9月, 2016年

“言葉ひとつ”が、人を生かしたり、殺したりする!

2016-09-30

元フジテレビの長谷川豊アナウンサーが自らのブログに「自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」とのタイトルで投稿し、その過激な内容がネットで炎上、問題を重視したテレビ大阪が「ニュースリアル」のMCを降板させた。もっともな処置だと思う。これは到底ニュース番組MCの発言として許されるべきものではない。彼は「ブログ上の発言」と述べたが、ブログ上であろうと、ワイドショー番組であろうと、日頃、公正な態度でニュースを扱わなければならない立場の人間が発すべき言葉ではない。百歩譲って“お笑い芸人”の発言であれば、すぐ謝罪すれば、過激ジョークとして許さていたかもしれない。もしかしたら、彼は過激にすることで“世間の注意を喚起したい”という気持ちががったのかもしれない。それにしても「全員」という言葉や「そのまま殺せ!」という表現を含んでいるのだから、公的なブログ上で発言したなら、世間にどう受け止められるか解りそうなものである。多分、彼は“関西の人達に受けそうな表現”を試みたつもりだったのだろう。けれども、ブログは日本中で読まれるのだ。そして日本には“さまざまな病気で苦しむ人たち”が無数にいる。誰しも、病気になりたくてなっているわけではない。病気となることで仕事に支障が出たり、収入が減ったりする。時には働けなくなることもある。そして高額な治療費が掛かる。そういう“当たり前のこと”を配慮すれば、あのような内容には絶対にならない。今年前半、世間から“総バッシング”を受けたタレント・ベッキーさんが「宝島社」の企業広告上で裸になった。見開きの広告で“嫌でも目に飛び込む”背後からの半身ヌードだ。文字通り“裸になって出直そう”とする意欲が窺われる。背景に「あたらしい、服をさがそう。」の文字だけがある。何の説明もない。この“何の説明もない”ことが、このコピーの最大の“売り”である。素晴らしい“コピー表現”だ。人には、どんなに苦しくても「あたらしい服」をさがさなければならない時がある。日本全国には、そういう人たちが無数にいる。そういう人たちの眼を見開かせる素晴らしい表現だ。

“波乱な人生”が、人間としての魅力を増す

2016-09-29

NHKの社会派番組「アナザーストーリーズ・運命の分岐点」のMCレギュラーとして女優・沢尻エリカさんが抜擢された。採用側のコメントとして「波乱万丈な人生にも負けないタフさを持っている」ことが第一の理由として挙げられている。確かに、一時期のバッシング合戦は相当なもので、芸能界に“居場所はないのか”と思わせるほどであった。多分“美人で生意気”な雰囲気が、サラリーマン男性たちに“自分の職場にもいる生意気な女性”を想起させ、必要以上のバッシングへと発展したのだ。けれども、彼女は“自分を見失わなかった”。ここが重要なのだ。世の中には「できる」ことで、必要以上に批判を受けやすい人たちがいる。或いは「正直すぎる」ことで、必要以上に反感を買いやすい人たちがいる。予期せぬ批判やバッシングで、自分を見失い、自信を失って、孤立していくケースも多い。元々は優れた素質や能力を持ちながら、性格的な弱点を持っているために、周囲から孤立し、卑屈になって、二度と這い上がれなくなってしまう人達も多い。或る意味で、沢尻エリカさんはそういう人たちの鏡であり、自分を見失わなければ「運命」は必ず、その人にふさわしいステージを用意しているものなのである。ただ、沢尻さんがそうであったように、本当の意味で“幸運”がやってくるのには、少しだけ時間がかかる。それを忍耐強く“待つ”ことも、人生には必要なのだ。波乱万丈な人生は、その人に“人間的な深み”を与える。それは波乱のない人生では身に着けられないものである。つまり、将来の財産となる。“低空飛行”の期間も、決して無駄ではないのだ。

「PTSD」という鎖

2016-09-28

今年3月、2年間の監禁生活から少女が脱出して、当時大学生だった寺内被告が逮捕された事件の初公判が開始された。誘拐された当初、中学1年生だった少女は、解放されて半年たった現在も「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」に苦しんでいるらしい。当然と言える。この事件は、誘拐による監禁生活によって「PTSD」が引き起こされたが、このような障害がもたらされるのは、必ずしも“誘拐”や“監禁”だけに限らない。大きな災難や事故、恐怖の事件や出来事に遭遇した場合にも引き起こされる。突然の大きな地震や津波、噴火や洪水、動物からの攻撃、強制労働、集団リンチ、惨殺場面の目撃などによっても生じることがある。確かに、どれも脳裏に残された場面がフラッシュバックしそうな出来事ばかりである。このような病症に陥った場合、その記憶にあるものを消し去ることができれば一番良いのだが、完全に消えなくても記憶が薄れれば病症としては回復していく。実は“運命的な出来事”を体験している場合にも、同じような現象が生じる。例えば、幼い頃に両親が離婚し、家族が別々に引き離され、悲惨な生活を強いられたような場合、“結婚”そのものに対しての拒絶感や恐怖感のようなものが植えつけられやすい。どんなに愛する相手がそばにいても“いつかは離れ離れになってしまう”のではないかという気持ちが無くならない。極端に嫉妬深くなるとか、独占欲が強まって、相手の行動を疑い、自ら愛情生活を破壊していくようなケースが少なくない。極端に“辛いこと”“苦しかったこと”“悲しかったこと”“悲惨だった”過去の出来事は、黙っていても潜在意識が“思い出の扉”を閉めてくれる。そうすることで、われわれが前を向いて生きられるよう配慮されているのだ。時々、そういう扉を無理にこじ開けようとする人がいるが、明るく生きるには“悪い記憶”をフラッシュバックさせてはならない。

妙な郷愁をそそる「13星座」占い

2016-09-27

NASAが発表した「黄道は12星座ではなく13星座である」という事実が、一部の人達に誤解を与え「“12星座占い”が“13星座占い”に変わるらしい」という噂が世界的に流れたらしい。まるで20年前のようだ。つまり90年代の半ばころ、一時的に「13星座占い」のブームがあったのだ。どの女性雑誌も「13星座占い」を掲載するという奇妙なブームだった。けれども、そのブームはあっという間に消えていった。すべての雑誌が「13星座占い」などなかったかのように「12星座」に戻った。多分、優秀な天文学者が打ち立てた“新仮説・13星座占い”は既存の占い信望者たちを惹きつけるだろう…という期待先行の企画が、あまりのブーイングに頓挫してしまったのだ。NASAの発信者は、この“過去のブーム”を知らない若者だったのだろうか。それとも、もちろん知っていて“ブラックユーモア感覚”で載せてみたのだろうか。それに追随した若者たちは、確実に“初耳”として拡散したのだろう。世代が判るような何んとも“むず痒い”話題である。ちなみに「星座占い」は決して科学的なものなどではない。“13星座”だろうが“12星座”だろうが、それをもとに占うことは科学的ではない。なぜなら、天空に描かれる象形は、その象形のものとは何の関係もなく、ただ“その象形に見える”というそれだけのことだからである。たとえば雲の象形でも“ラクダのように見える”とか“ライオンのようの見える”とかがあったりする。それと基本的には同一である。だから、その象形をもとに占うということが科学的であるはずがない。ただし、科学的でないから“占いとして的中しない”というわけでもない。別に、占いが科学的である必要もない。時々、この点を間違えていて、必死に科学的であろうとしている占い師がいるが、そういう人に限って“非科学的な発想”を平気で行い、合理的な理論を否定するものである。

「敗者」が“美しいこと”もある

2016-09-26

「オレらしく引き際はすっきりしたい」と試合後“引退表明”をひっそり行った。格闘技界の野獣・藤田和之である。「RIZIN」の無差別級トーナメント開幕戦で、巨漢・バルト(元大関・把瑠都)に判定で敗れた。2000年代に日本の格闘技界をリードした藤田氏も45歳。以前のように動けなくなっていた。格闘技界では“一度引退したはずなのに”復活する選手が多い。それを嫌っての冒頭の言葉なのだ。「庭の草むしりでもする」と野獣は言ったが、まだ、そういう年齢ではない。この大会では、かつてのレスリング女子世界王者・山本美憂選手(42歳)も息子の前で敗れた。こちらの方は「敗れたことで火が付いた」と再チャレンジを誓った。一時期、日本の格闘技界をリードした藤田和之氏だが一般的な知名度はそれほど高くない。あまり派手なパフォーマンスをしなかったこと、ベルト所有期間が短かったこと、ずんぐりむっくりの体形で“格闘技界のアイドル”とはなりえなかったことも大きい。けれども正に野獣として、相手をねじ伏せていく圧倒的迫力は見応えがあった。確かに“衰えた藤田”は見たくない。もし、このまま本当にリングを去ってくれたなら“伝説の人”になれるだろう。私は、死ぬ間際にミケランジェロが制作した「ロンダニーニのピエタ」がたまらなく好きだ。それは、ルネッサンスの巨人・ミケランジェロが老齢となって青年期の“迫力ある彫刻作品”を制作できなくなって、それでも“必死に作り続けた最後の作品”である。本当に誰もが「あのミケランジェロが作ったの?」と目を疑うような作品なのだが、そこには人間として“必死に神と格闘する”ミケランジェロの生の姿があって、どの作品よりも崇高に輝いている。

「生き方」が人生を作る

2016-09-25

女優・川島なお美さんが「胆管がん」で亡くなって一年。一周忌法要とともに、夫・鎧塚氏が“慰愛碑除幕式”を行ったらしい。正規の医療を自ら拒否して、美しさをとどめたまま、あっという間に死を迎えた川島さんだが、その“生き方”への評価はさまざまである。人間はしょせん死ぬ。いつかは死ぬ。生きるということは「死」へ向かって歩んでいるのだともいえる。誰でも自ら“老い”を実感してくると、嫌でもそれを感じる。芸能人など名の知られた人たちとか、社会的な地位のある人たちは大きな病気や事故などの場合、すぐ世間に知れ渡る。特に“末期がん”のような「死に向かう病気」の場合、残された時間を“どう過ごすか”は、その人の「生き方」と深く関わってくる。川島さんの場合は、最期まで“女優としての生き方”を選んだ。誰が見ても“危うい”と思うような容貌となっても、大丈夫ですから、と気丈だった。それは最期まで女優であろうとする執念のようなものだった。もし、彼女が“一人の鎧塚夫人”として“妻としての生き方”を選んだなら、もっと別な形になっていたのかもしれない。人間はどのような状況であろうと、多くの場合、最終的には本人が“未来を選択する”。もちろん、選択の余地などないまま未来が決められてしまう場合もある。そして、それらが幸福かどうかは、実際のところ、最期までわからない。そう、誰にも、本当のところ、解らないのだ。というか人生に「正解」などないのだ。ただ自分の意志を最後まで貫けるのは、或る意味で幸福なことなのかもしれない。「心ならずも…」という言葉があるが、ほとんどの人は、人生に後悔を引き摺りながら“最終章”を迎える。

女の観察眼が暴く“財布の中身”

2016-09-24

時々、雑誌が企画で行うアンケート調査には“見逃せない実態”が含まれている。最近『SPA』が20~50代の女性たち500人を対象として行った「お金が貯まらない男性が持っている財布の共通点」という調査が興味深い。つまり女性たちによる日頃の観察眼は、どういう財布を使っている男性が“お金から嫌われているか”本能的に見抜いているのだ。その調査によると、とびぬけて多かった回答は「レシートや領収書であふれている財布(97%)」と「カードを溜め込みすぎて財布がパンパン(86%)」で、つまり“余分なもので膨らみすぎた財布の男性”には金運がない、と見抜いているようなのだ。もう一つの共通点は「付録にありそうな安っぽい財布(57%)」や「マジックテープ式の財布(47%)」や「ぼろぼろの財布(43%)」など、“財布にお金をかけない男性”には金運がない、と感じているようだ。もう一つ、私が気になったのは「お札の向きや角度がバラバラ(54%)」という部分で、つまり日頃から財布を点検して、きちんと整理・整頓していない男性は“金運に乏しい”と見抜いているらしい。実は、他の自己申告による低収入男性たちのアンケート調査でも「ポイントカードで財布がパンパン」「クレジットカードを大量に所有している」とか「コンビニATMで5000円ずつ下している」「コンビニATMを月3回以上利用する」とかの回答が多いのだ。もう一つ、私が注目するのは「投資に興味はあるが、実は何もしていない」という男性が75%となっていることだ。これらの調査だけで決めつけることはできないが、男性たちの金運は、女性たちの観察眼と本能的な直感で語らずとも“お見通し”となっている可能性が強いということである。

「前を見る」ということ

2016-09-23

歌手&女優・酒井法子が16年ぶりに都内で単独コンサートを行った。1200人を前に31曲を熱唱したという。これまでにもディナーショーなどは出ていたらしいが、単独コンサートは16年ぶりだったようで、2009年の覚せい剤事件から7年、本当の意味で“社会に復帰した姿”と言える。近年は“パチンコ店の営業”を主戦場としていて、そちらの方でも意外なほど人気を集めているという。この人“人気運”は天性のものなのだ。実は昔、私も占い師として“パチンコ店の営業”をしたことがある。だが、私は正直なところ、これは私の仕事ではない、と思った。まず、第一に本当にパチンコ好きな人たちは、イベントなど興味がない。逆にイベントに興味がある人たちは、パチンコに興味がない。タレントなどは別なのかもしれないが、普通の話し声が通じない大音響の店内で、占いなどそもそもが“成立しない”のだった。そういうパチンコ店でも脚光を浴びるのは、さすがに“のりピー”である。一時期、福祉の仕事を志した酒井法子だけに、どういう要求にも笑顔で応じられるのだ。あれだけ世間からバッシングされた彼女が社会に復帰できたのは、第一に“覚せい剤夫”と正式離婚し、縁を絶ったことが大きい。第二に“息子さんの存在”で、今の彼女を支えているのは“17歳の愛息”なのである。それ故に“パチンコ店の営業”もこなせるし、“シャブの誘惑”も断ち切れているのである。とりあえず、息子さんに“愛する女性”が出てこない間は大丈夫なのだ。女は「母」として生きるとき、強いからである。人は誰だって“大きな失敗”を経験するときがある。“取り返しのつかない間違い”を犯す時がある。問題は、そのあとで“どう前を向いていくか”なのだ。どう“前だけを向く”ことができるかどうかなのだ。

“正義”と“真実”の闇

2016-09-22

イスラエルの南部で違法建築の解体作業中、全裸で鎖につながれていた男性が発見された。たまたま悲鳴を聞きつけ、工事にストップをかけて中に踏み込んだ勇気ある警察官がいたのだ。発見された男性は十年以上、鎖につながれたまま生きて来た。髪も髭も伸び放題だった。元々精神疾患を患い、子供たちに石を投げつけるので、仕方がなく家族が拘束することにしたらしい。ドイツ南部では実母によって自宅内部に監禁され続けていた26歳の女性が保護された。一緒に暮らしていた母親は発見されたことで飛び降り自殺を図った。精神障害の娘に対する処置として仕方がなく監禁していたらしいのだが…。アルゼンチンでは精神障害を持つ妻と息子を、自宅敷地内にレンガ造りの本格的な檻を作って、その檻に数年間監禁し続けていた男が逮捕された。檻の中には鎖やロープが多数あって、ドッグフードを食事として与えていたらしい。すべてに共通しているのは、精神障害となった家族を自宅内部に密かに監禁するという方法で、もしかしたら日本でも、今現在でも“存在する可能性”のある事件ばかりである。こういう場合、誰の言っていることが正しく、誰の言っていることが嘘なのか、どこからが“犯罪”と言えるのか、見極めがなかなか難しい。精神障害で“急に暴れだす”ケースは決して少なくない。そういう家族を自宅内に抑え込むのは、家族として致し方ない場合もある。普段は“普通”とか、本当は“心優しい”とかいう場合、病院に強制入院させることを不憫に感じる家族もいる。その一方、監禁する側に“特殊な趣向”とか“異常な趣味”があって、それが高じて監禁行為へとエスカレートしていく場合もある。大枠で“家族”というのは、さまざまな事情のようなものも絡むので、他人が簡単には“踏み込みにくい”部分でもある。“真実”が意外なところに隠されている“監禁生活”が、案外、身近なところで行われているかもしれないのだ。

74歳で東京五輪の“聖火ランナー”を目指す男

2016-09-21

現在74歳で重い病に侵されながら、四年後に行われる東京オリンピックの“聖火ランナー”を目指している人物がいる。元プロレスラーのマサ・斎藤氏だ。実はこの人、今年の12月2日に新日本プロレスの興行でプロレスラーとしてリング復帰することが決まっている。しかも、2000年に始まったパーキンソン病と闘いながら、リハビリを兼ねた(?)レスラー復帰である。どうしてなのかというと、東京オリンピックで“聖火ランナー”を務めたいからのようだ。なんと無謀で、なんと前向きで、なんと滅茶苦茶なリハビリであることか。実はマサ・斎藤氏は、1964年に行われた東京オリンピックで、レスリングの日本代表選手として出場している。謂わば「東京オリンピック」は、彼の故郷なのだ。だから今度はレスリングではなく“聖火ランナー”として、“パーキンソン病に負けない74歳(78歳)レスラー”として晴れ舞台を経験したいのだ。う~ん、感動的。だが、果たしてそれまで命が持つのだろうか。まずは今年の晴れ舞台を“無事”に乗り切れるのだろうか。確かボクシングのモハメド・アリ氏も同じ病気だったような気がするが、そう言えばマサ・斎藤氏も“アントニオ・猪木と闘った男”である。世界に向けてのTV中継はなかったが、現代版「巌流島の闘い」を実現させた。もちろん、特設の野外リング場だったと思う。(この辺、私も記憶が薄れていて定かではない)そして、猪木氏に敗れた。というか、この人、大舞台での“勝利”というのは乏しい。常にトップレスラーとして全米でも知られていたが、私の知る限りチャンピオンとして君臨していた記憶がない。名誉運には乏しいので「聖火ランナー」の名誉を得られるかどうか疑問だが、もう一度、今の時点で“糖尿病の猪木氏”とリング上で再戦することになれば、猪木氏にしても“北朝鮮の悪いイメージ”を払拭でき、最高に盛り上がる試合ができるのではないだろうか。

「空白の日々」が“値千金”に変わる時

2016-09-20

人生は思い通りになるものではない。そんなことは言われなくても誰もが知っている。長い人生には“自分の無力さ”を痛感する時期が必ずある。だから人生は“薄っぺら”なものにはならない。何もかも“思い通り”になっていたら、人間としての成長もなく、これほどつまらない人生はない。そうは言っても、思い通りにならない時期が長く続くと、それはそれで煩悶するものだ。先の見えない日々が不安となり、自信を喪失し始めるものだ。今年の5月19日に生番組で救急搬送され、その後、すべての番組を休養することになった小林麻耶さんの場合、いったい誰が“こんなに長期間”の休養になると思ったことだろう。多分、本人自身が一番驚いているのかもしれない。もちろん、麻耶さんの場合、妹の麻央さんが“がん闘病中”であったことが公表され、その看病が一番の“精神的負担”となったことは間違いがない。ただ仲の良かった姉妹は“妹の病気”を肩代わりできないもどかしさから、自らの“潜在的な病”を引き出すことになってしまったような気がする。久しぶりのブログの中で麻耶さんは「一体いつまで休むことになるのだろう」と記し、さらに「働けるようになるのだろうか」と不安をのぞかせている。仲の良かった姉妹は、多分、妹・麻央さんの病状に重ね合わせるようになっているので当分の間、復帰は無理である。仲の良かった兄弟・姉妹・親子・夫婦・親友は時々そういうことが起こる。だから本当は「麻央のためなら命だってあげられる」と著書の中で記していたのは問題なのである。もっとも、実際には“命まで取られる”ようなことはない。ただ今年いっぱいは休養した方が良い。おそらく、彼女自身は「空白の日々」となっていること自体に驚き、焦り、不安となっているかもしれないが、心身の区切りがつけば黙っていても回復していく。そして、このような日々を送ったことが、後になって必ず役に立ってくるのだ。“人間としての深み”が生まれ、精神的な方面への理解力と“癒しの雰囲気”が備わってくるようになるものだ。だから、心配することなく、“新たな出番”が来るのを待っていれば良い。

「カジノ王国・日本」になれば叶うこと

2016-09-19

今から30年後、日本はいつの間にか「カジノ王国」になっていた。どうしてそうなったのかというと、2016年頃の「マカオ」を見習ったからだった。その当時、マカオは9年連続で国民に対して“カジノによる増収を還元”していた。一人当たり11.5万円も配っていたのだ。65歳以上には“養老金”や“敬老金”も配った。“医療クーポン”も配った。その代わり、豪華なカジノホテルを外資により次々と建設していた。この方式を、日本は見習ったのだ。ただ日本はマカオよりも優れている点があった。“面白いゲーム”や“漫画とのコラボ”や“商品との変換”など、それまでパチンコ業界で培ってきた“遊戯としての企画力”や“操作システム”をマカオなどとは全く違ったものに改良していた。つまり、お金をかけずとも楽しめるカジノ、服装など気にせずとも入れるカジノ、各国語に変換できるシステム、子供たちも楽しめるゲーム機併設、日本のパチンコ台機併設、古代に行われていたギャンブル復活、コスプレ嬢達のドリンクサービス…とにかく“新しいカジノ”“健全なカジノ”“新時代のカジノ”を目指したのだ。これが訪日客に大うけとなって、瞬く間に日本は“世界一のカジノ王国”へと変貌したのだった。こうして30年後、日本では全国に100以上のカジノホテルが稼働するようになり、それを目当てに世界各国から観光客が集まり、国民一人当たり年間100万円のボーナスを還元できるまでになったのだ。かつて“少子化”と“デフレ”で苦しんでいた日本は、カジノによって生まれ変わった。国民の誰もが大らかとなり、豊かさを享受してのんびり暮らしている。本当の“精神的な豊かさ”とは、こういうところから産まれて来るのだと、ようやく気づいたようであった。

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