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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「時を戻す」のと「時を進める」どっちが倖せ


最近は“情報流出”とか“AIが暴走”とかのニュースが多い。そういう報道が多くなると、やっぱり科学が進みすぎると、便利にはなるけど“神経が休まらなくなる”気がしてならない。わたしのようなどちらかといえば“IT系が苦手な人”は、なおのこと昔の“のんびりとした暮し”の方に戻りたくなる。そうは言っても、時は止まらないし、戻すことも出来ない。多くの高齢者は、戸惑いながらも時代についていくしかない。そういうわけで、では逆に今よりもっと先の10年とか、20年とか、30年とか先の未来に“一足飛びに進んでみたら”どうなのだろう……と思うこともある。完全なる“AI社会”になってしまえば、特別な技術を覚えることも、方法を学ぶこともなく、思っただけで、言葉に出しただけで、すべてが“用意されていく”ような……そういう時代がやって来るのだろうか。ただ人間はぜいたくなもので、そういう暮らしの便利さが進めば進むほど、昔の“のんびりとした暮し”に憧れるようなところも出てくる。音楽だって「昔の音源の方が良かった」という人達がいるし、写真だって昔の「写るんです」写真の方を好む人たちもいる。ビンテージ物の洋服とかインテリアとかを好む人たちもいる。時代が進んで便利になるから、或いは豊かになるから“倖せ”なわけではない。むしろ、何一つ物がなくても「愛する人」だけ、傍に居ればいい……という人もいる。そういう点から言えば、時を止めたからといって、時を戻したからといって、或いは時を進めたからといって、それで“倖せ”がやって来るのではなく、自分にとって“大切なもの”“かけがえのないもの”“失いたくないもの”が一つあれば、人はそれだけで“倖せ”を感じることが出来るし、生きていく支えを得ることが出来る。それを無くしてしまったら、どんなに他のもので“埋め合わせ”をしようと思っても、それが出来ない単純な生き物なのだ。つまり、人は「時」を戻すとか、進めるとかではなくって、その人にとって“かけがえのない”それだけがあれば、十分に“倖せ”を得て行くことが出来る“慎ましい生き物”なのだ。
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