6月, 2024年
2024-06-18
郷土愛の強い映画やドラマがときどき注目される。最初は、この映画も“そのたぐい”かなと思った。けれども、よくよく内情を知ってみるとそうではなかった。もっとも注目を集めるのは、フィギュアスケーターとして知られる高橋大輔氏が、この映画では俳優デビューをすることだが、ただ単に「この街の出身者だから…」ということで決められたわけではない。この映画で監督・脚本を担当する平松恵美子氏が“この役に相応しい役者はいないか”と思って日々過ごしていた時、たまたまTVでインタビューに応じている高橋氏を観て「ここに居たじゃないか」と直感したという。イメージ通り“美術館学芸員役”にピッタリの雰囲気だったらしい。もちろん、この高橋氏も“この街=岡山市”出身者であるという。共演する女優のMEGUMI氏もこの街の出身者だ。もちろん監督もそうであり、主役の高校生はオーデションで“この街”から択んでいくという。そういう人たちが“全編オール岡山市内ロケ”で繰り広げるのが「蔵のある街」で、予算的に一度はボツになったものを再度寄付を募って形とすることが可能となった作品だ。その“思い入れ”は中途半端なものではないだろう。この作品を手掛ける平松監督というのは、実は永年、山田洋次監督作品の助監督を務めてきた人らしい。既に57歳というから、映画監督としても、もう若くはない。言ってみれば、山田洋次作品の持つ“地元愛”や“家族愛”や“人情噺”をそのまま引き継いでいる人に違いない。けれども、今回は自分で脚本まで手掛けた。いってみれば、平松流の映画作品を自らの出身地を舞台として、自らが口説き落とした「高橋大輔」という新人俳優を得て、寄付まで募って形にするのだ。最近、日本人監督で、海外受けの好い監督も多くなったが、この人は、もしかしたら海外受けはそんなに良くないかもしれないが、少なくとも日本人の胸に響く作品とはなってくれそうで、そういう作品を今後も作っていくことを期待してやまない。
2024-06-17
今年に入って、次々と倒産している“小さなお店”が多い。中でも多いのが「カフェ」と「洋菓子店」と「美容室」の三業種だ。これらに共通しているのは、原材料的なものが次々と値上げしていって、それを店の価格には転嫁しずらい業種ということになる。「カフェ」の場合には今年に入ってコーヒー豆の値段が急騰している。何しろ「コーヒー」が“売り”の店で、その豆が急騰しているのではどうしようもない。このコーヒー豆価格の急騰は、一般的な商品価格の高騰というだけでなく、生産そのものの不作が影響している。高級な豆を扱っているところほど“変わり”が効かないし、味が変われば見抜かれる。だからといってコーヒー一杯を“倍の価格”になどとてもできない。専門店ほど窮地にあるのだ。「洋菓子店」の場合、ほとんどの原材料費が値上がりしている。小麦粉、砂糖、バターなどだ。何しろ、購入してくれるのは子供たちのいる世帯とか、若い年齢層の人たちが多い。したがって、大きく値上げするということが事実上できない。商品としても“取り置きが利かない”から、実質不況で客足が遠のけば、即“赤字経営”に陥りやすい。「美容室」も、その倒産件数は昨年を48%も上回る。特に、ここ最近になって独立した“創業間もない店”の倒産が多い。それは、この業界が多額の借金をして開業するケースが多いからだ。美容関連器具というのは、だいたい決まっている。最新のものであればあるほど高価な場合が多い。それらを導入して独立することが多いので、最初から“借金経営”となっている場合も多い。さらに、この業界は近年、少しずつ人件費が高騰している。フリーとなって働く人が多くなってきているからだ。さらに水道光熱費などが高騰していて、黙っていても経営が苦しい。したがって、相当上手くやりくりできる経営手腕を持っていないと、借金だけがかさんでいく。これら三業種に共通しているのは、小規模経営が多いという点だ。極端なことを言えば一人ででも始められるがライバル店も多い。価格競争的なものもあり、日用品と違って価格を大きく値上げしずらい。「日本」国内の景気はインバウンドのように上昇していない。これら三業種だけでなく、日本人を相手にする“小さなお店”の多くは原材料の価格高騰で、その土台が揺らぎ始めている。
2024-06-16
自らの半生を描いた近藤令著『底辺漫画家 超ヤバ実話』が評判を呼んでいる。漫画そのものとしてどうこうというよりも、フィリピン人妻との壮絶な夫婦生活がリアルに描かれていて、文字通り“ヤバすぎる”からだ。タイトルに「底辺漫画家」とあるが、現在“プロ漫画家”として生活している人はどのくらいいるのだろう。いまや人気漫画家は日本国内だけではなく“世界”を相手の商売をしていて、その結果として年収、何千、何億と稼ぐようになっている。その一方で、貧しい漫画家も山のようにいる。芸能人やアスリートも似たようなものだが、漫画という世界も、その格差の大きさに“啞然”とさせられる。では、この著者のように“売れない漫画家=底辺漫画家”はどうすれば良いかと言えば、売れている漫画家のアシスタントとして働く……のが普通となっている。だいたい、何かの漫画賞などを取って、単発で作品が載っても、まったく反応がないような漫画家の場合、とりあえず“手っ取り早く収入になる”のは、この“漫画家アシスタント”なのだ。そういう形で底辺漫画家生活をしていた彼が、フィリピン人妻を得て、新たな暮らしが始まる。この“超ヤバ実話”は何と言っても、この部分がいちばんリアリティーがあって面白い。底辺漫画家がゲームに嵌まって、それを仕事帰りにするようになる。当然、帰宅が遅くなる。それによって自宅から締め出され、何とか玄関を開けてくれるよう頼んだら熱湯を浴びせられた…というシーン、或いは底辺漫画家が少しだけ余裕が出来て、キャバクラに行ったら、そこにやってきたフィリピン人妻にビール瓶で脳天をたたき割られた…というシーン、何と言っても、あえて漫画でなくても“壮絶な夫婦生活”が垣間見れる。やがて、漫画家の日本人母親と、フィリピン人妻と、ふたりが同居する形となって、その嫁姑間のほころびは繕いようのない状態となる。結局フィリピン人妻とは7年で離婚することになるのだが、その部分だけで十分に一本の“TVドラマ”が作れそうな感じの物語なのだ。この主人公役としては、芸人で“底辺に居た期間が長かった”人物が似合いそうな気がするのだが、漫画原作の作品としてはリアリティーがあってヒットしそうな予感がする。
2024-06-15
世の中には“難しい問題”がいろいろとある。今回、カナダで一組の“日本人女性カップル”が「日本で迫害されていた」という認識の下、カナダの移民難民委員会から「迫害難民(移民)」としての“正式認定”が与えられた。つまり、彼女たちは“迫害する日本”から逃れて、カナダに移住し、難民認定を得て、その福祉制度を利用した生活費が支給されるというのだ。解かったような解からない話だが、とにかく、日本では彼女たちの証言では「迫害されていた」ことになるらしい。確かに日本では、これは男性同士のカップルでもそうなのだが、同性同士のカップルに対しては、なかなか賃貸不動産を借りられない、という事実がある。この場合、親戚とか、姉妹とか、母娘とか、そういう風に融通性を利かせて申告すればOKが出たりするが、頑なに「同性ですが夫婦です」と主張すると、なかなか許可が下りない。これは、ひとつには経済力の問題と、何かの問題や事件が生じた時“その責任の所在”を問いにくいからだ。だから、日本の場合、必ずしも“同性カップルだから”というだけでなく、保証する人がいない場合にも、同様な差別というか、困難は生じることになる。たとえば、親子であっても、片方が70代後半か80代で収入がなく、もう片方が無職の子供だったりする場合、親の年金だけで十分ではないようなときには入居を拒否されることもある。それは「迫害」とは微妙に異なる“制度上の問題”であるように、わたしには思われる。だから、今回のハナさんとエリさんカップルは、同性カップルで本人同士は“夫婦”の認識なのだが、日本国内ではまだまだ“それ”を完全に受け入れてくれる大家さんは少数派と思われる。だいたい、日本の大家さんは総じて“年寄り”が多いのだ。最近の世の中の変化を“強引に押し付ける”ことも、それなりに問題がある。だから法的に整備してあげた方が日本人の場合には“受け入れ”が早いように思われる。このカップルの場合、自分たちの“夫婦としての存在性”を「日本」という国家に認めさせ、反省させたい気持ちがどこかにあるのかもしれないが、日本人は総じて徐々にではあるが“同性カップル”を受け入れつつある。たぶん、多少時間をかけて“同性夫婦”も受け入れられていくように変わっていくとは思うのだが、速さを求められると……。
2024-06-14
前にも書いたことがあるが「日本株」というのは“日本景気の先行指標”である。だいたい、その国の景気の半年~1年半くらい先を“歩んでいる”と思えばいい。その時によって“半年先”になったり、或いは“一年先”くらいになったりする。だが、決して“その時”ではない。つまり、株価が上昇しだせば、半年先後の景気は上々ということになる。逆に株価が下落しだせば、半年先、或いは一年先の日本景気は「悪くなっていくんだな」と思えば良い。ところで、今日は日銀の会合が開かれ、何かが決定される。今回は、何をどう決定していくか、読みにくい情勢となっている。ただ日銀も「何か手を打たなければいけない」情勢となっている。その“手の打ち方”によって、もたついている「日本株」が一気に上昇し始めるか、或いは逆に“失望売り”で低迷してしまうか、かなりキワドイ瀬戸際に立っている。何しろ、このところの「日本株」は勢いがない。一時期、あんなに勢いがあったのが“ウソ”のように勢いがない。それは、そのまま来年以降の“日本経済”の勢いの無さに直結していく。だから、日銀の決定は重要なのだ。もしポジティブな提案が下されれば、勢いがなくなっていた日本株に再び飛翔のチャンスがやって来る。今年になって日本政府はあちこちに“半導体事業の立ち上げ”を宣言し、そのための予算を計上している。ただ、国内だけからの資金では足りないのだ。足りなすぎるのだ。海外からの資金がやって来てくれないと「日の丸半導体」は尻つぼみになる。せっかく各地点で“GOサイン”は出されたものの資金不足になったら途中崩壊していくことは眼に視えている。そうならないためにも「日本株」の上昇が重要なのだ。まずは「日本株」が“日本経済の先行指標”として勢い良く上昇して、4万2000円まで到達して、国民たちを安心させて欲しいのだ。そうすれば、2~3年後の日本経済に希望が持ててくる。わたしが昨年の“流行語大賞”とするはずだった「半導体バブル」はまだまだ一般のところまで浸透していないが、もし各地で始まっている半導体関連の投資事業が次々と本格化していけば「もしかしたら…」が「もしかしたら…」ではなく、ほんとうに全国各地で「半導体バブル景気」が起こって「湧き上がる日本経済」ということになっていくかもしれないのだ。
2024-06-13
今に始まったことではないが、全国で書店がどんどん減っているらしい。ネット通販や電子書店の普及によって「街の本屋さん」の役割が乏しくなってきていることは間違いがない。ただ全国の市町村の4分の1で、書店が無くなってしまったと聞くと、ただ単にネットの普及で書店減少していくのは仕方がないと割り切れるような問題ではない。子供時代に“書店のない地域”で育つのは、どう考えても好ましいことではない。わたしは子供時代から少し変わっていたので、書店に行って実際に読むのは「占いの本」しかなかった。もちろん立ち読みで、毎日のように行くから、書店の方は顔を憶えていて「また来たな」という顔をする。そういう顔をされても、慣れっこになっている私は、かまわず「占いの本」を読む。そういうのが続くと、書店の方も考える。いつの頃からか「占いの本」だけ、天井に近い位置に移されたのだ。もちろん、子供のわたしには手が届かない。悔しかったが、買う金もないので、どうすることも出来ない。その時、ふと、わたしの眼に留まったのが『紫の履歴書』という美輪明宏氏の初版本だった。当時はまだ「丸山明宏」の名前だった。小学生の私は、なんとなく興味を引かれて手に取り中を開いたが、その口絵写真に妖艶さに驚き“読んではいけない本”のような気がした。仕方がないので、その日は、すぐ家に戻った。それからひと月ほど書店には行かなかった。久し振りに行ってみると「占い本」は元の位置に戻されていた。とにかく、そういう想い出のある書店だが、子供時代に書店は近くにあった方が良い。ただ現在のような書店の在り方は、もう時代に整合していない。わたしは書店を大きく四つに分けるべきだと思う。その一「雑誌書店」、その二「マンガ書店」、その三「文学書店」、その四「一般書店」の四種類だ。そういう風に分ければ、もっと種類を増やしておくことが出来るし、それぞれの役割で入る場所が決まって、探しやすくなる。最近の書店は本そのものが探しにくい。それと、無駄にたくさん冊数を置き過ぎている本、まったく書棚に置かれずに戻されていく本、大型書店は本当に本が探しにくい。どうして、書棚にも並べられず戻されていく本がある一方で、無駄に数十冊とか山積みされる本があるのか。あの根本的な問題を改めなければ、書店がつぶれてしまうのは当然のことだと思う。結局、大手出版社から出した本でなければ、全国各地の書店の書棚に顔を出すこともなく、そのまま戻されるという不遇を甘んじるしかない。この制度を変えなければ、子供達のためにも、教育上も何の役にも立たない。
2024-06-12
アメリカのネブラスカ州にあるホスピスから、死亡したとして葬儀場へと運ばれたコンスタンス・グランツ氏(74歳)の遺体が、葬儀業者の手に渡って死後処理を施そうとしたとき「まだ息がある」ということに業者が気付いて連絡、病院へと緊急搬送されたらしい。時々、こういう話が伝わってくる。人の生命力というのは奇妙なもので、いったん、その時期に“死ぬ”はずだったものが、何らかの理由から「仮死状態から蘇える」よう……つまり、あちらの世界から「まだ、来なくて良いよ」と押し戻されるようなケースがときおり見受けられる。あっちの世界は、それで良いかもしれないが、こっちの世界としては「だって、死んだじゃない‼」ということで、いろいろ手続き的なものも済ませてしまっていたりすると、妙に気恥ずかしい。たとえば保険会社に連絡して、保険金が下りる手続きがなされているような場合、本人が急に「俺、死んでいないんだけど…」とか電話してきたら、怖いでしょう。それ、申し込んだ家族も「いや、実は死んでいたはずなんですが…」って説明するのも、ちょっと難しいし……。年金とかストップされたら、もう「まだなんですけど…」って言っても「ダメ、ダメ、不正は受け付けないよ、そんな判り切った嘘つくんじゃないよ」って諭されたりして……。どうもバツの悪いこと、極まりない。何しろ、葬式も済ませてるから、近所の人たちも「似た人がいるもんだな⁉」って、似た人じゃなくって、本人なのッて、いくら説明しても怪訝な顔をされるだけで、やっぱり、ここは、殺すときはしっかり殺してくれないと、その後が大変なんだからって、そういう集まりがあった時に話したんですよって、どこの集まり⁉ 大体、本人だって覚悟してたのに、向こうに行ってからの予定だって、ちゃんと組んでたのに、この不始末はどうしてくれるんだよ‼って、あの人、嘆いていたみたいですよ。
2024-06-11
東京都の国立市で積水ハウスが建築中だった分譲マンションが、既に九割方完成していたのに、今月4日に建設中止になり、解体することが決った。建設中に何か不備が見つかったとかいう話ではない。近隣住民たちの「景観を損ねる」という意見が通っての建設中止なのだ。これが国立市の“条例違反”とか“規制違反”とか言うなら話は解かるが、そうではなくて、あくまでも「景観への影響を配慮しなかった」という理由からの中止・解体なのだ。もし、これがまだ半分程度の完成度なら、それも仕方がないなと思うが、既に9割以上完成していて、外観的には“ほぼ完成”の状態にある。外見を観る限り、なかなかシャレた感じの小ぶりなマンションだ。地上10階建ては、決して高層マンションの部類ではない。しかも総8戸入りということで、横幅だって広くはない。つまり、縦にしろ、横にしろ、そんなに景観を邪魔するようなマンションではない。もっとも「富士見通り」と呼ばれる“その通り”の入り口辺りから、これまで見通せていた富士山が、半分視えなくなるのは事実だ。ただ、そういうことって都会のマンション建設ではよくあることで、市の規制違反をしていたならともかく、あくまでも「近隣住民への配慮」が問題だったというのだ。たとえば、これが東京都内で「東京タワーが視えなくなる」とか「スカイツリーが視えなくなる」とか言うような場合、九割方完成している分譲マンションを取り壊したりするだろうか。時代は「景観を変える」というのは歴史が証明している。占いの「風水」では“自然との調和”を何よりも重視するが、そうかといって“時代を無視しての調和”ではなく、あくまでも“時代環境を意識しての調和”ということが重要とされる。大都会ではビルの乱立は当然のことなので、そういう中に在っての高層マンションは、むしろその地域における時代との調和を保っている。逆に田舎では一つだけポツンと高層マンションが建ったなら、それは調和的ではない。今回のマンションの場合、東京都ではあっても大都会とは言えない国立市、だからといって田舎でもない国立市、そこに10階建ての小ぶりなマンションを建てることが「調和」なのか「不調和」なのか判然とはしないが、とにかく九割方完成してから解体するのは、出産直前で新生児を遺棄してしまうような残酷さを私に感じさせる。
2024-06-10
近年はなんでもかんでも“個人情報”ということで、本人の“特定情報”が隠されがちである。それを良いことに、ネット上での誹謗中傷が後を絶たない。それを受けることで、芸能界とかスポーツ界とか政治世界とか、さまざまな分野から“深く傷ついた人たち”が消えて行く。時には“自ら命を絶つ”ような場合さえも起こる。そういうことが何回も繰り返されているが、それでも“個人情報”の壁に阻まれて、なかなか誹謗中傷した本人は検挙されない。昔、各所に防犯カメラを取り付けることに対して、一部から“個人情報保護”の観点からの強い抵抗があった。けれども時代の趨勢がそれを押し切り、いまでは様々な公共の場に防犯カメラがとり付けられ、その結果、多数の犯罪が暴かれるに至っている。少なくとも、人の命は個人情報に優先するという“当たり前のこと”がようやく世間的に行き渡った感が強い。昨日、女優・モデルの齋藤なぎさ氏がSNSでネット上における誹謗中傷に対して悲痛な思いを投稿した。≪わたしも人間なので人格を否定されたり、容姿をあれこれ言われたり、自分の周りまで攻撃されたり、全否定する投稿があったりすると、生きていることが苦しく、息することも辛くなります≫といったような内容だ。彼女はまだ20歳でもっとも感受性が強い時期を抜けきっていない。人は10代半ば~20代半ばくらいにかけ、もっとも感受性が強い。或る程度の年齢になってしまうと、感受性が鈍感になるので、誹謗中傷など受けてもそんなに傷つかないのだが、青春期の女性は特に傷つきやすい。防犯カメラと同じようなSNS上の監視カメラが機能しないと、おそらく誹謗中傷の投稿は後を絶たない。わたしは以前から主張していることだが、ほんとうに誹謗中傷したいなら、本名で堂々と誹謗中傷すればいい。そうすれば、それに対しての反論も本名で返ってくるはずで、SNS上でのやりとりが透明性を持つ。人は陰に隠れていろいろ言うが、意外と真正面切っては言って来ないものだ。真正面切ってでも言ってくる場合は、それに対して真正面切って反論すればいい。そういう社会になれば、少なくとも「イジメ」などの問題も半減していくことだろう。
2024-06-09
どうも最近の“世の中”は物騒でいけない。やっぱり“平和の国”が良いよなぁって欧州のニュースを観ていて思う。6月7日、デンマークでは欧州でも実力者として呼び声が高いフレデリクセン首相がコペンハーゲンの路上で暴漢に襲われた。さいわい怪我はたいしたことがなかったらしいが、次期EU大統領とも言われる若き人物への襲撃はEU各国にショックを与えている。じつは欧州の政治家が襲われることは稀ではない。5月15日にはスロバキアのフィツオ首相が首都郊外で銃撃を受け重傷を負った。5月3日にはドイツ社会民主党のマティアス・エッケ議員が若者4人から暴行を受け手術が必要な重傷を負った。6月4日にも「ドイツのための選択肢」に属する議員が路上でナイフを持つ男に刺された。なんと「ドイツのための選択肢」という政党は狙われやすいのか、2023年だけで議員への暴行が86件も報告されている。もう一つの「90年連合・緑の党」議員も狙われやすく、62件の暴行行為が報告されている。ドイツ人というのはそんなに暴力的なのか。確かに、ここにきてドイツは国内情勢が不安定だ。欧州の中でもロシアに近いドイツは、いろいろな意味でロシアの影響を受けている。どうしても、そういう人たちが「国」を“一つの纏まり”として認めないような部分があるのだ。近年まで、比較的それが抑えられていたのは、経済的に安定していたからだ。ところがここにきて急速に“その部分”にほころびが出て来ている。欧州の中でもそのインフレ率は極端に高かった。それに、ガザ戦争の影響、ウクライナ戦争の影響も身近に感じられて、人々の暮らしも殺気立っている。最近の“インフレ”は世界的な傾向だが、われわれが意識しやすいアメリカよりも、実は欧州の方がその問題に対しては頭を抱えている。なぜならアメリカのように財政が豊かではないからだ。日本と欧州とは、こと“経済的な成長率”という点ではそんなに変わらない。もちろん日本の方が劣っているのだが、意外と欧州もイタリアとかドイツとか決して経済が順調とは言えない国も出て来ている。したがって、特に個々の主義主張が強い欧州の人たちをまとめるのは、日本人のように比較的主義主張が少ない人種よりも難しいのだ。だから、日本もいろいろと問題山積みで政府の支持率も低いが、それでも「やっぱり日本は平和で好いなあ」と感じるのは、わたしだけであろうか。
2024-06-08
わたしのように度近眼だと、よほど近づかないと「顔」が判らない。ましてや選挙ポスターって、ふだんの特徴が表れにくいような写真が多くて困ってしまいそう。でも、安心してください。わたしは都民ではなかった。だから選挙関係ないじゃん。とはいうものの、やっぱり、都知事選ってどうしてそんなに立候補者が多いのか、気にはなりますよね。何しろ、既に立候補を表明している人だけで30人以上も居るのですよ。多過ぎません⁉ 何でもそうですが、多過ぎると迷ってしまう。当然のことです。それで、つい全然関係ない人の名前を書いてしまったりして……お恥ずかしい。まあ30人でも多いんだけど、実際にはもっと多くなることが確実です。何しろ立候補に必要な書類を提出している人だけで、現状、59名に達するのだとか…。そこでいちばん困っているのが選挙ポスターを貼るボード版の設置作業らしい。現状、枠を少し多めに見積もって「48名まではギリギリ貼れるようになっている」らしい。やはり、これは「AKB作戦」と呼ぶのだろうか。だけど、もし59名にまで増えたらどうするのって、そんなこと知りません。少なくとも間に合いません。まあ“重ね貼り”っていうのはどうでしょうか。ダメ、それじゃ、届け出順で“早い者勝ち”っていうのはどうでしょうか。ダメ、選挙の公平性に欠く……なるほど、ごもっともな御意見で……ワカリマシタ……デジタルの時代です。もう紙のポスターなんてチンケなことを言ってないで、デジタル表示の掲示板にして、次々顔が浮き上がっては消えて行く方式を採用しませんか。それだと大きく表示できるし、それぞれの特徴なんかも“浮き上がらせ”たり“目立たせたり”出来て、印象に残りやすいんとちゃうの⁉ それにデジタルに切り替えれば、5秒間隔くらいにすれば、本人が自分で党名と名前を言いきることが出来る。その方が一人一人を憶えられるから、選挙カーで廻らなくってもみんなに憶えてももらえると思うな。だいたい選挙カーで廻るのって、そんなにたくさん立候補したら交通の妨げになっちゃうんじゃあないの。それぞれが選挙妨害をしようとしていなくても、自然に聴き取りづらくなって、要するに何を言いたいのか解かんなくなっちゃうんと違います⁉ 何となく無駄なことが多すぎるって感じるのは、ワイだけなんやろか⁉
2024-06-07
アマゾンの奥地で暮らすマルボ族にとって、インターネットの接続が良かったことより、悪かったことの方が多い…との結論に至りそうだ。2023年9月まで、ブラジルのアマゾン奥地の熱帯雨林地帯に暮らすマルボ族にはインターネット環境がなかった。衛星によるインターネットサービスというものが出来たせいで、アマゾンの奥地であっても“ネット環境”を手に入れることが可能となった。問題はアマゾン奥地での暮らし方が、当然の話だが、われわれ文明社会に暮らす人たちとは相当に違っている、ということにある。或る意味では熱帯雨林地域での暮らし方は、長老を中心としたまとまりがなければ、成り立たないようになっている。文明地域で生きている人のような“楽な暮らし方”は出来ない。それなのに、インターネットが繋がったことによって、若者たちは“さまざまな欲望”に目覚めてしまった。特に問題なのは、働き手の多くが「ポルノ中毒になってしまったこと」であるらしい。働かず、一日中、ポルノを見ていたのではここでの生活が成り立たない。結局、長老たちは会議を開き、今後はインターネットに制限を設けて、特に夕方以降と日曜日はネットに繋がらないよう変えてしまうそうだ。もちろん蛇に噛まれたりしたとき、すぐ当局に連絡を入れて助かった命もある。だから、ネットのすべてがダメだとは思わない。けれども、元々は「慎み深かったわれわれ」がネットの“ポルノ動画”をマネしたり、試してみたがる傾向が出て来ている。アマゾン奥地の暮らしには、自分たち特有の暮らし方がある。総じて大人たちは批判的だが若者たちにとっては“新たな世界”が広がったことは間違いがない。実際、動画を見て都会にでて医療を学びたいとか、外国を旅してまわりたい、とか夢を語る若者たちも出て来た。結局、まだまだ存在する未開文明の地域においては、溢れる情報をどう選択してマルボ族の暮らしにもプラス作用にしていけるか、ということなのだろう。彼らにとっての「文明」はいま始まったばかりなのだ。
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