12月, 2020年

「人種」や「民族」の“タブー”と境界線

2020-12-19

タレントで弁護士の橋下徹氏が自分の子供達の「K-pop好き」に悩まされている、という話を読んだ。何事にも歯切れが良い橋本氏が、こと自分の子供達が本能的に惹かれている「K-pop」を取り上げるわけにもいかず「好きなのは良いけど、日韓の歴史も勉強してね」というのが精いっぱいだった、という話に何となく和んだ。こと自分の子供の“本能的な好み”だけは、どうすることも出来ない。「韓国旅行もねだられている…」というあたりは、父親としての“優しさ”が滲み出ていて、別に何がどうということもないのだが、この話は良いな、と思った。近年“歴史教育の重要性”が語られるが、幼い子供達は“歴史”などには関係なく、本能的に“好み”で選択する。考えてみれば、日本の文化だって、今やアニメや漫画を通じて世界的に広がっている。そういう漫画で育った若者たちが日本に多数やって来ている。日本人以上に日本のことを知っている若者たちだ。例えば、今年の大ヒット作といえば『鬼滅の刃』だが、私がこの作品の名前を初めて知ったのは、スペインでの《漫画ブーム》の記事を読んだときであり、一年以上も前のことだった。その時、スペインの若者たちの間でもっとも人気があったのが『鬼滅の刃』という作品だったのだ。実はその時、同時にフランスでの人気漫画、日本での人気漫画の作品名も記されていたのだが、どちらにも『鬼滅の刃』はトップに出て来なかった。まだ日本では、それほどの人気はなかったのだ。奇妙なことに、スペインの若者たちだけが強く反応していたのだ。そういうことを考えると、もはや子供達に国境はない。人種とか、民族とか、ましてや歴史とか、そういうことなど関係なく「好きなものは好き」という時代に移りつつあるのかもしれない。そういう点では、幼いころ、眼に触れるもの、耳に入ってくるもの、口にするもの、手指で実感するものは、とても重要だということになる。今は情報化時代になって、世界のあらゆるものが“選択肢”としてはある。無意識に「好き」で選択したものが、その後の長い人生を左右する可能性もある。私だって、家の片隅に放り投げられていた女性雑誌の“占い特集記事”を目にしなければ、こういう人生を歩んでいなかったかもしれない。5歳くらいの頃に出逢った雑誌の“特集記事”が、私の人生を変えたのだ。

ノストラダムスが採用した「木星&土星の会合」予言法

2020-12-18

最近、天文ファンの間では「木星と土星の会合」というのが話題を集めているらしい。天文学的には“稀な現象”などと言っているが、実際には時々起こる。大体20年ごとに起こるもので、そんなに珍しい現象ではないのだが、今回のように“長期間”接近し続けるのは確かに珍しい。今年の場合には12月16日から24日くらいまで接近し続けているはずで、その中でも特に21日から22日にかけてが“最接近”に視えるらしい。私の場合には、占星学のホロスコープを作る時に、いやでも“惑星同士の一体化”を「天文暦」上で眼にしているので、特別、珍しいことのようには思えない。個々のホロスコープにおいて、つまり出生年月日時において、地球上から視て惑星同士が接近し“一体化する”ことは決して稀ではない。『聖書』外伝にも、イエスキリストが生れた時、土星と木星と金星の“三つの星”が一体化していたとある。本当かどうかは微妙だが、仮に、この三つの惑星が一体化していた時に産まれたなら、信仰心やボランティア精神の強い人物が誕生したであろうことは間違いがない。この「木星と土星の会合」は、大昔から知られていた。実は古代ギリシャやローマの占星術師が遺した記録には、木星と土星の会合年時と、それに伴う出来事や事件が記された書物があって、少なくとも16世紀のノストラダムスが生きていた時代にはそれを読むことが出来たらしい。占星家でもあったノストラダムス自身が、その時の記録を参考にして「予言法」の一つを確立したと述べている。われわれはノストラダムスというと、有名な「1999年7の月…」で始まる“予言詩の人”という印象を抱きがちだが、それは日本で“作られたイメージ”であって、実際のノストラダムスは「実証的な研究者」であった。書籍にしても、予言書だけでなく、例えば「香水の本」なども書いていて、なかなかに博識だったのだ。彼は、古代の記録を読むうちに、同じような出来事が“同じような惑星配列”の時に起きるのではないか、と考えた。そうして、彼の時代の惑星配列の中で、古代ギリシャやローマの時代と重なるものを探し出し、似たような現象を具体的に予言していった。彼の場合、その根拠となったのは、もう一つの古代ギリシャの判断方法である「神託法」を使った。これは古代ギリシャ神殿の巫女が行っていた予言法である。それらを組み合わせて記していったのが予言詩の『百詩編』なのだ。

“孤独な人”しか住めない「生活感のない家」

2020-12-17

いつの頃からだろう。セレブの家は「生活必需品が眼に視えるところに置かれていない」という“噂”というか“伝説”というか、まことしやかに広まったのは…。それは、確かに、お手伝いさんが何人もいるような豪邸であれば、そういうことも可能であろう。けれども、自分で掃除・洗濯・調理もしているような家庭で、生活必需品を“視えないようにする”などということは、事実上は出来ない。いや、行っても良いが、余計な手間がかかるばかりで、あちこち動き回らなければならず、ゆったりと寛げない。まあ、普段、忙しくて、家には“寝るだけ”に帰って来るような人であれば、それも良いだろう。ほんとうに家庭・家族を愛する人の家というものは、そんなにきちんと整理・整頓されていないし、多少、雑然となっているくらいが人間らしくて良いのだ。「風水」的な観点から言っても、普段、生活必需品がまったく見えない部屋というのは、まず「潔癖感が人一倍強い人の住む部屋」ということになる。また“家庭的なものがない(視えない)”ということは、その人には「安らげる家庭がない」というのと同じことになる。もちろん、これは「散らかっている部屋が良い」ということではないし「整頓されすぎた部屋が良くない」ということでもない。けれども、われわれは自然に暮らしていく中で、いやでも部屋の中は多少は散らかるし、毎日使うものは、手に取りやすい場所、目立つところに置いておくのが普通だ。そういう「普通」を生活から取り除こうという人は“虚栄の人”ということになる。また「日常的なつながりを嫌う人」ということににもなる。つまり、潔癖感が人一倍強く、精神的に寛ぐことが出来ず、虚栄心が強くて、交際範囲も狭い人が暮す家こそ「生活感のない家」だということになる。何度も言うように、お手伝いさんが何人もいるような「超セレブ」なら話は別である。もっとも、そういう人だって、その家には実質ほんとうには馴染んでいないはずだ。生活必需品を自分自身でどこにあるのかわからないような部屋で寛げるわけがないからである。或る種、ホテル暮らしのような感覚で暮らすのであれば、馴染んでいくことは出来るだろう。そのような点から言えば、少なくとも日本人の感覚で、普通に生活している人は「生活感のない家」など求めない方が、幸せに暮らせるのだ。

「マスク絶対視」への疑問

2020-12-16

なんでもトップを走らなければ気の済まないアメリカだが、さすがに「コロナ患者数」のトップには危機感を抱いているらしく、“マスク着用義務”がさまざまなとことで見受けられるようになった。但し、それに伴ってのトラブルも多数発生している。先日、コロラド州デンバーの国際空港で、いったん搭乗した一組の家族が航空機から降ろされた。三人家族での搭乗で、そのうちの2歳の女児がマスクを嫌がり、父親が見かねて乗務員に自分が子供の口にマスクを当てるから…と妥協案を出したが、コンプライアンスを理由に、強引に機内から追い出されたという。その様子を母親が映像として投稿したのだ。航空会社側は「アメリカ疾病対策予防センター」の指示に従った“正当な行為”と応じている。ところが「世界保健機関」では“5歳以下の子供”に対しては「マスク着用義務はない」としていて、正誤の議論も分かれている。幼児が“息苦しい”マスクの着用を嫌がるのは、或る意味で“本能的”な拒絶で致し方がない。まあ、5歳くらいになれば、理解力が付き、マスク着用にも応じると思うが、それまでは“本能的な拒絶”を抑え込むことは、心身の発達過程としても“良くないのではないか”という気が私にはする。それに、私には前から不思議に思っていることがある。例えば、北海道の旭川市の場合、クラスターのほとんどは病院内の感染である。200名前後の感染者が、いずれも大きな病院内で発生している。看護師の方も患者の方もいるが、両方とも、もちろん“徹底した衛生管理”の中で生活している。日頃から消毒しを徹底し、マスク着用で仕事をしている看護師さんが多数感染しているのだ。つまり“飛沫感染”ではない形で、院内において急速に広がったと考えられるのだ。病院のような衛生環境を整えた建物でも拡散するのだから、マスクを着用するとかしないとかの問題ではないような気がする。もちろん、公共的な施設とか場所においては、マスク着用を徹底指導するのは職務として必要なのかもしれないが、さまざまな理由からマスク着用が難しい人もいる。もう少し“特例措置”みたいなものを設けてあげないと、そういう人達が“犯罪者”でもあるかのような扱いを受ける。さらに、最近は透明な“フェイスガード”もいろいろ出来てきているが、もう少しデザイン的に工夫をすれば、例えば“宇宙カプセル”のようにすれば、寒さも防げて、もっと普及するのではないだろうか。

「ヒノトリ」が「ダビンチ」を追い越せるか

2020-12-15

世の中には「ロボット」好きな人達がいる。自宅で「ペッパーくん」と暮らしている人もいる。もう少し“人間的な外見”になれば、私なども興味が湧くのだが、今のところ“ロボットとお話しする”気持ちにはなれそうもない。ただ実際にはさまざまなジャンルで既にロボットが活躍し始めている。その代表的な場所の一つが医療現場だ。昨日、神戸大病院の国際がん医療・研究センターで国産初の手術支援ロボット「ヒノトリ」が70代の前立腺がん患者の“がん”摘出に成功した。ここで重要なのは“国産初”という部分で、これまでは米国製「ダビンチ」の独擅場だったからだ。この「ダビンチ」は、世界中で5400台も普及していて医療現場における“ロボット界の寵児⁉”で、わが国でも400台ほどが既に活躍している。ところが、この「ダビンチ」には弱点がある。あまりにも高額なのと、“アメリカンサイズ”で少しデカすぎるのだ。安い方でも2億円、高い方なら3億円もする。加えて維持費まで掛る。したがって、これで元を取るためには年間300件くらいの手術に立ち会っていなければならない。ところが、そんなにフル稼働するほどの働き者ではない。しかも、すべての手術に有効かというと、そうでもない。そこで日本国内で何とかならないのか、ということで登場したのが「ヒノトリ」なのだった。名称が良いではないか。何なら「ブラックジャック」にした方がもっと良かったかもしれないが…。日本製品は、お安い。そしてコンパクトだ。なにしろ、狭い手術室だと、アメリカさんはぶつかったりする。他にも日本製では「ナビオ」という支援ロボットが存在するらしいが、がんの手術には立ち会わないらしい。人間の医師による手術と、ロボットによる手術と、どちらかを択ばなければならないとしたら、やっぱり私個人は人間の方が良い。同じ失敗をしたとしても、人間なら文句の一つも言えるが、ロボットでは冷たく見返されるだけのような気がする。それにしても、我が家のテレビはときどき「わかりません」とか「お役に立てません」とか言ってくる。別に何も訊いていないし頼んでもいない。勝手にしゃべりだすのだけは止めて欲しい。

新たな「幸せの価値観」提案した川崎希氏

2020-12-14

近年、一方通行的な「価値観」の押し付けが横行している。つまり、これこれに対しては「これが正しい」それ以外は認められない、という感じの“価値観の押し付け”である。その代表的なものの一つに既婚者の“不倫”がある。有名人の“不倫発覚”に対しては、本来なら直接的には何の関係もない第三者までが、不倫した人物を糾弾しようとする。「既婚者なのに不倫するなど許されることではない」という“価値観の押し付け”である。別に日本国憲法で、そういう風に定まっているわけではない。あくまでも個々の“倫理観”の問題に過ぎない。ところが近年は多くの場合、それが大々的に報道されると、人気だけでなく、仕事までも失う。それが当然でもあるかのような風潮が見られる。或る女性雑誌にアパレルブランドを展開する実業家の川崎希氏が第2子を出産後のインタビューに答えている。その中で彼女は、夫でモデルのアレクサンダーの浮気に関して、自分の知っているだけでも30回以上はあり、入籍翌日から発覚していたことなどを語った。けれども「もう慣れちゃった」とも言って、大らかに許しているスタンスを告げている。浮気されるのは嫌だが、それ以外の点は夫として満点だというのだ。つまり、彼女の場合、世間的な“価値観”で自分は判断しないことを明確にしている。そういう自分なりの「価値観」があれば、不倫を何度されようが“夫婦間”に亀裂は入らない。多分、彼女は、昨今の“浮気を許さない風潮”をやんわり批判したかったのかもしれない。同じような立場の人物として、元政治家でタレントの金子恵美氏が居る。彼女の場合も、出産直後に“夫の不倫報道”が出て、世間から「離婚すべき」と騒ぎ立てられたが、本人にその気はまったく無いようだった。それによって、彼女は一部の“夫が浮気経験”を持つ妻たちから熱狂的な支持を得た。今年になって再度、夫の“不倫報道”が出たが、自分の“監督不行き届き”だったとして、夫と共に謝罪した。スタンスとしては“似ている”のだが、微妙に違う。川崎希氏の方は、夫に対しての愛情が“浮気”を包み込んでいるように見えるし、金子氏の方は、夫の“不倫病”を発覚させてしまった“妻としての落ち度”として捉えている節が見られる。観方によっては「時代劇の妻」型が金子氏であり、「欧米のセレブ妻」型が川崎氏かもしれない。

「蘇りの年(⁉)」アステカでも「人骨」続々発掘

2020-12-13

“新型コロナ”による死者数が連日報道されるが、それと反比例する法則のように世界各地で“人骨”も続々と発掘されている。その先陣を切っているのはエジプトだが、これに負けじと続いているのが、マヤやアステカだ。12月11日、メキシコの首都中心部で、アステカ時代の“頭蓋骨”が119体も発見された。これまでにも、既に600体以上もの頭蓋骨が発見されていて、しかも、その遺物には昔から「頭蓋骨の塔」という名称がつけられていた。したがってアステカ時代であれば、実際には何十倍もの人骨が集められていた形跡がある。この地域は15世紀のアステカ時代には、首都であるテノチティトランの“主要な神殿”があった地域で、彼らは神々の怒りを鎮める儀式のために「いけにえ」をこの塔に集めたとみられる。同じメキシコでもマヤの場合には、神殿の頂上から、いけにえとなった若者の心臓をえぐり出し、それを「神」に捧げて、死体は神殿の階段を転げ落ちさせた。似たような儀式が存在したかは微妙だが、何かの目的から“頭蓋骨”を主とする人骨を集めていたことは間違いがない。それにしても、今年は本当に「蘇りの年」で世界各地の“古代文明地域”で死者・ミイラなどの発見がある。現代は“新型コロナ”のような疫病が流行っても、それを直ちに「神」や「悪魔」のせいにはしないが、何百年、何千年も昔なら、そのように思っても不思議はないし、そのために「いけにえ」が必要と考える精神を“邪悪なもの”とばかり言い切れない。実際、このように古代文明各地で“ミイラ”や“人骨”の発見が続くと「もしかしたら…」と考えたくもなる。最近の日本では、さすがに「呪術師」を名乗る人物はほとんどいないが、未だに世界各地には「呪術師」を名乗る人物が“妖しい呪術”を使って“奇跡”の喧伝をしている地域も多い。この呪術が「占い」と結びついている内はまだ良いのだが「宗教」と結びつくのは“危険”な方向へ歩み出すケースが多く、例えば「ブードゥー教」呪術などは、危険な“呪い”を真摯に願い出る者が居て、それに応じようとする呪術師が居て、その結果として発生したかに思える事件が後を絶たない。

ITバブル期「再現」する(⁉)SBG株の急騰

2020-12-12

通常、日本の「バブル期」と言うと、1980年代の後半を指す。日経平均が3万円台を謳歌していた時期だ。ところが、それ以外にも日本には「バブル期」が存在する。1990年代後半から2000年頃に訪れた「ITバブル期」である。この時期も「バブル期」と呼ばれたのだが、その前に必ず「IT」という文字が加わる。それは、その分野だけがとびぬけて“繁栄していた時期”だったからだ。それは数字にも顕著に表れ、90年代の後半「IT関連企業」は異様なほどもてはやされ、株価も企業業績など関係なく、軒並み急騰していた。ただ期間的には短く、しかも“IT企業”に偏っていたため、多くの人からは忘れ去られてしまっている。実際、この時期に登場して“生き残っている企業”が極めて少ない。つまり、ITバブルの“波”に乗って登場し、一時的には騒がれて株式上場を果たし、株価が急騰しても、その後“バブルがはじけて”崩壊してしまった企業がごまんとあるのだ。そういう点で、一般的に言う「日本のバブル期」とは大きく異なる。日本のバブル期には、どの企業であれ株価が右肩上がりだった。株価だけでなく、土地も値上がりし続けていた。つまりは、株や土地を購入すれば、だれでもが“金持ち”になれた。2~3年で、2倍とか3倍というのは当たり前だった。いつか「はじけるだろう」ことは、冷静に考えれば、誰でも解かる。ITバブルの時にも、大赤字の企業がぐんぐん急騰していった。なにしろ、株価は「その企業の未来を買う」ものなので、いま赤字であっても、将来的に“大儲けできる”予想が経つなら人気化する。さて、ITバブル時に、もっとも人気を集めていたのが孫正義氏が率いる「ソフトバンク(現ソフトバンクグループ)」であった。とにかく、そこだけに“買い”や“売り”が集まるので、連日、異様なほど盛り上がるのだ。こうして、ソフトバンクの株価はどんどん急騰し、あっという間に何十倍もの「値」が付くようになった。確か、最高198000円まで到達した後、一気に崩れた。完全に崩れた。底辺がどこだったか知らないが、確か800円くらいまで下がったのは記憶にある。100株からなので葯2000万円となっていた企業価値が、一気に8万円にまで下がったということである。途中で売れば良いと思うかもしれないが、急騰した株は、下がる時にも一気にで…売ろうとしても買う人がいない。だから、持ち続けるしかない。そういう「過去」を持っているのが、現ソフトバンクグループ(SBG)株だ。そのSBG株が、このところ急にざわついているのだ。激しく上がったり、下がったりしている。おそらく、しばらく、この状況は続きそうである。そうしながら急騰していく可能性が強い。現在は“投資会社”としての役割が強いSBG株にとっては「世界的な株高」が追い風になっている。これまで投資してきた企業がアメリカで上場を果たし、その株価が急騰しているからだ。今後も上場企業が増えていく可能性は強い。久しぶりにSBG株の売買高が急騰しているのはそのせいなのだ。この勢いが続けば、間違いなく今の株価の三倍にまでは行く。もっと行くかどうかは状況次第だ。もっとも、そうは言っても何かがきっかけで一気に下落する可能性もある。余裕資金があるなら“超おすすめ品”だ。

「的中しなくていい」ススキノ&鈴木知事

2020-12-11

私はときどき思うのだ。この何とも嫌な“私の予言”は、ほんとうに外れて欲しいものだ。ところが、そういう「外れて欲しい予言」ほど的中してしまう。そうして、期待を込めての「的中してほしい予言」はときどき外れる。ほんとうに困ったものだ。私が《窮地に立つ「ススキノ」と「鈴木知事」》を書いたのは、11月8日のことである。まだ、全面的にではないが、ススキノの店が営業を続けていた時だ。ところが、そのすぐ後から、ススキノの店にはストップが掛かる。特に“接客営業する店”には“営業休止”の要請が出た。もちろん、これらは北海道の“新型コロナ対策会議”で決められたことで、鈴木知事が単独で決めたことではない。ただ鈴木知事の意向が強く反映されているのは間違いがない。今回は12月25日迄のススキノ地区の“休業要請”である。さらに1月15日迄“延長する”可能性も示唆しての要請である。なかなか減らない感染者数に思い切った決断を下した形だ。それに加えて「新年のあいさつ回りの自粛」や「家族間でも5人以上の集まりの自粛」まで要請している。つまりは「動くな」ということのようである。まあ、北海道民というのは性質的には大人しい人が多い。その要請に対して、真正面から反論する人は出ない。「やむを得ない」というのが大方の反応である。札幌の感染者が減っていないのは事実だし、忘年会、クリスマス会、新年会、成人式、雪祭り…とイベントが相次ぐ季節だ。北海道の場合には、代表的な歓楽街と言うと「ススキノ地区」以外にはない。多くの人が、そこに集まって来そうなのだから、そこを取り締まるのは当然なのだ。最近では旭川市まで取り締まりの対象となりつつある。なにしろ、二ヵ所の病院内でクラスターが発生し自衛隊にまで派遣要請が出た。或る意味では“危機的状況”にあるのが北海道なのだ。ただ、北海道と言えば「札幌」、札幌と言えば「ススキノ」というくらい北海道の“屋台骨”と言っても良い地域が、全面的に営業自粛してしまうと、北海道の“火”が消える。あまり長期間、このような状態を続けると、飲食店だけでなくあらゆる業種から“活気”と“経済力”を奪っていくようで、それが怖い。いったん、失われた“活気”は一気に戻るものではない。特に、北海道の冬は寒く長いので、冬季期間は要請されなくても“不要普及の外出”は控えてしまうものなのだ。われわれはクマではないから“冬眠”するわけにもいかないが、北海道に春が来た時「ススキノ」&「鈴木知事」は大丈夫だろうか⁉

あまりにも遅い「行方不明」公開情報

2020-12-10

通常の感覚として、日頃から「夜遊びなどしない」女子中学生が、普通に朝「学校に行く」と言って家を出ている場合、よほどのことがなければ黙って外泊などしない。家族が、その日のうちに警察に「捜索願」を出したのは当然である。ところが、奈良県警は50人の署員を捜索に当たらせたが、なぜか“一般公開”はしなかった。行方不明になった中学生の馬場陽色さん(14歳)が自宅を出たのは12月1日の午前7時20分頃である。普通なら、そのまま学校付近までバスに乗り込んで向かうのだが、その日はバスに乗った形跡がない。当然、学校にも姿を現してはいない。今頃になって奈良県警は「事件に巻き込まれた可能性もある」と言っているようだが、この段階で既に“危うい”ではないか。県警の発表によると、12月3日の朝までは自宅から北西約1キロ付近で彼女の携帯電話の電波情報があった。その後、その発信は途切れているらしい。おそらく、奈良県警は50人の署員を投入して捜索すれば、自分達だけで“不明少女”を発見できると踏んでいたのではないか。まあ、それなら、それでも良い。但し、ここからがいけない。それで発見できなかったのなら、なぜ、すぐマスコミへの「情報公開」に切り替えなかったのか。ここが問題なのだ。父親の話から考えて、家族から「待った」を掛けたとは、とても思えない。あくまで奈良県警が独自判断でストップを掛けていたと見る。なぜか、おそらく、奈良県警の“メンツ”の問題なのではないか。人の命が掛かっているのに、メンツを持ち出すようでは困る。9日になって、もうどうすることも出来なくなって、彼らは“情報公開”をした。形態の電源が切られてから、6日も経っている。6日も経てば、仮に“殺された”と仮定すれば、もう犯人の逃走経路が掴めなくなる。仮に“拉致された”とすれば、はるかかなたの場所に幽閉することが出来る。万が一、本人が自発的に“家出”したのだとしても、10日も経てばもはや潜伏も変装も自由自在である。私には、公開された馬場陽色さんの写真を見て、一つだけ注意を引いた部分がある。彼女は上唇が厚い。こういう人は見ず知らずの人にも優しく親切で、知らない人だからと冷たくすることはない。その“やさしさ”の部分が、例えば、初対面の人から道を訊かれるなどした時、無視できない可能性がある。そういう風な感じで近づいてきた相手が「ワルい人」だったとき、途中までそれに気付かないで応じてしまう可能性はあるかもしれないのだ。

小島慶子氏の「エア離婚」という選択

2020-12-09

近年は女子アナウンサー出身タレントで個性的な人が増えてきている。その一人が元TBSアナだった小島慶子氏だ。何よりも彼女が注目されたのは、その拠点を日本からオーストラリアに移し、早期退職して“専業主夫”となった夫に変わって、自らが“一家の大黒柱”となって日本とオーストラリアとを“行き来する生活”を選択したことだろう。まだ十代の男児二人を抱えて、なかなかに大胆な決断だと誰もが思った。ところが、その小島慶子氏が最新号の『婦人公論』では、現在は「エア離婚」中であり、それを今後も継続するか、完全に夫婦リセットしてしまうか、悩み中だと記している。まず「エア離婚」というのがよく解からないのだが、彼女に言わせると、息子さんが学校卒業するまで、あと2年なので、それまでは“夫婦”を継続し、親の義務を終えたなら「解散しよう」という“約束状態”のことらしい。ところが、ここに来て、コロナのことがあって、彼女は日本から出られなくなり、夫と息子二人との生活が続く形になって、ムリに“離婚”という形式をとらなくても良いかな、という考えも浮上して、心の中が揺れている、と綴っているのだ。自分の家庭内のことを正直に記述している。例えば、もし「正式離婚」となった時に、旦那さんに“働き口”は得られるだろうか、と心配までしている。通常、ほんとうに離婚しようという人は、相手の“その後”にまで考えが及ばないもので、今の段階で“相手のその後”を考えるくらいなら、離婚しない方が良い。ところが、彼女に言わせると、旦那さんの考え方は“女性軽視(蔑視)⁉”もはなはだしいもので、何としてもその考えは“変えさせたい”気持ちが強いらしい。彼女の“生き方”からすると、その部分を理解できない人とは一緒に暮らせない、と言うのだ。こんなことを書くと、彼女になら叱られそうであるが、男性達の多くは“男・女の違い”を感じているもので、それは“心身とも”にそうであって、しかも、それは客観的に観て自然なことで、一部の団体や女性達が言うほど“同じ”ではない。そして、同じではないからこそ「男」と「女」は愛し合えるのであって、もし、その“垣根”を完全に無くしてしまったなら、愛の継続は難しくなる。最終的に“異性愛”も“同性愛”も完全に同一となってしまって、それでなくても「黒の舟歌」の歌詞のように「男と女の間には暗くて深い河がある」のに、どうやって渉っていけば良いのか。確かに現代は、昔のように“男尊女卑”の時代ではない。けれども、夫に“専業主夫”をさせている彼女が、夫のことを“女性軽視(蔑視)”だと責め立てるのは、少し違うのではないか。しかも、彼女から「エア離婚」宣言をされた時、旦那さんは“大粒の涙”を流したという。もしかして“女尊男卑”のようにも思えるのは、私だけなのだろうか。

「友達」→「結婚」にはアシストが必要⁉

2020-12-08

よく男女間であっても“友達”という形で、ずっと続いていく関係の組合せがある。そういう関係の多くは、片方の方は“友達”から先に進みたいのだが、なんとなくタイミングを逃していて、そのまま“友達”の関係を保っている。もう一方は、その方が「心地良い」というケースが多い。女優で西岡徳間氏の次女である優妃氏と若手俳優・杉山裕右氏も、そういう関係で十年間を過ごした。実際には杉山氏の方が、最初に共演した十年前から“片想い”だったのだが、西岡優妃氏の方が無反応だった。そこで杉山氏は“友達”で甘んじていたということのようだ。今年の夏に、たまたま優妃氏が父親と食事をしている時、友達である杉山氏が電話をかけて来て、三人一緒にテーブルに着いたことで、父親が気に入って、さりげなく“結婚”をアシストした。ところが、それでも優妃氏の気持は動かなかったようだ。けれども、その後に仕事で彼に手伝ってもらうことが起き、その“裏方”として手伝う姿を見て「この人なら」と気持ちを固めたようだ。父親のアシストがなければ、結婚は難しかったかもしれない。実際、男女間において“友達関係”となっている場合、そのどちらかが本能的にストップをかけているケースが多い。そういう場合、占いで「相性」を見てみると“良い部分”と“悪い部分”とが交錯しているようなケースが多い。或る意味では、だからこそ「ストップ」が掛かっていると言っても良い。この二人の場合にも、相性的には“良い部分”と“悪い部分”がみられる。夫の太陽と妻の金星は120度で大変に良い。だが、妻の太陽と夫の金星は150度で“難しい組合せ”だ。ただ、どちらも太陽と金星が45度アスペクトを持って生まれている。月と金星もアスペクトを持って生まれている。こういう“共通アスペクト”を供えている者同士は“同じような愛情観”を持っていて結び付きやすい。ただ夫側には金星と火星の90度アスペクトもあって“男と女の本質的な違い”で悩みやすい特徴がみられる。また妻側には金星と天王星の0度一体化もあって、常に一緒にいると“距離を取りたくなる”性質を秘めている。これらの部分をどう乗り越えていくかが二人の課題となる。どちらも現在、通過中の土星が妻側の金星や夫側の太陽にアスペクトしているので、結婚の時期としては相応しい。

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