4月, 2021年

「新商品」が数年後「懐かしい」に変わる

2021-04-30

近年もっとも“進歩”を続けているのは「情報分野」かもしれない。そのせいで、多くの人は“新商品”をあっという間に情報として知っていたり、視たり、聴いたり、使っていたりする。「商品開発」とか「新規開拓」とか「新企画」とか「新規オープン」とか…新たなものを生み出すとか、新たなものを打ち出すとか、初めての試みとか、斬新な計画とか、将来に向けての取り組みとか…とりあえず多くの人に知っていただいて、或いは視ていただいて、或いは試していただいて、或いは買っていただいて、或いは暮らしに取入れていただいて……。そういう分野では近年の“情報・伝達”のスピード化が大いに役立っていると言えるだろう。昔の人々は“情報・伝達”の手段が限られていたので、世の中に浸透させていくまでに時間が掛かった。そういう点で、ここ30年ほどの時代の変化は、スピーディーに世の中に“行き渡る”、或いは“行き渡らせる”という点では大成功した時代と言えるのかもしれない。もっとも情報だけが先行して、実態がそれについていかないような現象も多い。例えば、何かを発売するというニュースが流れた場合、そのニュースを知った時点では新鮮なので興味を持つのだが、それがいつまで待っても手元に届かないと、だんだん“新しいもの”としての値打ちが下がってくる。したがって、本来なら“新しいもの”を手にした悦びがある筈であるのに、何かしら、もう“手垢のついたもの”のように感じてしまって、新鮮な魅力がすぐに失われてしまう。最近、そういうものが多くなっているような気がする。あまりに早く“情報”だけが手に入ってしまうと、その“情報”が詳細であればあるほど、実際に手にした時の感激は少ない。そういう意味では近年のIT機器などは、どんどん前に進んでいかないと“新鮮さ”や“衝撃度”は失われるばかりである。つまり“新鮮な期間”が短いので、あっという間に“過去のモノ”になっていく。新製品だけでなく、新たなお店でも、新たなファッションでも、新たなアイドルでも、新たな流行歌でも、新たな書籍でも…何でもそうなのだ。そういう意味では“永い間”多くの人たちの心を掴んでいくというのは、これからの時代、容易なことではない。多分「永遠のテーマ」に基づかないものは、あっという間に消え去っていく時代となるのだろう。

“笑えない”キス芸が「汚点」となったふかわ氏

2021-04-28

タレントの岡本夏生氏が舞台上で芸人タレントふかわりょう氏から「強引にキスを強要された」として訴えていた裁判で原告側の“言い分”が認められて勝訴を勝ち取り、被告側に慰謝料1円の判決が下った。300人の観客が居る舞台の上で、半裸となったふかわ氏から「3度にわたって強引にキスをされた」という岡本氏の主張が通ったことになる。一方のふかわ氏は「事前の了解があった」といい、俗にいう“キス芸”の一種と主張したのだが、認められなかった。まあ当然と言えば当然の裁判結果だが、元々この二人は「5時に夢中」という番組の中で、人一倍密着度が強かっただけに、その“突然の降板劇”も含めて何かしらスッキリしない後味だけが残った。一説には、強引に番組を降板させられた恨みであるとか、ギャラの未払い問題が背景にあるとか、どうも“そのこと”だけで裁判に持ち込まれたのでもないような“裏側の事情”がありそうなのだが、もちろん、それらは裁判には直接関係ないので、公にされることはない。この種の“芸とは言えない芸”がTV番組などで時々行われる。芸人同士で行う場合だけでなく、番組スタッフがそれに加担していることもある。双方とも“了解”を得ている場合には良いが、タレント事務所などの力関係が露骨に表れているような形での“笑えない芸”は、確かに観ていても良い感じはしない。ただ、明らかに双方とも“了解を得ている”場合には、ほのぼのとした笑いを誘うこともある。「笑い」の尺度は人それぞれ異なるので、現代のようにコンプライアンスが厳しい社会になると、だんだん出来ることが少なくなって、それはそれで何かしらつまらなく感じることもある。結局、人間というのは“ギリギリのライン”を愉しむ部分も秘めているもので、何でも一律に規制するのではなく、どの程度までなら許されるのか、思いやりながら生きていくのが“賢い”生き方かもしれない。

64歳の義足に変わって「プロレスの復帰戦」

2021-04-27

最近はアントニオ猪木氏をはじめとして“闘病”している元プロレスラーが多い。80年代や90年代に活躍したレスラーたちは年齢的にも“齢”なので、身体を痛めつける職業の場合、あとになってそれが“病気”という形で表れてくるケースも多い。谷津嘉章氏は元々学生レスリングで無敵の強さを誇り、鳴り物入りで新日本プロレス入りした選手だった。けれども、レスリングの場合“アマ”と“プロ”では大きく異なる。技術的にどんなに優秀でも、気の弱い選手は荒っぽい“プロレス”には向いていない。初期の頃の谷津嘉章選手は性格的に“気弱”で、その部分が“プロレス向き”ではなかった。鳴り物入りで入団した割に、活躍する場面は少なかった。その後、彼はさまざまな団体を“渡り歩く”。しかも、その都度“上層部批判”を行って団体を飛び出している。こういう人は、レスラーでなくても、どの職種であっても、大体が大成しない。もし不満があるのなら、仕事上(彼の場合ならリング上)で、その不満をエネルギーに変えて爆発させれば良いのだ。プロレスの場合には、他の職種と違って多少の“暴走行為”はOKなのだから。けれども、元々性格的に不器用なのか“リング外”でそれを行ってしまう。結果的にあちこちの団体を“渡り歩く”レスラーの典型となった。2019年4月からDDTに参戦していたが持病の糖尿病が悪化し、右足切断を余儀なくされた。その後、川村義肢株式会社の全面的な協力のもと“プロレス用義足”が開発された。彼自身もリハビリに必死で取り組み、今年3月28日には足利市内を「義足の聖火ランナー」として走ることが出来た。そして6月6日には、“格闘技の殿堂”さいたまスーパーアリーナでプロレス四団体の合同興行で“復帰戦”を行うことが決まった。「時間差バトルロイヤル」という次々レスラーが出てくる変則的な試合だが、それでも逆に多数の若い現役レスラーの舞台に復帰できるのだ。もちろんレスラーは介護士ではないから、容赦なく肢を狙って攻めて来るだろう。そうでなければ「プロ・レス」ではない。その痛みの中で闘って、失っていた“闘魂”を呼び戻してもらいたい。

「給与」「賞与」減額が、正しい在り方か⁉

2021-04-26

奇妙なランキングがある。全国の都道府県の知事たちの「給与」や「賞与(ボーナス)」の“減額ランキング”だ。つまり、本来なら貰えるはずの給与・賞与から、各知事たちがどのくらい減額しているか、ランキングで示した表だ。それ以外にも「退職金」からの減額まである。これらを見ると、元々の額が多いか少ないかは、それぞれの地域事情によっても違うので、一概には言えないが、まるで競い合うように“有名な知事”ほど減額している。例えば東京都知事の場合には、給与もボーナスも50パーセントの減額である。つまり、半額しかもらっていない。コロナによって、さまざまな職種の人達が“収入減”となっているのに、自分達だけ“本来の額”を貰うのは、民衆の先頭に立たなければならない首長にとって好ましくない、ということだろう。都知事の場合の“50%カット”は全国的にも異例で、他の地域の著名知事たちの多くは30%カットに留まる。他に20%カットや10%カット、或いは、どういう意味合いなのか“6%カット”を行っている知事も何名かいる。正直、6%の微々たる減額をするくらいなら、満額受け取れば良いような気もするのだが、そういうものでもないらしい。興味深いのは、吉村大阪知事のように「退職金は0円」という自治体もあることだ。給与は30%カットに留めてあるのが奇妙だが、とにかく、それぞれの知事たちの多くは自らの給与や賞与を減額している。もちろん、埼玉県知事のようにまったく減額していない知事もいる。実は知事自身はみんなに習って減額しようとしたのだが、議会を通らなかったらしい。議員たちにしてみれば、知事が減らされると、自分達も減らさなくてはならなくなる…という想いが働いたのか。とにかく、知事の一存では決められないものらしい。そういうわけで、大阪府民というのは、知事が働くのは当たり前で“退職金”など支払う必要はない、と知事自身も、府議員たちも、地元民たちも、共通して思っていたということだろうか。日本の場合、このような考え方が主流のように思うが、果たしてそれが「政治家」として正しいことなのだろうか。みんなが“収入増”となって、豊かな暮らしが出来るのなら、知事もそれに見合った報酬があって良い。それが「出来ない」と思うからの“減額作戦”なのではないだろうか。みんなも必ず「豊かにする」から、自分も「収入増にする」と言い切れる知事さんは、もう日本では出て来ないのだろうか。

「元世界王者」が、妻と子供達を刺し殺す

2021-04-25

ときどき格闘家が“悲劇の死”を遂げる。この人物もまた、その例に漏れない。けれども、この事件が不幸なのは「元世界王者」が“素手”ではなく、“刃物”を使って、妻を殺し、息子たちを殺し、自らも自害して果てたことにある。「世界王者」としてのプライドはどこへ行ったのか。4月22日深夜の横浜のコンビニ駐車場の中で、それは行われた。元格闘家が活躍していたのは十数年も前になる。元DEEPライト級世界王者の帯谷信弘は、一家四人“無理心中”の張本人として警察に発見された時「帯谷信弘」ではなく「土志田信弘」となっていた。資産家の元に“婿養子”に入っていたのだ。地元では“有名資産家”である土志田家のお嬢様である「妻」は、人目を引く美人だった。その父親に“礼儀正しいところ”が気に入られて“婿養子”へと迎え入れられたのだ。けれども、礼儀は正しいのだが、根っからの“格闘家”である彼は、土志田家の稼業などは向いていなかったようで、ほどなくして「格闘技のインストラクター」に戻る。息子が成長し出すと、その息子にも格闘技を教える。当然と言えば当然の行為なのだが、名門である土志田家としては、それが“好く映る”はずがない。義理のご両親との間に“決定的な亀裂”が生じ始めていた。妻である美穂子夫人も、どちらかといえば“実家寄り”の考えだった。本来は“その強さ”に惚れ込んだはずが、強いのは肉体だけで精神的には意外なほど“脆い”ことも、妻の愛情を徐々に失わせていった。こうして息子からは尊敬を得られても、それ以外の人からは“無能”のように扱われ、とうとう雇われていたインストラクターの職も失ってしまった。もちろん、妻の実家は資産家であるから、いざという時には生活には困らない。けれども、格闘技しかできない自分は“つまはじき”にされる。もし彼が結婚する時点で「婿養子」の意味をほんとうに理解していたなら、このようなことにはならなかっただろう。“婿入りする”ということは「今後は格闘技は趣味に留める」意識に切り替えなければならなかったのだ。なぜなら、地元では有名な「土志田家」に婿入りするのだから、その時点で「格闘家・帯谷」は“死んだ”のだった。それを理解していなかったことが、このような悲劇を生んだ。

子供は“手放す形”を示唆「梟神(偏印)」の女性

2021-04-24

卓球の福原愛氏の夫である江宏傑氏が台湾の裁判所に「離婚」申請をした。これによって“仲良し夫婦のCM”に多数出演してきた二人が「離婚」を選択することは決定的となった。結果的には、私が“結婚報道”が出た2016年4月の時点で危惧していたことが、そのまま現実となった。私は、その時、お二人が“極めて良い相性”を示している一方で《…問題は彼女に火星と金星の180度、彼に火星と金星の90度アスペクトが存在することで、これは双方ともに“男と女の根本的な違い”に疎いことで、その部分から“激しくぶつかる”可能性も秘めています》と記していたのだ。文字通り、そういう形で、決定的な亀裂を生じてしまった。共に気性の激しいところを秘めていて、妥協するタイプではない。福原氏の金星は土星・天王星とも90度で、愛情に関しては忍耐強いタイプではあるのだが、我慢の限界を超えると、すべてを放棄する。また彼女の四柱推命式は「梟神(偏印)」が多い。これは“理想家”であるが、現実生活には疎く、生活に「夢」を描けなくなると、すべてを放棄してしまうことになりやすい。そして、その場合、もっとも“手放しやすい”ものが「我が児」なのだ。「梟(フクロウ)」という鳥は、母親が“我が児”を食べてしまう。その「神」が憑いているのだ。したがって、夫側に“我が児”を残して来ている彼女は、本来なら“日本で育てたい”願望を持っていると思うのだが、それはもはやあきらめた方が良い。「梟神」の強い命式は、仮に一緒に暮らしたとしても、子供のことで苦労し続けるし、子供自体が早くに親元を離れやすい。したがって、よく離婚後に“子供が命”のように変わって、“女としての幸せ”を放棄する女性が居るが、命式に「梟神」が多いと、子供達は10代半ばになると手元から離れていく。そして、もう戻っては来ない。だから、夫側から「子供は渡さない」と言われたなら、黙ってそれに応じる方が良いのだ。だからといって、今度は「母親」のために“自分を犠牲にする”というのも良くない。「梟神」という星には“義理の母親”という意味もあって、もしも“介護主体”の生活になると、今度は母親のことで“苦労の多い生活”になってしまう。どうするのが良いのかといえば、相手の母親の面倒を見なければならない相手と再婚してしまうことだ。そうすれば「梟神」本来の形となるので、自分の母親はそれなりの健康を取り戻すし、相手の母親からは感謝され、子供たちの代わりに面倒を見る存在が出来て、精神的にも癒されることになる。先天的運命は、上手に利用すれば、もういちど幸せを掴める。

「大金持ち」目指すなら「創業者」になること

2021-04-23

「フォーブス」誌による“日本の長者番付”を見ると、そのほとんどが“創業者”であることに気付く。例えば1位の孫正義氏は「ソフトバンク」の創業者、2位の柳井正氏は「ユニクロ」の創業者、その他「キーエンス」創業者の滝崎武光氏、「日本電産」創業者の永守重信氏、「メルカリ」創業者の山田進太郎氏、「楽天」創業者の三木谷浩史氏、「ニトリ」創業者の似鳥昭雄氏、「光通信」創業者の重田康光氏…といった面々だ。いずれも、若き日に“自分の会社”を立ち上げて、その会社を大きく育て上げ、しかも、その会社の“顔”として今も第一線に立ち続けている、そういう人達ばかりだ。要するに、もし「大金持ち」になりたかったら、彼らのような“生き方”をしろ、ということになる。世の中に器用な人はたくさんいて、あっちも手掛けたり、こっちも手掛けたり…というような事業家も多いが、そういう人は入っていない。いろいろ手掛けるにしても、本業は守っているのが特徴だ。また一時的に人にトップを譲ったりしても、最終的には自分が采配を振るい続けている。また性格的には“我が道を行く”タイプで、あまり世の中の動向には左右されない。自分の「信念」をどこまでも貫いていく、という点に共通点がある。つまり、そういう人達が、社会的にも成功しやすいし、莫大な財産も築きやすい。彼らは、自らが創始した事業に愛情を持っていて、そのために“命”を捧げている。必ずしも「大金持ち」を目指したのではなく、自らの事業の“発展・成長”を目指して来た人達ばかりである。莫大な財産を得ようと努力したのではなく、事業としての発展・成長に“魂を燃やした”人達なのだ。この順序はとても大切で、それを間違えると“小金持ち”にはなれても“大金持ち”にはなれない。つまり、仮に今現在はくすぶっていたとしても、“信念の強い人”はやがて多くの人を動かし“莫大な財産”を築く素質を持っているのだ。

「ばんえい競馬」は早急に“改善すべき”

2021-04-22

4月18日に帯広競馬場で行われた「ばんえい競馬」で“問題のシーン”は起きた。途中の障害を乗り越えることが出来なくて、競走馬が膝をつき、顔が砂にめり込むような状態となった。そこで騎乗していた騎手が降りて来て、馬の顔面を二度にわたって足で蹴ったのだ。結局、その障害を乗り越えることが出来なくて、レースは中止となった。その動画が拡散され「動物虐待ではないか」という抗議が多数寄せられた。確かに、そういう風に受け止められても仕方がない。昔は、こういった行為が“当然のように”行われていたらしいが、現代では“問題視”されるのは、当然と言えば当然である。まず「ばんえい競馬」は“一般的な競馬”とは違って、500㌔とも700㌔とも言われる荷物を橇に載せて走らせる。単に騎手が馬に乗って走る競馬ではない。しかも、そういった重い荷物を載せて走るだけならともかく、二つに渡る“坂道の障害”が用意されている。それを乗り越えてゴールまで到達する、というのが「ばんえい競馬」なのだ。だから、その障害の“坂道部分”では、ほとんどの馬が“一時停止状態”となる。どんなに早くやって来ていても、その部分は簡単にクリアできないのが、この競馬の“見所”といえば“見所”になる。通常の競馬と違って、馬本来の“速さ”だけでは勝負にならず、或る種の「運」と「騎手」の力量がものをいう世界のような気がする。但し、そうは言うものの、これを“一般の競馬”と同様に扱えるかは難しいところで、北海道の厳しい自然環境が生んだ“特異な競馬”で、その地域の人達が集まって“趣味的に行っている”分には問題なかったが、今日のように「全国放映」されるような状態にまでなると、事情は違ってくる。正直、私も競馬場に足を運んで観たことはあるが、なぜ“途中で止まってしまう”のか、その時にはよく理解が出来なかった。けれども、今となれば土台が平坦な道でも“運ぶのが難しい重さ”の橇を引いていくのだから、馬にとっては過酷な労働以外の何物でもない。もちろんレースなので、止まれば容赦なくムチ打たれる。確かに今のままでは“動物虐待”なのは間違いないので、少なくとも、もう少し“障害”の角度を低くして“楽にクリア”出来るようにしてやらないと、必ず中止に追い込まれていくだろう。

結婚は「優しい人」→「話し合える人」に変化

2021-04-21

7月には30歳を迎えるAKB48の柏木由紀氏が4月23日発売号「ゼクシィ」で、20代最後となるウエディングドレス姿を披露している。23歳でこの雑誌に登場してから何度も載っているというが、雑誌インタビューなどで「30歳迄には結婚したい」と述べて来ただけに、アイドルであろうと、美人であろうと、そういうことには関係ないのが“結婚”であることを改めて感じさせる。理想の相手も徐々に変化してきたようで「優しい人」や「面白い人」から「話し合いの出来る人」に変わったようだ。確かにAKB48からの“既婚組”を眺めて、その辺のところを“重要視”するように変わったのも解らないではない。一般的に言って、家庭内のきちんとした話し合いを“既婚男性”は嫌う傾向がある。それは、ほとんどの場合、放置してきた「問題を詰め寄る形の話し合い」となるケースが多いからだ。大抵の場合、日本人男性はそういう時に「適当にやっといてよ」というような返答をする。会社とか仕事のことで、いっぱいいっぱいで“家庭・家族の問題”などをじっくり考える余裕がないとか、或いは、考えてもどうしようもないようなことは、後回しにしがちなのだ。そういう点、現代の“若いカップル”はかなり違ってきているようで、アメリカ式に何事も結婚前から約束しておく“契約型カップル”や、常に何事も二人で決めていく“合議制カップル”も出てきている。ただ日本人の性質もあって、そうしたからすべて“上手くいく”とは限らない。昔はよく、女性の「30歳」というのが、“お嫁に行く”第一段階としての“最終ポイント”だった。つまり30歳までに「お嫁に行く」というのが、或る意味ではステータスだったのだ。けれども時代は変わって、いまや「お嫁に行く」という表現自体が“差別用語⁉”となる。また“結婚年齢”には、何の制限もない。50歳でも、60歳でも、何ら問題はない。誰も(多分だが…)「白い眼」で視たりすることはない。時代は変わって、それでも『ゼクシィ』は“女性中心”の雑誌であり続ける。

「神」ではなく「神々」に“祈って”が正しい⁉

2021-04-20

人間というのは“切羽詰まった時”には誰でも共通のことを言う。だから、切羽詰まった時の言葉は信用できるのだ。私は以前から「辛坊治郎」という人物を興味深く見ている。なぜなら、一度「太平洋横断」に失敗して自衛隊に救助され、世間に“恥”をさらしたのに、もう一度「ヨット太平洋単独無寄港横断」へと出掛けたからだ。4月9日に大阪から出発して、19日は10日目にあたる。その昨日10日目に、彼の“冠番組”であるニッポン放送「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」で彼の代わりにCMを務めているメンバーから、番組内で「生存確認テレフォン」を行った。その中で辛坊氏は、大波に巻き込まれそうになって「これは“絶対に死ぬ”と思って、神々に祈ってですね……なんとか生き延びた感じですね」と話しているのだ。彼は“神に祈った”のではなく、とっさに“神々に祈った”のだ。同じようなものだが、これはぜんぜん違う。もちろん、これは宗教的にどうこうという話ではない。彼が“何宗”であるか知らない。われわれは本当に「死ぬ」と思った時、とっさに祈るのは“複数の神々”なのだ。「苦しい時の神頼み」とは、よく言ったもので、実際、死ぬような危険に遭遇すると誰でも“にわか信心”をして、祈るものだ。普段「信仰心などない」と言っているような人でも本能的に祈る。そして、それは“複数の神々”に対してなのだ。そして、死ぬような危険から脱すると「神様が救ってくれた」と純粋に信じ込む。この時は、どの神様というのでもない。“神様のどれかが”救いの手を差し伸べてくれたのだ、と理解する。考えてみれば“単純で身勝手な考え”なのだが、人は誰でも似たような“想い”と“行動”をとる。だから、それは責められない。要するに、人間とはそういうものだということである。われわれは、普段、神様という対象を“遠く”に感じているが、死ぬような危険が迫った時だけは“藁をも掴む”神教となって、日頃、祈ってもいない神々に対して、必死に祈りを捧げるように出来ているのだ。

1万人の漫画家で“飯が食える”の千人という国

2021-04-19

近年、世間的に“さまざまな生き方”や“さまざまな職業”が公認され、それに伴うような形で「好きな仕事」を認めるような風潮が多くなった。実際、世間的にはあまり“馴染みのないような仕事”でも高収入を得ている人たちも多くなった。ところが現実には“そういう仕事”だけで“暮らし”が成り立っている人は必ずしも多いとは言えない。そういう仕事の一つに「漫画家」という職業がある。ある調査では日本に「漫画家」を名乗る人は一万人余りいるらしい。けれども実際に漫画だけで“生計”が成り立っているのは、そのうちの十分の一くらい、つまり千人足らず…ということらしい。確かに、世の中に“漫画”を描くのが上手い人はたくさんいて、そのうちの何人がプロ漫画家としてやっていけるのか、漫画雑誌はたくさんあれども、その中で“売れていく人”はそうそう居るものではない。しかも、長期にわたって“売れていく人”は少ない。1990年に「シロと歩けば」で漫画家デビューし、その後「ロダンのココロ」というほのぼのとした漫画を連載していた内田かずひろ氏(56歳)が昨年、仕事が減って家賃が払えなくなり、一時的にホームレスになっていたという。その後は友人や救済団体などの助けで“個室シェルター”を与えられたという。漫画家のような“個人事業主”は、公的な給付金を受けることがなかなかに難しい。元々が“保障されている仕事”ではないからだ。前年との対比と言っても、元々が“対比しにくい”仕事が多く、金額的にも判然としない。彼の場合、役所に相談に行っても、日雇いの肉体労働を探すようアドバイスされたらしい。これは、あまりにも“酷”な要求で、今までペンで生きてきた人に、スコップやツルハシを持てと言っても土台が無理なのだ。ドイツだったか、フリーランスの技能者たちには書類審査なしに“共通一時金”を支給していたようだ。申告書を視れば、前年度、何で働いていたかは解かるのだから、そういう角度から一律に“共通一時金”を渡すような仕組みを作るべきである。そうでないと、今のように“だらだらの自粛生活”が続くと、困窮するフリーランスの人達が次々と出てくる。

「ハロプロ娘」の「運命」が“すれ違う”時

2021-04-18

8年ぶりに日本のマウンドを踏んだ田中将大投手は5イニングで2本塁打を浴び、3失点で“敗戦投手”となった。もちろんスタンドでは里田まい夫人が応援していた。けれども、スタンドにはもう一人の元タレント夫人が居た。杉浦稔大投手の妻である紺野あさ美夫人だった。紺野氏は元モーニング娘。のメンバーで後にテレビ東京のアナウンサーとしても活躍した。里田まい氏の方はタレントとしての印象が強いが、元々はカントリー娘。というアイドル歌手だった。双方とも「ハロプロ娘」の一員だった過去を持つ。しかも、どちらも北海道出身で“投手の妻”となったのだ。もちろん、夫の活躍度は天地ほどの開きがあるが、ただ人生は永いのだ。まだまだ先は解からない。その杉浦稔大投手だが、昨日の試合の最後を任され、勝利に貢献した投手となった。先ほど紺野氏は「アナウンサーとしても活躍した」と書いたが、モーニング娘。の時と比べると、スターのオーラを発していたとは言えなかった。けれども、元々アイドルだったのに、“歌”や“踊り”を棄てて“情報を伝える”地味な分野に飛び込んだのは、世間に流されない“強い意志”を持っていたからに違いない。個人として華々しい活躍は出来なかったかもしれないが、的確なアナウンス力は持ち合わせていた。けれども、彼女は“無名投手”との結婚を択んだ。一方の里田まい氏の方は、アイドル歌手としては売れなかったのだが、タレントとして明るいキャラクターでブレイクした。そうして人気・実力とも早期に開花した田中将大投手の妻となってアメリカに渡った。文字通り「アメリカンドリーム」で巨富を得ることが出来たセレブ妻となった。さて、連勝が「28」でストップし、日本で3163日ぶりの黒星をくらった田中投手のショックは大きいと思われる。一方、実質的には注目された試合で“最後を任された”杉浦投手はその責任を果たした。よく「負け組」とか「勝ち組」とかいうが、人生は永いのだ。どうなっていくのかは、誰にもわからない。

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