10月, 2020年

殺せば「優秀な息子」の“記憶”だけが残る

2020-10-31
人には誰でも「虚栄」の部分がある。現状よりも“より良く見せたい”とか“より高く評価されたい”という本能がある。だが、それは多くの場合、“知らない人達”に対してだ。身近で自分の“隅から隅まで知っている”ような者には隠さないのが普通だ。ところが、そうではなくて、全ての人に対して、隠し続けようとする人がいる。家族で一緒に暮らしている者に対してまでも、自分の本当の「姿」を知られまいと努力する人たちがいる。“虚栄の塊”ともいうべき“生き方”をしている人物だ。それは多くの場合、本人が願っているのとは「逆」の現象をもたらす。つまり、不幸を呼びやすいのだ。彼の場合も、犯罪の根源にあったのは「虚栄心」である。今の段階で殺してしまえば、家族全員、自分を「州立ヨーク大学で電子工学を学んできた息子」として死後も記憶する。誰に殺されたかがわからなければ、その記憶だけが永遠なのだ。自分が本当に学んでいたのはオンタリオ州のセネカ・カレッジ電子工学部で、しかも途中でついていけなくて退学したことなど、誰も知らなくて良い。退学したのちも、毎日学校に通うふりをし続けてきた。郊外のショッピングモールやジムなどで時間をつぶしていたのだが、家族に知られるはずはない。家族構成は、祖母と母親と姉と父親と一緒に5人で暮らしていた。家族の仲は良く、特に祖母と母親は自分に優しかった。だから余計に話せなかった。祖母と母親とは「優しくて優秀な息子」という表現をいつも使った。だから、真実を知らせてはならないのだ。本来であれば、自分が卒業すべき日の“前日”こそ、殺害を実行する日になった。全員、後からバールを使って頭部を殴り、倒れ込んだところを抱き上げ咽喉を掻っ切る。そうすれば確実に絶命する。実際、そういう方法で4人共殺害した。精神的には何の迷いもなかった。しかも、見事な殺人だった。ほとんど抵抗されることもなく、4人の喉を掻っ切ることに成功したのだ。嬉しくなって、オンラインのゲーム仲間に、あっという間に家族を次々殺したと自慢した。本来であれば、卒業となるはずだった記念の日、メナーズ・ザマン(24歳)は仲間からの通報によって逮捕された。

「初売り福袋」を12月に販売…と言われても⁉

2020-10-30
「仕方がない」ということは誰もが解かっている。それはそうなのだが、それでいて「何かが違う」と思ってしまう。大手百貨店各社が来年の「福袋」を12月から販売するというニュースだ。高島屋の場合には12月18日からの店頭販売、西武本店では12月26日からの店頭販売、松屋でもクリスマス前後からの店頭販売、松坂屋の場合には「福袋“なし”」を決めたらしい。なにしろ、毎年「初売り福袋」は“密の密”だった。だから各百貨店とも、それを避ける戦略を立てるのは、ごく自然なことである。苦肉の策として「福袋」の販売を前倒ししたのだ。百貨店業界にとっても、一般庶民にとっても「福袋」があってこその「日本の正月」である。“折衷案”として年末販売は仕方がないのだ。袋の中身は同じなのだ…とはいうものの、正月になって購入するのと、12月中に購入するのとでは「福袋」の価値が違ってくる。“運試し的な楽しみ”が12月販売では失われてしまうのだ。いっそのこと「クリスマス」と「正月」を一緒にして「クリスマス&正月セール」としてしまった方が、面倒くさくなくて良いような気もするが、それはそれで、多くの人から“不平・批判”が出て来そうである。ところで会社勤めから遠ざかって長いので、今時がわからないのだが、多くの企業は「忘年会」と「新年会」とを分けて行っているのだろうか。今年や来年初めの場合、それらはどうするのだろう。これらだって“密の密”の典型ではないか。両方とも中止するのだろうか。それとも、今時は「忘年会」とか「新年会」とか、そういうもの自体がもう存在していないのだろうか。いくら同僚間の結びつきが希薄になったと言っても、会社としての「忘年会」とか「新年会」の慣習くらいは残っていそうな気がするが、実際のところ、どうなのだろう。結局、新型コロナが教えたのは、みんな別々に“適度な距離を保って”生きていくのが幸せですよ、という何とも寂しい現実なのであった。

中途半端な「二番底」が危ない

2020-10-29
ニューヨーク「ダウ」の株価が急落している。一時900ドル以上も下落した。俗にいう「二番底」の到来である。ただ、今回の「二番底」はタチが悪い。じわじわと下落し、その後で一気に下落した。こういう落ち方が、一番「日本株」には響く。つまり元々そんなに日本株は上がっていないので、ずるずる落ちられると、個々の株価はとことん落ちる。せっかく日本は欧米よりもコロナ感染者が少なくて「少しは有利か…」と多くの人達が考え始めていた矢先、今頃になって「二番底」がやって来られたら、それに引き摺られやすい日本の株価は“連れ安”で落ちる。「日経平均」という“指数”はそれほど落ちないのに、個々の株価は異様なほど落ちる。どの業種の株価でも落ちる。これが奇妙なところだ。そうして、その結果が“実体経済”へと反映していく。つまり、ようやく少しは戻りかけたかに見えた日本の景気は、再び崩れていく。何が“呼び水”になるかはわからないが、確実に崩れていく。とにかく、最近は「明るい未来」が中々描けない。それでなくても、近年の日本は“経済的な発展”という点で、アジア諸国にも後れを取っている。今年は、コロナの影響でアジア諸国も軒並み“低迷”している。社会情勢も不安定だ。こういう時こそ、社会情勢は安定している日本が、一気に“経済面”でリードするチャンスだったと言える。「二番底」については、実は私自身がだいぶ前に予告していた。けれども、その時には何故か“回避”されたのだ。正直、私は「おかしい」と思った。私の予感では「二番底が来るはずなのにな…」という気持ちがあった。けれども、もちろん日本の経済の悪化など、当たらない方が良いに決まっている。だから内心ホッとしたものだ。ところが今になって、遅れて「二番底」がやってきた。しかも、今回の「二番底」は厳密に言えば「二番底」にはならない。中途半端な位置で“元に戻る”はずだからだ。これが厄介なのだ。ニューヨーク「ダウ」や「ナスダック」の場合には、これまで少し急ピッチで上がり過ぎていたから、適度に下がるのはむしろ自然なのだ。けれども、日本株の場合には欧米やアジア各国と比べても、その上昇に関しては同じように追随していない。ところが、落ちる方だけは追随してしまうのだ。これでは他国に比べ上昇率が乏しいのは当然である。「日経平均」で、そんなに落ちたように視えなくても「個々の日本株」は大きく落ちている。そして“実体経済”が、その後に続くのだ。

不気味な「予言論文」が示唆する「次のコロナ」

2020-10-28
都市伝説的に過去の時代「既にそれは予言されていた」という出来事がしばしば存在する。そういう可能性を秘めている“不気味な医学論文”が存在する。それは医学の専門誌で2008年に発表された8人の連名研究者により提出された研究論文だ。12年も前の論文が注目されたのには訳がある。その論文には「SARS-CoV2」「SARS-CoV3」という記述が頻繁に登場するからだ。この内の「SARS-CoV2」というのが、実は医学世界における「新型コロナウイルス」の“正式名称”なのだ。そして、それは2020年2月11日国際ウイルス分類委員会で正式に定められた。したがって、本来であれば、それ以前に使われているはずがない。ところが、なぜか2008年に分類された論文の中に、それは存在した。しかも「SARS-CoV2」という名称だけでなく「SARS-CoV3」という名称までが記述されている。どういう風に記述されているのかというと「C型肝炎ウイルス、コロナウイルス、鳥インフルエンザウイルス、RNAインフルエンザウイルス」というくくりの中で扱われている。実際には「コロナウイルス」の中に“三種のウイルス名称”が記されている。そして、これらが“或るシステム”によって発現され、つまり実験的に「つくられた」と記述しているのだ。これは何を意味するのか、最新の医学と医療に関しての研究を集めた「タイランド・メディカル・ニュース」というサイトの中で、この疑問が記事として掲載されている。一般に「新型コロナウイルス」は昨年末に中国の武漢海鮮市場で発生したということになっている。けれども、この仮説には当初から疑問符が投げかけられ、香港のウイルス専門家イエン・リーモン博士などは「武漢ウイルス研究所で作られた」と主張していた。専門家の多くは、この仮説に対して否定的だが、もし、2008年の研究論文を認めるなら、その可能性は否定できなくなる。あくまで実験室内での発現だが、“或るシステム”を用いることで、人工的に“新型コロナウイルス=SARS-CoV2”は“つくられるもの”だったということになる。さらに、実験室内では“次のコロナウイルス=SARS-CoV3”も発現させていた。2008年の論文を書いた8人は、いずれも中国人名である。そして、執筆者たちに問い合わたらしいが、反応は得られなかったらしい。都市伝説的に語られてきた“人工ウイルスの可能性”は、果たして解明されるのであろうか。

「才能発揮」には忍耐強さも必要

2020-10-27
昨日、毎年行われる「プロ野球ドラフト会議」が行われた。新人選手に対する“スカウト交渉権”を得るための場だが、今年の場合さまざまな面でいつもとは異なり、異色のドラフト会議になった。私が何よりも感じたのは、今年の場合には高校生の“指名選手”が少なかったような気がすることだ。今年は「甲子園球場」での“全国高校野球大会”が中止となっているので、高校球児たちにとっては全国的な“活躍の場”がなかった。もちろん、プロのスカウトマンたちは全国大会などなくても“若い才能”を発掘できる眼を持っているのだと思うが、それでも全国にTV中継されて活躍した選手は、多くの野球ファンの記憶に残る。いや、野球ファンでなくても連日TVや神前で報道されれば、顔や名前を覚えることもある。そういう選手がいるのといないのとでは人気商売でもあるプロ野球球団にとって違いは大きいと思われる。それに十代後半というのはスポーツ選手にとって成長著しい時期でもある。昨年思うように活躍できなかった選手が、一年を経て甲子園に戻ってきたとき、見違えるようにたくましくなっていたり、優れた素質を開花させていたりすることは稀ではない。そういう意味でも、高校生選手にとっては“見せ場”が奪われてしまったことになる。ただ人生という観点で考えると、このような“理不尽な出来事”というのはしばしばあるもので、それだから才能を発揮出来ないとか、プロとして活躍できないとか、不運な運命だったと考えるのは、少し違う。忍耐強くチャンスを待っていれば、必ず、才能を発揮できるようなチャンスや時期というものはやってくるものだ。焦り過ぎて、その道を放棄してしまえば別だが、そうでなければ、必ず、チャンスはやってくる。但し、チャンスが来た時に“実力”や“素質”を発揮できるかどうか、そのための準備や努力を普段から継続し続けているかどうか、その部分が重要なのだ。それが出来る人は、プロとして活躍できる素質や能力を秘めていることは間違いがない。本当に才能がある人は、決してあきらめきれるものではないからだ。

混乱の「大阪都構想」“言い出しっぺ”は居ない

2020-10-26
11月の1日に“住民投開票”が行われる「大阪都構想」の“賛・否”が揺れに揺れている。住民自体の意見が「真っ二つに割れている」のが現状のようだ。アンケート調査を行っても、年代別、男女別、政党支持別で、それぞれ大きく異なった結果が出ているので、結局、どちらになっても、揉め続けるのではないかと思われる。例えば、年代別では30代以下の人達は、賛成52%、反対30%で賛成が多い。ところが60代以上になると賛成34%、反対54%で、その比率は明らかに逆転する。そして中間の40代は賛否とも微妙な数値となるのだ。男女別では、男性はどちらかといえば賛成が多く、女性はどちらかといえば反対が多い。同じ政党支持者でも一律ではない。全体的な調査でも、調査日によって比率が違っていて、つまりは住民自体が「迷っている」という印象が否めない。そういう“混乱”を引き起こした張本人というか、言い出しっぺは確か元知事&市長の橋下徹氏だったと思うが、彼は今や「評論家」となっていて、今回は直接的には関与していないかのように見える。そうすると最終的な責任は、松井市長がとるのか、吉村知事がとるのか、どちらに決まってもスッキリとはいかない雲行きなのだ。大阪は外国人観光客が多い。このところ大阪の税収も大きく潤い始めていた。そのせいか、住民たちは“改革”というものに寛容だった。今回のコロナ騒動が起こるまで、どちらかといえば住民たちの多くは“賛成派”に傾きつつあった。ところが、ここにきて一時的にせよ外国人観光客が減って来たことで、必ずしも「都に変える」ことがプラスとばかり言えないような雰囲気が出てきたのではないのか。今回の改革に失敗すれば、政党としての「維新の会」そのものにも“すきま風”が吹く。一時期のような勢いは、今の「維新の会」にはない。もし、否定されれば「都構想」を見込んで“商売”をもくろんでいた人たちは黙っているだろうか。逆に「都構想」実現となったら、反対していた人たちを納得させる“何か”が必要となる。そうでないと、大阪に元々存在している「香港」や「タイ」のような住民たちの対立構造が勃発しないとも限らない。

「500年前の件」で謝罪し、絵文書も貸せ⁉

2020-10-25
500年前、現在のメキシコは「アステカ王国」だった。それなのにスペイン人たちがやって来て、先住民たちに対して残虐な行為を働き、略奪をし、服従させた過去を持っている。だから「謝れ」と、現メキシコのアムロ大統領が息巻いている。わざわざ大統領の書簡を夫人に持たせて、現在のローマ教皇やスペイン国王を跪かせようとしているのだ。なかなかに大胆というか、どこかの大統領にそっくりというか、2018年に就任以来、その姿勢は一貫しているらしい。なにしろメキシコは独立200年、スペインからの侵略を受け500年、アステカ王国の建設から700年という“節目の年”を来年迎えるらしい。だから、そういう意味でも華々しいイベントの目玉が欲しいようだ。そうはいっても、そんなことを500年も経ってから言われても、やすやす応じることはできない。客観的に観ても、現在の「メキシコ」という独立国家が、現大統領名で“ローマ教皇”や“スペイン国王”に求めるべき案件ではない。バチカンのフランシスコ教皇もスペインのフェリペ6世国王も、もちろん応じようとしていない。もし、そんなことに応じていたら、世界中の国々で「謝れ合戦」が始まってしまう。世界の歴史は悲しいかな「侵略の歴史」だからだ。それにローマ教皇の場合、1992年にパウロ2世が既に謝罪しているのだ。だから「歴史的な行為は、現代に照らし合わせた形で判断されるべきもので、要求は論外だ」と撥ねつけられている。大体、アムロ大統領はちょっと無神経すぎる。それでいながらスペインなどヨーロッパに渡った先住民のボルジア絵文書やテノチティトラン古地図などを一年間公開したいので貸して欲しい…という要求まで出しているのだ。大統領は確かにトップでも「教皇」や「国王」とは“格が違う”ことを自覚された方が良い。

ホテルに残された「遺影」「骨壺」は忘れ物なのか

2020-10-24
客足が戻りつつあるホテル業界だが、そのホテルマンが語ったという“忘れ物”についての記事が興味を引いた。ホテルの忘れ物で圧倒的に多いのが「スマホの充電器」「アクセサリー」「洋服」の三種であるらしい。確かに、これらの関してはだれしも納得がゆく。洋服は時間に追われて最後の点検をせず、そのままクローゼットに入れて出発してしまうケース。スマホの充電器は片付けようと思いながら何となく別のことに気を取られて忘れてしまうケース。アクセサリーは洗面台などに置いたまま、翌日になると忘れてしまっているケース。まあ、大体そんなところだろう。わからないのは「大型家電」「超高級時計」「遺影」「骨壺」の“忘れ物”もあるということで、しかも、その多くはそのままになってしまうケースが多いらしい。購入したばかりの大型家電や超高級時計を忘れてしまうのは、外国人観光客に多いのかもしれない。日本人だと、大型家電をホテルに運ばせることなどしないだろうからだ。また超高級時計の方は購入したこと自体を忘れたのか、或いは急いでいて腕から外したままホテルを出てしまったのか。一番の問題は「遺影」や「骨壺」を忘れていく客だ。私は初めて知ったが、ホテルというのは基本的に“忘れ物”に関しては、客側からの問い合わせがない限り、ホテル側から連絡は入れないのがルールなのだそうだ。したがって「遺影」や「骨壺」でも、問い合わせが無ければ一定期間は保管し続けることになる。だが、こんなものを“忘れる”だろうか。「遺影」や「骨壺」は、基本的に家族に渡される。当たり前の話だが、家族以外に持ち帰るはずがない。したがって、いったんホテルに泊まる形で「遺影」や「骨壺」を部屋に置くのは、身内ではあるが今現在は一緒に暮らしていないケースが多い。親子・兄弟の場合が多いと思うが、何年も、時に何十年も疎遠になっていた可能性もある。さらに離れて暮らしていたということは、関係性として“良好ではない”場合があるに違いない。そう考えてみると、実は「置き忘れた」のではなく、故意に「持ち帰らなかった」可能性はないのか。最終的にホテル側がどうするのか知らないが、遺恨を持つ関係は「死後」までも引き摺る可能性がある…。

秋篠宮家の「姉・妹」は立て続けに結婚する⁉

2020-10-23
私がここで前天皇ご夫妻が、やがてアメリカに居住するようになる秋篠宮眞子&小室圭ご夫妻の子供に逢いに行くようになる…ということを書いたのはいつだっただろう。もちろん、まだ前天皇ご夫妻が“天皇ご夫妻”だったころの話だ。もちろん、まだ正式に秋篠宮眞子さまと小室圭氏との結婚は成立していないし、“宙に浮いた”形のままである。けれども、あれだけのバッシングを受けながらも、2人は破局しなかった。私が最初から予見していたように、この二人は相性が良い。ただ小室氏は「天皇家」にすんなり受け入れられる四柱命式もホロスコープも持ってはいない。ここが問題なのだ。したがって、彼が眞子さまと結婚するには「天皇家」と距離を置くしかなく、アメリカ生活が相応しいということになる。したがって、眞子さまと結婚するには最初からアメリカに新居を持てば良い。実際、そうとしか思えないような状態で今日まで来ている。眞子さまのホロスコープは太陽と月とが180度で対冲している。これは公的な生活を重視すれば私生活が犠牲となり、逆に私生活を重視すれば公的生活が犠牲となる惑星配置だ。“両方を上手く”というのは事実上、不可能に近い。私は以前、眞子さまの結婚時期として2021年6月上旬か2022年3月が良いと記した。また、彼女の妹である佳子さまには2021年10月の結婚が良いと記した。これらは、あくまでも占星学的な“佳き日”であって、宮中行事や職業的な憶測とは何の関係もない。つまり、偶然の選択なのだが、もしも、これらがそのまま実現する形となれば、どちらが先かはともかく「姉・妹」は半年もたたずに相次いで結婚していく形となる。世間やマスコミがそれらをすんなり許すかどうかは微妙だが、“暗い話題”が先行する「令和」の時代に“結婚ブーム”を巻き起こすくらいのインパクトを与えられれば、秋篠宮家にとっても“晴れがましい年”へと切り替えることが出来るのではないだろうか。

学校とは「生きる理由」を見つける場所

2020-10-22
現在、立命館大学の国際平和ミュージアムで10月28日迄「世界一貧しい元大統領から学ぶ本当の豊かさ」という企画展示が行われている。2012年の国連におけるスピーチで一躍有名となったウルグアイのホセ・ムヒカ大統領に関するパネル展示だ。この元大統領を慕って単身逢いに行き、インタビューしてきた女子大生らを中心に企画されたものだ。ホセ・ムヒカ氏は2010年から2015年まで大統領だった。けれども大統領公邸を嫌って、小さな農場で質素な暮らしのまま過ごしたことで知られている。そして収入の大半を施設などに寄付し続けた。彼は2012年に国連で「幸せとは何か」を問いかけた。どうすれば後進国を、もっと豊かに出来るかを話し合う場においてだった。「貧しい人とは少ししかものを持っていない人なのではなく、いくらあっても満足しない人のことである」この演説は有名になり、その質素な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」の称号を授けた。一時期、注目を浴びた大統領だったが、いつしか誰も顧みなくなっていた。けれども、その元大統領をずっと尊敬し続けていた少女がいた。やがてバックパッカーとなり、世界を巡り、そして元大統領に直接逢ってインタビューしてきたことで、彼女には「国連で働く」という夢が生れた。元大統領は彼女に言ったのだ。「素晴らしい人生とは、生きる理由を持っていることだ」そして「学校っていうのは、生きる理由を見つける場所なんだよ」これ以上の“教え”があるだろうか。誰しも人生の中で、さまざまな人から影響を受ける。そして、多くの人にとっては“他愛もない出来事”が、或る人にとっては“特別な出来事”になる。文字通り“生きる理由”を見つける出来事になるのだ。感受性のもっとも強い十代後半は、同時に“生きる理由”を見失いがちな時代でもある。それが何であれ、見つけることが出来た人達は「素晴らしい人生」を歩めるかもしれないのだ。

「赤い糸」が「一軒家を無償で借りられる権利」に発展

2020-10-21
あなたは「赤い糸プロジェクト」をご存じだろうか。もちろん知らないだろう。大阪市鶴見区のNPO法人「みらくる」が取り組んでいるコロナ困窮者のための“支援プロジェクト”だ。今年9月に立ち上げられたばかりなのだが、その最初は100円ショップで購入された「赤い糸」からスタートして、現在は何んと「一軒家を最大十年間無償で借りられる権利」にまで発展した、現代の「わらしべ長者企画」ともいうべきものである。単なる「支援金募集」などでは面白くない。みんなが楽しみながら、この企画に参加をして“社会貢献をしていこう”という発想のもとにスタートしている。なかなか興味深いプロジェクトなのだ。9月24日にスタートしたばかりなのだが、100円の「赤い糸」は「コーヒーセット」や「色鉛筆」や「西武時代のユニホーム」など次々に変化して、とうとう「三階建85㎡一戸建ての最大十年間の無償供与の権利」という“信じがたい価値”まで跳ね上がった。ここに参加した人たちの多くが、物々交換によって得た品物をちゃんとコロナで困窮している人たちの元に届けていることも素晴らしい。例えばコーヒーセットは、コロナの入院患者多数を抱える病院で働く人たちの元に届けられ、色鉛筆のセットは困窮者の園児が通う幼稚園へと届けられた。もちろん、最終的にはお金に変えて“その種の団体”に寄付するのだろうが、個別的にも活用されて支援しているところが良い。何よりも私が好いと思ったのは、楽しみながら「支援する」という考え方、これが素晴らしい。確かに「わらしべ長者型」の支援は、最終的に何に変わっていくのか、誰にも予測できない。しかも、それは“善意の輪”でありながら“好奇心の輪”でもあり“夢の輪”でもある。11月22日までらしいので、まだまだ大きく広がっていく可能性もないではない。とてつもないものに変わって、とてつもない金額に変わったなら、どんなに素晴らしい「赤い糸」が結ばれることだろう。

ピカピカの40年前に戻る「勇気」

2020-10-20
女優の宮崎美子氏が自らの芸能生活“40周年”を記念して「カレンダー&フォトブックセット」を発売した。そして40年ぶりにカメラの前で“ビキニ姿”を公開している。ほぼ同時に「週刊現代」でも11ページにわたって写真姿を公開している。“40周年記念”と言ってしまえばそれまでだが、彼女の場合には、その中間に“グラビア時代”はない。確かに「健康的なビキニ姿」でブレイクしたのだが、その後は女優として脚光を浴びたので、水着姿になることはなかった。例えば熊田曜子氏や中島史恵氏のような“セクシー写真集”とは無縁であった。むしろ、政治や社会の問題を扱うような番組に出演するケースが多かった。それで落ちぶれて行ったのかといえばそうでもなく、むしろタレントとしての好感度を保ちながら、女優業もこなしていた。つまり、普通で言えば、今さら「裸を見せなくても…」というタイプの女優だった。したがって今回の“ビキニ姿”は、或る種の“勇気”を伴ったはずだ。特に「週刊現代」にも公開しているということは、還暦に達し40年を経過して「初心に帰る」とでもいう気持ちが無ければ、行えないことのような気がする。もしかすると、彼女は何人かの著名な芸能人たちが“自ら死を択んだ”ことに対するメッセージを発信したかったのではないか、私にはそんな気もするのだ。「私は老いても、自らを晒して生きていく」そういう“無言のメッセージ”なのではないか。芸能人といえども、当然のことながら、誰もが老いる。誰もが、若い時のままではいられない。けれども、それは自然なことなのだから、老いを晒しても良いのだ。自然に齢を経て来た姿に誇りを持てばよい。実は彼女は、どちらかといえば“穏やかな顔立ち”であるが、耳の内郭だけは「くの字型」に突き出ている。こういう人は“自分の生き方”を貫きたがる。“生き方”に関してだけは頑固なほどに信念を貫く。それは同時に「開拓者」としての意識を伴う。つまり「世の60代の女性達よ、私に続いて欲しい」という本能的な“願い”を持っている。果たして、彼女に続く人たちは現れるのか…。 « Older Entries