世の中には実にさまざまな人がいる。今更ながら、それを実感させられたのが、書籍通販アマゾンでの読後書評であった。
本当はこれを書くべきか、書かずに済ますべきか、大いに迷った。けれども、世の中には誤って受け止める方もいると思うので、一応書いておくことにした。
私が『古代エジプト守護神占星術』(アルマット社刊)を出したことで、些細な反響はあったが正直、期待したほどの反応や賛同は得られなかった。特に、占星術の関係者からの反応や古代エジプト学関係者からの反応は少なくとも今のところほとんどない。唯一、有ったのがアマゾンのネット書籍通販の読後書評のところで、その内容に関して褒め称えたものもあったが、見当違いの批評もあった。その見当違いの批評が、ほとんど同じ内容で2名掲載されているので、もしかしたら同一人が名を変えて投稿しているのかもしれないが、書評としてふさわしくないので、ここで反論させていただく。
簡単に言えば、その書評とは私の書いた『古代エジプト守護神占星術』が勝手な暴論であり、学術的に正当なエジプトの占星術ではないので、信ずるに値しない、あんなものは本として価値がない…というような内容である。そして、★五段階評価の最低1を与えている。まず、私が言いたいのは、この人は本当に私の本を読んだのだろうか…ということである。なぜなら、この本で私が各36星座に配当している「守護神」に関しては、その第1章の中で、きちんと「古代エジプトにおける正確な守護神配当は現在も確定していないこと」「その一部は同じ守護神がいくつもの星座に配当されていること」「読者の混乱と占いとしての統一性を図るため1星座=1守護神としてあること」等につき、きちんと著述している。決して、私が発表したものが古代エジプト時代そのままの占星術である…など一言も言及していない。実は本の帯封に書かれているリード文が若干それらしき印象を持たれやすい内容なのだが、これは私が書いたものではなく出版社側が宣伝用として書いたもので、短いために誤解されやすい書き方にはなっているが、本文をきちんと読めばその誤解は解けるはずなのである。
いや仮に、その部分が学術的な観点から見て多少、問題があったとしても、批評では「正当なエジプトの占星術」とは違っている…と頭から決めつけているのだが、元々「正当なエジプトの占星術」と呼べるもの自体が、少なくとも現在までのところ、正規のエジプト学上―考古学・歴史学・古代科学史―きちんとした形で発表されたことはない。一部研究家が発表した考古学的史料はあるが、公式のものではないし、学術的に整理されて記述されたものでもない。しかも、どこまでが古代の天文学で、どこからが古代の占星術で、どこからが神話伝承なのか、それすらも判然としていないのが現状なのだ。このような中で先ず「正当な古代のエジプト占星術」を語ること自体、慎重であらねばならないはずなのだ。しかも、私は何度も言うように、私の発表するものが学術的に正当な古代エジプトの占星術である…とは一言も述べてはいない。あくまでも私が36デカン星座にふさわしい守護神を当てはめた―と記述しているのだ。何一つ嘘など記してはいない。「デカン」と呼ばれる36の星座区分が存在したこと自体は誰もが認めるところであるし、それに対して古代エジプトにおける「種々な守護神」を当てはめていたことも考古学的史料から確実なのである。ところが、あの書評だけ読むと、まるで上記の歴史的事実自体さえもが、私の勝手な創作であるかのごとく記述されている。
多分、この書評されている人物は、学術的な立場にない私が「エジプト占星術」を歴史を交えて語ったことが許せないのかもしれないが、そんなことは欧米の古代文明に関してのノンフィクション・ミステリーや宇宙考古学仮説では当たり前に行われていることで、日本でも雑誌『ムー』等では常に行われている。海外では『神々の遺産』や『創世の守護神』や『ダヴィンチコード』等、この種の書き方でベストセラーとなっている書籍も多い。日本では残念ながら、この種の書き手が不足していてスケールの大きな物語を構成できない傾向がみられる。
とにかく本書の場合は“占いの書物”であるから、本来、学術的に正しいかどうかを追及すること自体がおかしいのである。“占いの書物”において唯一追求する論点があるとすれば、その占い内容が的中しているかどうかだが、これは主観によって異なることなのだから、追求自体がばかげている。仮に“古来の正当なエジプト占星術”が実際に完全判明しているのであれば、その内容から見てどうこう言う批評なら解からないでもない。ところが先にも述べたように、そのような判断方法も記述も史料も、何一つ存在していないのだ。批評した人物の書き方だと、明らかにそれが判明していて、それとの比較から違っているかのような印象を与える。考古学的にも歴史学的にも科学史上からも、現在までそのような知識は皆無なのである。なぜ、それなのに「正当なエジプト占星術」等という言葉が飛び出すのか、全く理解に苦しむ。私は、この点についてアマゾンの書評管理担当者にも問い合わせたがなしのつぶてだった。
実は、占いにおいての「正しい」「正しくない」は昔から種々あった問題なのだが、本来、理論的に優れている・劣っている―という違いはあっても、それ以上の優劣は無いし、正邪を付けることも極めて難しい。たとえば、古代から継承されてきているから正しいという人がいるが、それはあくまで歴史的に見て正しいということであって、占いとして正しいかどうかは別問題なのである。また統計的に見て正しいなどという人がいるが、これも怪しい話で、正規の統計学というのは単純に数値が多いというだけでは通らない。科学的に正しいというのも同じで、これまで巷に知れ渡っている占いには、自然科学的に正しいと証明できている占いなど何一つ存在していないのである。というか、自然科学的に証明するということ自体、不可能に近い種々の問題を抱えているのが実態なのだ。
例えばホロスコープや四柱命式から「成功者」の特徴を判別しようとする。これを自然科学的に証明しようとすると何万・何十万というデータを必要とする。実際、そういう意図から証明を試みた科学者もいるが、結局中途半端なデータしか得られていない。しかも、それは既存の占い法則から外れた実証データだったのだ。その結果、科学者からも批判が出て、占い師の方からも批判が出て、結局なにがなんだか解からない結論となってしまった。
私は、これまで種々な占いに対して、波木星龍にしかできない解釈とか判断とか、研究材料を占いの世界に提供してきた。今後もその姿勢を崩すつもりはないが、占いというものに対して未知の人々にとっては、俗にいう「権威者」が「波木星龍の占いは自分勝手なお遊び占いに過ぎない」といえば、その言葉の方が正しいかに思えてしまうに違いない状況にある。そうではないということを理解させるためにも、少しオーソドックスな占いを発表する機会を持たなければ…と考えている。
掲載日:2013年02月03日
早いもので今年も“雪景色”の季節となった。そこで、今年一年の「波木星龍の占い予言」を振り返ることにする。私は別に、有名人の予言とか、社会的な予言とか、本当はそんなことはどうでも良い 続きを読む
占い師の評価というのは、必ずしも“的中率”にあるわけではないが、そうは言っても“どの程度的中しているのか”は、その評価の重要なポイントであるには違いない。よく“口コミ”と言われる“ 続きを読む
占星学や推命学の研究者の中には“先天的な運命”を動かしがたいものとして、本人の“意志”とか“選択”とか“努力”などを認めないような判断の仕方をされている方が多い。私自身も占星学や推 続きを読む
こういう番組をどう捉えれば良いのだろう。制作サイドは日本の視聴者をあまりにも軽んじすぎているのではないだろうか。7月18日のTBS古代エジプト世紀の大発見プロジェクト「ツタンカーメ 続きを読む
世の中、日進月歩で進んでいくものが多い中で、まるで“後退りしている”ような世界が「占いの世界」だといってもよい。どうして後退りなのか、ここ20年ほど「新たな研究」「新たな学説」「新 続きを読む
人間社会は「勘違い」で成り立っている。例えば、私は“書きもの”などでは何でも明確に“ズバズバ書く”ので、現実にもさぞかし「即断即決の人」「迷いのない人」「怖い人」であるかのよう誤解 続きを読む
私は元々が“IT型の人間”ではないので、日頃から“IT関連のもの”は苦手である。その中でも一番厄介なのが「パスワード」で、あらゆる場合にこの部分で躓いてしまう。何故、もう少し簡単に 続きを読む
当然のことながら、占い師は常に何らかの悩みや問題を抱えた相談者や依頼者と相対して仕事を行っている。初めての依頼者もいるが、その多くは過去に“占っている方”で、いわば“常連さん”に属 続きを読む
どのような世界であっても「使命感」の中で生きている人達は、それぞれに“美しい”ものです。もちろん、これは外見的なことではなくて、“生き方としての美しさ”です。その人なりが滲み出てく 続きを読む
今年は正月から週刊誌が飛びつきそうな話題やネタが矢継ぎ早に飛び出している。「ベッキー不倫騒動」があり「スマップ独立失敗」があり「甘利金銭疑惑」があり「宮崎育児不倫」があり「清原覚せ 続きを読む