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過去の占いコラム

素顔のひとり言(エッセイ集)


季節の廻りと運勢の廻り


毎年、この季節になると“若かった日々”のことを思い出す。私は室蘭で育った。気温だけでいえば、そんなに寒い地域ではないのだが、冬場になると猛烈な風が吹きまくるので、体感温度が低く感じられる所だった。北風の吹かない札幌で暮らすようになって、気温はむしろ低いのに“室蘭のような寒い冬”を感じたことがない。それでも、雪が降り出すこの季節は“しばれる室蘭”の“粉雪舞う室蘭”の“神を呪った室蘭”の凍てつくような日々を思い出す。

幼い頃、私は窓の隙間から雪が入り込んで、障子枠のそれぞれに斜めに降り積もっていくような部屋で育った。まだ記憶がおぼろげな頃、昼間は誰もいなくて、何もなくて、大通りに面した二階の窓から何時間でも外の様子を見つめているような子供であった。母は病気がちで、入退院を繰り返していた。父親は昼と夜と重労働を掛け持ちしていて、私が寝てしまった後でなければ帰ってこない。滅多に顔は見なかった。兄と姉は学校へ行き、その後、幼いながらアルバイトまでしていた。したがって、私はいつも一人であった。

けれども、そういう日々を寂しいと思ったことはなかった。私は無類の空想好きで、窓の外を見ながら、さまざまな空想をめぐらすことが好きでたまらなかった。だから一人でも、窓ばかり見ていても、寂しくなどなかったのだ。ただ真冬は寒くて、クリスマスでも、お正月でも、何も買えなくて、何も貰えなくて、だから少しだけ皆が羨ましかった。そういう中で、私は「運命」に興味を抱いた。欲しかったおもちゃを手にした子供のように、私は運命の謎を解き明かしてくれるかもしれない“占い”に夢中となった。人は“何故みんな同じような家に生まれないのか…”私の最大の謎はそこにあった。クリスマスになると、どういう訳か街の教会から牧師さんがプレゼントを届けてくれた。多分“恵まれない家庭の子供たち”にボランティアでサンタに扮して届けてくれていたのだと思う。自分が望むプレゼントではなかったが、キリスト教は「ありがたい宗教だ」と思った。

部屋の片隅に置いてあった女性週刊誌は、まだ平仮名しか読めない私には難しかったが、それでも一人の平凡なOLが“占い師になっていく”過程が描かれていて、私を妙に惹き付けた。そして、占い師になろう…と漠然と思った。でも、マンガ家もいいな…と漠然と思った。私は「まぼろし探偵」にひどく憧れていたのだ。マフラーをなびかせオートバイでやって来る“正義の味方”だ。夏には雨漏りがし、冬には障子のふすまに雪が積もる部屋の中で、私は占いの本を読み、マンガを描く“独りぼっちの少年”だった。

それから大人になって、私は勤め先で毎年冬が近づくと“猛烈な忙しさ”に追われていた。10月後半から12月の半ばまで、どういうものか職場部署内の私の仕事量は急激に増え、必死に仕事を消化していく日々が続いたものだ。それが終って暇となり、寒さも加わって体調を崩し、年末から年始にかけては大体が風邪をひいているとか、孤独感が強まって憂鬱になって引き篭もっているとか、あまり良い思い出がないのがこの時期だった。

プロ占い師という生活に切り替わっても、奇妙なもので10月後半から12月半ばにかけては忙しくなるケースが多い。ひとつには“占いの実占”だけでなく、年末年始用の“占い原稿”の締め切り日が重なっているケースが多いからだ。それでも、ここ何年か比較的暇だったのだが、今年は何故か忙しかった。忙しかったからといって、必ずしもそれが収入と直結しているわけではない。どの仕事でもそうだと思うが、必ずしも「仕事量」=「収入」と繋がっていないところが、運命の面白いところだ。この時期、昔の会社員時代なら“ボーナス”というものが出て、それに一喜一憂したものだが、今ではそのボーナスもない。もっとも、それは私だけではなく、今なら会社勤めをしていても、まともに貰えなくなって来ている人が多いのかもしれない。昨日、久しぶりに少しだけ空きが出来たのでパチンコ店に行ったら、空席が目立っていた。この季節に空席が目立つのは、やはり世の中、忙しい人が多いのか、それとも“遊ぶお金なんかない”人が多いのか、どちらかだろう。年賀状を書かなければいけない季節でもあるが、毎年ぎりぎりまで書くことをしない私は、多分、今年もぎりぎりの攻防をするのに違いない。事業仕分けではないが、年賀状も“どの人に出して、どの人に出さないか”は難しいところで、結局、その時の気分に左右されるところが大きい。書く内容にしても、通り一遍ではつまらないし、かといって特別書かなければならない内容があるわけでもない。時に「占い原稿」よりも、こっちの方が難しかったりもする。

「占い師」という職業の人の中には、年末年始に忙しくなる人もいるのだろうが、私は毎年、この時期は暇にしている。というより余程のことがない限り、仕事を入れないよう心掛けているからだ。人が休む時には休みたいからでもあるし、自分が運気的に良くないからでもある。幼い頃の影を引きずるかのように、引き篭もりたがる。昔、年末に地方へイベントに行ったら、車の事故に遭って顔面を怪我したことがある。また、元旦からイベントに出たら、腹痛で二日目をキャンセルしたこともある。TVの元旦番組では、せっかく31日の夜中まで掛って原稿を書いたのに、その番組内容が急きょ変更になってギャラは貰ったが、原稿は幻となったこともある。どうも、年末年始に仕事すると良くないのだ。私は公務員的な生活の仕方が合っている。それなのに、なぜボーナスは支給されないのだろう。不思議だ。

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