2月, 2021年

「ネットメディア」から取材や依頼が続く⁉

2021-02-05

このところ未知の「ネットメディア」から、私に対していろいろインタビュー取材とか、掲載承認依頼とか、登録依頼とか、正直、よく解からない“依頼事”が多い。わけのわからないものに関しては、基本、応じることが少ないのだが、それでも何かしら気分の向いた時は“応じてしまう”こともある。最近では、SEEC「電話占い調査団」というところの“インタビュー記事”を受けたし、占いメディア「Zired」の記事承認の依頼、占いアプリ会社「urama」からの先生登録の依頼を受けた。私は、自分自身があまり“IT型”の人間ではなく、占いに関する“ネット関連サイト”などもほとんど見ない。だから、正直、最近の“占い業界”の情勢というものもよく解かっていない。ただ“コロナ騒動”が起きて以降、接客業に属する「占い」の在り方にも変化が起きつつあることは嫌でも感じる。私の知人の中に、東京圏内の商業ビルで“占いハウス”的なものを経営している人が何人かいる。そういう人の話を聞くと、占い師自体が“コロナに掛かる”ことを怖れて“ズーム鑑定”とか“電話鑑定”とか“メール鑑定”には応じても、店に直接出て来ることは“否む”占い師が多くなっているという。経営側にとっては、かなりの痛手になるらしい。もしかすると、水商売的な感覚の強い“移動型の占い師”にとっては、都会を避けようとする意識がはたらくのかもしれない。ところで「Zired」は私のことを「大御所」と記してあったが、いったいいつから私はそんな“へんてこりんな呼ばれ方”を受けるようになったのだろう。まあ確かに、その履歴はムダに長く、年齢的にも高齢に近づいていて、どう見ても「新人」とか「気鋭」とか「ホープ」という表現には程遠い。けれども「大御所」と言えるほどの功績もなければ、知名度もなければ、支配門下生もいない。まあ永年変わらず適度に継続し続けているに過ぎない。それでも、俗にいう「昔からの先生たち」が次々と亡くなってしまえば、いつの間にか“そういう風に視られる”ようになってしまったのか。世の中は怖い。

「女性蔑視」と決めつけるNYタイムスに疑問

2021-02-04

私は以前から「世の中の平等」をうたう一部の団体が、ちょっとした言葉や行動にも“過敏”に反応し、すぐに「差別」であるとか「蔑視」であるとか批判し過ぎることに疑問を持っている。人間にはさまざまな観方や捉え方があって、むしろ“一方向”ばかりの観方や捉え方を押し付けることの方が“非人間的”に思える。われわれはコンピューターではなく、あくまでも人間である。それぞれの人間には、それぞれの育った環境や社会から生じた“異なった価値観”“異なった感想”というものがある。その方が自然であり、それを無理に“一方的観方”として強要しようとするのは問題がある。東京五輪の森喜朗会長が窮地に立っている。彼はJOC評議委員会の席上で「女性が沢山入っている理事会というのは時間が掛かります」と述べたという。ごく普通の一般論として、ご自身の感想を述べたに過ぎない。これのどこが「女性蔑視」なのだろう。もしも、これに続いて「だから女性は加えるべきではない」とか「短時間で済ませたかったら女性は減らした方が良い」とか、そういうことを言ったのなら批判しても良い。けれども、彼はただ単に過去の経験としての“実感”を述べたもので、しかも、それは特別に的外れなものではない。女性が男性よりも、一つのものを選択しようとするとき、時間を掛けがちなのは誰もが感じている事実ではないか。そんなことは誰だって経験している。それを口にすることが「蔑視」だなどと決めつけるのは、あまりにも“過剰反応”過ぎる。大体、日頃、差別意識の強い人ほど「平等」「平等」と騒ぎ立てる。人種問題でも、宗教問題でも、性差問題でも、貧困問題でもそうであるが、本来、差別意識の乏しい人は、特別に騒いだりせず、元々差別などしないものである。あれこれ騒ぎ立てるということは、それだけ、その人自身の中に“差別意識”が存在しているからではないだろうか。もちろん、森会長というのが、これまで比較的“問題発言”を繰り返して来ていることは事実で、それゆえの反応であるのかもしれない。けれども、それならなおのこと、それ自体が差別であり、平等さを欠いた行為と言わなければならない。NYタイムスだけでなく、一部マスコミ人にも、そういう発言の目立つ人が居る。差別問題を発言するなら、まずは自分自身が日頃から周囲の人すべてを“平等に扱っているか”考えたうえで発言すべきである。

「日本株」の助っ人「ドル円」が動き始めた

2021-02-03

私は以前から「日本株」が大きく上昇していくための条件として「原油価格」の上昇と「ドル円」相場で“円安方向”へ動くことを主張している。その二つが、今しずかに好ましい方向へと動き始めている。まず「原油価格」だが、一時期20ドルを切ったこともある原油価格だが、現在は50ドル台まで戻した。理想は60ドル~80ドルの間なのだが、とりあえず50ドル以上となって徐々に“上昇基調”を強めているのは大変に心強い。原油価格が上昇すれば、中東方面からの資金が「日本株」にも流れ込む。名目上は「欧州からの投資」という形になるのだが、とにかく“世界の景気敏感株”として「原油高」「ドル高」は黙っていても“景気が良い証拠”として「日本株」を押し上げる。「日本株」が押し上げられれば、それが「株」ではなくて「実体経済」を“押し上げていく”ことに繋がっていく。したがって、黙っていても2年後、3年後には“日本の景気”が良くなっていく。そういう風に出来ているのだ。「ドル円」相場では、近年、じりじりとではあるが「円高」方向へと進んでいた。これは輸出企業の多い日本にとってはマイナスに作用する。1円の違いが“何十億円”の違いとなって出てくる“日本車企業”などもある。1円程度でもそれくらいに違うのだから、5円~10円も“円高”が進めば、輸出企業にとっては致命的となる。今年に入って、一時的に「ドル円」相場は“円高方向”に振れていた。102円台まで円高が進んだ。けれども、その後、徐々に切り返し、現在は105円まで呼び戻している。実は、こうして“ドル高”方向へと動くのは久しぶりなのだ。昨年は、ほとんどなかった。もちろん、それは輸出企業にとってプラスに作用するが、同時に「日本株」には“もう一つの面”でプラスに働く。海外の投資家の多くは「日本株」を“ドル換算”で考える。日本人のように、円で“上がった”“下がった”ではなくて、世界の株式を“ドル換算”をして評価しようとする。したがって、日本円で大きく上昇しても、ドル高になって“小幅高”程度なら、日本経済が大した回復していなくても、もっと上昇させても大丈夫と観るのだ。つまり、実体経済とかけ離れたとしても、ドル高が進んでいる間は「バブルだ」などと心配しなくて良いのだ。そういう意味で、ドル高が進むことは“日本経済”に貢献するところ大なのだ。意外と、今年は「115円」くらいまでドル高が進んで、それに伴う形で「日本株」が押し上げられ、やがて実体経済にも、徐々にそれが反映するような“動き”が出て来るのかもしれない。

2021年2月の運勢

2021-02-02

ロヒンギャの“恨み”が「軟禁」を導いたか

2021-02-02

2月1日、ミャンマーで事実上の国軍クーデターが起こり、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が拘束された。他にもウィン・ミン大統領など多数が拘束され、今のところ、国軍総司令官ミン・アウン・フラインが行ったクーデターは成功したように見える。クーデターが起きた理由は、昨年11月に行われた総選挙で国軍は「二重投票が行われた」疑念を持っていて、新政府が樹立される予定だった2月1日を、何んとしても“強行阻止する”手段に出たということだろう。国軍が、何を根拠として述べているかは不明だが、総選挙では「860万人分の不正があった」と主張していた。真実は不明ながら、もしも、そういうことがあったのだとすれば、強硬手段に出たのも理解できないことはない。それにしても、アウン・サン・スー・チー氏というのは「軟禁の運命」が“似合う”などと言ってはいけないのだが、またしても…という風には誰でも思うのではないだろうか。しかも、今回の場合には、前回ほどの“同情”は呼びそうにない。なぜなら、1991年に「ノーベル平和賞」を受賞した彼女は“民主化の旗手”のような扱いを受けたのだが、その後、自らが事実上の国家指導者に就任してから、推定100万人とも言われる“国籍を持たないロヒンギャ”族の問題に対しては、沈黙を守り続けていて“解決に導いた”とは言えないからである。彼女自身が言うように、確かに問題は根深く、国民感情も絡まっているので、解決は容易ではない。ただ推定100万人もいるのに「不法民族集団」という形で、国籍を与えない、というのはどう考えてもおかしい。ミャンマー人の9割は“仏教徒”で、対立してきた“イスラム教徒(ムスリム)”「ロヒンギャ」族を受け入れがたいのは理解できるが、“国籍”と“自由な往来”と“選挙権”くらいは認めてやった方がよい。結局、一定の区域以外から“出ることを禁じている”現在の状況は、文字通り「軟禁生活」と同じであり、今回、彼女がもう一度味わうことになった「軟禁の運命」は、そのままロヒンギャ族の“恨み”がもたらしたもの…にも思えてくる。「民主化の旗手」が権力を握って“旗手”ではなくなった時、神は、もう一度「軟禁」を与えたのではないだろうか。

「宇宙人」が、バカにされだした時代⁉

2021-02-01

今から50年ほど前「宇宙人」というフレーズは、とても新鮮で“輝かしい”響きを持っていた。ところが現代では「宇宙人」というフレーズは“怪しいもの”の代表的な象徴となってしまっている。元なでしこジャパンでタレントの丸山桂里奈氏が「海外で円盤を何回も観た」「よく宇宙人と出逢う」「コンビニなどにもいる」ということを真顔でTV番組内で語った。それが、あまりにも真剣で本気だったことで、ネット上で大きな反響を呼んでいるらしい。反響は二派に分かれていて「自分も同じような体験をしてみたい」という“応援型”のコメントと「彼女自身が宇宙人」という“否定あきれ型”のコメントにだ。まあ、どちらかと言えば“あきれ型”というか「大丈夫か⁉」と心配する人々が多いようだ。確かに、私も、ちょっと心配してしまうが、ただ現在だからそう思うので、これが40~50年前であったなら、このような反応にはならなかったように思うのだ。実際、70年代後半は「宇宙人」大流行の時代で、世界各国で“UFO事件”が起き、さまざまな奇怪現象が続いていた。UFO目撃だけでなく、宇宙人そのものの目撃談、UFO内に拉致され人体実験を受ける、という事件も頻繁に起こった。或いは家畜大量惨殺事件やミステリーサークル、更には「宇宙人の児を宿した」といった問題、体内に異物を埋められた、といった出来事が頻繁に報告された。誰もが漠然と、UFOや宇宙人を“恐怖”の対象として捉えていた時代であった。近年、UFO目撃も宇宙人関連の事件もどういうわけか極端に減った。今の子供達は「UFO」や「宇宙人」をどのように捉えているのか知らないが、ほんとうに70年代~80年代にかけて起こった多数の「不可解な事件」は“幻覚”のようなものに過ぎなかったのだろうか。UFOだけでなく、さまざまな“不可思議現象”は隅に追いやられつつある。けれども、さまざまな不可思議体験を持っている私には、それらすべてを「なかったこと」には出来ない。必ず、また「奇怪な事件や現象」に世界中がざわつく時代がやってくるに違いない。

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