12月, 2020年

草津「町議失職」となった謎を解く

2020-12-07

「草津温泉」と言えば、日本を代表する“名湯”の一つだ。その“温泉・観光”によって潤ってきたのが群馬県草津町である。その草津町で昨年から“大問題”になっていたのが、町長による町議に対しての「レイプ被害」の告発問題である。三期に渡って草津町長を務め、“草津温泉”のアピールで町を活性化した功労者として、慕われていた町長が女性町議を「町長室でレイプした」というのだから穏やかではない。ところが町議会は、告発した本人に対して「議会の品位を著しく汚した」として“解職請求”を行い、その“是非”を問う住民投票が昨日行われた。その結果を受けて、この街でただ一人の女性町議であった新井祥子氏が“失職”となった。「レイプ」を告発された方ではなくて、その被害者として告発した方が、地元住民たちから“拒絶”された形なのだ。それも圧倒的な大差であった。実は、この問題は、これで終わりではなく、また民事による“法廷闘争”が残っている。どうしてかと言うと、町長側の方が「名誉棄損」で訴えているからだ。確かに、もしこれが単なる“捏造”なら、訴えてしかるべき事案ではある。なにしろ、正月過ぎの1月8日に、町長室で町長が女性町議に対して、単なるセクハラ的行為と言うのではなく、レイプ=強姦したというのだ。或る意味では“刑事事件”となっていても、おかしくはない事案なのだ。どうして“刑事事件”とならなかったのか、一つにはそれが“5年も前のこと”だからである。つまり、新井祥子元町議は、4年間以上も黙っていた。どこにも、だれにも、それを訴えてはいなかったのだ。それを突如、電子書籍という形で2019年11月になって発刊する。そのあと議会でも証言することになる。どうして、そんなに何年間も黙ったままだったのか。私は、その点がいちばん引っ掛かった。そうして、彼女の生年月日からホロスコープを作ってみて、その“謎”が解けた。彼女が述べていることは“作り話”ではないだろう。彼女が主張する2015年1月8日、トランジット(移動中)の冥王星は彼女の出生時の金星と90度、同じく天王星は金星と0度で一体化している。このような時に何が起こるか、“予期せぬ出逢い”や“背徳的な恋愛”が生じがちなのだ。つまり、彼女にとって、町長からの予期せぬ形からの“性的な求め”は、衝撃を与えたが、同時に“不倫恋愛”的な悦びも与えた。だから、彼女は「黙秘」をしたのだ。それが証拠に、その後も彼女は、町長の支持者として、その町政応援などにも加わっている。嫌がってはいないのだ。本来であれば、黙秘はしたとしても“距離は置く”はずであるのに、それはまったく行っていないのだ。それを町民たちは見ていたから、彼女の“告発”に対して、味方として応援してくれようとはしなかったのだ。

「かつかつOLの日常」が「日本新」を導いた

2020-12-06

今やオリンピックの出場選手は、ほとんどの場合にはスポンサーがついていて“実質プロ”の扱いを受けている。もちろん、日本で人気がないスポーツや認知度の低いスポーツは、いくら実力があってもスポンサーはつかない。そういう点で言うと「走るスポーツ」は、日本では人気があってスポンサーが付きやすい。女子の長距離選手に新谷仁美氏がいる。女子1万メートルで、これまでの日本記録を大きく塗り替える30分20秒44の「日本新記録」を打ち立てた。現在、積水化学に所属している。実はこの選手、2014年から2018年まで“引退”生活をしていた。ロンドン五輪にも出場し、その後も期待されていたのだが、右かかと痛の持病を持っていて、これ以上はムリだと自己判断し、2014年になってすぐ“電撃引退”をしてしまっていたのだ。そして、普通のOLになった。痛む足を引き摺りながら練習するより、ごく平凡でも“苦労の無い生活”が好いと思ったのだ。確かに、OL生活は“身体”に優しかった。アスリートのような食事制限もなく、健康的に太った。それは本人が望んでいた“体に優しい”生活だったが、何かが物足りない。一番は「お金」だった。当たり前の話であるが、一般のOLの給与など知れている。特別な学歴があるわけでもなく、走る以外に、特別なスキルがあるわけでもない。それは想像以上に“欲しいもの”を我慢しなければならない窮屈な生活だった。ふと「走ればもっと稼げるのに…」という想いが脳裏をよぎる。それに、練習をしていないと、余計なことばかり考える。将来の惨めな生活が頭に浮かぶ。「やっぱり、戻ろう」彼女は決断した。そう思ったら早い。すぐにトレーニングを開始し、積水化学と話をつけた。実際に復帰してみると、以前のようなストレスがない。どんなに過酷な練習も「プロだよ」と、自分に言い聞かせられる。こうして、あっという間に元の記録まで到達でき、次々と大会を制していくことが出来た。彼女のように、いったんは故障で“その世界”から遠のき、一般女性の暮らしに戻って、その後年数を置いてから再び“還って来る”アスリートは多い。いや、アスリートだけでなく、特殊な分野には“そういう人達”が多い。人間は本能的に自分が「魂を燃やせる世界」を知っている。どんなに過酷でも、その世界なら「生きている」と実感できて、全身全霊を捧げられる世界を知っている。だから、いったん“その世界”を失っても、普通の暮らしの中で、本能的に“そこに戻ろう”とする状況を作り出しやすい。「昔取った杵柄」は、どんなに錆び付いても、磨けば輝き出すのだ。

「当たる占い師」からの「取材鑑定記事」掲載

2020-12-05

私は基本的に、他の占い関係の“ネット記事”を読まないので「波木星龍」に対して、どこで誰が何を書いているか、どのように評価しているか、どのように感じているか、ほとんど知らない。別にどう思ってもかまわない。だから時々、最近ではネット上のメディアが多いが、取材を受けても「私の何をどのように書いても構いません」とお答えする。今回は「当たる占い師.com」というサイトからの取材だったが、正直、あまり“取材された”という実感がない。なぜかと言うと、取材の方について「占ってもらった感想を記事にします」と言われ、実際に鑑定したのだが、その後に取材するのだと思ったが、実際にはほとんど取材らしい質問などなかった。だから私は拍子抜けして「本当に取材なのかな」と思ったくらいである。その「当たる占い師」の方から、取材鑑定の記事が出来上がったということで送られてきた。https://xn--n8jtcygs04l0jlvtb.com/4771https://comingout.tokyo/22917 が、その取材記事である。ここの記事で大変気に入ったのは、私の画像や鑑定室の画像がなかなかよく撮れていることである。この種の取材記事としては一番かもしれない。私自身は、正直言って、自分の顔貌が人から見て「どう視えているのか」にも、あまり興味が無い。というか、実際にはどうでも良い。ただ一応、今は「お客様商売」をしているわけで、そういう意味では一応“ちゃんとした外貌”をしている必要性がある。もし、こういう商売ではなかったなら、自分の外貌などどうでも良い。鑑定室に関しては、正直、今の室内の広さではこれ以上どうすることも出来ない。もし、もう少し広ければ、購入したいインテリアとかもあるのだが、現状ではムリなのだ。19世紀の末に活躍した手相家キロの鑑定室の画像を観たことがある。なかなかに雰囲気のある鑑定室だった。本物なのかどうか知らないが、キロによればエジプトに行って手に入れた「王女ミイラの手」なども置かれていたらしい。そこまですると、逆に妖しいが、私にもアールヌーボーやアールデコの雰囲気を彷彿とするような鑑定室にしたいという願望はある。もっとも、それならば、もっと広くて高級なマンションにでも引っ越さなければ無理なのだが…。現状では書棚から書籍があふれ、ぎしぎしに詰めるものだから見た眼的に良くない。本を書棚に、ぎしぎしに詰めるなんて“貧乏人”のやることではないか。土台が事業に失敗して逃れてきた父親のもと、極貧の家庭で育ったのだから、ぎしぎしの方が私にはしっくりくるのだ。本を書く時でも“すき間”のある本は、どうも落ち着かなくて嫌だ。“貧乏人”が染みついている私は、ぎしぎしでなければ落ち着かないのだ。

公道を走れる「キックボード=🛴」の時代⁉

2020-12-04

「キックボード」と呼ばれる“乗り物”を知っているだろうか。時々、海外の映像などで視る短いスキーの板のような乗り物のことだ。通常は“立ったまま乗る”形式だが、最近は“座れる形”に出来るものもあるらしい。“1人乗り”が普通だが、“二人乗りOK”の形状のものもあるらしい。また、これまでは日本では“公道を走れなかった”ように思うのだが、最新のものは日本においても“公道を走る”ことが出来るらしい。実は今年に入るまで、一部の若者を除いて、この「キックボード」という乗り物は、それほど人気があったわけではない。ところが、世界的な“コロナの流行”で、生活スタイルを変えようとする人たちが増えてきた。その一つの表れとして電動キックボードに注目が集まっている。アメリカでは既に「電動キックボード戦争」という名称までつけられて各メーカーが競って、その開発に乗り出した。わが国でも“日本仕様”ともいうべき形や構造に改良した「eXs2」が12月15日に発売される。価格は7万円である。軽量で、“折りたたみ可能”で、3段階に“走行モード”が切り替えられるという点も、街中で使うのに適している。何よりも、日本では“不可”だと思われていた「公道走行」を可能に開発したところが素晴らしい。もっとも、いちばん気になるのは“安全性”の面である。日本の場合、アメリカなどと違って“狭い道”が多い。したがって、車両に挟まれたりすると事故につながりやすい。おそらく、日本の場合には“安全面”での工夫などが、今後の改良課題として残されていくように思うが、近隣への移動とか、狭い道路の走行とか、自家用車に変わる存在として若者たちの間に“急速に普及していく”可能性もある。ただ、どちらかと言えば“気候の良い地域”向きで、北海道の冬場などは滑るので“危険な存在”となること間違いない。こういうものは“アメリカ人好み”のような気もするが、省エネで“置き場所を取らない”利便性もあるので、もし若者たちだけでなく、日本の場合、主婦層に普及し始めると“一気に流行する”可能性がありそうな気がする。もっとも、自分自身はどうかと言うと、元々運動神経が鈍いので、公道は怖い。どう考えても怖い。自動運転の車が、早く出来てくれた方が良い。

「香港は廃墟の街に…」私の予言が徐々に進行

2020-12-03

昨日、香港の“民主活動家”周庭氏に対して「禁固10カ月」の判決が下った。無許可のデモを“扇動した3人”の1人としての刑罰だが、彼女はこれによってもはや「政治」や「思想」というものと“無縁”な人生を歩むことは出来なくなった。人には、それぞれ、その人生における「大きな岐路」ともいうべき時期がある。彼女の場合、二年前なら、まだ“別な人生”に転換することは可能だった。けれども、もう、後戻りできない。彼女は、好むと好まざるとに関わらず“この道”を突き進むしかないのだ。人の人生というのは、最終的には、本人が決断するもので、運命の女神は何度かさまざまな出来事によって“選択の機会”を与える。奇妙なもので、どんな運命でも、それが“特異な場合”には、必ず“選択の機会”は与えられる。それを本人が拒否するか、そのまま進んでいくか、それによって「道」は決まってくる。したがって、彼女の場合なども「雨傘運動」と呼ばれた時期には、象徴的にマスコミで取り上げられて、まだ「人生の道」は確定していなかった。けれども、もう選択の余地はないのだ。今後の長い人生を、彼女は「民主化のシンボル」として生きていかなければならない。日本でも、かつて岡田嘉子氏という女優が、杉本良吉氏という演出家と“国境越え”を行って、ソ連(現ロシア)に逮捕され、その後の人生を大きく変えられた。今から80年も前のことである。それまで日本のトップ女優だった岡田嘉子氏だったが、逮捕されて後は“思想犯”として不遇な人生を歩んだ。最初から政治とか思想の世界を目指す人は別だが、そうでなければ“政治世界”や“思想・宗教の世界”にはかかわらない方が平穏な人生が送れる。ところで、私が「香港が廃墟になっていく」と最初に予感し、それをブログ上で記したのは、まだ日本のマスコミが「香港の民主化デモ」を、大きな出来事として扱っていない頃だった。私は、いつもそうだが、多くの人達がそれを感じて、それに意識を向けるような頃には、もはや“そのこと”は遠くに行っていて、私の中では「過去のこと」になっている。だから、私がこういう風に“後追い”で書くのは珍しいのだが、それは実際に何十年か先の香港が「香港ではなくなっている」ことを予感するからだ。つまり、完全に「大昔は繁栄の拠点だった街」として、紹介されるような時代がやってくるのに違いない。周庭氏は、それを知らない。

2020年12月の運勢

2020-12-02

12階にぶら下がった「命の重さ」

2020-12-02

中国のマンションは日本のマンションに比べると、“安全面”という点で少し見劣りがする。例えば日本のマンションの場合、よほどのことがなければ、ベランダの枠柵から外へ幼児が落ちてしまうことはないよう配慮されている。もちろん中国のマンションでも、ベランダの鉄柵は頑丈だが背丈が低くなっている建物も多い。そのマンションの13階に暮らしていた2歳の男児の父親は、子供がベッドで寝ていることを確認したうえで外出をした。必ずしも安全を怠ったとは言えない。けれども2歳くらいの幼児が、いちばん好奇心が強く、怖いもの知らずで何にでも向かっていく。多分その男児は、自分が寝ている間に父親が居なくなったことで、捜す意識で部屋を巡ったに違いない。そのうちにちょっとした隙間からベランダまで出てしまった。おそらく、その鉄柵の近くに何かが置いてあったのだ。そうでなければ、いくら背丈が低いとは言っても2歳の幼児が枠柵を越えられるものではない。一瞬の間に男児は鉄柵から滑り落ちた。ところが、そのすぐ下の階の鉄柵の隙間に手指が引っ掛かったのだ。尋常ではない様子に下の住人が気付き、ベランダまで走って幼児の手を中に引き入れた。そうは言っても身体は暗闇の外である。鉄柵の下の方に腕が挟まっている状態となったので、抱き上げ引き上げるということも出来ない。異様な状態に、他の住民たちもそこに駆け込み、幼児の腕をしっかり掴まえる。騒然となった。やがてレスキュー隊員が来て、特殊なペンチで慎重に鉄柵を切って、無事、泣き叫ぶ男児を部屋の中に引き入れることが出来た。おそらく2歳であったことが幸いしたのだ。3歳以上なら、鉄柵の隙間に腕が挟み込まれる奇跡は起きそうもない。また仮に挟み込まれても、鉄柵を何本も切らなければ部屋の中に救出が出来ない。よく「命の重さ」というが、レスキュー隊員が辿り着くまで、必死で腕を掴み続けた12階の住人は、その「命の重さ」を実感したに違いない。私は幼い頃、室蘭のイタンキ浜の崖っぷちで、恐怖から身動きが出来なくなってしまったことがある。崖と崖との間には60㎝ほどの隙間があって、そこを飛び越えないと元来た道に戻ることが出来ない。私は動けなくなって泣き出してしまった。その私の泣き声を聴きつけ、一人の青年がやって来た。そして、向こう側の崖から手を差し伸べてくれた。「この手に掴まれ」という意味だった。私は泣きながら、その手にしがみついた。足も動けば良いのだが、足の方は動かないのだ。青年の表情が曇った。下手をすると私の体重で、自分まで滑り落ちてしまう。けれども必死で私の全身を引っ張って、飛び越えさせてくれた。私は泣きながら礼を言ったが、青年は「無茶すんなよ」とだけ言って去っていった。

難産の末「誕生」のホームページ

2020-12-01

私の場合、何でもそうだが、あまり物事がスムーズにスタートできることは、まずない。この“新しいホームページ”も決してやさしく誕生したのではなく、文字通り“すったもんだ”のあげくにようやく誕生した。なにしろ、変更が必要だというHP制作会社の意向を入れて、依頼してから1年半が経つ。おそらく、そんなに長い時間かかっての“変更”になるとは、私の方も、制作会社の方も思わなかった。途中、いろいろとあって、スムーズに物事が運ばなかったことが一番の原因だが、とりあえず、誕生出来たことは良かった。このブログを“有料にする・しない”ということも、占い料金の価格設定の点でも、紆余曲折があった。今のような、多くの方達が経済的にも窮地に追い込まれているような時期に、有料化することに抵抗はあったが、昨年から決めて動いていたことなので、今さら後戻りできない。この“新しいホームページ”では、鑑定料金に関しても、前のものと比べるとやや複雑である。基本的にはそんなに変わらないのだが、誤解を防ぐため細かな解説を加えた。私自身は本来、あまり面倒なことは好きではない。あまり複雑にしたくないのだが、世の中が“そういう方向”に動いている以上、それに見習うのが、逆らわない“生き方”のような気もした。出来上がったは良いが、初日からメールやこのページに関してもトラブルがあった。いつもなら、早朝に書くブログを午後になって書いている。どうも幸先が悪い。まあ、しかし、それはいつものことだと思えば、気も安らぐ。誰でもそうだが、何か“新たなこと”を始める時には、必ず、何らかの“予期せぬ出来事”は起こる。なにしろ、大変なる難産の末に産まれた“我が児”のようなホームページなのだ。そのうち、元気に活躍してくれることだろう。“難産”と言えば、私の“新しい本”もなかなかの難産である。やっと、原稿そのものは出版社に渡したが、今回のものはかなり“マニアックな内容”であり、それでいて好奇心の強い人にとっては“興味深い”内容でもあるので、まあ、そこそこ期待してほしい。もっとも、ちゃんと「形」になるのか、どういう風に「形」になるのか、今のところ判然としていない。YouTube動画にしても、果たしていつまで続けられるものか、どういう形で続けられるか、正直言って、すべて“動画のパートナー・みわさん”に任せてあるので、彼女しだいと言った感じになっている。だから、もし、途中で終わってしまったなら、それは彼女の方が何らかの事情で止めにする形を取ったとき…になるだろう。あらゆるものを「運命の手」に委ねるのが私の“生き方”だ。この“新たなるホームページ”のように、暗雲垂れこめている未来なのかも⁉

Newer Entries »