先日、たまたま懐具合が良かった日に『西洋手相術の世界』を買った。この本は手相の本としては価格が3000円近くもして、しかも実践的テキストとしては「限りなく0点に近い本」なので購入していなかった。ただ、手相の歴史的変遷に関する記述には参考となる点もあったので、ただそれだけのために購入しておいた。それにしても、この本は読者と云うものを馬鹿にしている。掲載されている図解が、あまりにもお粗末なのだ。これでは、とても実践書としてなど使えない。
この本の著者は伊東龍一&ジューン澁澤と云う二人であるが、共に手相の実践家ではない。実践家であれば、このような読者が混乱をきたすデザイン画のような図解は提出できないはずだ。しかも、書かれてあることは、すべて欧米の手相入門書からの抜粋ばかりである。もう少し自分の言葉で手相について語れないものだろうか。
これは、何もこの本に限ったことではない。他の手相書でも同様に見受けられるし、四柱推命の教科書や西洋占星術の教科書でもしばしば見かける現象だ。日本人なのだから、まず解かりやすい日本語で、そして自分の実占経験や観察記録、或いは実占を通じての印象・感覚、占いや運命に対する一貫した考え方で記すべきだ。これらが根本的に欠けている。自分の言葉で書けないのは、実際にきちんと観察していないか、自らの判断に自信が持てないからである。そして、そうだからこそズサンとしか言いようのない図解を載せられるのだ。
四柱推命や西洋占星術の教科書では、しばしば海外の教科書からの引用が目立つ。もちろん、四柱推命の場合は中国の推命学原書であり、西洋占星術の場合は欧米の占星学原書からの引用となる。別に引用そのものが悪いと云うのではない。ただ、同じ引用を使うなら、例えば5冊くらいの原書を引き合いに出しながら、これこれではこう書かれていて、これこれではこう書かれていて、これこれではこう書かれている、と云う風な引用の仕方であれば、読者も納得がいくし、大いに参考にもなる。そうでなく、ただ1冊か、2冊の原書絶対主義のような引用の仕方には説得力もない。
しかも、そういう本の多くは実例までもが原書そのままである。少なくとも、実例くらいは日本人を出せないのか。そういう努力さえもしようとはしないのか。なぜ、日本の出版社は、そう云ういい加減な著者にばかり本を書かせるのか。実は、オンライン占いの中で、私は日本人の実例を何人も登場させていた。ところが、あるところからストップが掛かった。「個人情報保護法」が施行されたことで、生年月日と共に種々な運命の特徴を載せることは、問題があるので削除する、と云うのである。
このようなせせこましい考え方が、人間の運命と云う、もっとも世の中に、後世の人類に役立つかもしれない可能性ある研究を後退させる。不運な人間など、放って置け、と云うのか。
私は、いつでもそうだが、主義主張に関して云いたいことは名指しで云う。その代り陰でなど云わない。例えば今回でも、もし伊東龍一氏やジューン澁澤氏が読んだら、反論したくなることだろう。私はいつでも受けて立つし、自分の言葉に正当性がない時には最初から云わない。私は常に、後世の人達を思うから指摘するのだ。
日本には古来、優秀な占い師も、優れた占いも多々あったはずであるのに、時折書店を覗いても、似たり寄ったりの占いの書物しか見ることができなくなってしまった。自分の言葉で書かれた占いの書物は、昨今はほとんど見かけない。なぜ、出版社や雑誌社は、日本人占い師として、どこの国にその占術理論や占術技能を出しても恥ずかしくなく、占術世界を指導できるような、占術世界を変えていけるような、占い師を育てようとはしないのだろうか。
昨夜早く寝過ぎたせいか、午前2時に眼が覚める。どう考えても、起きだすのには早すぎる。そう思ってもう一度寝ようとするが、元々が目覚めの良い私は、いったん眼が覚めてしまうと起き出さないと気が済まない。仕方がないので、作詞家への挑戦を試みることにした。
何日か前に、歌手の森進一が一般から歌詞公募をしていると知り、久しぶりに「演歌」でも書いて応募してみようかと思っていたところだ。私は、あまり「ど演歌っぽい歌詞」は書けないが、情緒性ある「演歌らしき歌」なら書けないこともない。
そういえば森進一も、最近は不運続きと云うか、離婚、病気、歌詞トラブルと、人生の辛さを味わっているようだ。私はあまり芸能通ではないが、それでもTVや週刊誌などの報道で、この人が元々家庭運に恵まれない人だと云うことは知っている。確か、父のない家庭で育ち、母親も自殺し、最初の女優との結婚生活も長くは続かなかった。そして二度目の森昌子との結婚は、子供たちにも恵まれ、豪邸も建て、ボランティアなどでも活躍し、順調にいっているかに見えたのだが、結局は崩壊した。そして、妻を失っただけでなく、子供たちまで失ってしまった。
ただ私は「美空ひばり」の人生を見ても思うのだが、演歌と云うものは、人生の浮き沈み、苦悩を厭と云う程体験し、運命の波に翻弄されながら、その真価を発揮できる数少ない分野ではないかと思う。もしかしたら演歌の神様は、森進一に対して、もう一度演歌の原点に立って欲しかったのかもしれない。職業として歌うのではなく、心の底から絞り出さずにはいられない人生の懊悩を歌い上げる歌手に育てるため、あえて試練を与えたのかもしれないのだ。そのような点で云えば「占い師」とも、どこか共通する要素を持つ。
占い師も、人生上のさまざまな体験・問題を抱えて来た人の方が、相談者への理解力、説得力に富む場合が多いものだ。
演歌だけではないかもしれないが、歌の世界では昔から不遇な体験を持つ人が多かった。いやもしかしたら、あらゆる分野で人生上の辛い体験や理不尽な出来事、悲惨な思いを味わった人ほど、それと引き換えに人々に大きな感動を与える仕事を成し遂げることができるのかもしれない。そういえば私も、かつて新聞社が企画した公募で入選し、なんと北島三郎が歌って全くヒットしなかった歌があるではないか。トロフィーや盾、金で出来たレコードまでもらったが、それらはもう私の手元にはない。いや、その唯一のレコード(もちろんCDではない)すらもない。
あの時、私は人生で最大の失恋劇を演じたばかりで、心身共に弱っていた。弱っていたから熱を出して寝込み、寝込んだおかげでTVを見る気力もなく、聴くともなくラジオを流していたのだった。そうしたら「北海道をテーマとした歌詞の募集」と云うのが聴こえた。そこで私は退屈しのぎに、ノートに歌詞の殴り書きをしていったのだ。どうせ、こんなものが入選するはずはない。そうは思ったが、私は20万円の入選賞金に惹かれて出してみた。その時、私はいたずら心で女性名を使った。
これがいけなかった。なんと、その寝ながら退屈しのぎで描いた作品は、栄えある第1回目の入選作となったのだ。いたずら心の女性名はそのまま作詞家名となった。その表彰式は私の知らない間にTVでまで放映されたが、その結果、私は女性名のままトロフィーや賞状を受け取らなければならなかった。当然、新聞にも女性名で写真入りで大きく報じられた。周囲はからかい半分、その女性名で私に呼びかけた。穴があったら入ってしまいたい、とは正にこのようなことだろう。
そうだ。あれ以来、本気で作詞をしたことはない。今度は女性名は使わないが、変わったペンネームを使ってみようか。朝が来た。
「日本のゴッホ」として「裸の放浪画家」として世界的に知られた山下清をモデルとした再現ドラマがTV放映された。懐かしさから見てみたが、何となく昔のTVドラマの方がピッタリ合っていて、いまひとつ入っていけない何かを感じた。お笑い系のタレントで固めて、面白く作ろうとし過ぎているせいかもしれない。どこか、ドラマそのものの中に誠実さが感じられないのだ。
山下清と云う人物は、別に意識して自分を面白く演出していたわけではない。むしろ、素朴で大変まじめな人であった。
私の記憶では、もう30年くらい昔だったような気もするが、あるいはもっと前だったかもしれない。とにかく私は、全く偶然に旅行中だった小樽で、山下清の生涯にわたる大展示会を見たことがある。それは、今はもう無くなってしまったデパートの中でだったが、確か暑過ぎてだったか、寒過ぎてだったか、体力的にかなり参っていたのと、歩き疲れていたせいで、とりあえず一休みする目的のため立ち寄ったデパートだった。そこで偶然「山下清展」を見つけたのだ。
私の記憶が確かなら、通常のデパートの中の展示会にしてはスペースが広く、ただ単に絵だけを並べるだけではなく、日記や手紙、ハガキなど手記もすべて公開してあるボリュームある展示会だった。もちろん、彼の絵や張り絵にも感心したが、私が一番感動したのは、実は幼いころからの成長過程が解かる無数の直筆手記の方であった。あの頃、私は精神的にも生活的にも追い込まれていて、今後の身の振り方について、大いに悩んでいたものだ。そういう中で、山下清の手記は、ハッキリ云ってへたくそな文字で、ノートやハガキなどにびっしりと書き込まれたものばかりだったが、真っすぐで、素朴で、憎らしいくらいにひた向きで、感動的な内容であった。
具体的な内容は何一つ覚えていないが、とにかく、私に、真っすぐ歩き続けていきなさい、と教えてくれているような文面ばかりであった。
張り絵にしても、彼のひた向きさが滲み出ていて、ドラマなどでは決して伝えきることが出来ない「コツコツと続けることの大切さ」を教えてくれるものばかりであった。私の記憶では花火の絵や張り絵が多く、瞬間的記憶を形として止めたい彼の気持ちが良く表れていた。「日本のゴッホ」とも評されたが、ゴッホのような情緒不安定さがあったとは、作品からの印象として、私には思われない。以前、ある手相の本で「山下清の手相」が載せられてあったが、それを見ると頭脳線の後半に大きな島があって、反射能力は鈍く、妄想癖があり、悩みやすい傾向があったと思われるが、同時にクッキリとした太陽線もあって、社会的名声の得られる相であった。
「ひまわり」で有名なゴッホ本人の方は、社会的な適応性と云う点では難があったが、頭脳そのものが劣っていたとは思わない。それに、山下清と違い、彼は死ぬまで世の中に画家としては認められなかった。幸い、弟テオだけが良き理解者であったから、死後の評価されたが、本人はどんなに無念であったことだろう。
芸術作品は、しばしば死後になってから評価されることがある。クリムトなども死後になってからの方が評価が高い。昨日、たまたま近くの札幌市民ギャラリーで「新道展」と云うのが開催されていたので、観に行った。実にたくさんの作品が展示されていて、その数にも驚いたが、現代絵画で抽象画も多いが大型の作品が多いため、なかなかの迫力があった。ただ大きい作品が多いので、仮に手に入れても通常の家庭だと、飾る場所に困ってしまいそうであるが、私の目で観て、すばらしいと感じられるような作品も何点かあった。
残念なのは、これだけたくさんの作品が、それも力作が展示されているのに、来客数が少ないことであった。誰々さんの絵があるから来て見た、と云うような感じの人たちが多いように思われた。
最近の日本の住宅事情は、絵画を飾って楽しむと云うことを許さなくなっている。マンションなど、最初から絵の飾れないような壁さえある。これでは、日本に本当の芸術は育たない。イタリアなどヨーロッパの街では、どんな路地裏へ行っても、どんな粗末な家に行っても、絵が飾られている。絵画の時間だけ、絵と向き合うのでは芸術など育ちっこないのだ。
それと同時に「フーテンの寅さん」に代表されるような情愛豊かで人情味あふれる日本人の育成も急務だ。私が若い頃、恋に傷ついていた時、映画の中の寅さんは、まるでそんな私を励ますかのように人情味あふれる笑顔で笑っていた。常に、片思いしかできいなくても、不器用な生き方しかできなくても、誰からも愛される日本人が、そこには居た。
阿倍総理は「美しい日本」を旗印に掲げているが、その前に情愛豊かな日本人、優しく人情味あふれる日本人の育成に力を入れるべきだ。そして、そのためには絵画や音楽を、勉強のために教えるのではなく、人間としての優しさ、思いやりを育むためにもっと身近なものにしなければならない。どんな路地裏に行っても絵画が飾ってある国、美しい音楽が流れてくる国、どんなに貧しくても、辛い環境下の中でも、詩や文学を語れる国……ネットカフェ難民が、絵を描き、歌を口ずさみ、詩を語り、踊り明かせるような、そういう国は、いつ、来るのであろうか。
このところ日本株が急落している。いや、日本株だけではない。アメリカのサブプライムローン(信用力の低い個人向け融資)焦げ付き問題に始まった世界的な金融市場の逆流現象は、最初アメリカのダウやナスダックで株価の急落を引き起こし、それが元で欧州市場・イギリス・フランス・ドイツの株価急落を招き、さらに今、日本の市場に襲い掛かって来たと云うのが現状だ。
しかも日本株の場合、単にアメリカの影響を受けたと云うだけではないことに問題の根深さがある。これまでもそうであるが、日本株の場合、ドル円相場が大きく影響する。つまり円高になれば日本株は下がり、円安に向かえば日本株は上がるのだ。これは輸出企業がどうのと云うよりも、単純に外国人から見て、つまりドル換算した場合にプラスかマイナスかと云う理由から日本株が上下してしまうのだ。したがって円高が急激に進むと、外国人は日本株を売り続けるので、それを吸収出来る大きな受け皿がないと、企業業績などには全く無関係に、日本株は下がり続けることになる。日本政府は早急に手を打たなければならない問題なのだ。
では、どうして急速に円高に振れているのかと云うと、円キャリートレードと云う摩訶不思議なものが支配してきた結果なのだ。これを上手く説明するのは難しいので、要するに日本円が世界の金融市場で、金利が極端に安いため上手く利用されてきた結果だと思えば良い。ところがここにきて、その方式を世界の投資家たちが見直し、改め始めたことで、一気に円は買われ出した形になっているのだ。これは何かでストップが掛からないと、そう簡単に収束できるような問題ではないかもしれないのだ。アメリカが急きょ公定歩合を下げたので、多少は歯止めが掛かるかもしれないが…まだまだ予断は許さない。とにかく、ここ1週間のドル円相場が、日本の株式市場と日本の経済動向を左右すると云っても間違いないほど眼が離せない状況になってきた。
このように書くと、株式や相場に興味のない人にとって、或いはサラリーマンにとって関係ない、と思う人がいるかもしれない。そうではないのだ。円高になると当たり前の話だが輸入品は安くなる。そうすると一時収まっていたデフレが再び加速する恐れが出てくるのだ。もちろん、輸出企業は打撃を受け、急速に採算が悪化する。例えば自動車産業など1円円高に振れただけで、100億収益が悪化すると云われている。東証1部の時価総額も、先週末など1日で何と27兆円ほど失われたのだ。やっと日本の経済は立て直しが進んだかのように装ってはいるが、それは世界的な企業だけで、実際には日本の8割に達する中・小の企業は、少しもデフレ脱却など進んでいない。サラリーマンの給料も上がっていない。この事実は株価にも反映していて、東証1部でも7割以上の企業は2006年初頭の株価を下回っている。
東証1部の日経平均は、最近急落したと云ってもまだ1万5千円台だが、実際には一部企業だけがこれまで株価を押し上げていたのであって、7割以上の企業は2006年の2月、3月をピークとして、ずうっと右肩下がりの株価なのだ。東証マザーズや大証ヘラクレスの株価などはもっとひどく、2006年1月の年初に比べ株価が10分の1以下に下落している企業がごろごろ存在している。その2006年1月に何があったかと云うと、例の「ライブドア事件」が1月半ばに発生している。そう、奇妙なことに、あの日からライブドアだけでなく、新興企業や中小企業のほとんどの銘柄が急落し始めたのだ。そして、未だにその時の後遺症を引きずっているのが現状だ。
もちろん、それまでマスコミの寵児としてTV等でもてはやされたホリエモンこと堀江貴文氏の人生も変わった。企業買収の風雲児が容疑者へと転落したのだ。ライブドアの株価が急落したことで、彼自身の財産も大きく吹き飛んだ。私自身も巻き添えを食ったが、ライブドア株を所有していた20万人余が同じような苦い思い出を共有したことになる。ライブドア事件だけではない。種々な偽装・隠ぺい事件を引き起こした社長や政治家たちの多くが、転落の人生を歩み出している。最近では自殺した松岡大臣や辞任した赤城大臣、ミートホープ社長や石屋製菓社長がそうだ。
株価の急落も人生の急落も、思わぬところから始まる。些細なことが引き金になる。けれども、それはあくまで引き金であって、その火種は、実際にはかなり前からくすぶっている、と云うのが実態だ。ほとんどの場合、手相やホロスコープや命式でも、かなり前から無言のうちに予告されている…。