6月, 2025年
2025-06-30
2025-06-30
最近、見知らぬというか、聴き慣れないというか、政党が次々と誕生している。時代の変化は、当然、政界にも及んでいて、昔からの“弱小政党”はだんだん忘れられつつある。そこで…というわけでもないのだろうが、福島瑞穂氏だけの名か知られている「社民党」では今回の参院選の比例区にタレントのラサール石井氏を担ぎ出すようだ。ラサール氏に政治的な発言が多いのは知っているが、正直、どんな思想の持ち主なのかはよく知らない。ただ“この構図”から考えると、明らかに社民党側が、それなりの知名度を持っているラサール氏に「出馬要請した」と考えるのが妥当だろう。何しろ政党というのは、国会議員を何人所有しているかによって、或いは選挙の得票率が何パーセントあるかによって、政党として国から貰える助成金が異なっている。したがって、少しでも得票率の得られそうな人を擁立できるかどうかは“今後の政党の命運”が掛っているのだ。もっとも、ラサール石井氏がどれだけ一般に認知度があるかは微妙なところで、どちらかというと舞台が多い人だけに、あまり一般的な知名度が高いとも思えない。それに、わたしが大丈夫かと思うのは、彼の思想そのものの方だ。その考え方として、現政権に対して批判的なのは何となく解かるのだが、それが社民党の思想や政策とも共通しているのかというと、極めて疑問なのだ。もちろん、選挙に打って出る以上は“その辺の調整”はしているものと思うが、過去の発言なども合わせてマスコミ攻撃をかいくぐれるのか微妙な雰囲気ではある。社民党はどうしてもっと“若い人物”を擁立しようとしなかったのか。“古い政党”というイメージを拭うには“若くて生きの良い人物”を持ってくるべきだった。今回は「社民党」と同じように“崖っぷち”に立っている政党が他にもある。政党というのは、或る意味でアイドルと同じく“人気が命”である。投票してもらえなければ「政治家」から「ただの人」に墜ちて行ってしまう。昔と違って、いまはプライベートも含めて問題行為や発言があれば、すぐバッシングを受ける。昔のように、いったん受かったなら何年間も“安住の地”で居られる職業ではなくなった。タレントなどで顔や名が知られている人ほど、うかつな行動や発言は出来ない。今回は「国民民主党」のブームは早くも去って「参政党」が“静かなブーム”を巻き起こしそうな予感がある。ただ、この政党は一体だれが主役なのか、ほんとうのところよくわからない。アイドル投票なら、トップアイドル不在の政党で、その部分が弱点かもしれない。
2025-06-29
ペルーのワスカラン山で日本人登山家ふたりが遭難し、その一人である登山家で医師でもある稲田千秋氏(40歳)が亡くなった。もう一人の登山家・寺田紗規氏(35歳)の方は救助されたが衰弱していて病院に搬送された。最近、日本人女性が海外の山で遭難するケースが多くなっている。昔は「山登り」というと男性の趣味で、女性は敬遠するのが常だったが、いまは若い時から“山に挑む”女性たちが増えてきた。むかしの歌に「山男の歌」というのがある。「♬娘さんよく聴けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ」という歌詞で始まる。つまり、山好きな男というのは、女性よりも“山”の方が好きで、しかも、山というのは強風などによって山男を遭難させ、命を奪って、若い女性を未亡人にさせてしまう……という内容の残酷な歌詞なのだ。しかも、その内容が頭から出てくる。それなのに、この歌は妙に流行った。ところが、近年は女性も男性に変わらず「山に惚れてしまう」人が多くなった。「山」というのは奇妙なもので、ほんの趣味程度で“山登り”が好きな人たちの命は奪わない。ところが、徐々に山に魅せられていって、本格的な登山家となっていき、常に“山のことを想う”ような感じになっていくと、その命を狙ってくるのだ。まるで「悪魔」のようだが、実際にそういうような状態で“命を奪われた”登山家は多いのだ。プロのスイマーでも“命を奪われた”という話はあまり聴かないが、山に関してはプロ登山家でありながら、命を奪われた話は多い。昔から、山には“山の神”が棲むという妖しい話は多い。それがほんとうかどうかは判らないが、山を恋し過ぎると、その山に“呑み込まれてしまった”かのように、戻らなくなってしまうケースは多いものだ。だからたいていの場合は“遺体そのもの”も持ち帰れないままとなるケースが多い。今回のように、女性がプロ登山家となっていくのが珍しくなくなった今日、体力的な面からも、その危険性は男性よりももっとありそうな気がする。「山」が“男”だけでなく“女”も秘かに好んだのは驚きだが、そういうことよりも、ほんとうに“大自然の怪奇”は存在しているように思うので、極力、ムリをしない形で大自然へと挑むことだ。
2025-06-28
いつの頃からか北海道の十勝・大樹町と言えば「宇宙のまち」という形が根付き始めた。この町には、他にも「砂金のまち」とか「ミニバレー発祥のまち」とか「清流日本一のまち」とかいうアピールポイントがある。だが何よりも一般的には、ホリエモンが創った企業であるインターステラテクノロジス社が存在している町……として知られている。略称IST社は、ロケットの製造・開発・打ち上げの企業だ。いつの間にか従業員は増えて、現在では150名も居るらしい。大樹町は「宇宙のまち」というだけあって「北海道スペースポート」と呼ぶ宇宙港を備えている。町長自らが“宇宙ビジネス”に対して歓迎の姿勢なのだ。そこで舞い込んできた話が、台湾の宇宙開発の企業が「大樹町の宇宙港を活用したい」という申し出だ。こうして7月6日に台湾系企業jtSPACE社製ロケット「VP01」が、大樹町の宇宙港から飛び立つことになった。日本のIST社による「MOMO」は最早力尽きたのか、4年もの空白期が過ぎた。わたしが注目したいのは、日本のロケットは飛ばなくなったが、その代わりのように台湾製ロケットが、ここから飛び立とうとしている。もしかすると、これは大樹町というのが、ほんとうに「宇宙のまち」として確かな生命力を得た結果のような気がする。人でも、街でも、同様なのだが、一つの生命力が与えられると、その生命が勝手に動き出す。今回の事柄は、それを象徴しているような気がする。わたしの勘では、おそらく台湾製ロケットの発射は大成功するだろう。そして、この企業は次々とここからロケットを発射していくようになるだろう。こうして、十勝の大樹町は“小さな町”でありながら、だんだん「宇宙のまち」として世界的に知られていく町になっていくだろう。“生命力”というのは意外な形で“生まれてゆく”もので、いったん生まれたものは黙っていても徐々に育っていく……こうして小さな田舎町だった大樹町は、やがて30年後くらいには「宇宙のまち」としてもっといろいろなものが整備されて行って、だれも予想しなかったような新たな街として“生れ変って”いることだろう。
2025-06-27
今から13年前「東京」と「ニューヨーク」では、ほとんど変わらなかったものがある。ドル換算による当時の“平均月収”だ。やや意外な気もするが、それまでの日本は、そんなに“薄給の国”ではなかったのだ。それが、いまや「東京」と「ニューヨーク」では大きく変わった。ドル換算のせいもあるが、ニューヨークの平均月給が、東京の平均月給の“約二倍”となったのだ。しかも、ニューヨークが頂点なのではない。スイスのジュネーブなどは東京の“三倍以上”にもなっている。この差はなんなのか。具体的に言うと、東京は37万円で、ニューヨークは74万円で、ジュネーブは115万円なのだ。こういう数字を観ると、いま日本では「米の価格が高騰している」ことが騒ぎになっているが、もしかすると、それは間違いで、米が“高すぎる”のではなく、日本人の“給料が上がらなすぎる”のが問題なのかもしれない。どうしてこんなことになってしまったのか。一つには間違いなくアメリカを始めとする欧米各国のインフレ状況がある。つまり給料も上がっているのだが、同時に物価も高騰していて、その結果として、ここ1~2年を別とすれば、日本の物価がそれほど上昇していなかったので、格差が大きくなったのだ。日本は欧米各国のインフレが強まって、それに応じて“輸入価格が上昇”したことによって、急速に「インフレ国」の仲間入りをすることになった。ところが給料の方は急上昇とはならないので、欧米との格差が広がったのだ。そうは言っても、ニューヨークの“半分の給与”は問題だ。何とかしなければ……と、ここに来て日本政府が焦り出している。その結果として打ち出されたのが「半導体国家として生き延びよう」という発想だ。遅ればせながら、今後の日本を救っていくのは“半導体関連”の産業を育てていくしかないのだ。熊本にも、千歳にも、それから各地にも、それらの拠点が生まれつつある。一時期、低迷していたフィラデルフィア半導体指数がぐんぐん上昇している。昨年の7月、頂上を極めて、それ以降は一気に下降していたのだが、ここにきて急速に再上昇し始めている。今年初めは4000を割っていた指数が、いまは5500まで戻している。昨年7月の6000を超えそうなグラフの勢いなのだ。実は、わたしは、昨年年末頃「6000を超えて来るだろう」と述べたが、その途端に急落した。そして今また再上昇なのだ。日本の“半導体関連株”も、この数日前から一気に活気づいている。ナスダック指数も「ゴールデンクロス」が確実と言われる。日経平均も、ようやく再び“4万円”が視野に入った。いつも言うように「日経平均」というのは、日本経済の先行きを占う“先行指標”なのだ。これが上がってくれないことには、日本の経済も上がらない。日米交渉がどうとかいうよりも、ナスダック指数や半導体指数が上がって、それに伴なって「日経平均」が上昇していくことが、なによりも確実な“上向き経済”を予兆するのだ。
2025-06-26
バブル期に放映され人気を集めた「笑ゥせぇるすまん」の実写版12回が、7月18日からテレビ東京系で配信されるという。その主役である“無料で幸せを売る男”喪黒福造役となったのがロバートの秋山竜次氏であるという。その予告画面を見たが、確かに「喪黒福造」的な雰囲気を見事に発揮している。この人は、梅宮辰夫氏の“奇妙なモノマネ”をやるようになってから「一皮むけた」とでもいうか、恐れを知らなくなったとでもいうか、さまざまな分野の“奇妙なコスプレ”などをするようになり、観る者にコンプライアンス大丈夫か…と心配させながらも、ぎりぎりセーフで活動している。しかし考えてみれば、元々「役者」というのは“他人になり切ること”なわけで、そういう点から言えば、文句なく“さまざまな妖しい外貌”になり切って活動しているのが、いまのロバート秋山氏のようだ。本来「芸人」というのは“芸を見せる人”なわけで、一見して“それ”になり切って登場するのは、芸人のお手本だと言えないこともない。最近の芸人は、コンプライアンスを意識しすぎるせいか「ふつうの人」としか視えないような人達も多い。舞台上とか、TV画面上とかではそれなりに弾けても、それが終わると、すぐ「ふつうの人」に戻ってしまって、何の個性も感じられないような…そういう芸人が多くなった。役者にしても「整い過ぎた役者」ばかりが多くなって、日本のドラマなどでは特に“イケメンだらけ”“美女だらけ”でどっちの役者がどっちの役柄を演じたとしても、そう変わらないのではないかと思えてしまう。むかし「違いの判る男」という表現があったが、文字通り「違いの判らない男達」ばかりが役者として増えていくようで、なんとなく物語に入って行けない。やはり、この役は「この人でなければ当てはまらない」というような強烈な個性を持っている役者が欲しい。たとえば「寅さん」を演じた渥美清氏は、そのあといろいろな役柄を演じても「寅さん」に視えてしょうがなかった。そういう役者が少なくなった。喪黒福造は、悩める人に対して“無料で願いを叶えてやる”のだが、彼との“約束事”を守らないと、途端に“不幸がやって来る”ようになっている。この「幸運のシステム」は、運命学的な幸運のシステムと共通する部分を持っている。これこれを守れば幸福になれるとか、これを行えば幸運を得られるとか、運命学的な“秘法”を授けても、それを忘れてしまう依頼者は多い。人は誰でも、苦境を脱すると、守ってきた約束事を忘れてしまうようなりがちなのだ。
2025-06-25
6月23日にフジテレビの制作部長が「常習賭博」の疑いで逮捕され、続く24日には現役アナウンサー(27歳)がオンラインカジノを行ったとして「書類送検」された。実質、同じことを行っていたのに逮捕と書類送検で微妙に罪状が異なる。それは或る意味仕方のないことで、制作部長の方は1億円以上のお金を動かしていて、期間的にも半年以上と長い。さらに同僚やタレントから借金までして行っていた……と質が悪いのだ。一方アナウンサーの方は何百万程度で額が違うし、借金などもしていない。しかも「違法」だと知って以降は行っていない。ここは重要で「オンラインカジノ」の違法性については、多くの人が無知であった。実際、海外のカジノであるし、海外旅行中であれば、日本人がカジノに入って行っても「罪」に問われることはない。ところが、オンラインカジノは自宅で行う。つまり、日本国内で行うわけだ。そこが大きな“違い”となる。海外のオンラインであっても、自宅内で行えば、国内で賭博を行った…ことになる。だが、実際問題として、現在はどこまでが国内サイトで、どこからが海外サイトなのか、よく解らないような造りになっている。だから「気付かず行ってしまう」ケースは多いのだ。海外サイトそのものの摘発で、そのサイトに入金していた人達のリストが上がっている。有名人、無名人、関係がない。数百万人のリストが警視庁にある。ただ一般人に関しては、事情聴取とか、書類送検はしても、逮捕ということはほとんどしない。実際、違法と気付かず行っていた人が多いからだ。本来であれば、日本人は自動的にシャットアウトするよう出来ているのが望ましい。ただ或る種の“警告・見せしめ”的な意味合いもあり、有名人には手厳しい。一般人よりも、入金額が大きい場合が多いからだ。奇妙だったのは、フジテレビ制作部長の逮捕劇だ。なんと逮捕時、刑事たちは“清掃員”に扮して自宅に乗り込んだらしい。そして、容疑者にも“清掃員の服装”を着せて自宅から出るようにさせた。どうして、そういう手の込んだことをしたのかというと、マスコミ各社が自宅前を取り囲んでいたからだ。マスコミというのは、自分の会社でなければ、いくらでも報道する。何回も報道する。本人の顔が判別できる形で報道する。一般人の場合には、凶悪犯ではないので、顔は映さないことが多い。通常は“映し出されない顔”が、今回に限って映し出されるのでは不平等ということなのか、或いはTVドラマのような形を取りたかったのか知らないが、とにかく、そういう形での逮捕劇となった。実は警察の方には、まだまだマスコミ関係者のリストが上がっている……とされる。他局も“映し出している”場合ではないかもしれないのだ。マスコミ関係者には“賭博好き”な人も多いのだ。特に識者やコメンテーターとして多数の番組に登場している人ほど“要注意”かもしれない。
2025-06-24
ときどきTVから録画してあった大昔の映画を観る。昨日も80年代前半に公開された原田知世主演の「時をかける少女」を観た。この映画は筒井康隆氏の小説を脚本化したもので、ちょっとSFっぽいというか、幻想的なというか、角川春樹氏の発案による大林宣彦監督の奇妙奇天烈な作品だ。つまり、映画会社としての採算を考えた正規の作品というよりも、多分に“大正ロマン風の趣を持った”作品として超短期間で仕上げた作品だと言われている。主演の原田知世氏にしても、角川氏や大林氏は「映画スターとして育てていこう」という気はまったくなくて、これにだけ出たら「もう、ふつうの高校生に戻って欲しい」という気持ちで撮り終えた作品らしい。ところが、実際に上映してみたら、予想外の反響があり、原田氏と同年代の男子学生たちから多くの支持を得ていったという。わたし自身は歌も含めて“大ヒットした作品”であるので「時をかける少女」という名は知っていたが、具体的な中身も知らなかったし、観て見て面白くなければ途中で消す気持だった。ところが、奇妙な面白さがあって引き込まれていった。たぶん、理科の実験室での薬品の煙や臭いが“別世界の入り口”的な発想が、若い人たちを引寄せたのだと思う。大林宣彦監督の作品には、いつも“不可思議な部分”があるが、それに対して、あまり説明しすぎないところが良い。この作品は正直言ってどう考えても、映像作品としては“荒っぽい作り”で、もっと他の撮り方があったのではないか……と素人のわたしでも思うのだが、ただ昔の角川映画は総じて“荒っぽい作り”なので、それでも“引き込まれていく”不可思議な魅力の方が重要だ。われわれは無意識に“もう一つの世界”のようなものをどこかで容認している。だからこそ、現実なのか、夢の世界なのか、昨日の出来事なのか、幻の出来事なのか、未来の出来事なのか……判然としていなくても、なんとなく受け入れてしまう出来事がある。ここには来たことがある……とか、前に同じことをしていたような気がする……とか、むかし逢っていたような気がする……とか、きっとこうなっていくんだ……とか、われわれの遠い記憶に眠っている何かが引き出されていくような“そういう体験”は誰でもがしている。だから、この作品のような“ありえないけど…ありそう”な映画というのは、奇妙に人に“なつかしさ”を与えるのだ。
2025-06-23
歴史の教科書に出て来る「ハンムラビ法典」その中に「眼には眼を、歯には歯を」の一節がある。これは一般に誤解されやすい諺でもあるのだが、本来は「眼を潰されたなら、相手の眼を潰し、歯を抜かれたのなら、相手の歯を抜く……そういう“同程度の仕返し”に止めるべきだ」という“戒めの裁き”が本来の意味らしい。これは「旧約聖書」にも記されていて、つまりキリスト教の元となっているユダヤ教でも採用されていた“教えの規範”であったようだ。イランとイスラエルとの戦争は、膠着状態が続いているが、そこにアメリカが加担した。イランの核施設三カ所を空爆したのだ。どうしてアメリカが加担したのかというと、イランが「核攻撃を行うぞ‼」的なニュアンスのことを言い出したからだ。アメリカは北朝鮮の時にもそうだが、核攻撃を怖れている。だから、もしも、それを行使する可能性があるなら、その基地は破壊しておかなければならない……というのがアメリカの論理だ。もっとも、本来はイランとイスラエルとの戦争なのだから、そこに加担するのはおかしい……ということで、ましてや“核施設攻撃”は行き過ぎだとして、ロシア、中国が強く非難、フランス、サウジアラビア、エジプト、トルコ、オマーンなども“深い懸念”を表明している。日本は今のところ沈黙だが……どことどこが戦争になっても、輸入国である日本は何より経済に影響してくる。したがってアメリカ空爆後、最初に開かれる市場である日本の株式市場が“大きく反応する”可能性が強い。実のところ、イランは“イスラム教”の支配下にあり、イスラエルは“ユダヤ教”の支配下にあり、だから大昔から、この領域というのは火種が絶えない。宗教が根本にある戦いは“終わり”がないのだ。イスラム教の教えである「聖戦(ジハード)」は「神のために戦え」と教えている。アメリカ(キリスト教国)の“いうこと”など聴くはずがないのだ。本来、イエス・キリスト自身は「眼には眼を…」ではなく「右の頬をぶたれたなら、左の頬を差し出しなさい」と教えている。だが、キリスト教徒とはいうものの、イエスの教えを守っているカトリック教徒はほとんどいない。多くは旧約聖書の「眼には眼を…」の教えの方を“神の教え”として、行動しているのだ。
2025-06-22
「松本人志」「中居正広」「国分太一」……最近は次々と大物芸能人の“ハラスメント行為”が発覚し、芸能界から締め出されつつある。いずれも若い時から一世風靡した人たちだ。つまり、あまり苦労することなく第一線へと駆け上がり、その後のTV社会で「スター」として長い間、持ち上げられてきた人たちだ。わたしは前から思っているのだが、どのような世界でも、あまりに若くしてトップクラスに上り詰め、人気や栄誉や財産を得ていくのは、必ずしも“良いこと”とは言えないような気がする。なぜなら普通の人たちが経験する挫折や苦悩や忍耐を知らずに過ごして来るからだ。人は自らが挫折したり、苦悩したり、忍耐したりすることで、自分以外の人たちに対して優しく振舞える。意識的に優しくするのではなく、本能的に“思いやりを持って”接していくことが出来る。それは、経験的にというか、体験的にというか、相手の気持ちが理解できるからである。だれでも経験のないことは、理解が難しい。十代半ばから、時には十代前半から、アイドルのような形で社会に出てしまうと、世の中の「光」の部分のみに包まれ「影」の部分を知らずに成長する。輝かしい栄光を背負って生きていくことは悪いことではないのだが、まだ“精神世界”が十分に確立されていない十代半ばから何もかも得てしまうと、他人への配慮とか、思い遣りとか、気遣いとか……そういうものが、どうしても育たないのだ。その結果、思うようにならないと、その捌け口を周りにぶつけるようなことが多くなる。昭和のような「スターは王様」で居られた時代は罪にならないことでも、令和の時代となって「誰もが横一線」のような考え方が浸透していくと、昔なら“通用したこと”が通用しなくなってくる。それだけに、過去のハラスメント行為が「罪」な行為として、あからさまにされるようになる。たぶん、彼らは、あまりにも若くして「スター」の椅子に座り過ぎたのだ。他人の“痛み”や“傷つき”を理解できないわけではない。けれども昭和の時には“許されていた行為”が、なぜ許されなくなったのか、戸惑うばかりなのだ。これは、彼らだけでなく“昭和の良き時代”を生きてきたわれわれの誰もが、感じてはいる。ただ、われわれは多少の苦労を知っているので、周りの空気を読んで“ギリギリの現代対応”をしている。あまり苦労することなく、十代から「スター」として輝いた彼らは「誰もが横一線」を……未だ理解が難しいのだ。
2025-06-21
「バイきんぐ」の小峠英二氏(49歳)が一般女性との結婚を公表した。彼の結婚は、いろいろな意味で多くの男性に“勇気を与えるもの”だと、わたしは思う。まず、年齢、彼はもう“50”に手が届いている。現代は、そういう年齢まで、未婚のままで居る男性は多い。もちろん、自分から進んで“そういう道”を択んでいる男性も居るが、アンケート調査などによると、結婚はしたいのだが種々な事情から“出来ないまま”になっているケースの方が圧倒的に多い。もっとも代表的な事情は“経済的な基盤”だ。仕事や就職がスムーズに行かなかったとか、途中から何度も変わったとか、薄給のままであるとか……各種の事情から、独りで暮らすのが“精一杯”という男性は多い。いまの時代は、共働きをすれば良い気もするが、薄給の男性ほど、何故か“それ”を好まない人たちも多い。また“趣味の部分”にお金を掛ける関係から、収入自体は多くても、家庭を持つのは難しい人たちも居る。小峠氏のように、50歳前後であっても、仕事と収入に恵まれていれば、望むような相手との結婚は十分に可能なのだ。もう一つ、彼の場合、外貌面で多少のハンデを持っている。つまり“若禿の状態”で来て居る……という点だ。もちろん、そういうことを気に掛けない女性たちも多い。ただ、極端に禿げているとか、極端に太っているとかは、見た目的に“不利”なことは隠しようがない。特に相手女性が「初婚」である場合、本人自体は気にしなくても、周りが“気にする”場合もある。そう言う点でも、彼は“そういう人たち”に勇気を与えたのだ。もう一つ、彼は過去に「坂口杏里」という女性と恋愛していた時期がある。相手が芸能人だったせいもあり、また目立ちやすい女性だったせいもあり、マスコミなどからも大いに注目された。その後、ふたりの関係は破綻し、女性側だけが、その後もいろいろな相手と“恋愛”“結婚”“離婚”“トラブル”などの報道が流れ続けた。奇妙なことには、もう別れて永いのに、なぜか、そのたび、彼のことが想い出されたりする。この経験も手伝ってか、彼は今回、一般女性と結婚した。別に芸能人ではなくても、過去に“深く傷つくような”恋愛とか別離とかを体験している男性の場合、その立ち直りには時間が掛る。ましてや彼の場合は、大きく報道されていただけに、そのショックは尾を引いたに違いない。彼のように過去の恋愛で何らかのトラウマを抱えた男性でも、ちゃんと「新たな相手と結婚が出来る」ことを伝えた意味でも、彼の結婚の意義は大きい。つまり、彼は、いろいろな男性たちに祝福される形で“結婚する勇気”を与えたような気がするのだ。
2025-06-20
日米間の関税交渉が暗礁に乗り上げている。確か関税問題で“日米間”は一番最初に交渉を開始したのではなかったのか。それなのに、他の国々が“それなりの妥協点”で合意していく中で、日米間の交渉はなかなか決着しない。一部関係者によると、年内決着はムリではないか、という話さえ出ているのだという。なにが問題なのかと言えば、アメリカは日本に対して“半導体と医薬品関係”の米国投資を強く求め、日本側は“鉄鋼と自動車関連”の投資で決着したがっているからだ。そういう交渉なのだから、妥協点が見いだせるはずがない。トランプ大統領の交渉術というのは、基本的に「外交」という観点より「商談」という観点なので、ぎりぎりまで双方の妥協点を探って「する・しない」を決める“やり方”だ。そう言う点から言えば、今回の交渉では最終決着を“7月9日まで”に置いている。日本の関係者の多くは、いまの状況では、その日までに“妥協点”を見出すのはムリだ…と考えている。けれども、何度も言うようにトランプ氏というのは元々“商人”なのだ。商人というのは、政治家と違って、信念で行動しているわけではない。最終的な“損得”で行動しているのだ。したがって、これまでの交渉を無駄にするのは“大いなる損”というのが基本的な考え方なのだ。そうであれば、最終日直前になって「じゃ、しょうがないから、この辺で手を打ちましょう」というのがトランプ流なのだ。だから、不可能だと思っても、日本側はぎりぎりのラインまで拒否を貫くと良い。ただし交渉そのものは継続すべきなのだ。日本人に多い「ちゃぶ台をひっくり返す」のだけは止めた方が良い。それは“商人のやり方”ではないからだ。商人に対しては、商人のように対応していくのが良いので、ぎりぎりの時点で日鉄も米スチールの買収に成功した。粘り強く、怒らず、交渉に挑み続けたからだ。商人との交渉は、怒ったら負けなのだ。ロシアのプーチン氏は“信念の人”であるが、トランプ氏に対しては怒らない。粘り強く交渉している。そして中国の習近平氏を称え乍ら、トランプ氏の出方を窺っている。日本の安部昭恵氏に対しても丁重に花束を渡して会談した。こういう点、プーチン氏というのは“並みの人物”ではないのだ。
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