母親の33回忌を記念して、8月に兄弟4人が登別の長男宅へ集まることになった。私は札幌だから比較的近いが、姉は九州だし、弟は東京なので、なかなか4人がそろうことはない。今回も弟は仕事で来れるかどうか微妙らしい。私と兄とは札幌と登別で近いとは云っても、実際には用事でもない限り滅多に逢うこともない。むしろ、電話・手紙なら九州の姉との方がやり取りが多い。男同士の兄弟と云うのは住居が離れ、いったん疎遠になってしまうと冠婚葬祭でもない限り、連絡を取り合うことが少なくなる。お互いに元気で生活していれば、余分な話など不要な面もある。親が生きているなら年末年始に逢いに行くということにもなるのだが、両親とも早くに亡くしている私たちは、そういう理由付けもない。ただ親子・兄弟の関係と云うのは不思議で、全く連絡が取れないと、それはそれで大いに心配となるものだ。
今思うと、私は両親が生きている間に親孝行らしきことをした覚えがほとんどない。ところが母親は姉に対して、亡くなる少し前にコートを買ってあげたことをとても喜んでいた、と後から告げられた。本当に亡くなる年だったので、その気持ちを抱きながら亡くなってくれたのだとしたら、これほど有り難いことはない。父親の方も亡くなる前年、たまたま好きだったプロレス観戦に連れて行ってあげたら、そのことをとても喜んでいた。入院した後も、私の云うことはよく聞いて、だんだん小さくなっていった。正直なところ、兄弟の中で多分私が一番親に迷惑をかけたのだが、その私の記憶が飛んで、亡くなる少し前に行った良いことだけ印象に強く残りながら逝ってくれた。私は最近、自分自身も齢をとってきたせいで、人間、齢をとると昔の記憶が遠のいていくものだと云うことに気付いた。つまり最近の出来事か、そうでなければ若い頃の強烈な出来事か、どちらか以外は記憶が飛んで行ってしまうのだ。よくよく思い起こせば蘇るのだが、普段の生活の中では徐々に感情を伴った記憶が消されていく。妙なもので、出来事として思い出せても、その時の感情は伴っていないのだ。その結果として、高齢の人には最近の印象と云うのが非常に重要となる。昔どんなに良い関係であっても、今現在がギクシャクしていると良い印象として残らない。つまり、亡くなった後?にも「ギクシャクした関係」を引き摺って行くことになる。そういう点から云うと、亡くなる前年からその年にかけては、なるべく良い印象が残せるような関係を築きたいものだ。もっとも、いつ亡くなるのかは分からないのだから、そういう雰囲気の齢になったら、親孝行らしきことを行うようにすれば良い。もちろん、それは私のように親不孝者だった人は…と云うことで、日頃から親子関係を良くして親孝行をしていれば、そんなへんてこりんなテクニックを使う必要はない。
親子にしても、兄弟にしても、自分自身が十代半ばくらいまでの親子関係、及び兄弟関係と云うのは、それ以降とは比べ物にならないくらいに深く濃密だ。それ以降、徐々に親子・兄弟の関係は浅く希薄になっていく。ところが、ここに興味深い事実がある。いったんそうやって希薄となった関係を、或る年齢以降になると、再び深く濃密な関係に戻そうとする本能のようなものが働き出すのだ。どうしてなのかは分からない。本来から云うと兄弟はそれぞれが結婚し、別な家庭を持ち、自分の子供も居て、親子・兄弟との実質的つながりは薄れるはずなのであるが、ちょうど自分の子供達が大人になり出した頃から、その本能は強まるようだ。人相学的に興味深いのは、幼児期から少年期にかけて顔の中で発達しやすいのは、額と耳だが、この二つの部分は、高齢に入ると再び目立ってくる部分でもある。
昨年占いの書物が不振の中で、血液型占いの本だけは異常なほど売れた。それも、日常生活の中での血液型対応の特徴を大まかに描いたもので「自分探し」の指南書のような形で売れたのだ。ブームは昨年だけで去ったのかと思っていたら、そうでもないらしく、手を変え、品を変え、その種の本が書店に山積みされていた。血液型と云うと、何となく科学的なものでもあるかのように誤解している方も多いが、要するに「4タイプの内のどれか」と云うことで、個性もへったくれもあったものではない。しかも、それらは基本的に「あなたは両親からどの性格を受け継いでいるか」と云うことを教えているにすぎない。言ってみれば「血族の書」と云い換えても良い。家系的にどのような性質が受け継がれているか…それを教えてくれるのが血液型占いなのだ。ところが、この血液型、同じ血液型であっても科学的には確か70種以上に細分される。いまではさらにDNAによる個人の特徴が加えられる。したがって、これからの血液型占いは「DNA占い」に形を変えていった方が良いのではないかと思われる。そうすれば、より精密な判断が可能となるはずだ。但し、まるで刑事裁判のような味気ない占いとなるかもしれないが…。
掲載日:2009年06月14日
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