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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


なにかの「予兆⁉」押し寄せる“イワシの大群”


海外沿いに多数の海産物が打ち上げられることはそれほど珍しいことではないが、これほどの大群になると話は別だ。昨日、北海道函館市の浜町から日浦町の海岸沿いに大量のイワシが“打ち上げられて”来た。目を疑うほどの数だ。イワシだけでなく、サバも少しだけ混じっている。その理由が判然としていない。実は、先月にも、同じ北海道の稚内やオホーツクの網走港や斜里町に今回ほどではないが大量のイワシやサンマの大群が押し寄せたことがある。どうも、ここにきて魚たちが自らの“ホームグラウンド”を失ってしまったかのような現象を起こしがちである。海中でなにが起こっているのか。何かが生じて環境に変化が起きたから、魚たちは迷い始めたのだ。地震とか、海底火山とか、海流汚染とか……何なのかがわからないだけに不気味な印象を憶える。むかしから、魚の変化は“その地域の変化”と密接に結びついている。何かの前兆としての現象として、そういうことが起こることがあるから不気味なのだ。或る意味では、その状況をうたった歌が「石狩挽歌」だ。あの歌の歌詞には、ニシンの大量で賑わっていた頃と、完全に寂れてしまって漁場そのものが風化してしまった状態と、その対比が年老いた老女の視点で見事に語られている。小樽の“ニシン場御殿”は今では廃墟となったものもあり、観光保存物となった場所もあり、改修して高級旅館に変貌したところもある。観光地としての小樽は、どこか懐かしい雰囲気を持っているが、それは未だに“ニシン漁場”として栄えていた頃の小樽が、そこかしこに残っているからだ。今回イワシが大量に打ちあがった函館も、そういう意味では同様で、どこか懐かしいレトロな雰囲気が街のあちこちに残っている。わたしも室蘭の海岸沿いに近い場所で育ったが、海鳥の鳴き声というのは妙に哀愁をそそる。奇妙なもので、たくさんの人たちが訪れているようなときにはあまり鳴かない。人気がなく波の音だけが繰り返しているような状態の時、海鳥たちは一斉に飛び回って鳴き始める。それが波の音と混じって、妙にもの悲しく、人恋しく、こだまのように聴こえてくるから不思議だ。
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