1月, 2022年

「畑違い」での“成功”と“失敗”の分かれ目は⁉

2022-01-07
人には、まったくの“畑違い”の仕事でも大きな成功を収める人と、本来の仕事では才能を発揮できても、“畑違い”では惨敗してしまう人とが居る。芸人から「焼き肉店オーナー」を目指そうとしている宮迫博之氏の場合、どうもトラブル続きで“飲食店商売”の先行きに、オープン前の段階から“黄色信号”が点滅し始めている。私は詳しい事情については知らないが、何かとトラブル発生してスムーズに開店まで辿り着けていないようだ。今回も専門家の点検によって再度の店内改装が必要になったようで、そのため2000万以上の費用が余分に掛かるそうで、自らの“腕時計コレクション”を売って、その費用を捻出すると報道されている。もちろん、これまで芸人として活躍してきた彼が、飲食店を開こうというのだから、じっくり時間をかけ「良い店を出したい」という気持ちはわかる。ただ外野席から覗く限りの印象で言えば、少し時間も費用もかけ過ぎなのではないだろうか。これまでにも芸能人が飲食店を開くケースは少なくなかった。それで上手くいっている人達は、彼のように時間や費用をかけてスタートしていないような気がする。昔の話をすれば、ビートたけしのカレー屋さん、若乃花のちゃんこダイニング、デビット伊東のラーメン店などが知られているが、一時的には話題になって繁盛するが、そのあとも継続させていくのは難しい。デビット伊東氏のように自分自身が店に立っている人の方が長続きする。もちろん、芸能人の「畑違い」は飲食店だけにあるのではない。例えば「霜降り明星」粗品氏のように「ギャンブル予想」が副業のようになってなってしまう人もいる。彼の場合、その予想が“当たる”から知られているのではなくて、“大外し”を繰り返しているから注目されている。つまり、彼の予想を“外して買う”形をとれば、大儲けできる可能性があるからだ。もちろん、彼の言葉を信じて、彼の予想を信じて、一緒に“連敗を続ける”人たちもいる。彼らは「粗品の呪い」という表現で、彼の予想に暖かなエールを送っている。もっとも、これからも彼の予想が「呪い」として、外れていくかどうかは微妙である。何故なら、彼の唯一のゴールデンMC冠番組は放送打ち切りが決まったからだ。ギャンブラーは往々にして本業が好調な時には大敗するケースが多い。だから、いくら稼いでも稼いでも“金欠状態”が続いていく。ところが奇妙なもので、本業が“絶好調”から外れていくと、今度は予想が的中しだすようなことが多い。もしかすると、本能的に「大敗できない」という本能が、確実に“勝てる方”へ意識を向かわせるのかもしれない。とにかく「畑違い」で成功するためには、大々的に行ってはいけない。こっそりと、小さく、手堅く、開始していくのが成功していく秘訣なのだ。

「寅年」の開始「飼いドラ」に手を噛まれる⁉

2022-01-06
よく動物園のライオン、クマ、トラなどを「カワイイ」と言っている女の子たちがいる。もちろん、そういうことをいう人は動物に“襲われたこと”がないからだ。動物園に飼われていても、猛獣たちは“野生の本能”を失ってはいない。自分の領域を脅かすものは、攻撃するように出来ているのが動物なのだ。特に耳の小さい動物は攻撃本能が強い。昨日、栃木県の「那須サファリパーク」で男女3人の飼育員がトラに襲われ重傷を負った。特に一人の若い女性は噛まれて手首を失った。「飼い犬に手を噛まれる」ということわざがあるが文字通り「飼いドラに手を噛まれた」のだ。管理体制に多少、問題があったとしても、ここでわれわれが重視すべきは“野生の本能”であり、“生き物の在り方”を改めて知っておくべきだということだ。「サファリパーク」は自然界そのままの在り方を提供しようとするあまり、安全管理ギリギリのところで動物たちを自由にさせる。したがって、普通の動物園よりも猛獣たちは“野生”に近い。飼育員たちが一人で飼育に向かうのは危険だと思われる。ましてや若い女性たちを“危険な檻”に向かわせるのは今後に教訓を与える。それにしても干支の「寅年」の“最初の日”に、こういうニュースが飛び込んでくるのは、どうもいただけない。一般的には「立春」2月4日から「ほんとうの寅年」とするが、私は干支暦上「小寒」の1月5日から「ほんとうの寅年」が始まると思っている。したがって昨日は「寅年の初日」なのだ。ことわざとしての「飼い犬に手を噛まれる」は、普段、自分が可愛がったり、面倒を見てやっていたりした部下や後輩から裏切られるとか、深い傷を負わされるとかする状態をいう。世の中、特に政治や実業の世界では、そういうような出来事が多い。ひょっとすると今年の日本でも、そういうような事件やニュースが生じがちであることを暗示した出来事であるような気がする。政治の世界なのか、企業間での出来事なのか、芸能の分野なのか、スポーツ界での上下関係なのか、さまざまな分野で、そういう風な出来事が生じてくる可能性があるということだ。もちろん、このニュースだけが「寅年」をリードしていくとも思えないが、少なくとも、今年を牽引していく要素の一つは“飼いドラ事件”となる可能性が高いだろう。それでなくとも“不気味な要素”いっぱいの新年なのに、頼むよ「寅年」。

曲がり角に来た「中国」ゲーム14000社の倒産

2022-01-05
最近の中国政府の“規制強化”を観ていると「国家」としての“先行きに不安”を感じている表れのような気がしてならない。中国国内で急速に発展・膨張しつつある「ゲーム業界」も規制の対象となりつつある。昨年の7月以降、新たなゲームのリリースに対して“ライセンスの発行”が停止されているのだ。中国の場合、個々のゲームに対して、このライセンス許可が下りないと、新しいゲームをリリース出来ない。その結果、7月以降だけで何んとゲーム関連企業が14000社も倒産しているというのだ。とにかく中国は人口が多く「これが儲かる」となると誰もが飛びつく。“変わり身が早い”というか、“商魂たくましい”というか、とにかく節操がない。実際、そういう形で「中国ドリーム」としての成功を勝ち取り、大ヒット商品を生み出し、巨富を得ていく若者たちも多い。少し前には完全に“広告塔”と化している若い女性のインフルエンサーたちに規制が掛かった。その前には人気女優の脱税が挙げられていて、最近の中国政府は影響力の大きい人達、若くして“巨富を得ている”人達に対しての規制強化に躍起となっているように見える。現在の中国はアメリカと並んで、もっとも貧富の差が激しい競争社会となっている。経済大国となったのは良いのだが、あまりに格差が激しく、本来の“共産主義思想”からは逸脱しつつある。これを何とか「是正したい」のが現政府なのだ。不動産投資で経済そのものは膨張したが、その結果として“暮らすための家”ではなく“投資のための家”になってしまった。不動産価格は跳ね上がり、危険な状態となって急ブレーキをかけたものだから、今度は“投資で泣きを見た”人たちが多く苦慮している。あらゆる部分で“歯止めが利きにくい”のが現在の中国社会なのだ。アメリカも、そういう意味では似たようなものなのだが、ただアメリカという国は“ヒューマニズム”も発達しているので、投資も盛んだが福祉事業も盛んである。その結果として、表面上は「アメリカンドリーム」には批判があまり起こらない。さて、現在の日本は「JAPANドリーム」といえるほどのものもなく、かといって「福祉国家」として胸を張れるほどのものもなく、それでいて微妙に“経済格差”が広がっている。「JAPANドリーム」でも「福祉国家」でも、どちらでも良いから、もう少し進んでもらわないと……。

若者や起業家は「いかがわしくあれ」の応援

2022-01-04
人間というのは、或る程度の“立場”に立つと、どうしても保守的になる。だから、あまり「危ういこと」は言わなくなる。TVや雑誌などで人気を得て、いくつもの番組に出るようになって、急に発言が“大人しくなる”タレントが多い。最初の頃は傍若無人に“危うい発言”とか“ざわつくような発言”をしていたのに、いつの間にか用意されていたような“月並みな言葉”しか発信しなくなる。「この人、こんなだったっけ⁉」と首をかしげたくなる人物が多い。恐れを知らなかった若者が「世の中」を知って急に大人しくなってしまうのは、何となく寂しい。そういう意味で、この人は永遠にブレることがなく「素晴らしい」と私に思わせてくれるのは、孫正義氏だ。これほどの成功者となりながらも、常に“危うい人達”や“いかがわしい企業”に入れ込んでいる。そうして、大金を失っても、穏やかに笑っている。そういう部分がほんとうに素晴らしい。彼の新年のインタビュー記事が出ていて、その中に「若者や起業家はいかがわしくあれ」という部分があり、そういう発言を、これほどの成功者となっても、財産家となっても、日本の財界人たちのほとんどを敵に回しても、臆することなくいうところに感心をした。世の中に「成功者」と呼ばれる人は多いが、その多くは周りからの評価、世間的な繋がりなどを気にして、そういうことをだんだん言わなくなる。言ってもプラスになることなどないからだ。それを承知で、あえて「いかがわしくあれ」というところが、素晴らしい。実際、彼の率いるSBGも、企業としては2019年度が大赤字、2020年度が大黒字、2021年度が再び大赤字で、なんとも波乱極まりないジェットコースター企業を演じている。それでも、顔色一つ変えることなく、いつも穏やかに微笑んでいるのは“大人物”である証明だ。人間、腹の座って居ない人物はちょっとしたことで、すぐ喜怒哀楽が変化し、笑ったり、怒ったりする。この人の場合、若い頃から、常に“崖っぷち”を歩いて、いつの間にか「日本一」の財産家になっていた。ただ単に、すいすいと時代に乗って成功した起業家とはわけが違う。実際、彼自身も、常に「いかがわしい」と言われ続けてきた。いや、いまだって、言われ続けている。実際にも“怪しい”部分は沢山ある。だが、そういう眼で視られていることは百も承知で「若者よ、いかがわしくあれ」といえるのは、なんと素晴らしいことか。もし、いま“崖っぷち”の中で、事業や商売を営んでいる方達は、ぜひ、彼の「信念で生きる」ブレない生き方を学んでいってほしい。

2022年1月の運勢

2022-01-03

ロボットの「芸術作品」が次々と誕生する⁉

2022-01-03
われわれは何かを“勘違い”していたのかもしれない。「ロボット」は確かに人類にとって有効だが、それは主に“科学技術”の分野においてであって、芸術や芸能、或いは“精神”の分野においてではない。ほとんどの人が、私と同じような“勘違い”をしていたに違いない。けれども、それは違ったのだ。このほど英国のエイダン・ミラー氏によって“ヒューマノイド型(人間型)”ロボットが完成し、詩人ダンテの“死後700年”を記念する展覧会の一環として、オックスフォードの博物館に出展された。そのヒューマノイド型ロボットは「エイーダ」と名付けられている。近年の研究によって、ロボットには人の書いた文章を“模倣する能力”があり、その能力を活かすことで、モノマネではあるが“新たな文章”を生み出すことが出来る。しかも、エイーダの場合、言語能力も備わっているので、長文であっても“語り続ける”ことも可能だ。その結果、この優秀なるロボットは、自ら詩人ダンテに似た作品を生み出し、そしてその“自らの作品”を朗々と語り続けることが出来るのだ。したがって、その展覧会に来た人々は、まるで現代に“新たなダンテ”が生まれ変わったかのような詩人エイーダによる“新たなる作品”を生で聴くことが出来る。そして、この試みが教えていることは遠くない時代に、ヒューマノイド型ロボットたちが、古今東西の優れた芸術家たちを蘇らせたかのような“新たなる芸術作品”を次々と生み出していくに違いない。さらに単独の芸術家作品の場合には“模倣”だが、もしこれを“複数の芸術家作品”を記憶学習させ、それらから“総合的に模倣する形”を取らせることが出来れば、間違いなく“そのロボット自身”が生み出した新たな芸術作品になる。文章だけでなく、絵画とかデザインとか彫刻などの分野でもそれらが可能になっていくかもしれない。考えてみれば、われわれだって、最初は“模倣”から始まるのだ。この考え方を進めていくと、例えば“心の病”などの場合、その種の知識や症例を多数詰め込んだロボットが対応することで、単なる“癒し”だけでなく、その“根本原因や治療法”などを、ロボットが探し出してくる、ということなどが可能になって来るのではないだろうか。或る意味で、もっとも“人間的な分野”のことが、何十年か経った時には“ロボット専門”に取って代わられているかもしれない。 Newer Entries »