2月, 2016年

挫折と懊悩が、その人に「人間的な深み」を与える

2016-02-19

俗にいう「人間的な魅力」にはさまざまなものがありますが、中でも代表的な魅力の一つに「人間的な深み」があります。これは若い世代にはなかなか見掛けることの少ない魅力の一つで、或る程度“年齢を重ねた”後に増してくるのが特徴です。しかも、一言ではなかなか表現しにくいもので、その人の持っている“独特の雰囲気”から醸し出されることが多いようです。この“摩訶不思議な雰囲気”が醸し出される人たちの共通性として、人知れず大きな「挫折」や「懊悩」を経験しているケースが圧倒的に多いということです。重要なのは“人知れず経験している”という部分で、その方が「人間的な深み」を、より増していくようです。だからと言って、本人がその挫折や懊悩を語ることはめったにありません。多くの場合は“穏やかな表情”をもち、決して大声を出すとか、強引に物事を進めていくようなことがありません。どのような人に対しても、黙って頷き、さりげなく親切で、そっと見守っています。

ギャンブルの「切り札」

2016-02-18

長い人生には、予期せぬ形で“窮地に立つ”とか、“二者択一を迫られる”とか、“万策尽きた”というような状況に追い込まれることがあります。元々が“一か八か”の綱渡り人生を歩んできている人は、ピンチにめっぽう強いので心配がいらないのですが、どちらかというと“恵まれた環境”で生きてきた人は免疫性に乏しいため、いたずらにパニックに陥って理性を失い、自ら“幸せな人生”を破壊する行動に出てしてしまうケースが少なくありません。人生は最終的には「ギャンブル」で、人知を超えたところに“勝利への方程式”が潜んでいるものです。「運命」は頭脳では解けません。そういう時、手堅く勝負を挑む場合の「切り札」として用意されているのが「先人たちの英知=占い」なのです。そう、占いは“同じような場面”で苦しんだ先人たちから“転ばぬ先の杖”として差し出された人生の「切り札」なのです。

日本人であるということ

2016-02-17

今年は正月から週刊誌が飛びつきそうな話題やネタが矢継ぎ早に飛び出している。「ベッキー不倫騒動」があり「スマップ独立失敗」があり「甘利金銭疑惑」があり「宮崎育児不倫」があり「清原覚せい剤逮捕」があり「小保方出版」があり「ホリエモン出資失敗」があり…数え上げるときりがない。特に週刊文春はスクープ連発で鼻息が荒い。ただ、これらは日本だから話題性があり“取り上げられる問題”で、果たして日本以外の国でも同じような扱い方がされるであろうか。日本人と同じような感覚で受け止めるのであろうか。

もともと日本人は潔癖感の強い民族であり、倫理に外れることを嫌う傾向が顕著だ。だからベッキーは集中砲火を浴びたし、キムタク以外のスマップも“謝ること”を強要された。甘利大臣も“ワナに嵌った”こと自体が罪だとされた。宮崎議員は“美しい女性ばかり”に手を出したことが人一倍反感を食らった。清原は選手時代の栄光まで剥奪された。小保方氏には元上司の妻が“あの日を返せ!”と言いたげだ。ホリエモンには“もうけ主義への制裁”的イメージでせせら笑う人が多い。いずれも日本人的な感性で週刊誌やネット報道に対して好意的な受け止め方のようだ。もちろん、不正なことは良くないし、過去のことであれ、償うべき部分は償わなければならない。ただ日本人は「善人・悪人」を明確に分けたがりすぎる。人間には本来「善」の部分「悪」の部分があり、それらの比率が「100対0」の人などいないはずで、幾分かは誰でも「悪」の部分も持ち合わせているのが人間なのだ。ところが、いったんその人の「悪」の部分を観てしまうと、何もかもを「悪」と決めつけるような傾向が日本人にはみられる。ネット住民などは特に顕著で、その人の“全人格”まで否定するような総攻撃をかける。

例えば「ベッキー的な不倫問題」は、占い師の元に持ち込まれる相談としてはよくあることで、最初、男性に妻子がいることなど知らずに関係を持ってしまう女性は多い。いったん男女関係が出来上がると、そのあとで妻子がいたことを知っても、そこでブレーキを掛ける女性は少ない。もちろん「不倫」が罪なことだと知ってはいるが、恋愛関係が深まってから知ってしまうと、女性の中で「罪」よりも「愛」の方が勝ってしまうケースが多いのだ。まして男性側が「妻とは別れる」を口にしている場合、よほどのことがなければ引き返すことはできない。占い師の元を訪ねてくる女性の多くは「彼は本当に奥さんと別れて、私と結婚してくれるでしょうか?」と必死である。そこには「不貞行為を働いている罪の意識」はない。いや、正確に言えばあるのだが、その部分には目を瞑っている。

占い師は、裁判官でも弁護士でもないから、とりあえず「今後どうなっていくか」を中心に観る。少なくとも私の場合はそうだ。相手の奥さんの生年月日も判っている場合は、それも合わせて慎重に判断する。但し、表出された“本当の答え”をそのまま告げるとは限らない。なぜなら、こういうケースでは時に悲観的になって自暴自棄になってしまう女性もあるからだ。ただ単に「今後の見通し」を語るだけでは、その女性を幸福にすることはできない。本人の性格や状況、相手男性の性格や状況、相手の奥さんや子供たちなどのことも含めて、どう対処していくのが、三人にとって最も良い「解決策」となるのか、占いで“表出された回答”を基にベストな方法を探り出す。占い師だからといって、相談者以外のことは無視して良いはずがない。

日本は島国で外敵の侵入を防げたので「日本民族」としての特徴を顕著に残している。ヨーロッパのように陸続きだと嫌でも他国からの浸食を受ける。そういう意味で日本人は良くも悪くもまとまりやすい。考え方とか、生き方とか、反応の仕方に“多数に同調しやすい傾向”がみられるのだ。したがって、いったん週刊誌やインターネットでバッシングされると“徹底的に叩き”のめして、“救いのない状態”に放り出してしまいがちである。特に「外国」が絡んでいる問題に対しては、この傾向がより著しい。どのような人にも生きていく権利があり、未来があることを思うと、もう少し“寛容な部分”があってほしいと思うのは私だけなのであろうか。

 

「普通」であることの素晴らしさ

2016-02-17

この世の中には「普通」であることを願っても、それが“手に入らない人達”もいます。どんなに努力をしても「普通」にはなれない人達がいます。多くの人は、自分が「普通」であることに留意せず、それが“素晴らしいことである”とはみじんも思わず、当たり前のこととして“不平”や“不満”を口にするのです。人の「幸福」は千差万別ですが、少なくとも「普通」と思える出発点からスタートできるのは、それだけで「幸福の扉」を開く“第一の条件”をクリアしていることになります。つまり世の中には「普通」からスタートしたくてもできない“十字架を背負って”生きている人がいるのです。その“普通ではない部分”というのは、人それぞれ違っているので、その「苦悩」もそれぞれに違っています。けれども、どんなに努力をしても「普通」にはなれないという点で共通しています。今一度、そういう人たちもいるのだと意識出来れば、当たり前のことだった「普通」であることの出発点が、実は“素晴らしいこと”だったと改めて気付かされるのです。

「1069円」のインパクト

2016-02-16

昨日「日経平均株価」が一日で1069円も値上がりした。年初からこれまで、売られ続けていた反動もあって一気に上昇した形で不思議なことではない。その証拠に、どのマスコミもそれほど大きなニュースとして取り上げていない。実は、日本株は昨年後半から上下値幅のブレが大きい。値を上げる時も大きいが、値を下げる時も大きい。多くの人は見逃しているが「日本株」というのは、今や世界的に見ても“変動率の激しい株”で、ギャンブル好きな人にとっては“スリルを味わえる株”の代表格である。ドル円相場の動きにしても、最近は一日で3円近く動くこともある。たかが「3円」と思う人がいるかもしれないが、1円違えば何百億円と採算が異なってくる輸出産業もあるのだ。もしも、下がり続けていた金曜日の終値付近で「日本株」を購入している投資家がいれば、一日だけで“ものすごい利益”を得ていることは間違いない。もっとも、まだまだ下がるとみていた投資家にとっては、このまま上昇すれば大損失間違いない。こうして今日も、株長者で「笑う人」、信用取引失敗で「泣く人」が新たに登場する。

運命を変える「発見」

2016-02-15

世の中には人類共通の「発見」と、自分自身だけに役立つ「発見」とがあります。人類共通の発見は、確かに世の中には役立つのですが、自分の生活には直接役立たないことが多いものです。それに対して自分自身だけの発見は、世の中には役立たないことが多いのですが、自分の生活とか、今後とか、運命を“変えていく可能性”を秘めた発見であることが多いものです。ここでいう「発見」とは、例えば「どうすれば自分の仕事を効率よく変えられるか」とか、「どうすれば異性と上手く付き合えるか」とか、「どうすればお金を貯められるか」とか、「どうすればもっと早く帰宅できるか」とか、「どうすれば無理なく痩せられるか」とか、ハッキリ言って世の中にとってはどうでもよい「発見」が多いのです。けれども自分自身にとっては、必死に求めてきた「答え」であり、小さな「発見」であることが多いのです。しかも、その“どうでも良い発見”こそ、自分の「運命」を大きく変えていく可能性を秘めているのです。

「これしかない」が成功の秘訣

2016-02-14

世の中には「器用な人」「何でもそこそこ出来る人」「他分野でも活躍できそうな人」というタイプの人がいます。そうかと思うと「これしかない人」「これ以外無理な人」「これを行うため生れてきたような人」というタイプの人もいます。どちらが良いかは一概に言えませんが、世の中で“成功しやすい”のは「これしかない」タイプです。何故かというと、自分自身でもそれを自覚しているから、まっしぐらに突き進み、後戻りするとか、途中で迷うとかがないからです。器用な人は、どうしても器用であるため「この道で良かったのか」と躊躇するとか、集中力が不足して迷い始めるとかしやすいからです。誰しも人生にはスランプがあり、落とし穴があり、魔手が伸びやすい時期があります。そういうときでも「これしかない人」には“選択の余地”がないのです。仮に“間違って”転職した場合でも、すぐ元に戻るとか、どんなに時間がかかっても転職先で頑張って新たなものを習得しようとします。「器用な人」は、どうしても他に眼が行くので諦めやすく、いったん躓くと立ち直りにくい傾向があります。

「運命」も“初期化”できる!

2016-02-13

誰しも或る程度の年齢になると、自分の“生活”や“環境”の中で“一定の安定”が得られることが多くなります。自分自身の「運命」というものに対して、“茫漠とした実態”を感じ取るようになります。自分の「大まかな将来」までもが何となく予測され、その「敷かれてあるレール」の先に“嘆き”や“焦り”や“戸惑い”を感じる人も出てきます。そういう時、突如「新たな将来」の可能性が見えてくることがあります。但し、その可能性に賭けるには、これまでのレールから新たなレールに切り替えなければなりません。新たなレールは「新たな将来」の可能性を見せてはくれますが、いったん切り替えたら「今の生活」に戻ることは出来ず、保障されている「大まかな将来」に達することはできません。多くの人は、ここで躊躇し、踏みとどまって「新たな可能性」を見送るのです。実は人間の「運命」の“茫漠とした実態”は、よほど“踏み間違わない限り”極端に大きく変化することはないのです。コンピュータと同じように“初期化”しようとする本能を持っているので、多くの場合、一時的に窮地に陥っても別な形で“復活できる”のが普通です。

 

神は「希望」を与える

2016-02-12

人はどんなに苦しい状況でも、その先に「希望」が見えていれば必死に生きていくことが出来ます。目の前から「希望」が失われてしまうと、その途端に「歩み」を止めてしまうような喪失感に襲われやすいものです。崖から突き落とされてしまった絶望感で真っ暗になるのです。苦悶する中で無意識に人が縋ろうとするのは「神仏」です。最終的に「神仏」しかなくなるのです。その「神仏」は本当に“救い”を与えてくれるでしょうか。実は「神仏」は、沈黙したままです。多くの人は誤解していますが「神仏」が直接“救い”を与えてくれることはありません。ただ「神仏」は“小さな希望”を灯してくれます。必ず「希望」だけは与えるのです。そして、人はその「希望」を頼りに“生きていく力”を取り戻すのです。前を向く情熱を蘇らせるのです。力強く踏み出していくエネルギーを授けられるのです。そうすると潜在的な能力や素質が引き出されて大いなる力を発揮していくのです。

「混迷」のアメリカ

2016-02-11

アメリカの大統領予備選が「混迷」を極めている。最初は民主党クリントン、共和党クルーズがトップを奪ったが、今回は民主党サンダース、共和党トランプがトップとなった。共和党はルビオが優勢な地域もある。有力候補はこれらに絞られるが、誰が抜け出すのか予断を許さない。中でも共和党トランプは、元々「不動産王」として著名だった人物で“極端なタカ派”の過激発言で知られる。そのトランプが支持を拡大しているのは現大統領のオバマが“極端な穏健派”で、一時代前の「強いアメリカ」を失ってしまったと感じている国民が多い証拠だ。昔は世界を牛耳っていたのに、今や中東に対しても、北朝鮮に対しても、ISに対しても、中国に対しても、「世界の警察」として機能しなくなっている。特に北朝鮮や中国の暴走を封じ込めることが出来ない弱さをアメリカ国民はひしひし感じているに違いない。それが同じように暴走していく不動産王「トランプ」を危うくても支持する一番の理由なのだ。

 

「情報」が溢れすぎていることの不幸

2016-02-10

近年、あらゆるものが「情報」の波に押し流されている。ネット社会が普及したことで、確かに「情報」は得やすくなった。けれども、その中には“余分な情報”も多く、偽装された情報、時代遅れの情報、誤った情報、どうでも良い情報も多い。時には“肝心な情報”が抜け落ちていて、たくさん情報があふれているのに、結果的には役立たないことも多い。しかも、その“役立たない情報”に振り回されて、無駄にエネルギーを使い、無駄に時間を消費させられる。ネット社会は、多くの情報を誰もが共有できるという面で恩恵をもたらす部分もあるが、その弊害も意外なほど多い。何もなかった時代「情報」は少なかったが、それで生活に困ったかというとそうではなかった。「生活」を便利に、豊かに変えてくれるはずの「情報」が、本能的な勘や大切な会話を奪い、人々を疑心暗鬼に駆り立てる道具に変わっていくことを何よりも恐れる。

「足かせ」ある人生&ない人生

2016-02-09

幼くして何らかの「足かせ」をはめられて生きていかなければならない人達がいます。例えば、先祖代々の墓や信仰を守らなければならない生れとか、病気の母親の面倒を見ていかなければならない生れとか、家業を継承しなければならない生れとか、外国人の血を受け継いでいる生れとか、十代半ばから働かねばならなかった生れとか、五体満足な身体ではない生れとか…さまざまな事情から“遁れられない人生”の人達がいます。その反面、何ら「足かせ」を持たずに生れてきている人達がいます。どのような人生でも“選択自由”な人達です。さて、どちらの方が幸福を掴みやすいのでしょう。「足かせ」から遁れられない人達は“自由な人生”を渇望します。また「足かせ」を持たない人達は“使命感ある人生”を渇望します。ないものねだりは「世の常」です。

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