6月, 2025年

「信仰する宗教」を「隠す時代」は終わっている

2025-06-19
「ナイツ」の塙宣之氏が創価学会青年部が運営するYouTube動画「創価学会の日常ちゃんねる」に“密着同行”という形で出演したことが話題となっている。通常、有名人の多くは自らの“宗教”に関してはオープンにしないものだが、彼は“プライベートの自分”を曝け出す形で、自分の創価学会員として日常“もう一つの顔”を自然体のまま繕うことなく表出している。年齢はまだ47歳だが「日本漫才協会会長」の要職にも就いている彼は、別に自らを“売り込む”ためにYouTube動画に出なければならない理由はない。むしろ、彼自身が言うように、こういう動画への出演は「マイナスでしかない」かもしれない。ただ、おそらく彼は“隠すこと”が嫌なのだろう。堂々と世間に「わたしは創価学会員だ」と宣言しておきたいのかもしれない。そうじて日本の有名人は、自らの“宗教”に対して公にしていない。一時期「オウム真理教」が世間の注目を浴びた時、或いは「旧統一教会」が世間の注目を浴びた時、さらには「幸福の科学」が世間の注目を浴びた時、それぞれの宗教に属していた芸能人などは“バッシング”を浴びた。「創価学会」も、過去にはいろいろ注目を集めた時期がある。それに、どういうわけか芸能界で活躍している人には創価学会員が多い。ただ多くの人たちは自らが発信したものではなく、その種の報道が流れているに過ぎない。不特定多数の人気を必要とする仕事の場合、大きな組織に属していれば、その組織からの支援が種々な形で得られる。「広告塔」として使われる可能性もあるが、長期間、イベントに呼ばれるなど安定した仕事が継続していく可能性もある。悪いことがあればバッシングの対象にもなるが、通常は仕事の宣伝効果も含めて“プラスの作用”の方が多いように思われる。それに、いまの時代は、昔と違って“隠していても”すぐ明らかになる。自分が“良い”と思う宗教なら、その信者であることを名乗り、一般の方たちが、それをどう受け止めるかは任せた方が“現代的な在り方”のようにも思える。そういえば、わたしは「ダイジョブだ教」だったのだが、あの「ダイジョブだ‼」と響きわたる声は、最近とんと耳にしていないが、あの教祖はどこへ行ってしまったのだろう。

20歳で結婚、21歳で離婚、56歳で24歳下と再婚‼

2025-06-18
中国では昔から「子平」という考え方がある。これは「子平推命」とごっちゃにされがちだが、こちらの方は“思想”の方で「波起たず人生を歩む生き方」を表現する時の「子平」だ。波乱万丈の生き方……というのを好まなかったのだ。好まなかったというより、それは“幸福な人生”とは言えず、波乱のない、穏やかな人生こそが“幸福・幸運な人生”という捉え方だ。したがって、占いの方の「子平推命」でも、根本的に“それ”を目指しているので、波乱万丈な人生は、彼らにとっては「凶運な人生」という捉え方になる。わたしなどは逆に“波風の起たない人生”など、つまらないではないか、と思うので「子平推命」の“教え”に反するような“生れ(命式)”の方を高く評価するのだが……。「藤あや子」という演歌歌手がいる。この人の人生をTVが「激レア型人生」として取り上げている。確かに、20歳にして既に結婚と妊娠を同時に体験し、翌年には離婚してシングルマザーとなり、その後は歌謡学院の事務員として働き、たまたま歌謡コンテストの時に「サクラ」として歌ったら、それが作曲家・猪俣公章氏の目に留まって、歌手への道が開けたという。その後はシングルマザーとして秘かに歌手活動を始めたのだが、なかなかすぐには売れなかった。恋愛面でも離婚から35年後の再婚までの間にも、いろいろとあったようだが、それらの経験が演歌の歌唱に艶っぽさを添えたようで、徐々に人気を出すようになっていった。だが実際の再婚相手は真面目な24歳年下の一般男性となった。ところが最近は“子宮体がん”を患っているということでも注目を浴びた。演歌歌手は、私生活でも種々な経験や体験をしている方が、声に艶が出る。今でこそ言わなくなったが、昔は「怨歌」とか「艶歌」とか「縁歌」とか「援歌」とか……いろいろな言い方をした。或る意味では、何かしらの問題を抱えている方が、聴く者に訴える力を持っているとも言われる。最近の演歌歌手は、上手ではあるが、心に響かない。それは、どこか“凡庸な過去”や“恵まれた生活”がかえって演歌としての彩を失わせているような印象も受ける。別に、好んで波乱の人生を歩む必要もないが、若い頃の藤圭子氏や森進一氏や矢吹健氏のような“人生を凝縮したような声”をフッと聴きたくなる時があったりする。

「治安の良い街」のはずが北米最大の麻薬汚染⁉

2025-06-17
海外に関する知識というのは、十年経つとガラッと変わる。われわれはどうしても昔、見聞きした知識で、その街を“理解したつもり”になりがちなものだ。たとえばバンクーバーという街がある。カナダの中央部に位置する近代都市だ。わたしたちの知識では「治安の良い街」として記憶している。実際、いまでも旅行案内などでは、そういうふうに記されている。けれども、実際にはどうだろう。実は最近、興味深いニュースを見た。バンクーバーの中心地から車で10分「イーストサイド地区」と呼ばれる西部地域だが、この十年で5万人以上が麻薬の過剰摂取により死亡している「北米最大の麻薬汚染地帯」なのだ。路上にはたくさんの中毒者達がいて、座り込んだり、寝転んだりしている。いたるところに“使用済み注射器”が転がり、昼間はシャッター街的に閉まっている店も多い。カナダ1の「麻薬汚染地域」なのには訳がある。この街では、暗黙の形で、麻薬中毒者たちを受け入れているのだ。彼らが用いるのはヘロインの50倍の作用とも言われるフェンタニルという薬品だ。一説によると、この薬品は中国から入って来ているらしく、それが“ここ”を経由して、アメリカ国内にも入ってきていて、トランプ大統領がやけにカナダ首相に対して高圧的なのは、それをストップしようとしないカナダの政策にあるらしい。この薬品だけでなく、カナダは総じて麻薬に対しては寛容で、その中毒者たちにも比較的甘い。多国籍国家として、あらゆる部分で“多様性を重んじている”のがカナダという国だ。この「多様性」を受け入れる姿勢は、世界各国で“生き辛さ”を感じている人々には強く支持されていて、だから日本からも毎年、多数の留学生達がやって来る。けれども、その多様性の中に“麻薬中毒者”も含まれるとすれば、確かに“そういう地域”が誕生するのは当然のことなのだろうし、そこに“吸い込まれていく留学生たち”が居てもおかしくはない。特に寂しがり屋の人にとって、異国で、言葉も十分に通じないところで、カフェが異常に多いとも言われる街で、親しげに声をかけてくる人の中に、そういう人が居て、さりげなく「一緒に…」とパーティなどに“誘われた”場合、それを明確に断れる日本の留学生がそんなにいるとは思えない。親しくなるための“儀式”のような感覚で受け入れてしまうケースも多いのではないか。バンクーバーへの留学は、ちょっとだけ危険なのだ。

タレントには難しい「龍栄荘」老舗旅館の経営⁉

2025-06-16
最近、タレントのスザンヌ氏がいろいろなTV番組に出演して自らがオーナーとなっている老舗旅館「龍栄荘」の宣伝に努めている。プロ野球選手と離婚後、地元熊本に戻り、東京で暮らしたマンションを7500万円で売却、それを元手として老舗旅館「龍栄荘」を2400万円で買い取り、リフォーム代に1億円以上を費やして、昨年末から“旅館業”をスタートさせた形だ。開業して半年、その評価はさまざまなようだ。元手が掛っているので、多少“割高な料金設定”となるのは仕方がない。ただホームページなども拝見したが、コレという“目玉になるモノ”があまり感じられなかった。それらは今後時間をかけて見つけ出していけばいい。芸能人や、元芸能人が、飲食店やアパレルなど他の業種に転ずることは珍しくない。知名度があり、TVなどによる宣伝効果も手伝って、最初は流行っても、ほんとうの勝負は半年から一年くらい経ってからで、そのくらい経つと、だれが経営しているとか、TVで視たとかいうのではない“その業種”本来の評価で採算が分かれていくようになる。そう言う意味では、スザンヌ氏の場合も“これからが本当の勝負”と言えるわけだが、少し、元手をかけ過ぎてのスタートなのが気になる。もう少し手頃な物件から始めて、徐々に大きくしていく……という形が望ましかった気がする。リフォーム代の一億円超というのは、あまりに高額だ。高級な旅館とかホテルとか言うのは、どうしても部屋の調度品とか、景色とか、温泉の質とか、食器などの器一つにも、心配りがされていないといけない。そう言う点では、最初の時点で“余分なお金”がいろいろと掛かる。その辺を、経営のプロともいうべき誰かがアドバイスをしていたのか、だれにもアドバイスを受けず開業していったのか、改善や改良は、今からでも遅くはない。総じて、利用された方達の評価を観ると、スザンヌ氏本人の接客対応は評価が高い。そう言う点では“接客業”への転身自体は、彼女の場合は大変に向いていると言えるだろう。問題は、その中身が“旅館・ホテル業”のような多数の従業員を必要とする本格経営が良いのか、それとも、もっと接客そのものが主体となるような“カフェ・飲食店”などの方が良いのか、その辺に移って行くだろう。

「性に関する絵本」が43万部の大ベストセラー⁉

2025-06-15
最近は“性に関する事件”とか“ジェンダーの問題”だとか、いろいろとあるから、性に関連ある絵本というのが売れている……という報道も、そんなに不思議な気はしない。ただ、その中には発売から43万部も売れ続けている『だいじ だいじ どーこだ?』という産婦人科医の先生が書かれた絵本もあるという。一般の小説とか実用書とかに見立てれば、大ベストセラーではないか。どうして、そんなに売れるのだろう。その本以外にも『パンツのなかのまほう』とか『あっ! そうなんだ! 性と生』などの本が売れているらしい。確かに『パンツのなかのまほう』とかは題名が良い。大人でも、その中身を確かめたくなる。もし、これらの本が、大人が“推奨したモノ”とかではなくって、自発的に子供たちが手にとって「読みたい」と欲したのなら、世の中は変わってきたのだな……と受け止めたくなる。わたしは幼い頃、ほとんど絵本など読まなかった。まあ、そういう環境になかったせいもあるが、それでも漫画本は読んだのだから、本能的に絵本は“難しいもの”のように感じていたような気がする。そういうわたしでも、いまではもう十冊以上もの本を書いているのだから、世の中というのは解らない。わたし自身は、どちらかというと、本を読むよりも、自分自身の“空想の世界”に遊ぶ方が好きだった。その当時の漫画本に影響を受けて、仮面を着けられてしまうと「心まで変わってしまう」というのが“お気に入り”で、善人が悪人に変ってしまうとか、男性が女性に変ってしまうとか、大人が子供に変ってしまうとか、そういうふうな感じで“変わってしまうシリーズ”を空想の中でどんどん膨らませていった。正直、あの頃はまだ「性」には何の関心もなかった。というか、男女の違いがよく解っていなかった。だから、そのくらいの時に、いまの子供たちが“性に関連する本”に興味を持つということも、それを理解しようとすることも、ほんとうに驚きなのだ。「異性愛」と「同性愛」の違いにしても、わたし自身は十代半ばくらいまで、よく解からなかった。絵本を購入しているのは、ほんとうに幼い子供たちなのだろうか。

生涯政治家ー鈴木宗男の波乱万丈「自民」に戻る

2025-06-14
実現するのかどうかハッキリしていないが、多分そうなって行くだろう「自民比例区から出馬」の話が持ち上がっている鈴木宗男氏の動向だ。現在は無所属だ。この人2023年までは「日本維新の会」に居た。その前は「新党大地」の党首だった人だ。さらに、その前は「自民党の議員」だった人だ。つまり、あっち、こっち、放浪している。どちらかというと“団体向き”の人ではなく、その行動は“ひとり政治家”とでもいうか、或る意味では議員としてのアントニオ猪木氏や立花孝志氏とも共通している。わたしが残念なのは、文字通り“ひとり政治家”に相応しい「新党大地」という政党を、どこかに“置き忘れて”しまったことだ。この人は昔、次の総理大臣と目されていた中川一郎氏の秘書を務めていた。秘書としては、とても優秀だったらしい。ところが、元々「政治家になる」という野心が強かったようで、突如、秘書を辞めて“中川一郎の対抗馬”として立候補してしまった。突如、辞められた挙句、対抗馬として立候補したのだから、慌てたのは中川氏の方だ。結局、それが直接の原因かどうか判然としないが、中川一郎氏は自殺してしまった。そういう経緯を持っているので、自民党員の中には、いまだに鈴木氏に対して、快く思っていない人物もいるようだ。この人はまた「ムネオハウス」を北方領土に建設したということで、批判を浴びた過去もある。とにかく政治家としては“クセのある人物”なので、令和の時代に受け入れられるのかどうか微妙だが、観相学的な観点から言えば、法令線がクッキリとし“ひとり政治家”として、生涯政治家としての人生を歩むには相応しい。もし自民党議員として復活すれば、娘の鈴木貴子議員と“親子の絆”が戻る形にはなる。鈴木貴子議員は、今や完全な自民党議員で、どこにも昔の「新党大地の政治家」としてスタートした面影はない。その語り口調は宗男氏に“生き写し”で「血は争えない」と誰もが思う。鈴木宗男氏と言えば、どうしても“北方領土問題”が切り離せなくなるので、仮に自民議員として復活した場合、いまや絶望的ともいえる“北方領土問題”を何らかの形で蘇えらす手段を持っているのか、77歳の“昔型の政治家”に、もう一花咲かせる余力は残っているのか、視たいような、視たくないような……。

「親の背中」は視ていなくても…二千翔氏の結婚

2025-06-13
女優・大竹しのぶ氏の長男・二千翔氏が結婚した悦びを、ラジオの中でしのぶ氏が語ったようだ。40歳の結婚で、今時としては特別遅いわけではないが、それでも母親としては「40歳くらいまでには何とか結婚してほしい」という想いがあったようだ。ちなみに父親は明石家さんま氏ではない。娘のIMARU氏の方はさんま氏との児だが、長男の方は前夫である服部晴治氏との児なのだ。したがって、そういう意味でも“或る種の責任”のようなものを感じていたのだろう。確か二千翔氏は父親の顔を知らないはずだ。47歳の若さで亡くなってしまったからだ。どうしても大竹しのぶ氏というと、明石家さんま氏との関係がイメージされがちだが、実際には二人の結婚生活は短く、大竹氏の方は、その後も別の男性と長期間“事実婚”の状態にあったりした。そう言う意味で言えば、二千翔氏にとっての父親は“だれ”なのかとても難しい。けれども、奇妙なことには彼は“本当の父親”である服部晴治氏の跡を追った。現在はWeb制作会社を経営しているが、実質的には“タレントと企業を結び付ける仕事”をしている。父親はTBSのディレクターであったのだが、実質的にはタレントと企業を結び付けて“大ヒットドラマ”を多数手掛けたことで知られていた。二千翔氏は最初はアメリカで働いていたのだが、やがて日本に戻った。商社などに勤めたのち起業した。自分から芸能界と関わろうとしたわけではないのに、いつの間にか“そういう仕事”になっていった。敏腕ディレクターだった父親の背中を見て育ったわけではないのに、結果的には同じような仕事で手腕を発揮している。顔立ちも、さんま氏の方ではなく服部氏の方に似ている。ところで娘のIMARU氏の方はどうだろう。こちらは何故か“母親と同じ道”は歩んでいない。どちらかと言えば、さんま氏と同じように雑多な仕事を自由に行っているようだ。そう言う意味では、こちらも父親の背中を視ることなく、早い時期に離別したのだが、父親と“似たような顔立ち”となって自らの生き方を堪能している。結局、われわれは“親と子の間”をどうすることも出来ない。どこかに、その面影を引き摺りながら生きていくしかないのだ。どんなに親を嫌っても、どんなに親と早くに別れても、その不可思議な遺伝子を背中に背負って生きていくのだ。

「山尾」と「菅野」両方の「志桜里」が居る⁉

2025-06-12
とうとう山尾志桜里氏の「国民民主党公認」の“公認”が見送りとなった。党首である玉木氏は「すべての都道府県から拒絶反応があった」と“公認見送り”の理由を説明している。通常、こういう時には意見が分かれるものだが、今回の場合には“どの県”とか“どの議員”とか関係なく、いっせいに拒否反応が出てしまった形だ。山尾氏の場合、不倫騒動と金銭問題と、両方の疑惑が未解決のようだ。それでなくても、近年は“不倫”“金銭”騒動への風当たりが強い。この人の場合は、その両方が“疑惑のまま”なのだから「議員としての資質に欠ける」と言われるのも致し方のないところだ。この人は元々が俳優として子供時代から活躍していた。舞台で「アニー」という主役を演じていたのだ。したがって、或る意味では子供時代から有名人だった。その後、東大法学部を出て法曹界に進んでいるのだから、或る意味では“エリートコース”を歩んだと言える。そして、結婚後に誘いがあったようで「政界」へと進出している。ただ、その後の履歴を観ると紆余曲線があったようで、所属政党もいろいろ変化している。したがって政界進出後は、あまり落着いて“表舞台に立っている”とは言えない。不倫騒動では、相手の奥様が自殺しているので、その点でも“身ぎれい”であるとは言い難い。ところで彼女の場合、運命学的に注目すべきは、彼女が名前を使い分けていることだ。実は彼女自身は2006年から2018年にかけて「山尾」氏と結婚していた。「山尾」はその時の姓なのだ。したがって離婚後、彼女は一時期「山尾」から「菅野」に“姓”を変えている。ところが途中から、なぜか政治活動の時だけ「山尾」姓を使う、と宣言するようになった。姓名学的な観点から言えば「山尾志桜里」も「菅野志桜里」も、どちらもそれほど“幸運な姓名”とは言えず、特に山尾姓は“家庭運”や“対人運”が良くない。実際、政治家になってから“人との関係性”でトラブルに巻き込まれることが多かったようだ。実はどちらの名も「山」や「野」で「桜の咲く里」としては相応しい。したがって画数は良くないが“意味合い”としては矛盾がなく印象に残り、社会的には良名とも言える。ただトラブルは避けようがないので、今後も波乱の多い人生を歩んでゆくに違いない。

常に「才能」を“自分の中”から見つけ出していく

2025-06-11
よく「才能」というものを“生まれ持っているモノ”と誤解している人達がいる。それは大間違いだ。もちろん、先天的に“優れた素質や才能”を備わって生まれてくる人もいる。そういう人がいないわけではない。けれども、比率で言えば、そんな人は、ほんの一握りだ。ほとんどの人たちは後天的に自ら“育んでいった才能”なのだ。そういう人たちが、世の中で活躍しているのだ。それに、年齢的にも、幼少年期から学び始めなければ、その種の能力が身に付かない、と思っている人が多いが、そんなことはない。その実例ともいうべき人物が、6月9日に97歳で亡くなった。「自撮り写真家」として知られる西本喜美子氏だ。彼女のすごいところは、最初に美容学校に通って知識と技術を身に着け、美容院を開業して、その技能を発揮した。ところが、それで飽き足らず、今度は競輪選手へと転向していったことだ。美容師と競輪選手とでは“似た要素”がまるでない。にもかかわらず決断すると直ぐにそれを実行していく。「新たな世界」を怖れることがない。彼女の場合、その競輪選手時代に出逢いが生れ、結婚して二児を授かり、専業主婦として子育てに集中する。ところが、その長男が写真家となって「写真教室」を開くと、今度は自分が“塾生の1人”として正規に学び出したのだ。これは一見、簡単そうだが、実際にはなかなか出来ることではない。自分の息子に、教室で“生徒の1人”として学び始める。しかも、この時、彼女は70代に入っていた。だから最初は「写真家になろう」としたのではなく、ただ基礎から学んで「本格的な写真を撮りたい」という気持ちだったに違いない。けれども、この人の場合は、なんでも吸収が早く実行力がある。被写体が居なければ、自分自身を被写体とすれば良い。ということで、自らを被写体としての写真を撮り続けるようになる。何でもすぐ諦めてしまう人がいるが、この人のように、被写体が居なければ自分が“それ”になって、自撮りの芸術的な写真だって撮れるのだ。ただ、そこには基礎が身についていることが重要だ。趣味で終わらせる人は、この“基礎をきちんと習得する”ということをしたがらない人も多い。実際、ほんとうに“好きな趣味”だけで満足なら、それでいい。だが、多くの人に“芸術写真”として認めてられるには、やはり基礎がいるのだ。こうして彼女は88歳で初の写真集を出版した。70代から始めたのだが、結局、25年間という永い歳月を“写真家”として生きたのだ。

「日本」は東南アジアの国々から「好感度」99%

2025-06-10
最新の訪日客に対する調査で「日本」は東南アジアの国々からの“好感度”が特に高いことが明らかになった。14ヵ国の人々に対しての調査で、ややアジア系の人々に偏った調査ではあるのだが、特に高感度が高かったのはタイ人、フィリピン人、インドネシア人の三カ国で99%以上の人たちが「日本」に対して「好き」「大好き」のどちらかで回答している。その理由としては、日本食、四季の風景、治安の良さ、商品の品質……といった順で上げている。確かに、それらは訪日客にとって“日本の魅力と信頼”に直結しているような気がする。この調査ではないが、前に世界中を巡った中国の女性が「日本という国は女性が夜に1人で外出しても安心な国」と絶賛していたのを想い出す。日本人のモラルや倫理観は、世界的に観ても相当に高い。どの国からやってきた人にでも、治安の良さや商品品質の良さは保証できる部分がある。もっとも、それは“平均的日本人の場合”で、今後徐々に外国人比率が多くなって、地域や場所による経済格差などが強まった場合に、それらを維持できるかは微妙なところがある。日本食の“美味さ”と“安さ”にも、われわれは自信を持って良い。海外の食事は、特に欧米は、日本人にとって“美味しさ”や“価格”に「⁉」の付くところが多い。旅行においては「四季折々の景色」も重要な要素だが、この点も、日本は“大都会の美しさ”と“田舎の自然風景の美しさ”の両方を備えている。海外の場合、近年は人工的に“創られた景観”を“売り”にしているところが多い。もちろん、それらも美しいことは事実だが“予期せぬ感動”を呼ぶものではない。人は“予期せぬ感動”に出逢った時、その場所が“脳内の宝物”になる。わたしは昔フィリピンで、現地の女性が「美しい場所に案内する」と言って連れていってくれた場所がある。そこは日本で言えば“どこにでもある海岸沿い”で、しかも空き缶などが至るところに散らばっていた。たぶん彼女たちは、その周辺の空き缶などは“視ていても視えていない”に違いない。私たち日本人には、その感覚が判らない。だから訪日客たちは「日本の美」に“別格のモノ”を感じるのに違いない。特に東南アジアの“暑い国々”には、日本のような“ほんとうの四季”がない。われわれは、つい見慣れ過ぎて鈍感になっているが「日本の四季の華麗なる変化」は“神様が与えてくれた美しさ”なのだ。

「超個性派」同士の「蜜月」長続きせず…が正解

2025-06-09
世界の大富豪イーロン・マスク氏と、世界を牛耳るアメリカ大統領トランプ氏の「蜜月」が終わった。最初から、だれもが「大丈夫か⁉」と思っていた二人だが、その大方の予想を裏切ることなく、お互いを“罵り合う形”で別れを告げた。マスク氏には、根本的に「トランプを大統領にしたのは自分だ」という自負がある。したがって“電気自動車の補助金打ち切り”は信じがたい“裏切り行為”に思えるのだ。まあ、だれだって自分が社運をかけて行っている事業の足を引っ張られたなら、快く思うはずがない。ましてや、自分が大統領にしてやった相手に、そうされたなら……。一方のトランプ氏からすれば、自分の行なおうとしている“税改革”に「聖域はない」そんなことは、イーロン・マスクともあろうものが理解できないはずがない……という論法なのだ。実際、彼のやっていることを視ると、だれであろうと、どの国であろうと「公平な商談にする」という意識が強い。世の中というか、物事というか、けっして“公平・一律だけで済むものではない”ということが、この人は解っていないのだろうか、と思うほど“単純な公平論”を振りかざして政治を行っている。いや、実際には「アメリカ」という会社の“業績を上げよう”と必死なのだ。なぜ、そんなに頑張るのか。それは「偉大なるアメリカ大統領」として歴史に名を刻みたいからだ。だから、そのためにはイーロン・マスクを切ってでも、実行していく。つまり、正直に言えば、彼はアメリカのために行っている……というよりも、自分の功績が“後世にも遺る”よう“自分のため”に行っている。よく、この二人に対して「金が目的だったのか」という人達がいるが、そうではない。彼らはともに、もう、金など必要ない。必要なのは、後世に遺る功績なのだ。だから、そういう意味で手を組んだのであり、その点では今も一致しているのだ。ただマスク氏には“裏切り”が許せないのだ。ほんとうは裏切りでも何でもなく、最初からトランプ氏は“予定通り”のことを行っただけだが、マスク氏にとっては“裏切り行為”であり“屈辱的な行為”と捉えている。だから何らかの形で“復讐”しようとするだろう。こういう「負けを知らない人たち」は復讐心が強い。したがって、トランプ氏は、ほんとうは“少しだけ肩入れ”してやれば良かったのだ。「大金持ちのマスクに、補助金は必要ないだろう」ではなくって、まあ「半額にする」くらいの措置にしておけば、不満があってもマスク氏は我慢できただろう。ともかく、どちらにとっても、対立はマイナスなのに……そんなことは解っているのに……プライドが許せないのだ。

「借金王…粗品」は「動画ネタ」のうちは大丈夫

2025-06-08
ギャンブル好きの芸能人は多いが、その代表格ともいえる「霜降り明星」の粗品氏は、謝金が膨れ上がっていることでも有名だ。最近は「税金が払えない」ということで所有のロレックス時計まで“手放す”動画を公開している。もっとも「売る」とは言っても「売った」とは言っていないので、実際に手放すことになるかは微妙の状況だ。とにかく、それくらいの“苦境にある”ということだろう。最近の芸能人の中には、特に芸人には“貧乏”や“借金”や“ギャンブル好き”を公言している人が多い。ところが、世の中とは面白いもので、そういう“クズ芸人”が大好きで“支援したがる”ファンや“推し好き”な人達も居る。したがって、むしろ最近は「人気を掴む手っ取り早い方法」としても浸透しつつある。まあ、粗品氏のように、最初から“それ”を公言し、元々人気もあり、芸の腕もある人物の話なら、ギャンブルや借金をネタにしても、視てる側は笑っていられる。これがもし何のとりえもなく、才能もなく、仕事も乏しく、ほんとうに将来の見通しが立たないような芸人が“嘆く動画”などであれば、視ている側は笑えないし、むしろ本気で心配になる。粗品氏のように、才能もあり、仕事も忙しく、収入そのものにも十分に恵まれながら、それでも“借金を作る”人物は、居る。それは元々「金運」と「仕事運」や「成功運」とが別々のモノだからだ。極端なことを言えば、どんなに乏しい収入でも“預金していく”タイプの人は居て、そういう人は収入には関係なく年月を掛ければ“それなりの財産”は築いていく。逆に、どんなに収入や仕事に恵まれていても、さまざまな理由から“借金を生じてしまう人”も居て、そういう人はどんなに収入が増えても、それに応じたように借金も増えていく。特に個人事業主などは、仕事に関係する借金は生まれやすいので、収入の多さからは信じられないような借金を抱えている場合もある。また、そういったタイプの人たちは“金運の波が激しい”のも特徴で、あっという間に財産を築いたり、逆にあっという間に財産を失くしたりする。ただ仕事運とか名誉運とかとは“別個のモノ”なので、最初から“そういう部分”を理解したうえで関わらないと、思わぬ形で“災難が降りかかって来る”ことがあるから注意しなければならない。さて、問題の粗品氏だが、自らの動画でギャンブルや借金のことを「ネタ」にしているうちは、その金額が膨れ上がって行っても基本的には心配がない。ただし、もし彼が“そういうこと”を動画として上げなくなったら、その時は“要注意の時”と思っていただきたい。 « Older Entries Newer Entries »