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過去の占いコラム

素顔のひとり言(エッセイ集)


均一の時代から選択の時代へ


街を歩いていて、女性だけではなく男性たちの服装や髪型の多様さに或る種の感慨を持つことがある。私の少年時代、女性はともかく、男性は大体共通した服装や髪型とをしていたものだ。それが今やあらゆる服装、髪形が受け入れられる国へと変貌した。もちろん、その多様さは女性の方がはるかに勝ってはいるが、近年では男性の方も選択肢が実にさまざまだ。どんな服装や髪形をしていたとしても、誰もそれを咎めない。良い国になったものだ。

私は昔からネクタイと云うものが嫌いで、よほどの必要性がなければ締めようと云う気にならない。ところが会社勤めの時には、どうしてもそれを要求される。厳しいところは髪型まで指示される。通常の会社勤めとして髭も長髪も許されない時代だった。私はこれに半ば反発する形で、ノーネクタイ、長髪、夏は下駄ばきで会社へと通った。ところが今は街を歩いていて、スーツ姿できちんとネクタイをし、髪を七三に分けたサラリーマンを見掛けることが少なくなった。

イスラムの国々へ行くと感じるが、信仰上の理由から服装や髪型に半強制的な教えの強い地域は、今でも自由に選択すると云うことを許さないような雰囲気がみられる。けれども考えてみれば、そういったことはどの国であっても近代まで行われていたことであって、例えば日本でも士・農・工・商によって服装や髪型は決まっていた。身分の高い人達は、それなりの流行を持っていたらしいが、女性の場合は未婚と既婚とで服装・髪型に違いを付けていた。つまり服装・髪型・化粧法を見れば、すぐに未婚であるか既婚であるかが誰にでも分かるような仕組みとなっていた。このような仕組みは、確かヨーロッパの一部地域でも行われていたようだが、考えようによっては便利で分かりやすい方法と云えなくもない。

デパートなどへ行って、どの人が店員さんか分からないより、その売り場特有の制服を着ていた方が声を掛けやすいのと同様だ。そう考えると、戦後・昭和の日本男性はサラリーマンであることを表示し、会社勤めであることに誇りを持っていたのかもしれなかった。今やどの男性がサラリーマンであるのか、服装や髪型からだけでは見分けられなくなっている。時には、男性なのか女性なのか、服装や髪型からだけでは判別できないケースさえもある。これは男性の服装や髪型がカラフルになったせいもあるが、一方では女性の服装や髪型が男性化してきたせいでもある。

一年中ジーンズしかはかない女性は、まるでイスラムの教えを忠実に守り続ける回教徒のように、素足を他人に見せないで生きていくことを誓わされてでもいるかのようだ。せっかく「均一の時代」から「選択の時代」に移行したと云うのに、その選択を事実上奪っているものは何なのだろう。

あらゆるファッションやオシャレが許されているとは云いながらも、どこかしら周囲を窺がいながらの選択のような気が私にはする。その結果として本当に自由なファッションやオシャレをしているのはごく一部で、多くの女性たちは「着せ替え人形」をするほどには自分のファッションやオシャレを楽しんで居るようには見えない。

男性たちにしても「ちょい悪オヤジ」等が流行ると急に砕けた服装になったりするが、本来が男性と女性のオシャレは違うはずで、日本人男性はその外貌からも極端な服装や髪型は似合わない。私は昔からシャツをズボンから外に出すことは好まず、今でも必ず中に入れる。それは古いと云われそうだが、古いとか新しいとかの問題ではなく、男性はその方が体型的に整って見える。特に日本人男性は肢が長くないので、ベルトが外に出ていないと余計に肢が短く見える。肩幅が極端に広ければ、ヒップが小さければ、それでも恰好がつくのだが、肩幅も狭く、ヒップも大きいとシャツを外に出すファッションはどう見ても釣り合いがとれない。流行だからと云ってしまえばそれまでだが、良い物は多いに取り入れるべきだが悪いものまで流行だから、時代だからと飛びつくのは感心しない。

このように書いてきて、私は大昔の会社勤めの時代を思い出していた。真夏には会社まで1時間以上も掛けてカランコロン下駄を鳴らしながら通ったこともあった。私は昔から晴天の日に長時間歩くのは苦にならない。独りで歩道を歩きながらさまざまな空想を巡らすのが好きであった。小学生の時からそうであった。下駄を履く機会さえも無くなってしまったが、そのうち海外の知らない街を下駄ばきで歩いてみたい。

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