12月, 2024年

日本人の誰もの心を重くさせる「ネバダ州提訴」

2024-12-20
ときどき「良い悪い」とか「正しい正しくない」とか……そういうこととは別の「人間として…」考えてしまうような問題が発生する。多くの人が関心を寄せ、同時に心を曇らせるニュースが入った。旧ジャニーズ事務所に所属していて、故ジャニー喜多川氏からラスベガスのホテルにおいて「性被害を受けた」として、当時の所属タレントであった田中純弥氏(43歳)と飯田恭平氏(37歳)がアメリカのネバダ州の裁判所に対し19日「性被害」として計3億ドル(日本円で約460億円)の提訴に踏み切った。アメリカの場合、自国民であろうとなかろうと、その地域内で行われた犯罪に関しては、提訴されれば事件として扱う。田中氏の方は1997年から98年にかけて、飯田氏の方は2002年から06年にかけて同州内のラスベガスホテル内において、ジャニー喜多川氏から「性被害を受けた」と訴えている。旧ジャニーズ事務所は被害者たちに対して“和解案”と“慰謝料”を提案して、これまでほとんどの被害者たちと「和解合意してきた」と公表していた。ところが、今回の二人は、その点に関しては合意できなかったのか、元々申請していなかったのか解からないが、今頃になってアメリカの裁判所に提訴した。ただ当然のことながら、もはや加害者とされるジャニー喜多川氏は居ない。被害時期としても20年以上前のことになる。もっとも証明さえできれば、遠い過去だから「被害がなかった」ことにならないし、アメリカの司法として“アメリカ流の判決”が下される可能性は大きい。ただ、さまざまな意味で被害者たちの提訴には疑問が残る。日本人として、もっとも違和感が大きいのは提訴の金額だ。もちろん、アメリカのすべては日本より“高い”のは解かっている。それでも、もし、それがそのまま通れば、その賠償を行うのは本人ではなく、遺された関係者だ。しかも、今回の場合は、別に会社が“グルになって行った犯罪”ではない。或る意味で、その血族とか会社幹部は日本国内において謝罪や慰謝料の問題だけでなく、十分なバッシング報道なども受けた。しかも、その当時アイドルとして一緒に働いていたメンバーたちの中には、現在もタレント活動をしている者も多数いる。言ってみれば、当時の先輩とか仲間とか後輩に対しても、刃を向けるかのような提訴とも言える。これまで“同じ被害”を受けながら“和解・合意”に至った人たちが何百人も居た事実はどうなったのだろう。それら、すべてを考えると、正しいとか正しくないとかは別にして、人間として、今回の訴えが妥当と言えるのか、わたしには割り切れない疑問が残る。

「巨大ドローン」か「UFO」か「軍事偵察機」か

2024-12-19
謎の飛行物体が、米ニュージャージー州を飛び交っている。11月中旬以降に頻繁に目撃されるようになった。確かに映像を見てみると、明らかな飛行物体で、その点は間違いがない。問題は“どういう種類の飛行物体”かということなのだが、どうも、アメリカ国内でも意見が分かれているようで「巨大ドローンだ」という説、「軍事偵察機ではないか」という説、「UFOだ」という説の大体三つに分かれている。なにしろ、頻繁に出没しているし、その動画もたくさん撮られている。したがって、トランプ次期大統領などは「米政府は何が起きているか知っているはずだ。国民に真実を知らせるか、撃ち落とすべきだ」と相変わらずの過激発言をしている。ただ、その政府の公式見解としては「安全保障上の脅威を与えるものではない」としていて、今のところ、特に、軍事的に“動き出す”気配はない。アメリカの場合、これまでにも、秘密裏に「さまざまな実験・研究を行っている」とされ、軍事基地周辺では、しばしば“未確認飛行物体”が目撃されたりしている。それが、アメリカ軍自体の“秘密兵器的な飛行物体”なのか、他国の“偵察衛星的な飛行物体”なのか、それとも文字通り“UFO的な飛行物体”なのか、判然としていない。今回の場合には、目撃者も多く、動画もたくさん撮られていて、11月下旬以降に同じ地域で頻繁に目撃されている。住民に不安を与えている以上、もし、解かっているのであれば公表してしまった方が良いように思うが、公表できない理由が存在するのかもしれない。これまでのUFO画像と違って、比較的律儀な動きをしているようにも見えるが、ただ文字通り“UFO型飛行物体”に視えるので、その点では住民たちが不安を感じるのもムリはない。はたして、一部で報道されていたように“大型のドローン”なのか、それともいよいよホンモノのUFOとの遭遇が実現するのか、世界AI戦争が近いのか、いずれにしても、このまま何となく沈静化してしまうにはは、ちょっと寂しい事件ではないか。

「ホンダ」と「日産」と「三菱」の経営統合⁉

2024-12-18
世界的な自動車メーカー「ホンダ」と「日産」が経営統合のための協議を始めた…との報道が出ている。これに将来的には、日産とかかわりの深い「三菱自動車」が加わって“三社統合”となっていく可能性が強い。このところ「ホンダ」と「日産」とは“電気自動車”を共同で研究・開発することで相乗効果を期待されていた。それが、単なる共同研究や開発というだけでなく、経営そのものも統合してしまおうとしている。日本は最近、自動車分野で中国やアメリカから後れを取っていて、販売台数にも陰りがみられる。特にアメリカはトランプ政権に変ることで、ことのほか“日本車”に対しては風向きが悪い。不動産不況の中国も、近年は“日本車離れ”が起こりつつある。中国国産の電気自動車にも力を入れていて、むしろ日本に対しては安価な電気自動車で“輸出攻勢”をかけ始めている。つまり日本の車は、もはや「アメリカ」「中国」という“二大市場”を失い、東南アジアくらいしか“今後の市場”を見出せなくなってきているのだ。特に「日産」の場合、カリスマ経営者であったゴーン氏を失い、急速に海外市場の視界が不良となった。こうなってしまうと、経営そのものも統合してしまって“研究開発のコスト”を浮かせて挑む以外にはない。昔は、車産業は「日本の花」として世界に誇り得るものだったが、いまや“電気自動車”の分野でも“自動運転”の分野でも「日本」は、アメリカや中国から引き離されてしまった。日本は何につけ“安全性第一の国”で、スピードとか、AI化とか、ハイブリッド化とか、斬新なデザインとか、いまひとつ見劣りがする。今回は「ホンダ」と「日産」の“二社だけの統合話”で「三菱」はまだ加わらないようなのだが、最初から三菱も加えて“三社統合”でスタートしてしまった方が面倒がなくて良い。過去には「世界のホンダ」「世界の日産」として名をはせた企業同士だが、三社統合して“新たなメーカー”として生まれ変わった方が、多分、世界は受け入れてくれるし、より良い商品として安く提供できるようになるのではないだろうか。カリスマ経営者を失った日産は、もはや“彼を再び連れ戻し”でもしない限り、大きな成功は得られないほど“その中身までも失われて”しまったのだ。

過去に「執着しない生き方」択んだ團十郎一家

2024-12-17
人間には大きく分けて“二種類の人間”がいる。自分の“過去に執着するタイプ”と、過去にどんな出来事があっても、それはもう過去のこととして“執着しないタイプ”だ。そうして、どちらかと言えば、過去に執着しないタイプの人の方が、倖せを享受しやすい。過去に執着し続けると、時間が止まって、そこから動けなくなる。「倖せ」というのは、その人の“価値観”に基づくもので、一律ではない。だから、その時々で“倖せを変えていく”ことが出来る人の方が、享受しやすいのだ。昔、市川海老蔵は日本中に名を知られ、人気絶頂だったし、なんでも“手に入れて”いた。けれども、彼には“いくつかの不幸”が襲い、人生における“翳り”を知った。その結果、彼はいつの間にか“小さな悦び”を大切にするように変わっていった。文字通り、その結果としての“幸せな形”で先日TV番組に出た。自分と息子と娘と“三人一緒”でトーク番組に出ていた。いつの間にか、息子と娘は“大きく成長”し、三人とも“平等な出演者”としての形を保つようになっていた。もはや「海老蔵→團十郎」が“主役の家族”ではなくなっていたのだった。いまや息子は「市川新之助」となり、娘は「市川ぼたん」となって、それぞれに人気を出し活躍し始めている。もはや自分だけが主役の一家ではなくなったことを、誰よりも團十郎自身が自覚しているのだ。そして、そのことに“倖せ”を感じているように、わたしには視えた。もっとも、そうだからと言って、昔のことや、亡くなられた小林麻央氏の話をムリに避けていたわけでもない。ごく自然体の形で、昔も受け入れながら、今を生きていた。この「昔も受け入れながら、今を生きていく」という形が、実は“大きな災難”とか“不幸な出来事”とか“不条理な過去”とかを乗り越えていく、いちばんの秘訣なのだ。人生は、どんな人でも、過去にさかのぼって“やり直す”ことは出来ない。そうである以上、起きてしまったこと、遭遇したことに関しては、もはやどうすることもできない。今の状態、遺された形の中で“どう生きるか”しかないのだ。そうであれば、その今をいかに“大切にしていくか”しかないのだ。当然「幸せの形」を昔と“同じような形”で求めたなら、ムリが生じる。今は、あくまでも“遺された形”の中で“幸せを紡いでいく”のがいちばんなのだ。さまざまな出来事が、人間としての市川團十郎を大きく成長させたように思える。

来年は「化粧品」や「美容業界」が苦境に立つ⁉

2024-12-16
資生堂、コーセー、花王、ポーラ……と言えば、日本を代表する化粧品メーカーだ。これら企業は、中国をはじめとするアジア各国への輸出量が多く、広く“そのブランド名”が知れ渡っている。先進国としての“日本の美”は、そのまま化粧品ブランドの担い手としてアジア各国に受け入れられてきた。ところが、ここにきて“日本ブランド”の地位が急速に危うくなっている。その代表は「中国」だ。これまで黙っていても売れていた日本のメーカーが売れなくなったのだ。特に、ここ2~3年、その減退ぶりが著しい。一つには中国の国内事情が影響している。つまり、不動産市況に端を発した経済不況が、本格化してきていて、若い中国女性たちは、高い日本の化粧品に手を出さなくなってきている。それは徐々に他のアジア圏にも伝播しそうな感じで、最近の統計によると、2021年には3700億円の輸出額があった日本の化粧品が、2023年には2800億円の輸出額に落ち込み、今年はまだ途中経過だが1800億円にまで急減している。資生堂の12月決算では、本来は220億円の黒字予想が60億円にまで落ち込んでいる。資生堂ばかりでなく、中国への輸出額ではコーセーが26%減、花王が20%減、ポーラが10%減とそれぞれ急低下して来ている。一つのメーカーだけでなく、どのメーカーも共通して下降気味なのだ。つまり、日本ブランドそのものに陰りが見える。これは中国に限ったことではないが、近年は化粧品とか美容関係に関しては、いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人気YouTuberによる動画などの影響力が極めて強い。したがって、そういう人たちに支持されなければ、若い人たちからの支持を得ることが難しくなっている。むかしのように「名前だけで売れる時代」ではなくなったのだ。さらに、これも中国だけではないが、各国とも自国の有名ブランドが確立されつつある。さらに、いまの「日本」は“アジアの中の先進国”ですらも無くなりつつある。日本が、アジア諸国に対して“憧れの国”であった時代は過ぎ去ってしまったのだ。そうであれば、あとは巨大なマーケットとして“アフリカ諸国”に賭ける以外にない。ただアフリカ人は総じて“日本人の繊細さ”と“美的感覚”が同一ではない。どちらかと言えば欧米の“派手な美しさ”への憧れが強い。エステ業界でも最近、問題が生まれているが、来年はもっともっと“美に関連する業界”が窮地に陥っていきそうな気がする。

「芸能人」より「介護職員」の方が充実している

2024-12-15
人はときどき人生の途上で立ち止まる。「この道だけが自分の道なのか」と、立ち止まる。多くの人は、一時的に立ち止まるのだが……そのまま進んでいく。少数の人だけが、立ち止まった後「もう一つの道へ」と、恐る恐る歩み始めていく。数年前、コロナ禍が起こって、大きく“混乱した業種”の一つが「芸能界」だった。彼女の場合には、それまでにも考えるところがあって、迷いながら“芸能人としての歩み”を続けていたようだ。だから、或る意味では“コロナ禍”がなかったとしても、もしかしたら“分かれ道”に向かったのかもしれない。きのう久しぶりに「トークイベント」の場に、コロナ禍の2020年10月1日「芸能界引退」を宣言した元女優の岩佐真悠子氏が登壇した。彼女は、その後、完全に芸能界を去って現在は介護職員として週5日、老人ホームで働いている。そして、そういう日々を「大変に充実した日々を送っています」と報告している。この人は確か“美少女コンテスト”か何かで択ばれて芸能界に入った人で、その後も、第一線で活躍していた。引退する少し前から、多少、華やかな場への露出が減っていたようには思うが、仕事に行き詰った感じではなかった。それでも、本人の中では、迷い続けていた部分があったようだ。そして、コロナ禍がやってきたことで、じっくりと考える時間が生まれ、もっと直接的な形で「世の中に役立つ仕事がしたい」と考えるようになったようだ。そして、いまは、その直接“役立つ形”で介護職員として、生き生きと充実した暮らしをしている。だから、後悔も、迷いもないようだ。もちろん、女優と介護職員とでは、その収入格差は歴然としている。それでも、仕事としての充実感や達成感というのは、人それぞれに違っている。彼女の場合には、老人たちの感謝の言葉や、彼らの手助けをすることで“共に生きていく”という働き方に悦びを憶えている。それは女優として“映像の中で輝く”ことよりも、ずっと、ずっと、手応えのある働き方なのだ。よく収入だけで“仕事を変えていく人”がいるが、どんなに収入を得ても、どんなに名声を得ても、数年経てば“その跡形が無くなってしまう”仕事もある。人に“生きていく力を授ける仕事”は、何にも増して“一緒に命の悦び”を感じられる仕事かもしれないのだ。

トランプ氏は、なぜ「安倍昭恵氏」を招いたのか

2024-12-14
誰もが、解かったような解からない雰囲気で、このニュースを伝えている。アメリカ次期大統領のトランプ氏が日本の「安倍昭恵氏」を15日、彼の邸宅である「マール・ア・ラーゴ」の夕食会へと招待したニュースだ。この夕食会にはメラニア夫人も“同席する”と伝えられている。確か日本の石破首相は、トランプ大統領が就任した直後に会談を申し込んだのだが「まだ就任前なので…」という理由から拒否されている。もっとも、それは“建前の話”であって、すぐ近しい外国首脳とは逢っている。実際、今回も、まだ就任前だが「日本の安倍昭恵氏」を夕食会に招待しているのだ。前から連絡を取り合っていた…という報道もあるが、特別に親しい間柄とも言えない。どうして、安倍氏の方からではなく、トランプ氏の方から「夕食会」へと招待したのか。もちろん、若くして“不動産王”となったトランプ氏が、ただ単に“親しい”という理由から、日本の“元首相夫人”を招くわけがない。彼は根っからの“商売人”であり“政治家”なのだ。理由は大きく二つある。その一つは、日本の「石破茂」という首相について、その“人となり”について、彼は安倍昭恵氏に訊いてみたいのだ。こういうことは、もし、安倍晋三氏が生きていれば“電話のやり取り”で済む。けれども、もう安倍氏は居ない。電話で“その夫人に訊く”というのは、すべきことではない。あくまでも名目上は“夕食会”としての席で、さりげない会話の中で、多少はアルコールも入っている中で、問い質すのがトランプ流だ。なぜなら、彼は元々商人で、相手を見極めながら“外交交渉を行う”のが得意なのだ。とくに、その“性格を考えながら”交渉していくのが得意なのだ。だからこそ北朝鮮の金正恩氏とも何度も逢った。交渉をしていくためには、まず、その人となりを知っておく必要がある。彼が11月の“石破氏との会談”を避けたのは、その人となりについて“よく解からない部分が多い”からだ。日本人だって、石破氏の性格は解かりにくい。欧米人は“解かりにくいタイプ”を根本的には好まない。ただ今後を考えれば“知っておく必要”はあるのだ。それと、もう一つは、メラニア夫人の方だ。彼は今回、その遊説中に銃撃を受けた。かすり傷で終わったが、また銃撃を受けないという保証はない。そこで銃撃され、亡くなった安倍晋三氏が意味を持つ。つまり安倍昭恵氏は未亡人なのだ。実は社交的な安倍氏はメラニア夫人の“姉”のような役割を果たしている。安倍氏の方も“野心の乏しい”夫人を気に入っているし、メラニア氏の方も気さくな安倍氏を“姉”のように慕っている。だから今回も同席するのだ。つまり、自分に“万が一のこと”が起こった時、頼りにすべき存在として安倍昭恵氏をトランプ氏は推奨しているのだ。腕のいい商売人であり、辣腕の政治家でもあるトランプ氏は、単なる“親しみ”だけで安倍氏を招待したのではない。

「美談」として語られた「財布が戻った⁉」話

2024-12-13
日本は“治安の良い国”として世界中から知られている。それは事実だ。けれども、失くした財布が3年後になって戻ったからと言って、すべての人が“心優しい人たち”などと誤解をしてもらっては困る。しかも、それはネットニュースの一つとして“美談として”語られていたのだ。それは違う。この財布を失くされた方が、日本人なのかどうかは知らない。なんとなくニュアンスとして日本に長く滞在している外国人のような気がしないでもないからだ。O氏は2021年に人通りの多い渋谷で財布を失ってしまったと記述している。落したのか、置き忘れたのか、その辺は記されていない。ともかく、その財布には現金以外にも、O氏にとって“大切なもの”がいろいろ入っていた。あの人ごみの中で失ったのだから、もう、戻って来ることはないだろうと観念していたようだ。ところが、その3年後の今年になって彼の財布は、心優しい人によって「多摩川に浮いていた」ところを見つけられ、中のカードなどから持ち主が解かって連絡が来た…というのだ。こうして、すでにボロボロになってはいたが、そして、入れてあった現金は無くなっていたが、本人にとって大切なモノやカード類は残されたままだった。その大切な財布と、再び回り逢うことが出来て、改めて「日本」を“善い国”だと思ったし「日本人」を“心優しい人たち”だと思って、それを写真付きでSNSに投稿したのだ。もちろん、そここと自体は、大変に心温まる話だ。ただ、わたしが思うに、その財布が“多摩川から拾われた”ことには深い意味がある。なぜなら、彼の財布は空を飛んで多摩川に落ちたわけではない。だれかが“多摩川に捨てた”に違いないからだ。しかも、そのまま捨てたのではなく“現金だけ抜き取って”捨てたに違いないのだ。そうすると、この財布は、果たして“置き忘れたモノ”をたまたま拾っただけなのか、それとも、さりげなく“持ち逃げしたモノ”なのか、どちらかだということになる。たまたま拾った場合、通常の日本人(⁉)なら、そのままの形で警察に届ける。おそらくその財布は中が“ぎっしり詰まっていた”可能性が高く…であればなおのこと、そのまま届ける。けれども、その財布を手にした人物は、その中を確かめ“現金だけ抜き取り”他のモノはそのまま多摩川に捨てたに違いないのだ。そうすれば、仮に“その財布”が誰かに拾われたとしても、どこで棄てられたか、どうして棄てられたのか、だれにもわからない。ただ中にカードなど入っていれば、もしかするとやがては本人に届くかもしれない。もしかすると“貴重な写真”とか“お守り”とかが“免許証”とかが入っていたのかもしれず、それらは彼にとって“お金よりも重要なモノ”だったから、戻って来たのを悦んだのかもしれない。けれども、それを川で拾った人は確かに優しい日本人だが、それを“川に棄てた人物”は単なる“ワルイ人”であって、そういう人も日本には居るのだ。

米の孤児院で育った少女はガーナで「女王」に⁉

2024-12-12
人の運命は、わからない。アメリカのデトロイトの養護施設で15歳の時に出産した少女は、やがて、その25年後にアフリカのガーナの都市タマレにおいて、14世紀に建国された「ダグボン王国」の末裔である宗教的な指導者から「友愛の女王」という称号を贈られ、実際にその王国の女王として現在は暮らしている。彼女ケネディ・ジョンソン氏は幼い頃から親から引き離され養護施設で育った。そして、まだ15歳の段階で妊娠し、未婚のままで施設の中で出産し、女児を産んだ。こういう例はアメリカでは決して少ないことではない。ただ出産後に彼女は“血縁”というものに興味を持ち、DNA検査を受けた。その結果、自分はナイジェリアとガーナの血を引いていることが解かった。ナイジェリアもガーナも西アフリカの国である。彼女はふと「そこに行ってみたい」と思った。行動力のある彼女は、すぐそれを行動に移し、西アフリカへの旅に出た。西アフリカの大地は、彼女に「おかえりなさい」と歓迎してくれているように感じた。奇妙なほどの“安堵感”があった。この旅行から帰ってすぐ、彼女は、西アフリカ旅行に特化した旅行会社を自ら設立し、次々と新しい旅の企画を売り出すことに成功した。まるで何かに導かれてでもいるように、西アフリカとの関係が深まっていった。もちろん、彼女自身も何回もそれらの旅行に随行した。そうしているうちに、あるとき、どうしてもガーナ北部に「行かなければ…」という衝動にかられ、14世紀に建国されたという王国の長老と出逢い、すぐにその宗教的な指導者から「女王」の称号を贈られ、その街(王国)に留まることになった。なぜか王国の人々も彼女を“自分たちの女王”として崇め、彼女自身も、自分が“そこに留まらなければならない”ことを自覚していた。そして、あっという間に彼女は、その王国の女王としてさまざまな救済事業を行い、若者たちからは「粋な女王」の称号で親しまれている。いまや“身寄りのない15歳のシングルマザー”だった少女は、威厳あるアフリカの女王として、見事に生まれ変ったのだ。

「能登半島」は「危険警告地域」に指定すべき

2024-12-11
ときどき地震学者というのは、何のためにいるのだろう…と思うことがある。政府が調査を依頼した「地震調査委員会」が一連の能登半島の地震活動に関しての結果報告を行ったが、すべてがあいまいで要領を得ない。ここ4年間にわたって地震活動は活発化しているとし、能登半島地域における地震発生の“理由”や“今後の見通し”は「よくわからない」というのだ。政府が多額の研究資金を与え、多数の学者たちを集め、何か月にもわたって調査した結果の“報告”が「わからない」では話にならない。今年だけで震度1以上の地震は2111回も起こっているのだという。先月26日にはM6.6で震度5弱の地震も起こった。元旦に発生した地震から、もう少しで一年が経とうとしているが、いまだに地震が続いていて、今後“終息していく”見通しも立たないのであれば……というか見通せないのであれば「現在の地震学では判断できない」と“白旗”を上げてしまえば良い。そうすれば、だれも“無駄な調査”は依頼しないだろう。わたしは最初の能登半島地震が起こった当初から、地盤としての明らかな段差が発生しているので、これは能登半島自体が“捥ぎ取られる”ような感じの地殻変動ではないかと直感した。それだとすれば、徐々に変動は段差を深めて、やがては本州そのものから分離していく“前段階”と考えられる。もちろん、それには相当数の年数が必要で、今すぐどうということではないかもしれないが、それに向かっていく可能性は大きいので、少なくとももはや“安全地帯”ではありえない。したがって高齢の人たちとか、どうしても動きたくない人とかは別としても、若い人たちはなるべく被災地付近の地域から避難というか、本格的に住居を移すべきなのだ。なにしろ今年だけで2111回も地震が起こっている。どうして、そんな地域を「復興すべき」などと考えるのだろう。“小さな地震”が続くのは「この土地を去れ‼」という地球生命体からの警告なのだ。したがって、地震学会が今後を見通せないのであれば、ムリに“終息時期”を考えるより、研究者としての“避難勧告”を発すべきだったのだ。そうでなければ、何のための多額の研究費なのか。多数の研究者なのか。何か月もの時間なのか。

すべてを「平等に扱う」裁判は「正しいのか」

2024-12-10
わたしは以前から、人間をすべて“平等”に扱おうとすること自体に対して疑問を持っている。近年はコンプライアンスの浸透から「平等でなければならない」という考えがはびこっているが、ほんとうの意味での平等など、土台がありえない。「裁判」は、その“平等”という部分が強く反映されがちな制度だ。4年前、福岡市の商業施設で起こった殺人事件に対しての“損害賠償請求”に対する裁判の第1回弁論が昨日行われた。この事件は、当時「少年院」から仮退院となり、更生保護施設で社会復帰の教育を受けていた15歳の少年が、そこを脱走して昼間の商業施設内で起こした事件で、刃物によって見ず知らずの21歳の女性を殺害した事件だ。被害者の母親が「娘を返して欲しい」と涙ながらに訴えたのだが、加害者自身は当時まだ15歳であり、その保護者である母親も「ずっと少年院に居て、その後も保護施設に居て、そこを抜け出しての犯行なのだから、自分には保護監督の責任はない」と主張している。確かに、長い期間、自分の手元を離れていたわけで、その離れている期間中の出来事でもあり、或る意味では“その間の責任者”は更生保護施設の関係者と言えないこともない。そうなると、この損害賠償請求では7820万円が請求額なのだが、実際問題として、加害者本人は解りやすく言えば“刑務所暮らし”でまともと働いたこともなく、父親も存在せず、母親も拒否姿勢なら、どこにも請求のしようがない。そして一番の問題は、事件を引き起こした被告である加害者が、当時15歳だったこともあり、刑法上は10年以上15年以内の判決が決っていて、もし、この裁判で被害者遺族の主張が通ったとしても、実際に「賠償金」が得られる可能性は極めて低い。さらに、この加害者は被害者家族に対して、一度も謝罪していない。現在は「心情など伝達制度」というものがあって、被害者遺族は、受刑者に対して弁護士立ち合いの元、直接質問することが出来る。被害者の母親は「娘を刺した時、どんな気がしましたか?」と受刑者に訊いている。それに対して少年が答えたのは「人はあっけなく死んでしまうんですわ」という回答だった。訊く相手を間違えたというか、土台が“反省の色”などまったくないのだ。この受刑者の場合、子供の頃からの犯罪で“少年院送り”になっている。まともな子供時代を送っていないのだ。それでも裁判は公平に行われなけれんばならない。果たして人はだれでも“平等”に扱うべきものなのであろうか。

「京都吉兆」の日本料理が伊大学の「ランチ」⁉

2024-12-09
北イタリアの田舎町にその大学はある。年間の授業料が250万円という大学だが、世界各国から優秀な学生たちが集まってくる。正式名称は面倒なので省くが「食科学大学」という3年制の大学だ。料理そのものの大学ではなく、食文化、栄養学、食ビジネス、食品科学、農業など幅広い専門知識を身に付けて、今後の地球環境や人類の健康にも寄与しようという大学だ。したがって40か国以上の世界から学生たちが集まってきている。その食科学大学の学食では、実際に有名シェフたちが招来されて「ランチ」という形で創作料理を振舞うことが特徴の一つだ。もっとも、その料理代金は“別会計”として請求される。まあ、学食として提供されるのだから、本来の価格よりははるかに安い。通常は2000円前後だ。その学食としてのシェフ料理の一つとして、今年初めて日本のシェフ料理が登場した。なんと日本人でも通常は食べたことがない「京都吉兆」の“正統日本料理”だ。もちろん徳岡邦夫総料理長を始めとした四人のスタッフがイタリアに乗り込んで現地食材を用いながら腕を振るった。「キノコごはん、牛のてりやき丼、焼きやさい、牛のヅケ添え」といった品が並んだ。正直、お品書きだけだと、それほどの料理とも思えない。ただ現地ではニセの日本料理店が多い。ホンモノの味、それも京都の味は学生たちにとっては“格別”であったに違いない。その証拠に、価格は4000円と普段の二倍くらいしたのに、あっという間に完売したらしい。そうして学生たちから総料理長は「どうして、この食材から、こんな味になるのか」と質問攻めにあったらしい。イタリアでは近年、日本料理店が乱立し、日本酒の輸入量も激増している。そういう中で行なわれた「京都吉兆」のランチ会だっただけに、ことさら反響が大きかったのかもしれない。イタリアだけでなく、このところ、欧米人の訪日客が多くなって、改めて日本の食文化に注目が集まっている。ただ問題は、イタリアに出向くのも良いが、多く(ほとんど)の日本人は実際の「京都吉兆」の“味”を知らない。外国人が知っているのに、日本人が知らないというのは、どう考えてもヘンではないか。日本でも4000円くらいで提供する“出張店舗”は出せないものなのか……。 « Older Entries Newer Entries »