「single-blog2.php」* 有料カテゴリ:「過去の占いコラム」は一括2,000円で全て読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

過去の占いコラム

素顔のひとり言(エッセイ集)


忘れられない「裸の大将」と「フーテンの寅さん」


「日本のゴッホ」として「裸の放浪画家」として世界的に知られた山下清をモデルとした再現ドラマがTV放映された。懐かしさから見てみたが、何となく昔のTVドラマの方がピッタリ合っていて、いまひとつ入っていけない何かを感じた。お笑い系のタレントで固めて、面白く作ろうとし過ぎているせいかもしれない。どこか、ドラマそのものの中に誠実さが感じられないのだ。

山下清と云う人物は、別に意識して自分を面白く演出していたわけではない。むしろ、素朴で大変まじめな人であった。

私の記憶では、もう30年くらい昔だったような気もするが、あるいはもっと前だったかもしれない。とにかく私は、全く偶然に旅行中だった小樽で、山下清の生涯にわたる大展示会を見たことがある。それは、今はもう無くなってしまったデパートの中でだったが、確か暑過ぎてだったか、寒過ぎてだったか、体力的にかなり参っていたのと、歩き疲れていたせいで、とりあえず一休みする目的のため立ち寄ったデパートだった。そこで偶然「山下清展」を見つけたのだ。

私の記憶が確かなら、通常のデパートの中の展示会にしてはスペースが広く、ただ単に絵だけを並べるだけではなく、日記や手紙、ハガキなど手記もすべて公開してあるボリュームある展示会だった。もちろん、彼の絵や張り絵にも感心したが、私が一番感動したのは、実は幼いころからの成長過程が解かる無数の直筆手記の方であった。あの頃、私は精神的にも生活的にも追い込まれていて、今後の身の振り方について、大いに悩んでいたものだ。そういう中で、山下清の手記は、ハッキリ云ってへたくそな文字で、ノートやハガキなどにびっしりと書き込まれたものばかりだったが、真っすぐで、素朴で、憎らしいくらいにひた向きで、感動的な内容であった。

具体的な内容は何一つ覚えていないが、とにかく、私に、真っすぐ歩き続けていきなさい、と教えてくれているような文面ばかりであった。

張り絵にしても、彼のひた向きさが滲み出ていて、ドラマなどでは決して伝えきることが出来ない「コツコツと続けることの大切さ」を教えてくれるものばかりであった。私の記憶では花火の絵や張り絵が多く、瞬間的記憶を形として止めたい彼の気持ちが良く表れていた。「日本のゴッホ」とも評されたが、ゴッホのような情緒不安定さがあったとは、作品からの印象として、私には思われない。以前、ある手相の本で「山下清の手相」が載せられてあったが、それを見ると頭脳線の後半に大きな島があって、反射能力は鈍く、妄想癖があり、悩みやすい傾向があったと思われるが、同時にクッキリとした太陽線もあって、社会的名声の得られる相であった。

「ひまわり」で有名なゴッホ本人の方は、社会的な適応性と云う点では難があったが、頭脳そのものが劣っていたとは思わない。それに、山下清と違い、彼は死ぬまで世の中に画家としては認められなかった。幸い、弟テオだけが良き理解者であったから、死後の評価されたが、本人はどんなに無念であったことだろう。

芸術作品は、しばしば死後になってから評価されることがある。クリムトなども死後になってからの方が評価が高い。昨日、たまたま近くの札幌市民ギャラリーで「新道展」と云うのが開催されていたので、観に行った。実にたくさんの作品が展示されていて、その数にも驚いたが、現代絵画で抽象画も多いが大型の作品が多いため、なかなかの迫力があった。ただ大きい作品が多いので、仮に手に入れても通常の家庭だと、飾る場所に困ってしまいそうであるが、私の目で観て、すばらしいと感じられるような作品も何点かあった。

残念なのは、これだけたくさんの作品が、それも力作が展示されているのに、来客数が少ないことであった。誰々さんの絵があるから来て見た、と云うような感じの人たちが多いように思われた。

最近の日本の住宅事情は、絵画を飾って楽しむと云うことを許さなくなっている。マンションなど、最初から絵の飾れないような壁さえある。これでは、日本に本当の芸術は育たない。イタリアなどヨーロッパの街では、どんな路地裏へ行っても、どんな粗末な家に行っても、絵が飾られている。絵画の時間だけ、絵と向き合うのでは芸術など育ちっこないのだ。

それと同時に「フーテンの寅さん」に代表されるような情愛豊かで人情味あふれる日本人の育成も急務だ。私が若い頃、恋に傷ついていた時、映画の中の寅さんは、まるでそんな私を励ますかのように人情味あふれる笑顔で笑っていた。常に、片思いしかできいなくても、不器用な生き方しかできなくても、誰からも愛される日本人が、そこには居た。

阿倍総理は「美しい日本」を旗印に掲げているが、その前に情愛豊かな日本人、優しく人情味あふれる日本人の育成に力を入れるべきだ。そして、そのためには絵画や音楽を、勉強のために教えるのではなく、人間としての優しさ、思いやりを育むためにもっと身近なものにしなければならない。どんな路地裏に行っても絵画が飾ってある国、美しい音楽が流れてくる国、どんなに貧しくても、辛い環境下の中でも、詩や文学を語れる国……ネットカフェ難民が、絵を描き、歌を口ずさみ、詩を語り、踊り明かせるような、そういう国は、いつ、来るのであろうか。

「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧素顔のひとり言

  • 「大谷選手の故障」と「株価予測」が見事的中‼

    早いもので今年も“雪景色”の季節となった。そこで、今年一年の「波木星龍の占い予言」を振り返ることにする。私は別に、有名人の予言とか、社会的な予言とか、本当はそんなことはどうでも良い 続きを読む

  • 波木星龍の公的な「予言の的中率」

    占い師の評価というのは、必ずしも“的中率”にあるわけではないが、そうは言っても“どの程度的中しているのか”は、その評価の重要なポイントであるには違いない。よく“口コミ”と言われる“ 続きを読む

  • 自らが創り出す「未来」

    占星学や推命学の研究者の中には“先天的な運命”を動かしがたいものとして、本人の“意志”とか“選択”とか“努力”などを認めないような判断の仕方をされている方が多い。私自身も占星学や推 続きを読む

  • あまりにもお粗末な「ツタンカーメン」番組

    こういう番組をどう捉えれば良いのだろう。制作サイドは日本の視聴者をあまりにも軽んじすぎているのではないだろうか。7月18日のTBS古代エジプト世紀の大発見プロジェクト「ツタンカーメ 続きを読む

  • 日進月歩で「後退していく」占いの世界

    世の中、日進月歩で進んでいくものが多い中で、まるで“後退りしている”ような世界が「占いの世界」だといってもよい。どうして後退りなのか、ここ20年ほど「新たな研究」「新たな学説」「新 続きを読む

  • 人は“さまよいながら”生きていく

    人間社会は「勘違い」で成り立っている。例えば、私は“書きもの”などでは何でも明確に“ズバズバ書く”ので、現実にもさぞかし「即断即決の人」「迷いのない人」「怖い人」であるかのよう誤解 続きを読む

  • 「パスワード」という魔物

    私は元々が“IT型の人間”ではないので、日頃から“IT関連のもの”は苦手である。その中でも一番厄介なのが「パスワード」で、あらゆる場合にこの部分で躓いてしまう。何故、もう少し簡単に 続きを読む

  • 占い依頼者との「距離」について

    当然のことながら、占い師は常に何らかの悩みや問題を抱えた相談者や依頼者と相対して仕事を行っている。初めての依頼者もいるが、その多くは過去に“占っている方”で、いわば“常連さん”に属 続きを読む

  • 「使命感」の持っている美しさ

    どのような世界であっても「使命感」の中で生きている人達は、それぞれに“美しい”ものです。もちろん、これは外見的なことではなくて、“生き方としての美しさ”です。その人なりが滲み出てく 続きを読む

  • 日本人であるということ

    今年は正月から週刊誌が飛びつきそうな話題やネタが矢継ぎ早に飛び出している。「ベッキー不倫騒動」があり「スマップ独立失敗」があり「甘利金銭疑惑」があり「宮崎育児不倫」があり「清原覚せ 続きを読む