夜空を彩った巨人の足跡がCGだったとか、可愛い少女の歌声が口パクだったとか、民族衣装で行進した少数民族が偽物だったとか、北京五輪のヤラセが次々と暴かれている中で、中国の偽ブランド品街と呼ばれるロードが、海外からの観光客や出場選手達に大人気なのだと云う。もちろん、かれらはここが偽ブランドの通りだと云うことを十分知っていてショッピングや観光に来ている。
実際に土産品として買いあさる者もいれば、ただ単にどういうものが売られているのか見て楽しみたい、と云う観光客もいるらしい。とにかく「偽ブランド・コピー商品」と知りながら目くじら立てるのではなく、それがどういうものなのか、楽しい土産品の一つとして、或いは土産話の一つとして、人気のロードとして連日にぎわっているのだと云う。
昔から中国と云う国は、コピー大国として知られた国であった。それも明らかにまがいものとすぐ分かる代物から、精巧で余程熟練した鑑定人でもなければ見分けがつかないものまで、今日では偽ブランド商品も実に様々ある。確かに、それは「本物」として売れば違法行為だが、最初からそういう通りとして名を馳せているのであれば、それはそれで需要と供給の関係から商売が成り立つのは仕方がないのかもしれない。
私はイタリアの家具・インテリアが好きなので、そういうネット販売の店などをよく見たりもするのだが、明らかにイタリア家具・インテリアを模したと思われる中国製品は多い。時としては、企画デザインはイタリアで、製作を中国に委託しているような場合もある。それらの作品を見ると、イタリア職人の技巧には遠く及ばないが、それらしく見せる技術は年々上達していく。ただ、企画デザインから模倣しているところは、まったく上達せず、一見して模倣品と分かってしまう。
それは、多分、根本的なセンスの問題なのだ。家具・インテリア製品は特にそうだが、バッグとか、靴とかでも、イタリア製品と云うのは何となくセンスの良さを感じさせる。実生活用の品物であっても、そこに芸術的な美を感じさせる部分があるのだ。それは多分、日常生活の中で、街のあちこちに残っている芸術作品を目にして育っている環境が大きいのだと私は思う。
近年、日本でも、街のあちこちに芸術作品を展示している都市も出てきた。だが、どういうわけかそれらが街の中に溶け込んではいない。何かしら、そこだけ浮き上がって見えるのだ。考えられる理由の一つとして、信仰心の違いもあるのかもしれない。日本の街中で見かける芸術作品の多くは、無信仰の芸術品だが、イタリアなどの街中を飾っているのは、宗教芸術としての思想を込めているものが多い。ルネッサンス期の作品がそのまま街に残っているケースも多い。現代でも信仰心が変わらず残っていることで、自然な情景として溶け込んでいるのかもしれない。
そういう意味では日本の場合、京都などの建物は昔そのままの形で今日でも違和感なく街の中に溶け込んでいる。どんな芸術作品であっても、街の情景から浮き上がっていては人々の心など潤す筈がないのだ。
京都で思い出したが、画家のゴッホは浮世絵の作品を見て大いに影響され、あのような風水・コパのような色合いの作品を描き続けた。或る意味ではゴッホの絵画だって浮世絵の模倣なのだ。もちろんゴッホの人間性が、浮世絵を真似ても、似ても似つかないような独自世界を作り出すのだから、マネから始まる偽ブランド・コピー商品も、もう一歩進めれば個性的な新たなるブランドの起爆剤となり得るかもしれないのだ。天才ピカソにしたって、元々はエジプト絵画の影響を受けてあの独特な作品群が生まれたのではなかったか。一見、エジプト絵画とピカソ抽象画は関係なさそうに思えるが、よくよく見ると共通した要素は多い。ピカソの描く顔は、正面向きと横向きとが一つの作品の中で同居している。古代エジプトの絵やレリーフでも同様で、顔形は横向きなのに眼は正面向きで描かれるのがエジプト絵画だ。肩は正面向きで足は横向きなのがエジプト絵画だ。このように、ピカソやゴッホでさえ、モノ真似から入っている。
才能や個性が豊かであれば、偽物は本物とは自然に異なった作品となる。私は昔、占いを学び始めた時、目標と云うか、憧れと云うか、今は亡き中村文聡氏を目指していた。一度もお目にかかったことはなかったが、手紙をもらったことはあり、十代半ばの私に、素晴らしく達筆な文字で、体調を崩し、すぐ返信できずにいたことをわびていた。私は何かしら自分の文字がみすぼらしく思えて、身勝手な手紙を差し出したことを反省した。彼は別に私を咎めたのではなかった。むしろ、逆であった。けれども、その文字の闊達さ、流麗さは黙っていても、私に頭を垂れさせるに十分であった。
人やモノと云うのは、何も言わなくても、その価値を認めさせるときがある。真のブランドとは、そういうものであるように私は思う。どんなに真似ても真似しきれるものではないオーラのようなものがあれば、おのずと人はそれに対して敬意を払うような気がするのだ。そういう敬意を払いながらの物真似やコピーであるなら、いつかそこから新たなる個性やブランドが誕生するのかもしれない。
掲載日:2008年08月30日
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