1月, 2019年

「私はオバさんになったけど」ミニは穿いてる⁉

2019-01-31

今月26日から21年ぶりに全国ツアーを行っている歌手がいる。50歳直前の森高千里氏だ。大昔、人形のような“美しい肢”と“鼻にかかった甘い声”で一世を風靡した歌手だ。超ミニスカート姿で「私がオバさんになっても」という歌を歌った。その歌詞の中には「ミニスカートはとてもムリよ 若い子には負けるわ」という一節がある。あの頃、誰もが彼女自身の作詞であるこの歌の内容は、そのまま現実のものとなるだろうと予感した。しばらくして彼女は結婚をした。そうして、いつの間にか3人もの子供の母親となっていた。文字通り「オバさん」になったのだ。ところが、その後になってCM等で復活している内に、再び歌手として歌うようにもなった。ファンの要望に応えるかのようにミニスカートでステージに立ったのだ。今回のツアーでは、あのころに比べれば若干短さは不足しているが、キラキラのミニスカート姿で50歳を過ぎてもステージに立つことを約束した。この人はデビュー当時から、自分に何が望まれているのかを知っていた。自らが作詞した歌の中に「のぞかないで」という歌がある。私は、この歌を初めて有線で聴いた時、鼻にかかった甘い声で、こういう歌詞を自ら書き、そして自ら歌えることに心底驚いたものだ。ちょっと突き放したように「のぞかないでよ ドスケベ それじゃチカンと同じよ (中略) のぞかせないわ意地でも」このような今なら“炎上”しそうな内容を、自ら歌詞にして歌ったのだ。おそらく、その頃にファンだった人たちが今回のツアーでは大挙押し寄せることだろう。沢田研二氏がアイドル時代とは“大きく変貌した姿”でステージに立つのとは大違いである。もちろん、人は誰でも齢を採る。そして、嫌でも容貌は変化していく。けれども、本当のアイドルとは、あの頃の記憶や感覚を“呼び戻してくれる人”なのだ。決して現在の“姿”を求めているわけではない。或る意味で「新曲」など不要なのだ。あの頃のあの歌。あの頃の“あの姿”こそ、多少は崩れていても、その当時のファンたちが酔いしれたい本当のスターの姿なのだ。

本当は「水」なのに「血」が流れて来る⁉

2019-01-30

「親子」とか「兄弟」とか「配偶者」とか、いったん“縁故関係”が成立した間柄というのは、実質的にその関係性が失われたとしても妙な形で付き纏う場合が多い。昔から「血は水よりも濃い」というが、最初から「水」だったのに、イメージとしての「血」がいつまでも作用し続けるケースもある。昨日、元光GENJIの大沢樹生氏と女優・喜多嶋舞氏との間に出生したことになっている長男22歳が、交際女性を「窒息死させようとした」ということで逮捕されていることが明らかになった。この長男というのはDNA鑑定によって、父親であった大沢氏との“親子関係不一致”が証明されている人物で、つまりは父親以外の男性と母・喜多嶋舞氏との性交渉で妊娠した児である、と法律的には判定が下っている。したがって、大沢樹生氏と喜多嶋舞氏が既に離婚している今、完全に“赤の他人”つまり「水」なのだが、世間のイメージとしては未だに「血」の関係として扱われ、昨日のニュースも喜多嶋舞氏の写真ではなく、大沢樹生氏の方の写真が使われていた。“とばっちり”としか言いようがない。このようなケースは、よく初婚の時の元配偶者が犯罪や事件を起こしたようなときとか、十代半ばで家を飛び出し音信も途絶えていた息子や娘が事件を起こしたようなときにも起こる。或いは交流のない義兄弟とか、親戚が事件を起こしたようなときにも起こる。大沢氏の事務所では「こちらには警察からも連絡がありませんので答えようがありません」とのコメントを出したが、もっともなことである。もはや何のゆかりもない。それでなくても彼は、DNA鑑定をしたことで勝訴したのに“悪者”のように扱われた。今になってみれば、あの時「水の関係」になっておいて良かった…と胸を撫で下ろしているに違いない。なにしろ22歳の長男は相当な“ワル”である。日本に戻ってすぐに知り合った女性宅に転がり込んで“ヒモ生活”をしながら、酒を飲むとDVを繰り返したのだ。こんな息子と“血が繋がっていたなら”今頃、大沢氏自身も大バッシングを受けていたことだろう。それにしても、大沢氏の額中央の髪際付近にはホクロがある。これは公的な履歴上の問題、或いは家系系譜上の問題に巻き込まれやすいことを意味する。未だに「光GENJI」としての“十字架”を誰よりも引き摺っているのは彼なのかもしれない。

誰も報じない「アコンカグア登頂」の成功⁉

2019-01-29

そういうことだったのか……と、後から気付く出来事がある。例えば「失敗した」かのように報道されながら、実は「成功している」出来事もある。昨日、冒険家・三浦雄一郎氏の“挑戦動画”が帰国後、初めて公開された。そこには、奇妙な事実の映像があった。三浦氏が南米最高峰アコンカグアの登頂に成功し、その頂上からスキーで見事滑降する姿が映し出されていたのだ。ん? 違うって、ではちゃんと見て確かめていただきたい。もちろん、登頂に成功したのは三浦雄一郎氏ではない。その次男の三浦豪太氏である。けれども彼だって冒険家なのだ。そして彼は見事に登頂に成功した。さらに見事にスキーで頂上から滑降した。その姿が映像では公開されているのだ。三浦雄一郎氏本人は、途中でドクターストップが掛かり、登頂を断念している。けれども彼が日本に戻った時、決して「敗残者」の姿ではなく、意気軒高と「次の目標は90歳でエベレストだ」と吠えていた。だから誰も“今回の失敗”を追及できなかった。そうなのだ。彼の一番のすばらしさは、失敗しても全然めげないことだ。すぐに“次の目標”を掲げる。だから誰も、今回の失敗を咎められない。むしろ、そこに“恐れを知らない若者の姿”を感じてしまうのだ。そう、若者だって大抵は失敗すると、少しビビる。ところがこの人は全然めげない。これこそが“本当の若さ”なのだ。二十代や三十代の人達が、一度や二度の失敗で立ち直れなくなるのとは大違いである。“若さ”というのは“失敗”が許されることなのだ。そして再び“挑戦できる”ことなのだ。何度も失敗し、大恥をかいても、すぐ未来に向かって立ち上がる人は“若い”のだ。失敗しても、誰からも非難を受けない。非難されても聞き流していれば良い。多くの人は、失敗してしょぼくれてしまうから、世間は“無謀な挑戦”と非難するのだ。若者には“未来がある”。死ぬまで“未来”だけを向いて歩んでいく人は、死ぬまで“若いまま”で居られる。偉大なる冒険家・三浦雄一郎氏は、成功する姿を見せたいのではなく、失敗してもめげずに“次の目標”に向かう姿を見せたいのだ。

「求婚の日」&「プロポーズの日」両方存在した⁉

2019-01-28

詳しく見ていくと「暦」の中には毎日のように“いろいろな日”が存在している。その中には知っている日もあるが、知らない日もある。「求婚の日」というのが1月27日にあるということを知っている人はどのくらいいるのだろう。多分、ほとんどの人は知らないのではないだろうか。もし、あなたが知っていたなら「プロポーズの日」はどうだろう。こちらは6月の第一日曜日なのだ。両方とも知っている人は、稀ではないかと私は思う。というか、これって“同じ意味”のような気もするのだが、厳密には違いがあるのだろうか。とにかく私は両方とも知らなかった。宝石業界の頑張りが足りないのか。そこで、そもそもなぜ1月27日が「求婚の日」なのか。これはどうも日本固有の記念日らしく、伊勢新聞と三重日報とに1833年(明治16年)1月27日に初めて「花嫁募集」の広告が載った日に記念して設けられたらしい。因みに、この日の広告では「妻と離別し家事不行き届きにつき花嫁募集。どのような境遇でもOK。但し17歳~25歳までに限る」と、現代表記に置き換えるとそういう風な広告だった。この広告で気になるのは、相手の条件は記しているが、自分の身分等は明らかにしていない。まあ広告を載せられるくらいだから経済力はある人物だったのか。それとも中尾藤三郎という人物は、それなりの有名人だったのか。ともかく、彼のところにはちゃんと応募者があって、その中から19歳の女性が選ばれ見事結婚。そういうわけで、多少、身勝手な求婚でも“成功するかもしれない日”のようだ。一方、6月の第一日曜日「プロポーズの日」というのは、日本ブライダル協会が1994年に制定したもので、多分に「6月の花嫁」を意識しているような気がする。ウエディングドレスと言えばこの人というくらい有名な桂由美氏が中心に定めたものらしい。ところで昔は新聞広告を利用する「花嫁募集」は珍しいことではなく、世界的には1695年7月19日のイギリスの新聞で「東方30歳、3000ポンドの資産を有する、若き淑女を伴侶として求む」という広告が最初だそうだ。なぜか、どの広告も“年齢”が示唆されているのが“求婚条件”として重要なようである。

「入れ墨」は“OK”&“NG”どっちなの⁉

2019-01-27

日本人以外の観光客でごった返すようになってきている京都で、各施設が頭を悩ませている問題として「京都新聞」が“入れ墨”について論じている。近年、欧米ではファッションとしての“タトゥ”が大流行である。当然、観光客にも“タトゥ”を入れている人たちが多い。それに対して日本の主要観光施設、プール、海水浴場、公衆浴場、温泉、トレーニングジムなどでは基本的に「入館お断り」を表示しているところが多い。それは多くの日本人にとって“タトゥ=入れ墨=刺青=極道”と結びつくイメージが強いからだ。江戸時代には「刑罰」として“入れ墨”を施す風習もあった。そういう時代を経ているので「好ましくない」印象を抱いている人が多いのかもしれない。私が幼い頃は、育った地域が“危ない所”だったせいなのか、銭湯へいくと必ず大勢の“刺青男”たちに囲まれた。なにしろ、比率として6割くらいの男たちが“刺青姿”だったのだ。けれども、そういう人達の中に入っていくことを、私は“怖い”とは思わなかった。それが何を意味するものなのかを当時は知らなかったからだ。それに、そういう人達は概して親切だった。むしろ私は、それぞれの“刺青”の違いや美しさに興味を持った。だから黙って見つめていた。たまに「こいつ何見てんだよ」という風な視線を向ける“若い衆”もいたが、それだけだった。あれから何十年も経った。世の中は変わり、どの温泉に行っても、もはや“刺青姿”の人を見ることは無くなった。正直に言うと、少し寂しい。だから海外でタトゥがブームになって、どちらかというと“アート”とか“ファッション”に近い感覚でユニークで華やかな図柄が描かれているのを見ると、そういうものに“極道”をイメージする方が不謹慎な気もする。今後、オリンピックとか、万博とか、海外から多くの人達がやって来る。入浴施設などでは、知らずにやってくる観光客を断るのではなく「タトゥ隠し」というものが売られているのだから、そういうものを事前に施設側で用意して、多少料金に上乗せして渡せば良いのではないだろうか。大昔の日本では、つまり「卑弥呼の時代」には、男性の誰もが“入れ墨”を入れていた。中国で書かれた『魏志倭人伝』には《男子は大人子供の区別なく、みな顔と身体に入れ墨をしている》と記述されている。それによって身分の尊卑を表わしたらしい。我が国は“そういう国”だったのだ。

「Yu」が「ヒカル」と“紅白”に出る日⁉

2019-01-26

昨日、都内でメジャーデビュー初ライブを行ったロックバンドがある。体重106キロの女性ボーカル「Yu」は洗足学園音楽大学を卒業した正統派だ。高校まではサッカーのゴールキーパーをやっていたが膝を大怪我して断念した。その後、女子プロレス界からも誘いが来たが、もう一つの“大好きな道”であった「歌」を択んだ。彼女の父親は「前川清」日本を代表する“ムード歌謡”歌手の一人だ。そして、この人物が「娘です」とボケる“世界の歌姫”がいる。「宇多田ヒカル」だ。もちろん、宇多田ヒカル氏は前川清氏の“娘”ではない。けれども、それを公言できるのは、前川氏が彼女の母親である「藤圭子」の“最初の夫”だったからだ。実際の結婚期間は短く、もちろん子供も出来なかった。それでも“最初の夫”であることに変わりはない。だから宇多田ヒカル氏には迷惑かもしれないが「ヒカルの父親です」とボケて笑いを誘う。そのうち、彼は「Yuの父親です」と笑わせる日が来るのだろうか。もし「Yu」である「前川侑那」が“世界の歌姫”になればそれが可能だ。ロックバンド「DireWolf(ダイア―ウルフ)」は今年1月16日に初アルバム「SHINKA」をリリース。父親とは全く異なる歌の分野で勝負している。二世歌手には、そういう人達が多い。その代表格で“世界の歌姫”となったのが宇多田ヒカル氏だ。その「姉」に対して「Yu」は「“神”的な存在なので、私なんかと一緒にしないでください」と正論を述べたらしい。ただ私が長々とこういうことを述べたのは、先ほどの前川氏の“冗談”とも“本音”ともつかぬ言葉には「運命学的な真実」が隠されているからなのである。実際には“自分の血”が入っていなかったとしても、結婚が成立していた男女には運命学的に“共通の因子”を持っているケースが多い。つまり、性格とか、才能とか、愛情とか、どこかに“共通した部分”を持っているから、惹かれ合って結婚に至るのだ。特に“同業”で結婚している男女はそうである。そうだとすれば、その“素質・才能”は血を分けた子供に“何分の一”かは受け継がれていく。だから再婚後の子供であっても、どこか“似た要素”を秘めている場合があるのだ。よく相手の“初婚の時の子供”と一緒に暮らして、いつの間にか“本当の父親”とか“本当の母親”のようになっていく“義理の親子”がいる。そういう組み合わせは、前の配偶者も“共通の因子”を備えていたのだ。だから別に努力などしなくても、ちゃんと“親子”として違和感を持たず暮らしていけるのだ。そうでない場合には明らかに“タイプの異なる配偶者だった”ことを物語るもので、この場合には、どんなに努力しても親子間の葛藤が続く。

「教育」の“原点”は古代エジプトにある⁉

2019-01-25

都立高校で教師に対し暴言を浴びせた生徒を暴行している場面が撮影され、ワイドショー等で賛否が分かれている事件。昨日タレントの武井壮氏は「絶対に体罰なんか認めない」と発言したそうだ。この問題に対してはタレント加藤浩次氏は「生徒も裁かれるべき」ことを強く主張し、賛同する人も多かった。果たしでどちらが正しいのだろうか。私はいつも、こういう問題が起こるたび“文字の由来”を思い出す。どういうことかというと、古代エジプト王朝でも、そして中国の古代殷王朝でも、洋の東西で紀元前には同様のことが行われていた。つまり学校教育では“ムチ”が使われていたのだ。その証拠が「文字」として遺っている。古代エジプトのヒエログリフ(聖刻文字)、そして古代殷王朝の甲骨文字ともに「教える」という文字には「ムチ」の象形が副えられているのだ。古代の場合、誰もが教育を受けられるわけではない。教育を受けられるのは王侯貴族など、ごく一部のエリート子女たちである。そういう子女たちでも、幼い年齢では勉強を嫌がるとか、なかなか憶えられないとか、注意力が散漫になるとかする。ところが将来、国家を預かるようになる身分の子供達にはきちんとした教育が必要なのだ。したがってムチを使用した。解かりやすく言えば“叩いて教えた”のだ。但し、それはあくまでも“幼い子供達”だからだ。つまり、幼いうちに「教育」の在り方を、そうやって理解させる。そうでなければ将来的に“繁栄する国家”は創れないことを彼らは知っていた。だから幼いうちから“叩いて教える”。こうすることで、子供たちは成長していくにつれ、叩かなくても“学べる”子供に変わっていく。本能的に学ぶ時には“緊張感”が宿った形で学ぶようになる。当然、十代半ばになれば、もう大人として扱うので「教える」時に鞭など必要ない。そういう風にしていかなければならないのだ。日本の教育が間違っているのは、幼い頃には“絶対に叩かない”教育方針だからだ。子供たちは「教育」が“叩かれるもの”だと思ってもいない。だから何の緊張感もない。だから教師にも反抗できるのだ。幼い頃の遠い記憶は、黙っていても“緊張感のある教室”を作り出す。古代エジプト王朝は3000年間続き、古代殷王朝は500年間続いた。「学ぶ」とは、本来、そういうものなのだ。

「匿名の通報者」とは誰なのか

2019-01-24

高松市に住む22歳の女性が福岡市に住む12歳の男子に対し、自宅内で性的行為を強要したということで「強制性交の疑い」により逮捕された。容疑者の女性22歳は、その容疑事実を認めている。二人はスマホのオンラインゲームで知り合い、1月21日の夜11時頃に容疑者宅内でその行為に及んだらしい。この報道で私がもっとも注目したのは、この事件が翌日「匿名の通報者」により発覚している点である。一体、誰が通報したのだろう。警察が「匿名の通報者」という表現を使っているのは、本人や身内関係者ではない可能性を示唆する。そうなると「いったい誰が…」ということになる。通常、12歳の少年に対して、22歳の女性は“性的欲求”を抱かない。仮に同じような趣味・嗜好でそれなりの親近感を抱いたとしても、明らかに“大人”と“子供”の“仲間感覚”で留まっているのが普通であろう。そうではなかったということは、もしかすると女性の方に、最初から「少年」を求める性的趣向が存在していたのかもしれない。少年が女性宅を訪ねている点を考えると、おそらく女性側が誘い、少年がそれに応じる形で福岡から高松までやって来た。初めての訪問だとすれば、どこかで落ち合って女性側が連れてきた可能性が強い。女性の方には、最初から“密かな性的願望”があり、少年の側には“ゲームに関連する魅力的な何か”が存在していて誘いに乗った可能性が強い。そうでなければ“女性の自宅”がそのまま犯行現場とはならない。こういう年齢差の場合、男女の年齢が“逆”であれば、マスコミは「ロリコン男性が少女を毒牙に掛けた」として袋叩きにするが、逆の場合には沈黙しがちである。この事件では、成人女性と少年との「強制性交の疑い」という罪名に対して、容疑者は素直に容疑事実を認めて逮捕されている。もし、被害者やその身内ではない人物が「匿名の通報者」だとしたなら、その人はどうやって真実を知り、どう思って警察に通報したのか。もしかすると、以前から容疑者は“そういう趣味のあること”を通報者に告げていて、今回、それを行った後、その人にメールとか画像とか何かを送信したのではないだろうか。匿名の通報者は、彼女の行った行為が“空想だけなら許される”ものとして聞き流してきたが、今回のは「見過ごせない部分」があったから通報したのではないだろうか。

 

予言的中「相互に受け入れ」可能⁉

2019-01-23

暗礁に乗り上げそうだった“二つの問題”に解決の兆しが見えてきた。その一つは「北方領土の問題」であり、もう一つは「小室圭氏の金銭問題」である。これらの問題は、その一方が「解決済み」を主張し、その一方がダメ元で「早期に返還」を主張している。昨日、安倍首相とプーチン大統領は3時間に及んで話し合い、“両国民が相互に受け入れ可能な解決策”を探った。そこに両国の外相も一緒に同席していたことが、これまでとの大きな違いである。多くの日本の識者は「平和条約の締結」など意味を持たないと言うが、私はそうは思わない。多くの識者たちは“現時点での世界情勢”しか捉えていない。だから、そういう判断になる。けれども、歴史というのは刻々と変化していく。数十年後、百年後を想定した時、この「平和条約」は必ず大きな意味を持つ。占い的にも、価値があると出ている。私は『クオリティ』という雑誌からの依頼で、毎年暮れ、北海道を中心としてだが新年を占い、その内容が何ページにもわたって2月号に掲載される。その中には“北方領土”や“拉致問題”についても若干だが記述されている。《おそらくロシア側は“平和条約”と“二島返還”をセットでなければ交渉に応じないと見えます。(中略)日本側は最終的には四島返還を強く望んでいますが、これらのカードを出し続けると、おそらく決裂します。(中略)仮にこの交渉が上手くいかなければ、もう二島はおろか永久に北方領土は帰ってきません》との占断になっている。これは12月22日のインタビュー記事である。一方、小室圭氏と眞子さまの「結婚」に関しては、ブログの方で2017年5月17日、この日は最初に“交際報道”が出た翌日だと思うが《眞子さまは太陽と月とが180度で対冲し、公私のどちらを優先するかで悩みやすい》と記述している。もちろん、まだ結婚に暗雲が垂れ込める以前の占断である。ご承知のように、彼女は現在も「公」と「私」のどちらを優先するか明確な行動には出ていない。けれども私は《二人ともロマンチストで“理想追求型”(中略)相性として大変に良い》と追記している。小室氏は昨日文書の中で“母親と婚約者だった男性との金銭的な経緯”につき述べて、既に「解決済み」との認識を示した。世間的な常識がそれを受け入れるかは微妙なところだが、理論的には“借用書”が存在していないので、彼の主張は法律的に有利と思われる。週刊誌は小室親子をバッシングしたが、婚約解消が婚約者側からであること、その時に母親が一時的であれ“返済の意思”を示していること、婚約解消後、5年経過して“婚約報道”が出た後になって、改めて“返金を求めて来た”ことは、別れた直後の“返済意思”をすぐ受け入れなかった元婚約者にも疑問の余地がある。というわけで、一つ“手打ち”と行きたいところだが…。

「自由&平等」は「責任」の元に与えられる

2019-01-22

何かが違う。そんな“違和感”をおぼえるのは私だけなのだろうか。全国各地の“同性カップル”が2月14日に国を相手取り“損害賠償”を求めて一斉提訴するというのだ。つまり、同性婚を認めないのは憲法が保障する「婚姻の自由」や「法の下の平等」に反するというのだ。そこで東京・大阪・札幌・名古屋の4地域で13組のカップルが、国を相手として「損害賠償請求の訴訟」を同時に起こすらしい。“同性カップル”が結婚できるよう法律を整備することを国が怠ってきたというのだ。時代の変化に合わせて法律を整備していくべきことは誰もが賛同する。そして、ここ十年余り「LGBT(大枠で言えば同性愛者)」に対して、社会的な認知や理解が高まっていることも誰もが認めるだろう。けれども、だから「損害賠償請求だ」というのは“過剰な被害者意識”のように私には感じる。なぜなら、あくまで世間一般の認知度としては、ここ十年余りのことであり、それも“戸惑いながらの認知や理解”というのが正しい見解だと思うのだ。では、それまでの世間は、彼らに対してどう理解していたのかと言えば、ひとことで言えば「変態」だった。この表現は現在でも間違っているわけではない。これは決して“蔑称”ではなく、生物学的にも“正しい表現”だと私は思うのだ。オスがオス、メスがメスと“組み合わさる”のは生態系から言って不自然だからだ。ただ古代エジプトの時代から“広義の同性愛”は存在していた。つまり大昔からあった。目新しいものではない。そして、そういう人達に対し、多くの民族や時代はあいまいに容認してきた。だが「変態」を許さない国や宗教もある。現代でもイスラム教では「同性愛」は厳禁であり、罪人として扱われる。つまり、“LGBTの結婚”を公的に容認するかどうかは「自由」や「平等」だけで判断すべき問題とは異なるのだ。しかも「自由」や「平等」というのは、或る程度の「責任」の元に与えられる。2015年11月、東京の渋谷区では「区」が独自に“同性愛カップル”に対し「パートナーシップ」の交付を開始した。その第一号として著名なカップルが“その証明書”を交付され、マスコミでも大きく報道された。ところが2017年12月、このカップルは「区」に証明書を返還したのだ。つまり、両名ともウエディングドレス姿で結婚式を挙げ、結婚の証明書も手にしたのに、二人の“愛の誓い”は2年で泡と消えたのだ。そういうことも踏まえたうえで、“過剰な被害者意識”と“過剰な権利要求”だけが強まれば、やがて味方だった人たちを敵に回すのではないだろうか。

長寿「113歳の顔」の特徴

2019-01-21

男性としては「現存する世界最高齢」と昨年ギネスで認定されたばかりの足寄町の野中正造氏が亡くなった。1905年7月25日生まれなので享年113歳だった。前日までは元気にしていたらしい。これこそ“大往生”というものであろう。いくら長寿でも、ずっと入院したままの長寿では意味がない。その点では、きちんと食事し、車椅子を使って動き、新聞を読むことも出来たらしい野中氏の長寿は意味がある。そこで観相学的な観点から、その人相の特徴を抽出してみたい。まず、一見して目立つのは“大きな下頤”である。横幅も広くガッチリとした印象で、やや突き出ている。こういう頤の持ち主は晩年の健康に恵まれるものである。健康というだけでなく、“運勢”そのものにも恵まれる。つまり“晩年運”が良いのだ。この場合、ただ単に“頤が長い”というのではなく、ガッチリとした印象で“強そうな頤”であることが大切なのだ。この部分が発達すると一般に心臓が強い。それに持久力もある。長年、スポーツなどをやって体力に自信のある人には“下顎”の発達している人が多い。次に目立つ部分として“耳の長さ”がある。私はかつて“百歳以上の長寿者”ばかりを集めた写真集を見たが、そこに出てくる人たちで一番共通していたのは“耳の長さ”だった。つまり、大きく長い耳は“長寿の印”なのだ。因みに、2~5歳児も“耳の大きな子供”は生命力の強い傾向がある。つまり子供の耳と長寿者の耳は共に目立つ。ところが通常の成人は、逆に“耳”が目立ちすぎるのは“臆病な性質”となる。さらに鼻柱がしっかりとしていること、これも長寿者に多い。この場合、肺活量の強さと関係があるかもしれない。なぜならプロスポーツ選手にも鼻柱のしっかりしている人が多いからだ。さらに眉の毛が長い。これは眉が“横に長い”のではなく、立体的に“毛が長い”ということだ。私の父親はそれまでは健康だったが、床屋さんで眉の毛を短く切って揃えられてから間もなく死亡した。特別“長い毛”が数本あることが“長寿者の眉”となる。これは長寿なだけでなく、身近な人達から慕われる相となる。野中氏に“特有な相”として、下瞼の位置に“活きボクロ”がある。これは子供とか孫によって幸運を得る人の相である。また額の髪際近くにも“活きボクロ”がある。これは先祖が授けてくれる幸運だ。実は「野中温泉」という小さな温泉業の創始者の子供である。だから、その温泉につかりながらずっと過ごして来たのだ。このことが長寿につながった可能性が大きい。もう一つ、野中氏には鼻脇から出る法令線もハッキリしているが、その横に、下頤から出る「法令外郭線」とも呼ばれる線が、とてもクッキリとしているのだ。これこそ“長寿線”であったに違いない。

本人よりも詳しい「オタク」がいる⁉

2019-01-20

最近はどういう分野でも“熱烈ファン”や“追っかけ”や“マニアックなオタク”がいる。そして、それらの人は、その人物のあらゆることを知っている。時には、その本人よりも“詳しく知っている”こともある。驚くべきことだ。プロレスのファンにもマニアックな人達が多い。昨日「TAKAみちのく(45歳)」というプロレスラーが自ら創設した「K-DOJO」というプロレス団体の取締役を解任され、同時に退団することが公表された。実は彼、不倫を写真誌に告発され、それがマニアックなファンたちの間で“問題視”され、そのあまりのブーイングから団体側がとったのが“解任・退団”という対処法だった。TAKAみちのく氏が妻子を持ちながら「手当たり次第に手を出す」というのは、マニアックなファンの間では有名な話だったらしい。私はそういう“書き込み”が多数あることを昨日初めて知った。彼は数年前から告発した女性ファンと親しくなり、ことあるごとにその女性は呼び出されるようになった。そして、タクシー代やホテル代などすべて彼女が支払う形での不倫が続いた。そのうち、彼女は精神的に追い詰められて自殺未遂を計ったりもしている。その後も二人の関係は続いたのだが、ある日、一方的に弁護士を通して“別れる旨”を伝えて来たというのだ。その間に彼女は、彼に対し500万以上の金もつぎ込んでいる。そういった経緯を、マニアックなファンたちは何故か“共有”していた。そして、書き込みを通じて団体に何らかの“処分”を迫ったようなのだ。つまり、現代のマニアックなオタクファンというのは、或る意味では本人以上に公私の過去・現在を熟知していて、そのうえで支持したり、批判したりしている。何んとも“不気味な存在”なのだ。したがって、現代はそういう“オタクファン”を沢山抱えて商売しているような人は、うかつな発言も、うかつな行動も出来ないようになっている。何十年前の出来事であろうと、何十年前の発言であろうと、本人が記憶から消してしまったことさえも、鮮明に蘇らせることが出来る。或る意味では“陰のマスコミ”とも呼ぶべき存在になりつつある。まあ、そういう意味では、私などのように、その発言も、行動も、業績もさして知られていない人物は、或る意味では“気楽”だともいえる。矛盾した発言や、今思うと恥ずかしいような記述も、みんなに知られなくて済むというものだ。

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