9月, 2016年

父親が消える「奇妙な家族」の裏事情

2016-09-18

近年は体外受精による“妊娠・出産”もそれほど珍しいことではない。そういう話なのかと思っていたら、長野の病院で行ってきた“体外受精”は少し違っていて、夫が“無精子”と判明した場合、夫の父親、つまり義父が夫に代わって“精子提供者”となり、それを妻の子宮に移して妊娠・出産する形で、これまで173人の子供が誕生しているのだという。もちろん、夫と妻の“正式な実子”として産まれて来ることになる。誰もが思うように、これは事実上の“詐欺行為”であって“義父の児”を授かったに過ぎない。妖しい官能“近親相姦”小説によくある「実はお義父さんの児なの…」というやつと一緒のような気がするが、そういう“妖しい関係”とはならず「やっぱりお義父さんに似ているのねえ…」で留まるらしい。う~ん、本当なのだろうか。これが会社経営者の父親と専務の息子の関係で、嫁が苦渋の決断で“義父の精子”を受け入れ出産していたような場合、夫は同じ屋根の下で“自分の父親が生まれて間もない息子を抱く時”果たして平静でいられるものだろうか。無精子の自分よりも父親の方に“息子を差し出し勝ち”なようすを心穏やかに見ていられるものであろうか。父親は“孫”を抱いているのだが、明らかに“自分の後継者”となる、文字通り“血を分けた子”を抱いているわけで、それが“美しい嫁”の出産した子であれば、寄り添うのはしだいに“嫁の方”となり、専務である夫の方は“地方の支店長”を兼ねて単身赴任するようになってしまう。などという“妖しい妄想”がどうしても抜けない。時折、私のところにも“無精子ではない夫との体外受精”の相談を受ける。どうしても子供がほしい夫婦は意外なほど多いものだ。けれども、元々「子供運が良くない生まれ」の場合、無理に子供を作ることは“運命に逆らうこと”で、妊娠・出産しても、その後、子供の病気や子育てのことなどで“悩みを抱える”ケースは多い。「運命」は大いに“活用すべきもの”ではあるが、多数の相談例から“逆らうもの”ではないような気がする。

“普通がいい”と再認識させられること

2016-09-17

9月16日からニューヨークのグッゲンハイム美術館に、アート作品と実用試作品と両方を兼ねた「純金製便器」が登場した。イタリア人アーティストによる“一応アート作品”なのだが、実際に試してみたければ“それもOK”というトイレットだ。もっとも常に警備員が二人就くというから、そして見物客が待っているから、落ち着いて用を足す雰囲気にはならないだろう。というか、外側だけでなく、その内部まで純金に光り輝いているのだから、よほどの勇者でなければ汚す気になれないような気もする。そういう便器が登場する一方で、インドネシアのセマランでは「便器カフェ」がオープンし、注目を集めている。こちらの方はアート作品ではなく、ごく普通にインドネシアで使用されている便器だ。その便器がテーブルラインに二つ並べてあって、その便器の中に“ミートボール入りのスープ”が9割方を埋めている。その便器を囲んで椅子を出し、それぞれ自由にすくって食べたり飲んだりして良いというカフェだ。若い人たちが実際に集まって談笑しながら飲食している。実は、インドネシアは便器の普及率が悪く、屋外で用を足す人が多く不衛生なので、或る種キャンペーンを兼ねての「便器カフェ」オープンらしい。その苦肉の策は解らないでもないが、そうはいっても“ミートボール入りのスープ”というのは、あまりに生々しくて食欲減退なんですけど…。ということで、世の中、新しいものが続々誕生するけど、やっぱり“普通が一番”と思うのは、流行に乗り遅れているからなんだろうか。そういえば、先日、実弟と逢った時、スマホも携帯電話も持っていないと言ったら眼を丸くしていた。う~ん、確かに遅れている。

「ニッポン」から“恋の歌”が消えていく理由

2016-09-16

最近、“恋”を歌った大ヒット曲が出ない。誰もが口ずさむような“恋の歌”が無くなってしまった。70年代、80年代、あれほど次から次へと誕生した“恋の歌”が、なぜ出現しなくなってしまったのだろう。大ヒットしなくなってしまったのだろう。自己啓発のような“応援歌”とか、奇妙で抽象的な“生きている理由”を並べた歌はヒットしても、もっと単純で、もっと自然な、青春期特有の“熱い想い”が歌われていない。いや、歌われているのかもしれないが大ヒットしていない。いや、どういう歌でも良いが、誰もが“自然に口ずさみたくなる歌”というものがない。そういう歌は“昔の歌”でしか思い浮かばない。そう思っていたら、最近の調査で18歳~34歳までの未婚男女の8割以上は「結婚願望を持っている」のに、特定の「異性の交際相手がいない」人が男性7割、女性6割に達していることが判った。この数字は過去最高らしい。18歳~34歳と言えば、どんなところで、どんな暮らし方をしようと、異性への想いが“抑えようもなく湧き上がってくる”年齢ではないか。それなのに、特定の“交際相手がいない”とはどういうことだろう。つまり「歌を忘れたカナリア」ならぬ「恋を忘れた青春期」を過ごしているということなのか。そういう人たちが6割以上を占めているのであれば、“恋の歌”が大ヒットしないのは当然のことだった。“片想いの歌”すらヒットしないのは、“恋なき青春”が当たり前になりつつあるからなのか。ここで見逃してはならないのは、結婚願望は8割以上が持っているという事実だ。そうだとすれば古典的な「お見合い」制度を復活させた方が良い。元々“恋心”というものは、映画『男はつらいよ』の“寅さん”のごとく単純で発作的なものである。そして理性を情感が上回っているから成立するのだ。それが乏しい以上、古典的な「お見合い」制度の方が“良い結婚”に結び付く。今こそ“世話好きなおばさん”が大活躍すべき時期なのだ。

「乙武」氏と別れた妻子が“背負う十字架”

2016-09-15

今年の春に“不倫報道”が週刊誌にすっぱ抜かれ、その後、別居していた乙武洋匡氏夫妻が正式に離婚した。乙武氏に関してはさまざまな報道が既に出ているので、それらにはあえて触れない。私が思うのは離婚された妻・仁美さんと三人の子供たちの今後についてである。仁美さんは、乙武氏との離婚について、子供たちにどう伝えたのだろうか。乙武氏は、自身の言葉として「今後も父親であることに変わりはなく」「責任をしっかり果たしていく」などと綴られている。おそらく、この文言からすると、養育費は払い続ける、時々逢わせてもらう、という条件で合意したのだろう。大学時代から一緒だった仁美さんは、あらゆる意味で“乙武氏を知り尽くしている”から、自分が“妻であった”ことに後悔はないだろう。そして未練もないだろう。或る意味、彼女は“大きな子供”を15年間、育てたのだ。そして“本当の子供たち”の方を向いた時、離婚を決断したに違いない。子供たちに対して、どう伝えたのかは知らないが、子供たちがどう受け止めたかは、年齢から考えても、それぞれが微妙に異なっているような気がする。但し、全員「五体不満足」の父親を持った十字架は背負わなければならない。いやでも背負わなければいけない。乙武氏自身は“障碍者との交流を嫌った”というが、子供たちはどうするのだろう。“健常者”を選ぶのだろうか。パラリンピックを見るだろうか。「乙武」という珍しい姓を名乗り続けるのだろうか。『五体不満足』を読むのだろうか。年老いた父親に“手を差し伸べる”だろうか。もし、今後、仁美さんに“ふさわしい男性”が出現したとき、子供たちはどう反応するのだろうか。

嚙み合わない会話

2016-09-14

途中から“何かが違う”と感じ始めていた。けれども、それが“何なのか”わからなかった。“何なのだろう”と自分に問いかけた。ぼんやりと“虚勢かな”と感じ始めた。実弟は3歳下だ。昨日、私の記憶が確かなら15年ぶりに逢った。前は東京に私が仕事で出掛けたときに逢ったのが最後だった。正直、弟が今回、何でやってきたのか、私には分からなかった。登別の実兄のところに一昨日泊って特急で札幌まで来た。私は義母の危篤状態が続いているので、夕食を共にするのが精いっぱいだった。私のところは妻も闘病中である。実際に逢っていて、私は弟の仕事もプライベートも、近況を何一つ把握していないことに気付いた。それを訊こうとしたが、あまり触れてほしくないようだったので質問を変えた。弟は、昔、私に対して借金をしたのだが、もちろん、そのことに対しての話など一切出さない。別に返してほしいわけでも、問い詰めるつもりもないが、せめて病気の“見舞金”くらいは包むのが礼儀であるような気はした。もっとも、実の兄弟なので、それはそれで“他人行儀”なのかもしれず、私は弟がとりあえず“元気で逢いに来てくれた”ことを喜ぶべきなのかもしれなかった。弟は、私に対する質問はほとんどしなかった。自分の“自慢話”ともいえるようなことを得々と語った。昔から“虚栄心”の強いところがあった。私は本当に久しぶりに逢ったのだが、弟から親戚の情報を得ることに作戦を変えた。それらを知って、もう十分な気がした。弟の腕は“毛むくじゃら”で、そこだけ欧米人のようであった。髭剃り後も濃かった。毎日、ジョギングをしていると言っていたが、ポッコリとお腹が出ていて、どう対応して良いか分からなかった。まあ、私も太りだしているので偉そうなことは言えない。結局、大昔の“同僚”に逢ったような違和感だけが残った。

「自責の念」は“不運”を招きやすい

2016-09-13

誰でも人生に一度や二度は「自責の念」を抱き、過去の“自分を責めてしまう”ような出来事が起こる。もし、あの時、違った方法をとっていれば、現在のように苦しまないで済んだのではないかとか、失敗せずに過ごせたのではないかとか、別れなくても済んだのではないかとか、病気にならなかったのではないかとか、経済的に困らなかったのではないかとか…自分自身を責めてしまうような体験を持つ人は多い。世の中に“完璧な人間”などいない。それは誰しも解かっているのだが、もっと落ち着いて考えていれば、人の意見を入れていれば、感情に走らなければ、将来を考えていれば…今日とは違った状態を作り出せたに違いない、そういう思いが深まれば深まるほど“自責の念”を強くさせる。こういう思いを抱きやすいのは、性格的に真面目で思慮深く、人生のすべてを真摯に受け止めながら生きている人たちだ。けれども、運命学的にみると、この「自責の念」は“人生の時計を止める”危険な発想につながりやすい。つまり、その“後悔発生の時点”から身動きできなくなってしまうからだ。人生には理不尽なことも多い。運命には不公平な部分も多い。けれども、だからと言って、その時点にこだわりすぎると、人生が“後ろ向き”なものになる。前へと進めなくなってしまうのだ。誰でも失敗はする。間違った判断を下すこともある。愚かな行動をとることもある。感情に走ることも、衝動的に動くことも、頑固に拒否することもある。それらは仕方のないことである。“仕方のないこと”と割り切らなければ“後戻り”ばかりで前へと進めなくなってしまうのだ。しかも、“自責の念”は過去に戻る行為だが、実際に戻ることはできないので、結局、未来につながる映像として“投影”される。何度も、繰り返し“投影”されるので、未来に“似たような場面”が出現しやすくなる。だから危険なのだ。「自分を許す」ことで“新たな未来”が投影され始めるのだ。

「神」が教えたもの

2016-09-12

「9.11同時多発テロ」事件から15年が経った。あの日、あの時間、私はたまたまTVのニュース番組を見ていた。突然、速報という形で画面が切り替わり、テロ事件を報道し始めた。驚くべき光景が次々と画面に流れた。リポーターも興奮していた。同じような形での報道を、その後一度だけ、われわれは経験した。「東日本大震災」だった。あの日も、同じような形で“震災場面”に切り替わり、驚くべき光景が次々と流れた。「東日本大震災」の方は“天災”だったが、「同時多発テロ」の方は“人災”だった。待てよ。本当に“人災”なのだろうか。事件を引き起こした人々は、最後まで「神は偉大なり」の呪文を唱え続けていた。どの“テロ事件”でもそうだった。イスラム教徒が引き起こすテロ事件では、首謀者たちは例外なく“熱心なイスラム教徒(正確にはイスラム原理主義者)”であり、神の御心にかなう行為として、彼らの言う「聖戦」としてテロが実行される。そこに犯罪者としての“ためらい”はない。彼らの解釈では、神の“教え”を忠実に実行した「聖なる行為」なのだ。そこには、通常、われわれが幻想するところの「神」はいない。もっと荒々しく“敵を懲らしめる”鬼のような存在が認められるだけである。もしかすると、われわれ日本人が“なんとなく連想する神”とは「キリスト」をイメージする神であって、それだけが「神」とは言えないのかもしれない。実際、イスラム原理主義の“教え”は、あまりにも“規律”に満ちていて、とても日本人のような“自由社会”で育った人間が受け入れられるようなものではない。例えばラマダン期間中は“飲食をしない”という掟、“一日5回の礼拝”という掟、“女性は人前で肌を見せない”という掟、そして何んと“男性は4人まで妻を持てる”という掟、これらの掟が別に原理主義者でなくても“普通に実行”されている。或る種、恐ろしい宗教なのだ。けれども、そのイスラム教徒の数は全世界で15億人もいる。こういう無茶苦茶な“掟”に違和感を覚えない人たちが15億人もいるのだ。そして、その数は減るどころか増え続けていき、やがては22億人のキリスト教徒を“抜いていく”と予測されている。もう「日本の神様?」など“出る幕”がなさそうなのだ。だから、きっと50年後の日本人は“似非イスラム教徒”となって、“隠れアマテラス”を祈っているのに違いない。

頑強な精神が“世界王者”を作る!

2016-09-11

「子宮体がん」で治療を受けなければ“余命一年”と宣告されながら、世界選手権に挑み続けた人物がいる。プロバックギャモンプレーヤーの矢澤亜希子氏だ。「バックギャモン」というのはボードゲームの一種なのだが、世界に3億人プレーヤーがいるメジャーゲームの一つだ。実はこのゲーム、私は知らなかったのだが日本に入ってきたのは古く奈良時代にさかのぼる。そして平安時代に貴族の間で大流行したゲームなのだ。ただ少し賭博性があるため幕府から禁止令が出されて、その後密かに命脈が絶たれた。彼女は、このゲームを大学時代に旅行先のエジプトで知った。そしてぐいぐい引き込まれていった。2004年、日本のタイトルを初めて女性で獲得した。2012年にはモナコ王国で行われる世界選手権の一部門で優勝し「矢澤亜希子」の名を世界に知らしめた。丁度そのころ「子宮体がん」が発覚したのだ。けれども、彼女はひるまなかった。ドクターストップが掛かっても、カツラを被って世界各国の大会に出まくり、優勝や入賞を重ねた。世界に3億人のプレーヤーがいるが、女性は少なく5%未満と言われる。したがって闘うのは常に男性たちだ。「泣いている時間を努力に変えよう」がスローガンである。抗がん剤の影響で頭がふらふらしても、それを敗戦の言い訳にはしない。その結果、2014年にはモナコの世界選手権で女性初の「世界王者」となった。彼女はゲームでもチャンピオンだが、病魔に負けない精神力の強さでも誰もが認める“世界チャンピオン”に違いない。

「内縁」と「事実婚」と「同棲」の違い

2016-09-10

タレントの藤崎奈々子さんが“十年間の事実婚”をTV番組内で語ったようだ。「事実婚」という言葉、なんとなく引っかかる。「内縁」や「同棲」とは何が違うんだろう。この三つの違い、知っていそうで知らない人が大半ではないだろうか。特に、内縁と事実婚とは何が違うのか。実はどちらも“入籍しない婚姻状態”をいうのだが、“内縁”の方は双方とも婚姻の意思があるが、婚姻届けを出せない社会的要因を持っている同居生活のことらしい。その多くは“正式離婚”していないので、或いはできていないので、仕方がなく未入籍となっている状態を指す。私は昔、夫の元を飛び出して8年になるが“籍を抜くことができない”で苦しむ女性から何度も相談を受けていた。親や親戚から強力な反対あって“入籍できない”場合もある。それに対して“事実婚”というのは、双方とも婚姻の意思を持っているが、意図的に“入籍したくない理由”があって、未入籍となっている同棲状態を指すらしい。例えば“姓の変更”を嫌うとか、“妊娠・出産”を嫌うとか、“親戚関係の拒否”とか、“相続関係の拒否”とか、いろいろな理由から“未入籍を選択”している状態を指す。そういえば「子供が生まれたらどうするんだ、と言ったら、その時考える、と息子が言うんですよ」と嘆いていた父親がいた。さらには同性愛から“事実婚を実行”しているカップルもいた。近年はフランスなどで「事実婚」を選択する人が多くなっているというが、これから日本でもそういう人たちが増えていきそうな気がする。もう昔のように「既婚」と「未婚」の二つだけではなくて、さまざまな選択肢の中から“どれにしようかな?”という具合に「結婚」を考えていく時代が、なんとなく私には“寂しい時代”のような気もするが、迫ってきているのかもしれない。

安心の“ひきこもり”と、心配の“ひきこもり”

2016-09-09

内閣府で「ひきこもり」の実態調査が行われた。とりあえず全国で50万人以上の“ひきこもり”が存在していることが確実となった。もちろん“ひきこもり”の線引きは難しいので、実際の人数がどれくらいかは本当のところわからない。ただ50万人以上は確実に存在しているというだけで充分である。思えば私自身も、十代の一時期“ひきこもり”状態だった。今考えると、私は時代的にずれていれば特別“珍しい存在”ではなかったのだが、何しろ大昔なので当時としてみれば“珍しい存在”だった。実は“ひきこもり”だけでなく、“不登校”や“リストカット”など、それから何十年も経って流行(?)するようなことを行っていたのだが、今から思うと、みな懐かしい。そうすべてが“懐かしい出来事”で、夢の時間のようでさえある。人は多かれ少なかれ青春時に悩むものだ。早熟だった私は、十代半ばで一時的に“時間が止まり”、そういうような恥ずかしい「さまよえる時間」を過ごしたのだ。そして、そうだからこそ、人一倍“人の傷み”が分かる人間に成長したのだと今は思っている。あの一時期がなければ、私は「占い」世界に身を置いていたとしても、多くの人たちの“傷み”を実感として“理解できる人間”とはならなかったはずで、そういう意味でも貴重な時間だったと思っている。人は、人生の一時期、道を外れたり、しゃがみこんだり、身動きができなくなったりする時がある。それはそれで後から“貴重な体験”となる。だから、焦りさえしなければ、自暴自棄となって放棄さえしてしまわなければ、必ず、“やり直そうとする”本能が働く。そういう可能性のある“ひきこもり”は、だから安心して良いのだ。見守ってあげるだけでよい。心配な“ひきこもり”は“完全拒絶型”で、周囲すべてに反抗的なタイプだ。犯罪予備軍的な要素を持っている場合は、優しさや放任が“逆効果”となるので注意しなければならない。

自らが創り出す「未来」

2016-09-09

占星学や推命学の研究者の中には“先天的な運命”を動かしがたいものとして、本人の“意志”とか“選択”とか“努力”などを認めないような判断の仕方をされている方が多い。私自身も占星学や推命学の研究者であるから“先天的な運命”を否定するものではない。ただ「1」~「10」まで“運命のまま”進んでいくかのような“固定的人生”を押し付けるようなことはない。それに実際、人間の運命はそれほど“融通の利かない”ものでもない。ここが誤解を受けやすいところなのだが、確かに「運命の大枠」はある。それは動かしがたい。けれども逆にいえば、その“大枠”から外れなければ、人生はいくらでも“変更可能”なものなのである。そういう事例を山ほど見てきた。ここで重要なのは、まず“大枠”は変えられないということ、幼い頃の家庭環境、先天的外貌や肉体的優劣、素質や才能、性質や愛情傾向、社会的な特徴、私生活の特徴、運命的な出来事、運勢の強弱時期などである。これらは“大枠”として決まっている。そして、それらは変えようがない。けれども、それ以外に関してなら、或いは“大枠内”であっても、その“内部での具体的な変化”であれば、どのようにでも変えられる。したがって、人生を大きく変えていくことは、実際にはそれほど難しいことではない。ただ、タイミングを間違えると、或いは方向性を間違えると、結局、逆戻りするとか、取り返しのつかない状態を引き起こすこともある。そういう意味では、くじけず、慎重に、何度もアタックする人が最終的には成功を勝ち取りやすい。すぐあきらめてしまう人、努力の足りない人、慎重さに欠けている人、焦りすぎる人、勘が鈍すぎる人、臆病すぎる人は、先天的運命のまま流されていくことになりやすいものである。

大切なのは“先天的な運命”は受け入れながらも、それを土台として“新たな未来”を創造していくのだ、という意識に切り替えることである。“先天的な運命”を頭から認めたがらない人もいるが、現に存在している部分はいかんともしがたいのだから、最初から受け入れてしまった方が良い。例えば“幼い頃の家庭環境”などは自分自身ではどうすることもできない。そこから人生は始まっているのだ。けれども、不遇な家庭環境の中で人一倍“忍耐力”や“持久力”、或いは“意志の強さ”や“克己心”、さらには“ひたむきさ”や“勉学心”が育まれることもある。人生、何が幸いするか、解らないものなのである。だから、よく貧しい家庭に育ったことで“最初からハンデを背負っている”かのごとくいう人がいるが、人生挫折の言い訳に過ぎない。それをばねに成功していく人も世の中にはたくさんいるからだ。

私は或る時期から「未来」は“自らが創り出していくもの”だと思うようになった。もちろん、先天的な「大枠」をはみ出さない程度の人生である。すでに述べたように「大枠」は一般に考えられているほど“固定”されたものではなく、その枠内に収まる限り“変幻自在”のものなのである。これを理解するためには、例えば同一生年月日の“著名人たち”を比較してみるとよい。運命学的には“生まれ時間”も加わらなければ本当の意味での同一とは言えないが、とりあえず生年月日だけでも興味深い事実が浮かび上がってくる。同じような分野で成功している人たちに同一生年月日が多いのだ。例えば石原慎太郎氏と五木寛之氏がそうである。二人とも作家で若くして成功し、時代に先駆けて“若者の生き方”を作品の中で問いかけ、多くの反響を生んだ。二人とも小説以外でも活躍し、ともに思想書、宗教書を執筆している。若くして世に出た二人だが、老齢となった現在でも第一線で活躍している。人生上の大枠だけを捉えれば、二人とも驚くほど似ているのだ。このように丁度、望遠鏡で“その人の人生を覗く”ような捉え方をすることが、先天的運命を把握する場合の秘訣である。こういう“大枠”だけ外さなければ、あとは自由に“未来”を選択できる。自由に“未来”を創造していけるのだ。創造としての想像は、具体的であればあるほど良い。但し、現在の延長線上にある形として“想い描く”方が実現しやすい。頭の中に想い描くだけでなく、感情を伴わせて想い描くことが大切である。これが自然にできるようになれば、その“想い”は確実に実現へと向かっていく。但し、必ずしも“創造された未来”がそのままの形で実現するとは限らない。多くの場合、実社会が“受け入れやすい形”に変容して具体化していくからだ。われわれの潜在意識は“善悪の判断”を持たない。だから時々、重大な犯罪を犯す人間がこの“想い描く”方法を使って、犯罪を創造し、実行に踏み切ってしまうのだ。したがって、どういう未来を想い描いても良いが、その想い描くことが社会的に見てどうなのか、理性的に考えてどうなのか、その点だけは実現してから後悔しないためにも、ゆめゆめ忘れてはならない。

「生きようとする人々」と「死のうとする人々」

2016-09-08

私の義母の死が近い。そういう人々が入院する「緩和ケア病棟」に見舞いに行く。そこでは誰もが“死が近い”ことを意識しながら、それでも必死に生きようとしている。確か作家の渡辺淳一氏だったと思うが、自らが医師だった経験をもとに、人は身近に迫った“死”を受け入れながらでも、本能的に“生きようと努力する”ものだと記していた。一方で、全国の四万人に及ぶ調査で、ここ一年の間に「本気で自殺したいと考えたことがある」と答えた人が成人で“4人に1人いる”ことが分かった。自殺未遂の経験者は53万人と多く、そのうちの半数以上が20~30代の若い人たちである。実際、毎年、2万人以上が自ら命を絶っている。「生きようとする人々」と「死のうとする人々」は、残念ながら“入れ替われ”ない。私自身、十代半ばで“自殺未遂”の経験を持つ。だから「死のうとする人々」に“偉そうなこと”など言えない。そういう時には、周りが見えなくなっているし、将来を悲観しているので、今の“苦しみから逃れたい”一心でしかない。ただ、そのあとで実姉から「生きていたら良いこともあるよ」と言われた一言が今も残っている。若い頃、苦悩しながら生きて来た人には、共通して“人間としての理解力と奥深さ”があるものだ。“死と隣り合わせの体験”を持つ人には、人生を無駄にしてはならないという“身体に染みついた掟”のようなものを感じることもある。“普通に生きていること”が、とても「幸せ」に感じられる日、人はちょっとだけ神様から褒められているのかもしれない。

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