10月, 2018年

JT610便に乗り遅れ「救われた命」

2018-10-31

時々、なぜそういう現象が起こるのだろうと不思議に思うことがある。29日に墜落したLCCライオン航空JT610便に搭乗予定だった人物がいるからだ。ソニー・セティアワン氏はインドネシアの財務省の職員で、毎週のようにその時刻の便に搭乗していた。その日も、いつもと同じ時間帯で家を出たのだが、交通渋滞で大幅に空港への到着が遅れて、その便には間に合わなかった。その結果、189人全員が絶望とされているJT610便の次の便へと切り替えざるを得なかった。つまり、遅れてしまったために“命拾い”をしたのだ。時々こういう話を聞く。この人の場合、いつもと同じ時間帯で家を出ている。そういう点では、何らの“引き止め”もなかった。ジャカルタの交通渋滞に巻き込まれたのだが、本人も、何故あの時だけあんなに渋滞したのかわからないといっている。問題はここである。その人、一人の命を救うためだけに渋滞は起こったのだろうか。そんなはずはない。ジャカルタではいつも起こっている。たまたま、その日だけ特別渋滞が異常に長かった。もしも、彼が予定通り行かないことに焦って別の道路を選択したならどうなったのだろう。もしかすると、ここに“運命の分かれ道”があるのかもしれない。彼は、いつもの時間に家を出て、いつもの道路を走った。本来なら余裕で間に合うはずなのに、このままでは“いつもの便”に乗り遅れてしまう。それでも彼は焦らず、仕方がないと割り切って次の便を選んだ。人生には、時々、予定外のことが起こって計画通り、予定通りに行かないことが起こる。その時、どうしても本来の計画通り、予定通りに進めようとするか、それとも、それはそれで“運命”として受け入れるか、瞬時の判断や決断を必要とするときがある。結局、アクシデントを“運命”として受け入れた方が、“最終的な幸運”を手に入れるケースが多いような気が私にはするのだ。それにしても「安い」という言葉には「危険」という言葉がついてまわっていることを、今回の格安航空の事故は教えようとしている。

経済誌が「孤独」を特集する時代

2018-10-30

『東洋経済』という雑誌が「孤独という病」を特集している。当たり前の話だが、その名称の通りビジネスマン向けの経済誌であるから、本来ならコラムとしても扱わないような内容を何故か特集しているのだ。その理由は、現役世代にも“孤独死”を遂げる人たちが徐々に増えてきているからであるらしい。つまりビジネスマンの“緊急課題”として、仕事よりも、経済よりも、まずは“孤独死”を取り上げるべきという理由からのようだ。実際に“孤独死”を遂げる人たちがどれくらいいるのかというと、年間3万人である。一般的な感覚からすると、その多くは“老人”と思いがちであるが、実際には老人は思いのほか少ない。どうしてかというと、現代は各地域で民生委員とか福祉関係者とかが“老人世帯”に関しては或る程度把握していて、日頃から連絡網が行き渡っているからだ。その点、現役世代に関しては“単身”であっても干渉しないのがルールのようになっている。したがって、病気になって周りとの“接点”が失われたとしても、本人が助けを求めなければ、見過ごされがちとなってしまうのだ。しかも現代人の中には、病気になっても、途中から通院や入院を嫌う人たちが多くなってきた。各種の手続きや申請が複雑であり、待ち時間も長いので、それ自体が病人にとってはやっかいであり苦痛でもある。身内が傍に居れば手伝ってもらえるが、そうでない場合には病人自身がすべて行わなければならない。結局、途中から“生きる”ということを投げ出すようになる。一つの実例が掲げられている。若年性がんに侵された30代の男性は、社労士事務所に勤めていたが休職し、実家の両親には心配をかけまいと何も話さず、マンションの一室で終日過ごすようになった。毎月、母親からは息子の為に手紙と野菜が送られてきていた。結局、彼の死を発見したのは、住人から「異臭がする」ということで駆け付けた管理者たちであった。近年、この彼のように“親には心配や迷惑をかけまい”とする若者が多くなった。それは明らかに間違いである。親には“心配や迷惑をかける”方が親孝行なのだ。心配や迷惑をかけまいと“孤独死”したからと言って、親に迷惑が掛からないと思うのは大間違いである。親戚や近隣の人達から、ご両親は“無言の責め”を受ける。いや、仮に責められなくても、本人たちが強い“自責の念”を持つ。死ぬまで持ち続ける。つまり、父母が死ぬまで“迷惑をかけ続ける”ことになる。それよりは実家に戻って、親元で治療した方が治る可能性だって出て来るかもしれないのだ。いや治らなかったとしても、親の方には“最期まで世話した”という満足感が残る。人は誰でも、自分にできる“精一杯のこと”をしたいという想いで生きている。親に“迷惑をかける”ということが、親孝行の場合だってあるのだ。

日本人が「二分」されてきた

2018-10-29

最近のアンケート調査を見ると、近年まで一枚岩だった日本人が、徐々に“二分化されている”ことをひしひしと感じる。あらゆる部分での“二分化”で、その典型が「日本の未来像」に対する考え方の二分化だ。外国人労働者の受け入れに関しては、賛成が51%、反対が39%。移民の受け入れに関しては賛成が43%、反対が44%。「自衛隊」明記に関しては賛成が42%、反対が40%。憲法改正に関しては賛成が40%、反対が47%。このように、ほとんどの質問に対して「賛成」「反対」が似たような比率となっていて、考え方の統一性が失われ始めているということだ。良く捉えれば、それだけ日本人も“自分が望む日本の未来像”をしっかりと考え始めた証拠ともいえる。或いは、世代によって、個々の生活状況によって、見方が分かれて来ている証拠かもしれない。自衛隊や憲法改正に関して、基地・駐屯地の近くに居住している方々の場合、或いは自衛隊員を家族に持っている場合、自ずと真摯な観方からの回答となるだろう。外国人労働者や移民に関しても、自分が関わる職種によっては“その必要性”を強く感じている場合もあるだろう。逆に、外国人に対して、過去の体験から拒絶反応を持つ方もおられるだろう。「日本の未来像」としてどちらが正しいというよりも、自らの体験や生活状況が、賛成・反対の決め手になっている場合が多いのかもしれない。私自身は、介護や医療などの分野に外国人労働者が来てくれるのは喜ばしいことだと思っている。各地の観光地では、言葉や接客販売の必要性からも外国人を必要としている。建設現場の働き手としても、外国人が重要になりつつある。日本の場合、自衛隊が実質の軍隊であることは世界の“共通認識”である。誰でも「戦争」などしたくない。けれども今だって日本は、米中の“貿易戦争”に巻き込まれてしまっている。明記してあるとか、してないとかの問題ではなくなっているのだ。

オトコの「浮気」とオンナの「変身」

2018-10-28

歴史をひも解くと「そこは黙って通り過ぎようね」と言いたくなるような出来事に出くわす。このほどオランダのライデン大学図書館でドイツ人医師シーボルトに当てた“日本人妻おたき”からの書簡が見つかった。もちろん日本語で書かれたもので、3m以上に及ぶ“巻物形式の手紙”だ。鎖国時代に長崎の出島で医師として活躍したシーボルトだが、日本地図を国外に持ち出そうとしたとして“スパイ罪”に問われ、国外追放処分の身となった。その本国への帰国途上で、シーボルトは日本に残した妻へ手紙を送っていた。オランダで発見されたのは、そのシーボルトの手紙に対しての返信で、しっかりとした妻らしい内容の文面である。追放後の境遇を書き「涙が出ない日はない」と心情を綴っている。実は彼女がシーボルトと初めて逢ったのは17歳の時だとされている。元々遊女だという説が有力だが、その反証があるという説もあり、判然とはしていない。ただ手紙の内容を見る限り、少なくとも“現地妻”としての意識を、双方とも抱いていたことは確かなようだ。シーボルトの子である“おいね”についても書いていて、母親としての自覚も感じられる。けれども、やがて、おたきは再婚してしまう。もしかするとシーボルトは“もう来ない”と踏んだからかもしれない。ところが、32年後、シーボルトは再び日本にやって来た。そして、我が娘“おいね”とも会って医学を教えたのだが、彼女が雇っていた“若い娘”に手を出し身ごもらせている。娘としては複雑な胸中だったに違いない。それに“おいね”にはもう一つ屈辱があった。父親が日本を追放された後、シーボルトの高弟であった日本人から強姦されているのだ。今回の発見は、単純に言えば日本を追われた医師と、残された妻との“愛情あふれるやり取り”を印象付ける内容なのだが、そのどちらもが“当初の想い”は消えて、それぞれが“別の道”を歩み、その娘だけが“十字架を背負う”哀しい物語なのだ。

「中国&ロシア」と手を繋げば「北朝鮮」が寄って来る

2018-10-27

紀元前の昔から“変わらない法則”というものがある。「国家」の繁栄が続くには、その周辺諸国から侵略される心配がなく、良好な距離感で交易が行われていることだ。そういう点では、日本を取り囲んでいる諸国、韓国、中国、北朝鮮、ロシア、台湾、そして遠いがアメリカという国々に日本は囲まれている。侵略という点で言うと、怖いのは「中国・ロシア・北朝鮮」の三国である。だから未来志向で言うならば、これらの国とは手を繋げるときに、手を繋いでおいた方が良い。もはや“アメリカさん”の守りなど、あまり期待しない方が良い。“アメリカさん”の守りが期待できない以上、一番、防衛で“安上り”なのは“危ないところ”と仲良くしておくことである。そして交易しておくことである。紀元前からの“歴史”は、そういうことを学ぶためにある。そして今、中国は日本に対して、手を差し出している。自分の方から手を差し出して来たのだ。数年前には考えられなかったことである。こういうチャンスを逃してはならない。今、中国は“アメリカさん”に嫌われたことで「やっぱり礼節をわきまえる日本人の方が良いや」と思い直したのだ。今や日本人は“欧米人”と“アジア人”とのハーフのような存在に仕上がっている。少なくとも中国人たちから見ると、そういう風に見えるのだ。ロシア人にとっても、その点では同様であろう。日本人はヨーロッパ人にはない“理解力”というものを持っている。主義とか思想とかを超えた“親切心”を持っている。「北方領土」さえ持ち出さなければ、もっと友好的になれるのに…。もちろん、日本人にとっては“譲れない部分”かもしれないが、その部分を凍結してでも“握手”しておいた方が良い。両国と仲良くすれば、黙っていても「北朝鮮」がすり寄って来る。北朝鮮がアメリカに対して強気なのは、その背後に中国とロシアがいるからである。日本が中国やロシアと深く手を結べば、嫌でも北朝鮮は日本と向き合う。その代わり、日本も北朝鮮を“悪者扱い”しすぎないことだ。単純な金正恩氏は、豹変したように日本を持ち上げだすことだろう。

「裸」から始まり「裸」に終わる

2018-10-26

通常「裸」関連のニュースを取り上げる場合、女性を取り上げるのが相場だが、ここで取り上げるのは男性であり、それも「裸一貫」から始まって「裸一貫」に終わって逝った、という人物の“生き様”だ。「ホスト界の帝王」とも呼ばれた人物、それが裸一貫からホストとして成功し、自らも多数のホストクラブを経営した愛田武(享年78)氏であった。1971年に新宿歌舞伎町で「クラブ愛」を立ち上げ、城咲仁氏等の“有名ホスト”を誕生させ、辣腕経営者としてマスコミの脚光を浴びるようになった。日本経済の活気とホストブームに支えられ、連日大盛況で列をなしたと伝えられる。ところが自らの子供が次々自殺するなどプライベートは穏やかではなかった。やがて凋落が始まり、3度の脳梗塞で身体も自由が利かなくなった。結局、最期は都内近郊の老人ホームで孤独な晩年を過ごしていたらしい。そう言えば俳優の山城新伍氏も、その晩年は老人ホームで孤独のうちに亡くなった。タレントの飯島愛さんも晩年は孤独で不遇だった。人間には“さまざまな生き方”があるので、どれが「正しい」と一概には言えない。彼らの“生き方”にしても、“華やかな時代”に比べれば晩年は不遇であるが、元々「裸」からスタートしているのだから、最期が「裸」で終わったとしても、案外、悔いはなかったかもしれないのだ。実は、日本のバブル期に“巨万の富”を築いた人たちの多くが、その後に“経済的破綻”を招いている。歌手の千昌夫氏や畠山みどり氏などその典型である。その生涯において、一度も失敗しなかったような人はいない。そうだとすれば、一時期であっても“黄金時代”を築くことの出来た人達は、運命に沿った人生を歩んだ幸運児だったといえるかもしれない。

深海から蘇る「2400年前の船」

2018-10-25

あまり大きく報道されていないが、10月23日に一つの注目すべき事実が明らかにされた。黒海の海底に大小60隻以上の船が沈んでいて、その多くは水深2000メートルの地点にあって、有機物が付着しないため無傷のままであり、ガス田調査などに使われる遠隔操作可能な“深海カメラシステム”を活用することで、これらを映像化できるというのだ。その中でも、古代ギリシャの交易船とみられる船が無傷のまま見つかっており、放射性炭素年代測定によって約2400年前の船であることが確認された。おそらく、これは完全な形で見つかった“世界最古の船”として注目されている。かつてギザの大ピラミッド脇の竪穴に“解体した形での船(太陽の船)”が見つかって騒然となったが、今回は中身の詰まった“貿易船”であり、何が出て来るのか、そういう意味でも興味深い。前400年頃と言えば、古代ギリシャ文明の最盛期であり、多くの哲人たちが出現した時代でもある。海底というのは、地下と異なり、発掘しようと、引き揚げようと、許可さえとっていればどこからも文句が出ない。ただ莫大な費用が掛かるだけである。そのため深海に眠っているのはわかっていても、そのままになっている船や遺跡も多い。クレオパトラ時代の遺跡など、アレクサンドリア近海に眠っているのはわかっていても大した調査・撮影や引き上げは行われていない。もっとも今回のような深海でなければ遺跡自体が荒廃してしまっているケースも多い。科学的発明は未来のためのものと思われがちだが、実は“過去の研究”である考古学の分野で大いに役立っていて、今後もさまざまな発見が期待できる。日本近海では、それ以外にも“未来のエネルギー”が海底に眠っている。これからは宇宙にお金を掛けるよりも、海底にお金を掛ける方が、はるかに役立つ時代に入ったのだ。

親の心―岡田朋峰&坂口杏里―子知らず

2018-10-24

2006年に亡くなった俳優・岡田眞澄氏の娘が「2019ミス・インターナショナル日本代表」に選ばれた。故・岡田氏は2005年まで毎年「ミス・インターナショナル」のMCを務めていた。その娘である岡田朋峰さん(20歳)は、抜きん出た美貌で今回グランプリを射止めた。その後のインタビューで彼女は「父は気品がありエレガント」であったと述べた。ミス・インターナショナルの舞台上で、自分の父親に対し「気品がありエレガント」と言える娘がいた。つまり日頃から、家庭の中でも“気品ある振る舞い”をしていた父親がいたということだ。そういう風に振舞い続けていたことはすごい。けれども、この“同じ父親”に対して、二度目の結婚で産れている長男・岡田眞善氏はまったく異なった評価を下す。人前では見栄を張る父親を「人として軽蔑すらしていた」とTV番組のインタビューで語っている。二度目の結婚生活と、三度目の結婚生活とでは、明らかに見えていた“父親像”が違っている。確かに、人知れず努力をして、人前では“優雅にほほ笑む”のがミス・インターナショナルだ。娘にとって、父親は手本となった。その点、俳優となった長男には「岡田眞澄の息子」として周りから見られるのが嫌だったかもしれない。極貧でも“虚栄を張る”父親が許せなかったかもしれない。ところで、岡田氏以外でも、俗にいう“二世タレント”は続々と誕生している。あっという間に成功する者もいれば、親の名だけが“ついてまわる”者もいる。坂口杏里氏は、その代表格だ。生前、母親の坂口良子氏は娘を芸能界デビューさせ、一人前にしようと躍起になっていた。その甲斐もあって「坂口杏里」の名は“バライティ番組”で知名度をアップさせた。ところが、わがままな部分が随所で飛び出し、やがて芸能界から追放されてしまった。その後、風俗や水商売で話題となった時期もあるが、また芸能界に戻りたいと騒ぎ出している。「血は水よりも濃い」で女優としての素質は、それなりにあるとは思うが、社会人としてのマナーや規律は守らなければならない。墓場の母親を安心させるためにも、許されるなら“芝居に情熱を注ぐ”のが、本人に一番向いた生き方のような気がするのだが…。

誰でも「這いつくばって進む」時がある

2018-10-23

今年はスポーツの世界が荒れている。あまりにも“予期せぬ出来事”が多い。10月21日に行われた福岡での通称「プリンセス駅伝」で、途中転倒して右脛骨を骨折し、それでもはいつくばって200m先の次区間走者にタスキを渡したのが飯田怜選手だった。両ひざから出血し、痛々しいまでの姿で必死に這いつくばり続けた。この行為自体に関しては賛否両論がある。まず、第一に“どうして止めなかったのか”という点だ。実は彼女が所属する岩谷産業の広瀬監督はTV映像を見てすぐに「止めさせてくれ」と指示を出した。ところが審判員を載せている観察車には何故かすぐに伝わらなかった。そして伝わった後も、審判員はすぐにストップさせなかった。本人の様子を見て「止めるかどうか迷ったが、もうすぐだったので継続させた」というのだ。この判断は明らかにジャッジミスである。監督がストップをかけているのに、審判員が継続させるというのはおかしい。逆なら、話としてまだ理解できるのだが…。その結果、入院後に右脛骨の骨折が判明した。つまり、走れる状態ではなかったし、這いつくばって進むことも本来なら無理な状態だったのだ。但し、その結果として、無名だった「飯田怜」の名は“全国区”となり、その“ひたむきな健闘”は多くの人に感動を与えた。実業団の駅伝は“単独プレイ”ではない。したがって、自分がギブアップしてしまうと、他の選手たちが走れなくなる。会社を背負っているので、多くの関係者に迷惑が掛かる。スポンサーを持つ多くのスポーツ選手は、だから無理をしがちとなる。その代償として身体に“異変”をきたす選手も出て来るのだ。運命学的に見ると、今回の飯田怜選手に起こったアクシデントは、彼女の人生に「吉」として出るのか「凶」として出るのか、今の時点ではまだわからない。無名だった彼女にスポットライトが当たったことで、実力とは異なるところで“人気運”が作動し始めるかもしれない。或いは逆に、骨折してしまったことで思うような走法が出来なくなり、仕事や生活にも支障が生じて、不遇な人生を歩みだすかもしれない。まだ吉・凶の判断は下し難い。ただ人間というのは、人生に一度くらいは“這いつくばっても”歩まなければならない時がある。どんなに惨めでも、どんなに悔しくても、どんなにつらくても、その歩みを止めることが出来ない時がある。そして、そんな自分を懐かしく思い出す時が来る。

宝石のオマケ付き⁉「ベルばら」カレー

2018-10-22

時々どうしてコラボしているのかわからない商品が出る。昨日、宝塚北サービスエリアだけで“限定販売”され出した「ベルサイユのばらカレー」もそうだ。漫画『ベルサイユのばら』をイメージした“ご当地カレー”を宝塚市で出す、という発想は十分に理解できる。ただ、それを企画したのは宝石小売業「ジュエリーカミネ」という企業。そこが“ベルばら”の作者・池田理代子氏の監修とし、彼女のプロダクションとコラボして“レトルトカレー”を発売するというのが今一つピンとこない。宝石の小売業なら、池田氏とコラボして“ベルばらジュエリー”を企画・販売した方が良いような気がするのだが…。それとも、もう、それはとっくに手掛けていて、プラスアルファということでの企画商品なのだろうか。このレトルトカレーだが、パッケージにはもちろんオスカル&マリー・アントワネットが描かれ、魚介エキスと白ワインとクリーム、それに国内生産の野菜(フランス産ではない⁉)だけで作られている…というところが“売り”であるらしい。製造そのものは、レトルト食品を多く扱っている「キャニオンスパイス」に委託されて出来上がった商品だ。自分たちで製造したわけではない。そういう意味でも、本来は宝石小売業の企業が、なぜ“ベルばらカレー”なのかが今一つわからない。もし、この“ベルばらカレー”に、オマケとして少女雑誌やグリコ製品の付録のような“宝石”が付いてきたなら、多少、高価でも(高価とはいっても、まあ1200円くらいだけどね)興味半分で楽しく購入する人が続出することだろう。別に本物の“宝石”を期待しているわけではない。ベルばらのイメージなのだから、しかも宝石の企業なのだから、それくらいした方が池田理代子氏とのコラボ企画として“宝塚ファン”からも求められる商品となるような気がするのだ。それに、そのカレーを食べて成長した少女は、その“宝石のお店”まで“付録のイヤリング”をして、本物の宝石を買いに行くかもしれない。

「境遇」の中で見つける「生き方」

2018-10-21

学校ではさまざまな知識や技術を教えてくれるが「生き方」については教えてくれない。「生き方」というものを本能的に学ぶのは、その人が育ってきた境遇が一番なのだ。10月18日の夕方、埼玉県和光市でマンション暮らしの老夫婦が刃物で殺傷された。襲ったのは、この老夫婦の近所に住む孫の中学生だった。87歳の夫は殺害され、自らも重傷を負った82歳の妻は、切りつけてきた孫に必死で懇願する。「死ぬ前にトイレだけは行かせて!」よくよく考えると奇妙な懇願なのだが、優しかったはずの孫は、その望みを許した。血を流しながらトイレに駆け込んだ妻は、娘のところに電話する。あいにく留守電になっていたので、すぐに来てくれるよう伝言した。結局、孫の少年はとどめを刺すこともなく、祖父母の家を飛び出し、そのまま行方不明となった。そして翌日、路上をうろついているところを職務質問から逮捕された。祖父母の殺傷事件で、通常、考えられるのは怨恨である。ところが、怨恨の場合はトイレになど行かせない。取り調べの中で、二人を殺傷した孫の少年は、学校に“許せない生徒”がいて殺そうと思った。殺人は家族に迷惑が掛かるので、迷惑が掛からないよう家族から殺した…旨の供述をしている。本気でそう言っているのか、単なる“作り話”なのか、判定は難しい。けれども、もし、これが本心で、実際にそう考えての犯行だったとすれば、あまりにも稚拙である。まず“許せない生徒”がいるからと言って、殺そうとすること自体が短絡的過ぎる。まあ“ぶん殴ってやる”程度なら解るのだが…。次に、家族に迷惑が掛かるから、家族から殺していく、という発想だ。おそらく彼は、その育ってきた境遇の中で、家族に迷惑をかけてはいけない、という“生き方”が培われたのだ。それ故に家族が居なくなれば迷惑は掛からない、という単純な発想。しかも、その家族には、一緒には暮らしていない祖父母も含まれていた。もしかすると、幼い子供を道ずれに“心中する”母親と同じような心境で殺害を試みたのか。このニュースの横に、カンボジアで2歳の時に父親を亡くし、5歳から家族のため漁に出て働き出したというセニョン(10歳)少女の記事が掲載されていた。私は昔、アンコールワットの遺跡観光をしたとき、ずっとついてきた幼い少女を思い出す。彼女は4~5歳だが“物売りの少女”であり、必死で絵葉書やメダルを売ろうとしていた。あの少女も、ガイドに追い払われながらも家族のため売り続けていたのだ。

「温泉付き別荘」が100円で購入できる⁉

2018-10-20

少子高齢化に伴って「空き家」はどんどん増えていく。不動産情報サイトには“驚き価格”が目白押しだ。中でも目を引くのは極端な“たたき売り価格”。本当だろうかと誰もが思う。例えば、伊豆の温泉付き二階建て別荘の“空き家”が「0.01円」つまり「100円」。築44年でちょっと古いがソファなど家具付き、温泉が出て来るオーシャンビュー浴室付き物件が「100円」ではなく、本当は「1円」だというのだ。実は不動産のサイトなので販売価格は「0.01円」以下にはならない。だから、実際には「1円」で良いらしい。そこに暮らしていなくても、所有者には毎年税金がかかって来る。親から譲り受けた物件の場合、自らは別の地域で暮らし自宅を所有していれば、足が遠のく別荘を維持し続けるのは大変である。毎年、20万以上の税金を納め続けなければならない。さらに管理費用も掛かる。同じような理由から、親から譲り受けた物件を手放そうとする人が続出しているらしい。ところが、こういう別荘型の格安物件は、意外に売れないのだ。なぜかというと、別荘地というのは大体、交通の便が良くない。都会暮らしをしている場合、通勤では使用できないのだ。したがって、若い人の場合は別荘として使用するしかない。地元の“温泉使用料”なども含めると、初期費用だけでも200万円以上掛かる。つまり、実質そこには暮らせない住宅を購入できる余力がなければ、格安だからと言っても手出しは出来ないのが実情のようだ。住宅であれ、別荘であれ、不動産というのはそこに人が住まないと急速に朽ち果てていく。不動産という魔物は、人間の“気”を吸って生きている生き物なのだ。だから一般の人が別荘を持つには、時々は訪ねて“別空間を愉しむ”だけの時間的にも経済的にも余裕を持っていなければならない。妙な言い方だが“働き詰めの人”は、別荘という建物から不似合いの烙印を押され、別荘自らが朽ち果てていくのだ。

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