日本では同時代のレオナルド・ダビンチの方が天才として持てはやされがちだが、私は個人的に苦悩し続けたミケランジェロの作品に引き寄せられる。

当時の流行として「聖書」をテーマにした絵画や彫刻は多いが、ミケランジェロほど筋骨逞しい人物をイエスや神や預言者として仕立てあげている芸術家はいない。まるでボディビル選手達のように筋骨逞しいのだ。彼は死体置き場から死体を盗み出して人体内部の構造を研究したというし、神やイエスの肉体モデルには農夫を使ったらしい。それゆえに生々しく逞しいのだ。元々が彫刻家であるから、人体の動き、筋力の移動を静止画像でどう表現すべきか知っているのだ。だから彼の絵画は遠くから見ると彫像のようにも見える。天井壁画ではアーチ形という特異なキャンパスを利用し、見る位置や角度の違いを計算しながら描いている。だから実寸で見ると不自然に太かったり、長かったりする部分があるのだ。これはダビンチもそうだったが、当時の天才たちは絵画の中に自然科学を応用し、一種の「だまし絵」のようなテクニックで迫力・流動性・立体感を描き出す。さらに作者の無言のメッセージが込められる。ミケランジェロの場合、神やイエスを農夫の肉体とすることで「現実的で力強い神」を希求していたに違いない。

ダビンチと異なり、ミケランジェロの場合、常に未来に不安を持ち、自分自身に対しての呵責の意識が強く、神に救いを求め続けていた。そう彼は決して悟り切って<創世記>を描いているわけではなく、むしろ懺悔と救済を乞う意識の中で、礼拝堂の天井にへばりつきながら「聖書」と格闘していたのだ。自らも救われたくて必死だったのだ。だから首が曲がっても描き切ったのだ。目が塗料で潰れそうになっても向かい続けたのだ。恵まれて優雅に描いていたダビンチと異なり、神の奴隷として「描かされた男」それがミケランジェロなのだ。

その証拠に「ロンダニー二のピエタ」がある。私がもっとも衝撃を受けたのがこのピエタだ。「ピエタ」というのは聖母マリアが十字架に張り付けられ、死亡したイエスの遺体を膝の上に抱いている姿の彫像で、一般にはサンピエトロ大聖堂のピエタが有名だが、実はミケランジェロは「ピエタ」を四つ作成していて、その中でも最晩年のピエタが「ロンダニー二のピエタ」なのだ。それはほとんど視力を失ってしまった後に作られた作品で未完成だが、最後の弟子にさえ見られることを嫌がったという「へたくそこの上ない作品」なのだ。あのミケランジェロがここまで落ちてしまうかと目を疑うような作品―それが「ロンダニー二のピエタ」なのだ。けれども、確かにへたくそなのだが、どうしようもなくへたくそなのだが、それが逆に最後の最後まで生命力を振り絞ってイエスとマリアを作り続けたミケランジェロ本人の魂そのもののようで私は無条件に感動してしまうのだ。そして、このピエタの中に「神」を見てしまうのだ。上手く表現できないが、サンピエトロ大聖堂の立派なピエタではなく、首が曲がり、腰が曲がり、目がつぶれて、よぼよぼになって、マリアでもなくイエスでもない「重なり合う老いた彫像」に「神」を見るのだ。もはや霊体のような彫像を作るのがやっとだったミケランジェロに「神」を見るのだ。そうシスティーナ礼拝堂の<創世記>は、そういうミケランジェロを知って、改めて見学するのがふさわしい作品なのだ。

「運命を歩む」ということ

2012-01-16

「運命」というものを扱う仕事を初めて今年でもう36年ほどになる。長い。長過ぎる。ただ長いだけで、ろくな仕事を果たして来ていない。その間、少し中断した時期も混じっているので実際にはもう少し短いが、それでも実に長い間「人の運命」というものと向き合ってきたものだ。

ところが、人の運命と向き合っては来ているが、それなりの役割が果たせてきたのかというと大いに疑問で、多分、自分の理想とする役割の十分の一も果たしてなどいない。大体、少年の頃に夢見たような“華麗なる占い師”でもなく“華やかな業績”もなく“千里眼のような能力”も未だ備わってはいない。むしろ全く逆で、大した有名でもなく、大した成果も掲げられず、霊感能力も伸びず、占い人気もなく、著作も数冊に留まっていて、占いの門下生を多数一流に育て上げたわけでもない。要するにろくな仕事をして来ていない。まあ、そこそこの形でどうにか一応続けて来られている―というのが現状なのだ。

昔は自分の過去をさらすとか、自分の弱点を書き並べるのは何となく気が引けたものだが、今はもう気にならなくなってきた。むしろ、最近は自虐的になったのか、投げやりになってしまったのか、本当の意味での自由を得たいのか「運命のすべてを解かっています」風なことは何故か言いたくない。だって、実際に分からないのだから…。人の運命というものを探求すればするほど、多くの人の運命に向き合えば向き合うほど「運命の持つ不可解さ」「人生というものの不可思議さ」「運勢の不条理さ」「人生というものの哀しさ」「宿命の存在性」「神仏の無慈悲さ」「人間の持つ可能性」について考えさせられることが多い。それらの仮面を次々と引き剥がして、真実を声高に叫んで、人々を先導していくことを望んでいた私だが、仮面を剥ぐどころか完全に目隠しをさせられ、返り討ちにあって、ズタズタとなってのたうちまわっているのが、残念ながら今の私の姿なのだ。

そして、最近、それこそが“私の運命の姿”私が知らず知らずに“自分の運命の道を歩んでいく姿”であったかのもしれない…とぼんやり思う。何一つ成果を見いだせないまま“巨大な運命の壁”に立ち向かい、跳ね返され、再び立ち上がって別の角度から“運命の壁に挑み”より大きく跳ね飛ばされ、心身ともボロボロになって、それでも「運命」という謎の悪役に挑む格闘技者のように、死ぬまで闘い続けて、よろよろになりながら闘い続けて、何一つ成果を見いだせぬまま死んでいくのかもしれない。それでも、それが解かっていても「ギブアップ」とは言いたくなくて、私はよろよろと「運命」に立ち向かおうとする。結局、運命という魔物は、私程度の能力独りで本当に解き明かせるようなものでもなく、回避できるものでもなく、変更できるものでもないらしい。

いつの日か、天才が出て、運命の持つプロセスすべてを明快に解き明かし、それを自由に変更可能なシステムを構築し、手軽に人々に提供できるような時代がやって来るであろうか。それとも、それは“神仏の御心に背く行為”で、土台が行ってはいけないことであり、人類は永遠に「運命を歩む」よう宿命づけられているのであろうか。だからこそ、せめてもの救いに「占い」があり“運命を読むこと”だけは許されているのか。いや、そうであってはならない。仮に神仏が許さなかったとしても、あらゆる人たちが“幸運を掴む権利”は存在すべきであり、そのための手法は研究されるべきことな筈である―そういう信念を持つ後世の誰かが、私の志を引き継ぎ研究(運命&占術の相互研究)に埋没してくれることを秘かに期待している。

昨年の今日という日

2012-01-06

昨年の年末年始は私にとって、忘れられない年越しとなった。12月29日の真夜中から30日の早朝にかけて、私の身体はかつて経験したことがないような連続の嘔吐と悶絶を経験し全身のたうちまわっていた。一瞬、死ぬのではないか、という恐怖が走った。朝になるまで8時間くらいの間に大掛かりな嘔吐だけで4回行い、終いには胃液だけが執拗に絞り出て来て、それすらも内臓が引き千切られるように苦しかった。朝になって病院へと向かったが、30日ということで病院内は病人であふれかえっていた。奇妙なもので、待合室で横たわっている重症の人達を見ていると、自分はまだまだ大丈夫だと思えてきた。胃腸内が空っぽになったことで痛みや苦しみが消え高熱と脱力感だけが残っていたが、何となく時間が経てば徐々に回復していくのかもしれない、とぼんやりと思った。実際、その通りでウイルス性腸炎という診断であったが、完全な回復までには5日間ほど掛った。つまり12月30日~1月3日くらいまで、ほとんどまともなものを口に出来ず、重湯やお粥で過ごしたのだ。おせち料理もおとそも全く口にしないままの珍しい正月となった。結果的に「御目出度くない新年を迎えた」ということになる。それがどういう意味をもつものなのか、その時には解からなかった。

ところが、それから一年が経過し、今になってみると「祝えなかった新年」には意味があった…と感じざるを得ない。今年の日本は(いや、日本だけではなく世界は)あまりにも災厄が多過ぎた。新しい年を祝えるような年ではなかったのだ。私個人にとっても良い年とは言えなかったが、より日本列島にとって、さらに世界各地域にとっても悲しむべきことの多い一年となった。特に地震・津波・放射能に脅えた日本は、未だ傷が癒えたわけではなく、円高・米軍基地移設・TPP・消費税問題も最後まで何一つ解決の糸口が見いだせないまま受け入れざるをえないかのような状況に立っている。長期的視点で考えた時、今年ほど日本が“終戦時のような混迷状況に陥った年”はなかったのでは…と思われる。

それにしても、どうして私のような凡人が、まるで日本人の代表でもあるかのように、新年を祝う「迎春」を拒否される事態に至ったのだろう。日本の代表なら首相とか、天皇とか、もっと日本国に直結した人物に表れてくれなければ困る。私などに表れても何の得にもならない。大体、私は占い師としても注目されてなどいないのだから、もし“未来を予兆する役割”として与えるなら、もっと日本を代表するような占い師に起こってくれなければ困る。いや、もしかしたら、そういうことではなくて、ただ単に「今年のお前は運が悪いぞ!」という個人的な警告としての予兆だったのかもしれない。そう考えると、ナルホド納得がいく。確かに今年はろくなことがなかった。「一年の計は元旦にあり」という諺は確かに生きている。そうか、私の守護霊(又は潜在意識)は要するに“それだけ”を伝えたかったのか。う~む、そうすると私の守護霊の未来透視能力も大したことはない―という結論になる。

それにしても、私よりもはるかに著名で優秀なはずの占い師や霊能力者がごまんといるのに、どうして今年の災厄や問題を見逃してしまっていたのだろう。後になって、実は予見していた…などというエセ予言者ではなく、本当に2011年に入る前から火山噴火・地震・津波・放射能・電力危機・集中豪雨等の不測の災害を誰にでも分かる客観的な形で予知・警告していた人物はいたのであろうか。残念ながら、私は知らない。世の中の不安をあおるような「予言」というのは時々出現するが、地震や津波などは年時まできちんと予知したものでなければ、実質的にあまり役立たない。例えば地震というのは厳密に言うと常に起こっている。巨大地震だけが実質的には問題となる。しかも、それは発生場所と発生年月日とが予知できて初めて役立つ情報となる。10年以内に起こる―などというあいまいさでは意味がないのだ。そういう点では巨費を投じて研究している地震学会の予測等も、占い師・予言者と同じくらいにあいまいさが目立つ。

私の占い等でも、実際に起きて来る現象の年時をハッキリ指摘できなくて、未来の出来事だけが後になって具体化されるケースは多い。一応、占いとしては当たっているのだが、占ってもらいに来た時の目的が違うと、さして効果的な判断・予言とはならない。例えば就職のことを占ってもらいに来て面接試験で落ちたとすると、別居から離婚に至る―という判断が後に的中したとしても、それで占い師の評価が上がるということはない。その人にとって、或いはその時にとって“就職の吉凶”を見通して貰いたいのであって、結婚生活は優先順位として決定的なものではない。そういえばそんなことも判断されていた…と思い出す程度の認識だからである。

同じようなこととして、今年のように災厄や経済問題が続くと、それ以外の出来事が陰に隠れるため、実際には今年の大きな特徴でありながら、反故にされてしまうようなケースも多い。例えば、今年は芸能人の結婚ラッシュで実に80組ものカップルが誕生した―と先日報道されていた。確かに元旦に結婚を発表した浜崎あゆみに始まって、年末に結婚報告が行われた倖田來未まで、実に様々な芸能人・著名人が一挙に結婚した不思議な年でもあった。そういう点では干支暦上の「辛卯」年の解釈は決して誤りだったとは言えない。「辛」は元々が部族の印を刻む刺青針の象形が源字なのだ。又「卯」は元々左右に開く閂が掛けられている扉の象形で、春になっていっせいに野原へ飛び出す事象から来ている文字だ。二つ合わせると“部族の春”で結婚をするのに最もふさわしい。そして来年は「壬辰」年で、女偏を加えると「妊娠」の文字となって妊娠・出産ラッシュの年―ということになる。同時に「壬」は“大河”で大きな時のうねり、流れを意味し「辰」は“龍”で大河の中で“顔を表す神の眷属”が姿を表す時―だとも言える。願わくは私にとって健康で活躍できる一年にならんことを祈りたい。