4月, 2021年

本人と事務所が同時に「文書」で否定・警告

2021-04-17

モーニング娘。21 のリーダー譜久村聖氏がネット上などで流れている“噂”や“中傷”を公式に文書で否定、同時に事務所サイドからも公式に否定し、今後は「法的処置も検討」と“ネットに流した人物”に強く警告した。本人と所属事務所とが同時に「噂」を否定し、相手側に警告するケースは大変に珍しい。おそらく、歌手グループのリーダーでもある譜久村氏は、自分だけでなく他のメンバーたちのことも考え、強い意志で否定・警告を行ったものと思われる。このように、本人だけでなく経営側も含めて“完全否定”をし、相手に対して“法的処置”を警告することは、ファンや関係者たちの動揺を防ぐ意味でも有効であると思われる。ネット中傷に弱い芸能人たちは、大いに見習うべきであると私は思った。現代は有名人だけでなく、あらゆる人がネット上で「批判・中傷・噂」される可能性を持っている。正々堂々向ってくる相手なら、反論も可能なのだが、かげに回って“見えない形”であれこれ誹謗・中傷されるのは、誰であっても気持ちの良いものではない。しかも、ネット上には“そういう噂”に乗っかって、直接関係がないのに便乗しようとする輩までいる。ようやく“悪質な中傷”は名前を開示できるようにはなったが、一般公開までには至っていない。そういう場合には“一般公開”してしまうようにすれば、おのずと“誹謗・中傷”は減っていくものと思われる。もちろん、ネット上の批判・中傷のすべてが“悪い”とも言い切れない。中には、批判されて当然に思えるような人物もいるからだ。現代は、ちょっとしたことで有名人になったり、人気を出したりする。TVやネット上でちょっと人気が出たことで、自分は“才能がある”とか、“人気がある”とか、“有名なんだ”とか、勘違いをし出す若い人も多い。確かにどのような分野であれ、それなりの支持や収入を得ることは“成功”と言えるが、それがそのまま“社会が認めている”ことにはならない。人気というのは、得られるのも早いが、失うのも早いのだ。

「王墓」発見から100年後「父王の都」を発見

2021-04-16

ここ数年、エジプトでは考古学的な発見が続いている。中でも今回、注目されているのが「まぼろしの王都」とされていた3400年前の遺跡発見だ。今回の場合、砂の中に埋もれていたせいで“遺跡の保存状態”が奇跡的に良い。丁度、イタリアのポンペイが火山灰に埋め尽くされたせいで“まるごと再現”出来たように、今回の都市も“まるごと再現”に近い形で表出できそうなのだ。第18王朝アメンホテプ3世の“王都”で「アテンの日の出」と呼ぶ名称を持っている。新王国時代の王都はルクソールだが、そこから少し北にあたる。どうして発見できたのかというと、その辺にツタンカーメンの埋葬殿が埋れているという説があったからだ。つまり「ツタンカーメン」を探していたら、その父親と祖父とが“共同統治”を行っていた「まぼろしの都」が出現したのだ。ツタンカーメン王墓発見から今年で99年目にあたる。だから100年後である来年になって「アテンの日の出」の全貌が明らかになる可能性が強い。実は今“共同統治”と記したが、ここはとても重要で、ツタンカーメンの父親は一般に「アクエンアテン王」と言われる。けれども若き日は「アメンホテプ4世」だった。そうして、その名のまま父親アメンホテプ3世が年老いた時、父を助けるべく「共同統治」を行った。その共同統治の都が「アテンの日の出」なのだ。途中までルクソールに居たのに、息子との“共同統治”になって「新たな都」を建設しようとした。それが「アテンの日の出」だった。そのアメンホテプ3世が亡くなると、息子“4世”は「アテンの日の出」でも飽き足らずに、さらに400キロ北に「アテンの地平」(アケトアテン=アマルナ)と呼ばれる“新たなる都”を定めた。現在発掘中の都を、自ら棄てたのだ。なぜ“棄てたのか”というと、より「アテン神」だけを“中心とした都”を打ち立てたかったからだ。だから自らの名も「アクエンアテン(アテンに仕える者)」に改名したのだ。“古代エジプト”は“古代日本”と同じように「八百万の神」の国だ。一神教で国民が納得するはずがない。「アテン」というのは“太陽円盤の神”だが、もっと身近な“神様たち”を国民は望んだのだ。こうして「アテンの地平」は滅びた。滅びさせた張本人は息子ツタンカーメンだった。

もし「チーママ」から「ママ」になったら…

2021-04-15

女性芸人「ガンバレルーヤ」よしこ氏の9年前“スナックのチーママ時代”の写真が話題となっている。あまりにも美人過ぎて、現在の容貌とは違い過ぎるからだ。9年前の写真は、黙って現在の写真と並べられたら、まず本人のものとは誰も思わない。女性は“大きく変貌する”ことを誰でも知っているが、これほどまで大きく変わる例は、そうそうあるものではない。もちろん、この場合“スナックのチーママ”という仕事柄が大きく作用している。もしも彼女が「チーママ」ではなくて「ママ」になっていたなら、人生はどう変わっていただろうか。人の外貌は“職業”によっても大きく変化していく。私は占い師という立場上、多くの相談者たちの“職業の変化”も知っているし、“外貌の変化”も知っている。別人のように変わっていく人を何人も見て来た。特に女性の場合には、十代半ばくらいから三十代半ばくらいにかけて、変化が激しい。しかも、女性は男性と違って、変化させるさまざまな道具を持っている。例えば“髪型”を変える、“髪の色”を変える。“体形”を変える。“ファッション”を変える。“化粧法”を変える。“顔の部品”を変える(美容整形する)……或る意味で、9年間も経てば“別人”のように変わっていくのは不思議なことではない。もちろん「顔が変わる」ということは「人相が変わる」ということで、当然のことながら、運命も変わる。生活も変われば、性格も変わる。一人の女性の、十代半ばくらいから三十代半ばくらいまでを知っていると、その変貌ぶりに驚くことが多い。だから、逆に言えば、今現在どんなに逆境にあり、自信を失っていたとしても、少なくとも“三十代半ば”以前の場合には、将来的に“大変身”をしていくことがあるので、少しも将来を悲観する必要はない。その人に「変わろう」「変えよう」という気持ちが残されている限り、必ずチャンスはやってくる。その時の準備をしていれば良いのだ。人生を「完全に投げ出してしまう」と、“チャンスの女神”は寄って来てくれない。あくまでも、希望を失わず、未来を信じている人に“チャンスの女神”は音もなく寄って来るのだ。

宙に浮く「東芝」ロゴが外資に狙われる元凶

2021-04-14

昔、フジテレビ&ライブドアの間で“買収問題”が起こった時、TVには連日“フジテレビ”の社屋が映った。それを見ながら私はいつも「ここに一番の元凶があるのに…」と思った。風水上、ビルの中に“宙ぶらりんな箇所”があるのは良くないのだ。同じようなことを最近も感じている。それは「東芝」が海外の投資ファンドに“買収提案”を受け、連日のように「東芝」社屋のロゴが“大写し”にされる。そのたびに「東芝(TOSHIBA)」のロゴが、まるで“宙に浮いたような”画像として表出される。これでは“地に着いた経営”が出来ない。以前は、このような社屋映像ではなかったような気もするのだが、その辺の事情はよくわからない。とにかく“社屋”とか“社名ロゴ”とかは“宙ぶらりん”に視えるような印象にさせないことである。どこだったか忘れてしまったが、日本を代表する化粧品メーカーが“一騒動”あった時にも、連日社屋が映し出されたが、三角形に片側だけ突き出た形状の社屋が印象的だった。こういう感じの社屋も問題が勃発しやすい。最近のIT型企業では「社長室がない」とか「みんなと同じ部屋に居る」というような場合も多い。一見、垣根を超えた経営のようで、好いかに思われるが、実は“風水的観点”からは、このような企業も良いとは言えないのだ。社長室とか、社長の座所とかが、定まっていないと、当然のことながら、その企業自体が安定しない。たとえ一時的に繁栄しても、長続きせず、社長が変わるような事態が生じやすい。社長の“座所”が定まっていないとか、みんなと同じとかいうのは、そういう点で良くないのだ。もちろん、これは“組織”としての発展性という観点から見た場合で、例えば、その企業が完全な“仲間内企業”で、別に大きく発展などしなくても、現状を保っていけばそれで良いという場合には、その限りではない。現在は“シェアオフィス型”企業も多くなったが、これも創立間もないのであれば仕方がないが、やがて独立したオフィスを持たないと、いつまでも「赤字体質」から抜けられない、などということになりかねない。「企業の顔」は、それなりに重要なのだ。

「木星」は出川氏を擁護するか、制裁するか⁉

2021-04-13

伝統的な占星学の世界では「木星」は「サンタクロースの星」であり「幸運を授けてくれる星」ということになっている。果たして本当だろうか。今、ひとりのタレントが、彼の出生時の太陽位置にトランジット(通過中)の木星が0度でピッタリ重なっているのだ。その名は「出川哲朗」誰もが知る芸人タレントだ。近年は人気を出して看板番組さえ持っている。けれども、ここに来て、その出川哲朗氏が窮地に陥っている。タレントのマリエ氏が15年ほども前の「枕営業告発」を行って、その時に同席しながら「助けてくれなかった」「むしろ後押しをした」ということで名前が挙がったのが出川氏なのだ。当時の“力関係”から言って、出川氏が“庇う”とか“助け舟”を出せるほどの「度胸」があるとはとても思えない。したがって、彼を責めるのは酷かもしれないが、近年の“セクハラ”“パワハラ”告発が相次ぐ中においては、告発したい気持ちが出て来るのも解からないではない。一番の問題は「所属事務所も庇ってくれなかった」という部分で、韓国の芸能界では「枕営業」は何人かの“自殺者”まで出ている問題で、日本でもそういう実態があったのだとすれば、それは正していかなければならない。ところで“炎上した”出川氏本人は、その事実を否定している。ただ当時の制作サイドでは、さまざまな証言もあるようで、否定だけで“終わり”に出来るかは微妙なのだ。彼のホロスコープでは現在、トランジットの木星が出生時の太陽に0度で重なっているだけでなく、出生時の火星や土星とも0度で重なっている。したがって、文字通り“炎上しやすい”惑星配置なのだ。通常、木星は“幸運の星”として解釈されるが、私の過去のデータを見ると必ずしもそうではない。事件や事故などでは“凶災を膨張させる”働きを示す場合があるからだ。果たして今回の出川氏の場合には、どっちへと転ぶのか、“木星”の作用を確かめる意味でも大変興味深い。

日本列島の「南・北」が“妖しく”動いている⁉

2021-04-12

北海道の十勝岳でここ数日「火映」と呼ばれる“火が噴き出たよう見える現象”が観測されている。まだ「噴火」ではないのだが、なんとなく“噴火しそうな雰囲気”の状態ではある。9日~11日にかけては九州の鹿児島トカラ列島で“妖しい地震”が立て続けに起こっている。震度4が4回、震度3が14回と連続しているのだ。特に「悪石島」という“鬼”でも住んでいそうな名称の島付近が一番揺れが激しい。そういえばインドネシアのジャワ島ではM6.0の地震が発生したばかりだ。日本も地震が多いが、インドネシアはもっと多い。だから住民も慣れたもので、あまりパニックになどならない。何でもそうだが、慣れというものは恐ろしいもので「また来たか」と動じなくなる。カリブ海のセントビンセント島でも9日、島のスフリエール火山の噴火が起こって8000メートル上空まで噴煙を噴き上げたが、住民は慣れているのか、頭からすっぽり火山灰を被りながらも、いたって元気はつらつとして日常を送っている。そうだ。開き直れば良いのだ。人間なにごとも開き直りが大切。「運を天に任せる」感覚が身に付けば、怖ろしいものなど無くなってくる。「運」を天に任せず、自分で何とかしようと焦るから良くない。しょせん、すべての“ものごと”はなるようにしかならない。「易占」に「天雷无妄(てんらいむもう)」という“卦”があるが、なるようにしかならない時には“無意味に動くな”という戒めである。人間は窮地に立った時、意外なほどの力を発揮する。だから右往左往することなく泰然自若としていれば、やがて風向きが変わり「天」が“味方”してくれるというのだ。元々「无妄」の「妄」は“眼の見えない女性達”を意味する。古代においては、そういう女性達の“聴覚”がとびぬけて発達し、敵襲来の馬の樋爪の音を察知した。それを活用して戦闘に対する作戦を立てた。そういう故事にのっとった“教え”なのだ。人は、古代からの“教え”に耳を傾ければ、怖ろしいものなどなくなってくる。

“覗き劇場”&“機内カフェ”&“シャッター広告”

2021-04-11

世の中“コロナの猛威”が続く中で「面白いニュース」や「たのしい出来事」が少なくなっている。我慢の限界が来ているせいか、何かと“政治”や“行政”の在り方を批判する人たちが多い。けれども世界各地の様子を調べると、どこでも似たようなことをやっている。ハンガリーでは各種制限を緩和したその日にコロナ死者数が過去最大となった。トルコでは、人との距離ルールを緩和した日に新規感染者が過去最多となった。欧州では英アストラ製ワクチンが“血栓症の症状”を呼び起こす恐れがあるとして、30歳未満の接種を禁止し始めた。インドではワクチン不足で騒ぎが起こっている。メキシコでも同様だが、追加供給要請をアメリカに直接求めに行くらしい。カナダのオンタリオ州では3度目となる緊急事態宣言に入った。つまりは、どこの国でも、日本と似たような状態なのだ。そういう状態の中でも、なにかと“ヒラメク”人はいる。飲食店などで長く休業状態が続いているが、そうすると当然のことながら、長期間シャッターを締め切ったままとなる。そこで街中にある飲食店のシャッターに、直接文字やイラストを描いて“広告スペース”として、それを活用という人達が表れた。飲食店などを“応援する”意味での活用らしい。もう一つは航空機を活用する方法で、動けないでいる航空機をそのままにしておくのはもったいないと、その機内を“レストラン”や“カフェ”として活用しようというのだ。確かに、機内で食事や飲み物を提供してもらうと、なんとなく旅行しているような気分になって、旅好きな人には楽しいのではないか。最後は、ただ単なる利用ではなく、新たな試みとして、観劇スタイルを根本から変える方法で、円形の舞台を作り、その周り360度すべてに細かく区切ったドアを設けて、そのドアに穴を開け、その“すき間”から「覗くスタイルの演劇鑑賞」が誕生したというのだ。う~ん、この方法はなかなかに斬新。すき間から見るので、全部が見えないところが、かえって新鮮で、ぞくぞくするらしい。ほんとうか。でも、なんとなく、私も覗いてみたい。少なくとも、マニアックな需要があることだけは間違いがない。

“現王者”が“新王者”から「王冠」奪って逮捕⁉

2021-04-10

それはスリランカのコロンボで4月4日に起こった。「現王者」が「新王者」として選ばれた女性から、舞台上で「王冠」を奪ったのだ。その直前、現王者はマイクを掴み取ると「択ばれたあなたには王者の資格がない。なぜなら、この大会は“結婚していることが条件”なの、あなたは既に夫と別れている。だから、真の王者は“2位の女性”がなるべきなの」そういうとマイクを放り投げ、もう一人の女性と一緒に、新王者の頭上から強引に「王冠」を奪い取り、2位とされていた女性の頭上へと王冠を載せた。一瞬の出来事で会場は静まり返り、誰もが言葉を失った。「新王者」だった女性が泣きながら舞台のそでに消えて、会場には大きなどよめきが起こった。「ミセス・ワールド世界大会」は1984年から開催されている由緒ある“美の競技大会”だが、18歳以上で“結婚していること”が出場資格として必要である。確かに、既に“離婚している”のであれば「王者」にはなれない。その後になって「王冠」を奪われたプシュピカ・デ・シルヴァ氏は自らのフェイスブックで反論する。「現在、私は諸事情あって夫とは別居していますが、離婚はしていません」主催者側の調べでも、それは事実であった。何よりも、現王者が新王者から、勝手に王冠を奪った行為を許せないで居た。そこで、改めて「新王者はシルヴァ氏である」と宣言した。「王冠」を奪われた時、新王者は顔面に負傷を負っていた。そこで現王者であるキャロライン・ジュリーを警察に告発した。こうして、現王者は4月8日に逮捕された。新王者デ・シルヴァ氏は記者会見を開き「謝罪してもらえるなら、告訴は取り下げる」と表明したが、現王者はそれを拒否した。その結果、19日から二人は法廷内で“対決”することになる。この事件は、いろいろなことを考えさせられる。新王者は記者会見で「私と同じようにシングルマザーとして頑張っている人たちに勇気を与えたい」とコメントしている。つまり、彼女は“離婚”はしていないのだが、事実上の「シングルマザー」であることを認めている。したがって現王者のいうことにも一理あるのだ。舞台上で王冠を奪うのは「プロレス」などだと面白いが、“美の大会”ではシャレにならない。

「LGBTQ+」の「Q+」を理解できる人は何人

2021-04-09

日本という国は「ワクチン接種」は“遅い”が、こういうことに対しての理解は意外なほど“早い”のだということを知った。「LGBT」に対しての理解だ。今年になって電通が20歳~59歳の男女6万人を対象として調査した結果ということなので、その数値は或る程度まで信頼できる。それによると「LGBT」という言葉について“理解できている”人が8割に達したそうだ。ここで、もし理解していない人が居たら困るので、一応、説明しておく。「L=レズ」「G=ゲイ」「B=バイ」「T=トランスジェンダー」のことである。早い話が“主として同性愛の人達”だ。日本でも“8割(80.1%)”の人達が、そういう人達を“理解しようとする”土壌が作られつつあるということになる。そして「同性婚の法制化」に対しても、82.2%の人達が「どちらかと言えば…」というものも加えて「賛成」している。なかなかに“理解のあるところ”を示しているのだ。さらに、この調査では“答えている人達”の「LGBT」の“割合”についても調査しているが、それによると“8.9%”という数値が出ていて、それは前回調査と同じだったらしい。つまり、100人の内9人が「LGBT」のどれかだというのだが、私にはこの数値がちょっと“多過ぎる”印象を受ける。もし、実際にそうなのだとすれば、近年“急成長している⁉”分野ということだろうか。実は、ここからが今日のポイントなのだが、近年は「LGBT」に加えて「Q+」を加えるケースが多くなったというのだが、この「Q+」が“何なのか”…あなたは答えられるだろうか。私は解からなかった。「Q」とは「クエスチョニング」ということで「性自認が定まっていない」或いは「性を定めたくない」人たちなのだそうだ。さらに「+」には元々「恋愛感情がない」或いは「性的欲求がない」人たちが加わるのだそうで、何んともややこしい。実は「トランスジェンダー」も“性自認の不一致”な人達だけのように思いがちだが、“衣裳倒錯”の人や“中性”意識の人も含まれるのだそうで、なかなかに難しい。確かに、私は何度か「恋愛感情がない」人や「性的欲求がない」人、或いは「性を定めたくない人」からも相談を受けたことがあり、そういう意味では“大いなる理解者⁉”なのだ。

いかようにも“演じられる”のが本当の女優

2021-04-08

いくつもの事業を手掛ける実業家と35歳の時に結婚して、ふたりの子供を産み、絵に描いた「セレブ婚」を“演じていた”女優の吉瀬美智子氏が離婚を表明した。芸能界では最近「別れた」と報じられていた有吉氏と夏目氏が“結婚”を表明するなど、マスコミ報道から逃れて“既成事実”のみを後から伝える方々が多くなってきた。そのせいかマスコミの方も、本気でスクープを取りに行こうとする熱意が感じられないニュースも多い。私は大昔、たまたま入った理容室で読んだ女性週刊誌の記事が忘れられない。それは当時、デビュー4年目くらいだったか人気絶頂だった西郷輝彦氏の“独白記事”で、衝撃的な過去が本人自らが物語る形で特集されていた。彼自身の歌手デビューに至る経緯から、真剣交際した女性との出逢いや別れまで、正直に包み隠すことなく語っていた。彼は、それによって、もし「芸能界を永久追放」となるなら、それはそれで仕方がない、という風に結んでいた。自分の胸にしまっておくことが出来なかった、とも述べていた。確かに、当時のアイドルとしては異例の告白で、歌手として成功するため同棲した女性と別れる時に、指に傷をつけて血を流し、その血で文字を書き愛を伝えたなど、生々しい内容だった。私は常に華やかな笑顔を振りまく“アイドルの苦悩”を読んだ気がして、大きな衝撃を受けた。そして、それからは、人気芸能人たちのTVや舞台や雑誌インタビューなどの言葉も、額面通りには受け止められなくなった。特に、いつも笑顔で居るような女優や歌手は信用できなくなった。吉瀬美智子氏なども、或る意味ではもっとも女優らしい女優で、本音を語らず、苦悩を見せない。そして“結婚”の結果だけを伝え、“離婚”の結果だけを伝えた。確かに、それは女優として完成されているのに違いない。けれども、有吉氏や夏目氏にしてもそうであるが、TVの向こうの人達は完全に“裏切っていた”ことになる。これが政治家なら、マスコミも大衆も“裏切ったこと”を絶対に許さないはずなのに…。

三島由紀夫が、今日7日「恋文」で蘇える⁉

2021-04-07

私自身は3~4作の中短編ものしか読んでいないので、小説家・三島由紀夫の“すごさ”に関しては正直、いま一つ解からない。ただ彼が十代で“作家デビュー”を果たし、若くして日本を代表する小説家のひとりとなって活躍し、徐々に政治思想が強まり、その最期が「自害」という“古典的方法”を用いたことだけは鮮烈な記憶として残っている。その三島由紀夫が「仮面の告白」を発表して“世間の注目”を集めて間もないころの作品が、文芸誌「新潮」5月号に掲載される。それが今日発売されるのだ。もっとも完全なる“未発表作品”ではなく「400字小説の特集号」として掲載されたことのある作品だ。ただ“400字”と短いので、これまでの作品集や全集などにも掲載されたことがない。まだ24歳の頃の作品である。米軍占領下の日本における“恋愛事情”的なことを扱った小説で「恋文」という題名だ。三島由紀夫の自筆原稿を見ると、その文字は大変に整っていて“優雅”な印象を与える。作家の文字には“判読しにくい文字”も多いが、その点は流れるような筆使いながらも、極めて読みやすい文字を書くのが三島氏の特徴だった。作家でも、芸能人でも、実業家でも、文字に“優雅さ”の出る人は、長期間にわたって第一線を歩む。そういう点から言えば、まだまだ長く第一線で活躍できた命を自ら終わりにした。私は、個人的には「三島由紀夫」より「谷崎潤一郎」の作品に惹かれるし、より身近な存在としては「黒岩重吾」の作品に惹かれる。自分自身が“どん底状態”にあった時、彼の『どかんたれ人生』というエッセイ集を読んで“生きる”ということの意味を再確認させられた。昔の作家は、金と女と病の“三つの苦労”を体験していないと一流にはなれない、とよく言われた。現代では通用しないかもしれないが、それでも、その一つくらいは経験している人でないと、迫力のある物語は書けない。占い師でも、似たような部分はあって、多少、さまざまな体験を経て来ている人の方が「占い」に“独特な味”が加わるものだ。

人生に「もう遅い」という時期はない

2021-04-06

女優の水野真紀氏が2018年から編入した大学を無事卒業して“実習”も行い「幼稚園教諭一種免許」を取得したことを報告している。近年、改めて“受験”したり、“入学”したり、“編入”したりして、学び直す著名人が多くなった。別に“今の仕事”に直接役立つことはなくても、自分にとって“必要”と思える知識や技能を身に着けることは素晴らしいことである。一般人でさえも、或る程度の年齢になってから「学校に入り直すこと」には“勇気”と“覚悟”がいる。ましてや著名人の場合、どうしても“一般の方々”や“若い方々”に交じって勉強をすることは、“好奇の眼”が向けられていることを感じてしまうもので、よほど意識を切り替えて挑まないと卒業まで持たない。水野真紀氏の場合、政治家の妻となって、一時的には前途洋々だったはずだが、スキャンダルが生じて人生が大きく変転していった。辛い“一時期”を体験したことは間違いがない。そうしたことが、今回の“学び”に繋がったのではないか、と私には思える。人生には、予期せぬ出来事がいっぱいあって、本来ならスムーズに歩めたはずの道が途中から“いばらの道”となることは稀ではない。けれども、実はそのことがきっかけで“大きな幸運”を掴むという事例も多い。振り返れば、まるで“その挫折”が必要だったかのような人生は多い。平穏な人生であれば、得られなかったはずの「宝物」を得られるのも、多くの場合は困難を乗り越えた人達である。予期せぬ“悲劇”に見舞われた時、誰もが「どうして自分が…」という思いに駆られやすい。或いは、何度も似たような“挫折”を味わうと、もう「救いがない」というような気持ちに陥りやすい。けれども、人生は永い。そして、いつからでも“再出発”できる。人生に「もう遅い」という時期はないのだ。

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