悪魔さんの出生図では、火星は「てんびん」4度に位置し、「かに」4度の天王星とは90度アスペクトを形成しています。同時に「かに」1度の太陽に対しても90度です。一方、裸の王様さんの出生図では、火星は「しし」5度に位置し、「さそり」3度の天王星とは悪魔さんと同じように90度アスペクトを形成しています。同時に「ふたご」4度の太陽に対しては60度です。次に、悪魔さんの火星と、裸の王様さんの火星とは相互に60度アスペクトです。そして、悪魔さんの火星と裸の王様の天王星とは30度アスペクトです。裸の王様さんの火星と悪魔さんの天王星もまた30度アスペクトで一致しています。
加えて、二人が付き合いを開始した平成9年6月23日は、トランジット(その時点で天空を通過中)の火星が「てんびん」1度にあって、その1週間後には悪魔さんの出生時における火星位置である「てんびん」4度に重なって0度アスペクトとなるのです。したがって、当然、裸の王様さんの火星位置とも60度アスペクトを形成することになります。しかも、この時期(6月23日~29日)にトランジットの金星は、悪魔さんの出生時の金星位置(「おうし」24度)を25日に、裸の王様さんの出生時の金星位置(「おうし」28度)を28日に、それぞれ通過していくのです。さらに、付き合いを開始した6月23日には、トランジットの月(太陰)が、悪魔さんの出生時の月に対して120度、太陽に対して150度アスペクト、裸の王様さんの出生時の月に対して90度、太陽に対して120度アスペクトとなるのです。
元々、引き合う要素の強い出生時における惑星配置を持っている二人ですが、付き合いを開始した年月日が、より以上にそれを決定的にした、と思われます。年齢的に考えると奇妙なつながりと言えますが、運命の出逢いが2人の年齢を超えて結びつけたものと思われます。しかも、セックスを左右する火星が最も中心的なアスペクト作用を発揮しているところから、その部分でのつながりが最も強いものと思われます。おそらく、2人にしか理解できないような何らかの一致点があるに違いありません。ただ、注意点を一つ述べておきますと、悪魔さんは裸の王様さんと会うとき、白い洋服を着てはいけません。それは、2人の間の幻想を打ち砕き、別れを呼ぶことになるからです。二人が楽しく飲食の席についている限り、惹き合う関係は続きます。波木流のホロスコープ解釈は、一般的な西洋(欧米)占星学解釈とは微妙に異なる部分が多いのですが、このような特異な実例が提出されると、改めて私の見方・解釈の方が適切であることを痛感させられます。
湯川さんの出生ホロスコープでは”おとめ座”で太陽・水星・火星の0度アスペクトがあり、海木さんの出生ホロスコープでは、太陽・海王星・火星の0度アスペクトがあって、共に太陽と火星とは約3度ほどズレていて、もう一方の惑星と太陽とほぼ完全に0度で重なりあっているという共通性を持っています。
太陽と火星の0度アスペクトは自立心や衝動性が強く、物事をすぐに行動化していく人の星相ですが、気が短くイラ立ちやすい傾向が窺われます。それに加えて、湯川さんの方は太陽と水星の0度アスペクトがあって、細かな点に注意を向けて几帳面さが出やすく、海木さんの方は太陽と海王星の0度アスペクトがあって、物事をあいまいなままにしがちです。
湯川さんの金星と太陽とは45度アスペクトで、愛情追求型ですが恋愛・結婚の変化が激しい傾向が示され、海木さんの方もオーブを1度だけ甘くすると金星と太陽の45度アスペクトがあって同じような傾向を持つと思われます。二人のホロスコープを重ね合わせると、海木さんの金星が湯川さんの太陽と火星に対して120度。湯川さんの金星も海木さんの太陽と火星に対して120度で、ここでも珍しい一致点が見い出されます。二人が交際を開始した月・日が、海木さんの生まれ月・日と同一というのも運命的ですが、交際開始時の天王星は湯川さんの太陽に正確に150度アスペクト、海木さんの太陽に正確に72度アスペクトを形作っています。交際開始時の土星も、湯川さんの金星に45度アスペクト、海木さんの金星に150度アスペクトを形作っています。
これらすべてを総合的に考え合わせると、先天的に強い縁と絆で結ばれている二人は、仮にいろいろな問題やトラブルを抱えていたとしても、すぐに壊れてしまう間柄とは思われません。お互いに金星120度の協力し合うアスペクトが無意識に作用するからです。電話やメールが愛を育むことでしょう。但し、いったん駄目かな、と思う状態になってから縁や絆の強さが発揮され始めるでしょう。
やはりというべきか街中から全体的に“発展途上の勢い”のようなものが感じられました。
7年前には今回泊まったグランドハイアットは存在せず、街の中心を走る「空中遊歩道」もありませんでした。
この遊歩道が出来たおかげで、今回は何度もKLCCとブキッ・ビンタンとを歩いて往復できたのでした。
ホテルの窓から見える周りの景色はビルの工事中が多く、そこにも街全体のエネルギーが感じられます。
マカオでも感じた“発展のパワー”です。
「人生」という長い物差しで測り直すと、案外、運の良し悪しは“平等なのかもしれない”と思えるようなことが多いものです。
但し、それは「平均的寿命」を経過した人生の場合で、極端に「短い人生」の場合、この原則は当てはまりません。
そういう点から云えば、若い命を自ら断つのは「急ぎ過ぎた人生」と言えるのかもしれません。
「長い人生」では、幸運続きの人生もないし、不運続きの人生もないことは、人間達の歴史が証明しています。
一般的な西洋占星学による相性理論からいえば、二人の出生図に基づく星の配置は必ずしも良くありません。
拓哉の太陽が「さそり 20度」なのに対し、静香の太陽は「おひつじ 23度」。拓哉の月が「みずがめ」なのに対し、静香の月が「かに」といずれも星座間150度アスペクトとなっているからです。
二人の場合、この150度というアスペクトは奇妙なほど関わり合っていて、拓哉の水星が「いて 12度」なのに対し、静香の水星は「おうし 12度」。拓哉の火星が「てんびん 27度」なのに対し、静香の火星は「おうし 27度」。拓哉の金星が「てんびん 15度」なのに対し、静香の金星は「おうし 12度」と、いずれも150度アスペクトを形成しているのです。150度というアスペクトは奉仕性の強いアスペクトで、相手のことを思いやる気持ちは強いのですが、すれ違いが生じやすく、気疲れで疲れてしまうとか、ストレスが生じるとかもしやすいアスペクトです。ただ、これだけ150度アスペクトで統一されているカップルも珍しく、このように緊密な同一アスペクトを沢山備えているということ自体、先天的に強い縁で結ばれている証明といえます。
実際にはこのように緊密なアスペクトで結ばれていることが、俗にいう「赤い糸」といえるのです。
マスコミから「大バッシング」を受けて、人生を転落させてしまう人もいます。
本当は、必ずしも「マスコミ=国民の声」とは言えず、一部の人達の“熱狂”に過ぎなくても、マスコミが大衆を煽ることで、いつの間にか「寵児」に祭り上げられてしまう人もいます。
同じように、マスコミ大手が声を張り上げることで、いつの間にか「大バッシング」が向けられる人もいます。
マスコミが常に「正しい」とは限らないことを知っていなければなりません。
世間的に見れば、どんなに「倖せ」そうでも、本人の価値観が通常と大きく異なっていれば、その人にとっては「倖せではない」境遇もあります。
逆に、世間的には「不幸せ」な状態であっても、本人の価値観から見て大いに満たされているなら、「倖せ」を感じられるのです。
宗教が多くの人を救うように見えるのは、この「価値観」を転換させるからです。
価値観が変われば、世間がどう見ようと本人の実感として「倖せ」を得られるからです。
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