5年ほど前だったと思うが、電子書籍と云うものが注目を集めた時期があった。新しい書籍の形態と云うことで、ブームが形作られるか…に思えた時期があった。確かアメリカが先駆けで、日本もそれに追従し、漫画書籍等を次々と電子書籍化し、小説や雑誌等もそれに続く、と期待された時期があった。
けれども、最初に電子書籍化に手を伸ばした企業・出版社の多くは、何故か途中で退散し始めていった。その頃の日本では採算が取れなかったからである。日本ではアメリカのように電子書籍と云うものがスムーズに市民権を得ていない実情に気付いたのだ。実は日本とアメリカでは様々な点で、電子書籍と云うものへの違いがあった。その部分を初期参加の企業や出版社は甘く見ていたのである。
先ず、アメリカ人と日本人の性格的な違いがある。アメリカ人はそれが好いものであり、安いものであり、便利なものであれば、何の躊躇もなく手を伸ばす。他の人が用いていないものであっても、率先して購入する。日本人はそうではない。仮に好いものでも、安いものでも、便利なものでも、周りがそれを使用しているかどうかチェックし、実際に使用した人達の反応を確認してから購入しようとする。良く言えば慎重であり、悪く言えば周囲に同調して自分の行動を決定する。そういう点で日本市場は一気に普及させるのは中々に難しいのだ。
また、日本はアメリカと違って国土が狭い。全国的に文化レベルは高く平均化している。したがって、田舎でも書店が存在していないところは少なく、図書館もあり、コンビニもあって雑誌・書籍・新刊を入手しやすい。日本全国どこでも紙書籍の本を読むことができる。アメリカのように車を使って何十分も走らないと書店がないとか、図書館がないとか、コンビニが見当たらないとかいうようなことはない。さらに日本の書籍の多くは現在カラフルになっていて、読み易く、解かり易く、華やいだ装丁となっている。特に雑誌や実用書はそうだ。とても電子書籍に紙書籍の細やかな編集を要求することは出来ない。つまり、日本語の文字と云うのは英語やヨーロッパの言語文字に比べてデザイン的な要素も多く、縦書きや横書きや文字の大小や書体によっても微妙に印象が異なり、そういう点で少なくとも初期の電子書籍では中々それらを微妙に使い分けたり、上手く編集したりして表現しきれていなかった部分があることは事実なのだ。丁度、われわれが古書を読む時、感じる読み難さのようなものを初期の電子書籍は持っていた。コスト的にも、イラストや写真や図解等、電子書籍にたくさん掲載するのは難しい。この点は現在も解決されているわけではない。つまり、短編小説やノンフィクション、ハウツウ物等であれば電子書籍に適しているが、長編小説、実用書、雑誌類などは、少なくとも日本語の電子書籍にはあまり向いていない分野のような気がする。
したがって日本では、原画をそのまま取り込める漫画、通常書店で購入しにくいアダルト系の小説、若い女性向けの軽い小説などが、電子書籍として比較的受け入れられてきたような気がする。価格的にもそれらは安く、読み捨て的な意味合いでも購入しやすいからだろう。
アメリカ等の場合、電子書籍には単に一般書を電子化するというだけでなく、もう一つの意義があった。それは大手出版社が手出しをしないような“良書ではあるが発行部数は伸びない本”や“世に隠れている新人作家の発掘”という二つの意味合いで、電子書籍は極めて有効な手段として期待されているのだ。これまでの日本では、この二つを電子書籍に求める発想は、少なくとも参入する企業・出版社側には極めて乏しかったのが現状のようだ。それもあって、読み手の側にも電子書籍の購入者には本当の読書人は乏しかったような気がする。ただ、ここにきて日本式の電子書籍市場が秘かに動き始めたような動向が見られる。
その一つは既に絶版となっている小説等を電子化しようとする動きで、昔の名作が電子書籍として蘇る可能性は大きいのだ。また、新刊書を紙書籍と同時に電子書籍として発売する動きも窺われる。この場合、電子書籍の価格がかなり割安となるなら、それを購入する読者は増えていくことだろう。現代の住宅事情からも新刊を割安にすれば確実にさばける。但し、一部の出版社は何を履き違えているのか、紙書籍と電子書籍と同一価格で出したりしている。通常価格なら電子書籍化する必要はない。
ところで私自身も、このほど初めて電子書籍によって『クフ王出現』と云う歴史小説を発売した。ギザのクフ王ピラミッドで19世紀に発掘を続けた実在人物を主人公として、俗に「重量軽減の間」と呼ばれる屋根裏部屋の天井に「クフ王」のカルトーシュを発見していく経緯と、それが偽造されたものである可能性を追求したドキュメント風の小説である。歴史ミステリーの物語と言っても良い。この後も、エッセイや鑑定記録や小説や占い本などを電子書籍として発表し、安く読者に提供していきたい―と考えている。私も若くないので、矢継ぎ早に書けるわけではないが、それでも人間の運命、及び占いの真実と云うものに興味のある方達の為に、少しでも多くのことを書き遺しておきたいものだ。
掲載日:2012年03月11日
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