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今日の迷言・余言・禁言

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「神は偉大なり」はイスラム過激派の共通語⁉


イスラム教という宗教には、日本人向けに解かりやすく言うと“過激派”と“穏健派”の二つの潮流がある。その“穏健派”の方は問題がないが“過激派”の方は、世界各地で問題行動を起こしがちである。昨日もフランスの北部の都市で、過激派の人物が元自分が在籍していた高校に侵入し、教諭一人を刺殺し、ふたりの教論にも怪我を負わせた。さいわい生徒たちは無事だったが、目的の教諭に対して「神は偉大なり」と叫びながら、切り付けていったらしい。この「神は偉大なり」という共通言語は“イスラム過激派”たちがテロを敢行する時の呪文のようなもので、単独犯の場合は特にそういう共通性がある。同じような事件は、2020年10月にもパリ近郊の中学校でも起こっていて、その時にも教論が刺殺された。他にも自らにダイナマイトを巻き付けての“自爆テロ事件”を引き起こす人物なども、この呪文のような叫びを唱えて行う。なぜ、このような言葉を唱えるのかと言えば、自らの行動が“神の代替えとしての行為”と位置付けているからだ。彼らにとっては、こういう行為そのものが“聖戦”として、神に成り代わった自分が、自らを犠牲にして“正義を貫き”その死後に、神を恩恵を賜ることが出来る……と信じて決行する。したがって彼らには“罪の意識”というものがない。むしろ、自らには“英雄意識”すらある。なぜなら原理主義者は必ず“この行為”を理解し、称賛し、神の御胸の元に到達できる、と信じているからだ。或る意味では、それだけ強固な信仰の証しでもある。基本的に“原理主義者”というのはイスラム法に現在でも忠実な考え方をする。今から1400年以上の前の“宗教的規範”から一歩も外れまいとする。元々フランスで生まれ育っていた少年は、たいていの場合に“生まれ育ち”はキリスト教徒である。したがって、外部から持ち込まれたイスラムの教えというのは、或る意味“不可思議”で“純粋な信仰”のようにも思える。ふつうだった少年が“過激派”に傾倒していくのはこういうケースが多い。移民を大幅に受け入れる方向に舵を切ったことで、フランスは国内に“原理主義”を受け入れてしまった。イスラムの神以外を認めようとしない“原理主義者”は、それ以外の信徒を「敵」とみなすのだ。
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