TV番組で「ホームレスから上場企業社長に…」と云う人物をドラマ化した番組を見た。20代で職を失い、家を失い、家族を失って、一人東京へ出て夢破れホームレス生活が始まる。半年ほどは炊き出しだけで生活し、その後或る社長にすがりつくような形で仕事をもらい、デザイナーとして再出発し、徐々にその才能を認められ、実家に戻っていた妻とも復縁し、独立して起業し成功していく実在の話である。時折、この手の話があるが、実際よりもオーバーに語られている場合が多い。けれども、この人の物語には嘘がなさそうだ。
私は「運命」と云う視点から、いくつかの部分に注目した。まず、第一に彼はデザイナーの命とも云うべきパソコンを手放さなかった。パソコンを金に変えなかった。すでに断られていた社長に何度もすがりつき、土下座し、仕事をもらおうとした。自分の技術の範囲外の仕事を与えられた時、出来ない、と云わなかった。必死で独学で図書館に通って知識を身につけようとした。それなりの報酬が与えられ出しても、すぐにはホームレス生活をやめなかった。
20万円の報酬を得ても、そのうちの1万円しか生活費とせず、それ以外はすべて実家に戻っている妻に送金した。電話を掛けて、すぐ切られても送金し続けた。起業のチャンスが巡って来たとき、金を借りてでもその起業に掛けようとした。ビジネスパートナーとなるプログラマーに対しても、報酬なしでも協力してくれる人物を根気よく待ち続けた。
そして成功し従業員を100人以上使うようになった今でも、時々ホームレス時代の公園にやって来て、自分の原点に戻るのだと云う。
そのすべてが、私は素晴らしいと思った。ホームレスから社長になった例では、以前「マネーの虎」と云う番組で知られた「生活倉庫」社長がいるが、彼以上に種々な面で尊敬すべきものを持っていた。私が一番感心するのは、ホームレス時代にどんな高額な報酬を得ても、そのうち月1万円以上は実家に戻ってしまって復縁できるかどうか判らない妻に送金していたことだ。これは出来ない。電話さえすぐ切ってしまう妻に中々出来ることではない。
リーマンショック以降、自動車関連、金融関連、不動産関連、小売り関連などで、次々と破たん・倒産が続き、今でも立ち直りきれないでいる企業は多い。当然、その余波によって多数の人達が職を失い、ホームレスとなった。今やホームレス問題は誰にとっても他人ごとではないのだ。いったん住居を失うと職を得ることが大変に難しい。ちゃんとした住居があっても、離職してしまうと中々正社員には戻れないのが現実だ。時折、私のところにも50代以降の方が相談に来る。新たな就職先を求めて、占いから活路や方向性を探ろうとしても、中々満足な回答を見いだせないことも多い。別に私の責任ではないが、縁あって私の所に相談に来た方には、何かしらの光明を見出してもらいたい。そう思って何とか占い上の適性・素質とか、開運時期とか、勤められそうな職種とか、対処法を考えるのだが、難しいケースも多い。そういう時、時々思うのは、真面目さ、根気強さ、気配りある言葉遣いが出来るかどうかだ。誰でも困っている時はお互いさまで手を差し伸べようとする。けれども、それには目の前の人物が上記にあげた性質・第一印象を備えているかどうかが重要となるのだ。それらさえあれば、多少、年齢が上回っていても、採用してくれる社長・企業は必ず出て来る。それらに欠けていると、中々雇っては貰えない。そういう点から云えば、もしもリストラされて急に職を失ったら、或いはホームレスとなったら、投げやりとならず、真面目さや根気強さを押し付けにならない程度にアピールすることだ。そうすれば、必ず、救いの神は現れて来る。
それから、これは若い人達でも云えることだが、人間には自分に出来ることと出来ないことがある。どんなに能力のある方でも、自分の不得意な分野では成功できない。収入面だけを見て就職先を考えることは基本的に感心しない。誰でも好きなことは長続きするが、嫌いなことを続けるのは苦痛だからだ。よく親が、この仕事だと稼げる、などと云って勧めるケースもあるが、自分の性質は自分が一番知っているのだから、合わないと思う分野に就職すべきではない。ただ、あれよあれよと云う間に、その仕事や会社で働くことになってしまった…と云う場合は迷うことなくその職場で働くのが良い。それは「縁」によって引き寄せられた仕事・職場だからだ。そういう場合は、本人がそんなにその仕事を好きではなくても成功率が高いものだ。
この仕事・職場に対しての「縁」と云うのは、結婚相手と同じように摩訶不思議な要素を持っていて邪険にしてはならないものなのだ。自分自身がどんなにその仕事に就きたいと願っても、その仕事を与えてくれる企業・人と縁を持たなければ、事実上その仕事で収入を得ることは難しい。小さな出会いこそ、将来の大きな成功を運んでくる源なのだ。
宗教法人「統一教会」の関連会社と目される印鑑販売会社「シンセイ」が詐欺の疑いで摘発された。街中で「無料で運勢を占ってくれるところがある」と声をかけ、ビルの方隅で手相や姓名判断を使って「先祖の悪い霊が憑いている」と恐怖を与え、法外な価格の印鑑や壺等を買わせようとする…昔から存在する手口だが、未だに一部宗教では信者獲得の手段として、教団運営費開拓の手段として使われているらしい。そういえば先日もラブホテルを経営している宗教法人が、ホテル入口前に仏像を置き「恵まれない子らに…」と喜捨(お布施)箱を備えて、そこからの収益を脱税して摘発されたばかりだ。これは占いを小道具にはしていないが、霊感商法の一種であることには間違いない。
この種の商法が流行ると、真面目に占いや宗教を行っている者が大変に迷惑する。同じような商法であるかのように誤解されるからだ。大体、精神世界に関わる商売・事業は誠心誠意良心的に行っている限り、大儲けできる商売ではないし、組織化すべき商売でもない。最初は清廉潔白な仕事の仕方をしていたのに、徐々に「モノを買わせる」方向に動いていく占い師や宗教家は、組織化して運営費が膨らんでの結果としてのケースが多い。占いでも、宗教でも、呪術でも、組織化すれば当然事務所費用や人件費や宣伝広告費が掛かり、種々の雑費が発生することになる。もちろん組織化しなくてもそれらは掛かるが、桁が違ってくるのだ。事業として軌道に乗れば大儲けできるが、そうでなければ借金体質の商売となる。本来、精神世界の商売・事業は、儲けなど当てにすべきではないが、そうかと云って霞を食べて生きていくわけにもいかず、種々な事業形態が生まれることになる。それはそれでかまわないが、「手相」や「姓名判断」や「風水」の占いを、霊感商法の小道具に使うのだけは止めて欲しいものだ。きちんとした占いとして「占うためだけに」用いて欲しいのだ。最初から人を騙す目的で使われるなど、それらの占いが可哀想ではないか。もちろん印鑑による「印相」も、占いの一分科として存在していることは確かだし、良相の印鑑を持つことが金運や事業運にプラスに作用することも否定できない。但し、私の云う「良相の印鑑」は必ずしも、印鑑を扱う占い業者が勧める「吉相印鑑」を意味していない。印鑑には昔から印鑑にふさわしい「篆(てん)書体」という書体があり、それを極端に逸脱した書体、判読不能な吉相印鑑などは、もはや吉相でもなんでもない。第一、判読不能な印鑑は役所で受け付けて貰えない。ちなみに印鑑には太めの篆書体が一番良いのだが、表札には「隷(れい)書体」か「行(ぎょう)書体」が一般の方には良い。特殊な職業なら「草(そう)書体」でも良い。印鑑でも表札でも活字などで用いる「楷(かい)書体」が一番良くない。魂のこもらない文字だからだ。印材として一般的に良いのは象牙や黒水牛や柘植だが、羊や白水牛でも良い。法人印なら四角でも良いが、個人の印鑑は15mm~20mmの円形が良い。よく女性の実印や銀行印で、下の名前だけを彫り込んだものを見掛けるが感心しない。「姓」を除いた印鑑ばかり使っていると、社会的に信用を失う人間に変わっていく。キャバクラではないのだから、姓名は「姓名」として切り離さず使用した方が良い。占い師でも下の名前だけで「占い師名」としている方がときどきいるが、私生活を売り物に商売をしたくないなら、即刻「姓」を加えた名前に変えた方が良い。逆に水商売・風俗等では下の名前だけでも仕事上何ら差し支えがない。そのかわり、自分自身が経営者になろうとするなら、社会的生命を備えた「姓名」を名刺には刷るべきだ。このように、名前一つとっても、その生き方・用い方によってどういう方法が良いかが違ってくるのだ。
それにしても、一時期、芸能人を広告塔にして詐欺商法を行っている…と云うことで社会的非難を浴びた統一教会だが、いまだ健在らしい。元々キリスト教的な異端の団体であるので、信者の方達には信仰心の強い健気な方達が多い。それだけに霊感商法で金を巻き上げ、人を欺く行為があってはならないし、本当に残念でならない。私は最近『天使と悪魔』と云う大ヒット映画を観たが、キリスト教のもう一つの一面を垣間見せてくれる内容の映画であった。どのような宗教であれ、信仰の前に、人間としての良心に背く行為があってはならない。誰の心にも天使と悪魔は存在するが、出来れば悪魔には耳を貸さず、天使さんの方と仲良くしながら生きていきたいものだ。
母親の33回忌を記念して、8月に兄弟4人が登別の長男宅へ集まることになった。私は札幌だから比較的近いが、姉は九州だし、弟は東京なので、なかなか4人がそろうことはない。今回も弟は仕事で来れるかどうか微妙らしい。私と兄とは札幌と登別で近いとは云っても、実際には用事でもない限り滅多に逢うこともない。むしろ、電話・手紙なら九州の姉との方がやり取りが多い。男同士の兄弟と云うのは住居が離れ、いったん疎遠になってしまうと冠婚葬祭でもない限り、連絡を取り合うことが少なくなる。お互いに元気で生活していれば、余分な話など不要な面もある。親が生きているなら年末年始に逢いに行くということにもなるのだが、両親とも早くに亡くしている私たちは、そういう理由付けもない。ただ親子・兄弟の関係と云うのは不思議で、全く連絡が取れないと、それはそれで大いに心配となるものだ。
今思うと、私は両親が生きている間に親孝行らしきことをした覚えがほとんどない。ところが母親は姉に対して、亡くなる少し前にコートを買ってあげたことをとても喜んでいた、と後から告げられた。本当に亡くなる年だったので、その気持ちを抱きながら亡くなってくれたのだとしたら、これほど有り難いことはない。父親の方も亡くなる前年、たまたま好きだったプロレス観戦に連れて行ってあげたら、そのことをとても喜んでいた。入院した後も、私の云うことはよく聞いて、だんだん小さくなっていった。正直なところ、兄弟の中で多分私が一番親に迷惑をかけたのだが、その私の記憶が飛んで、亡くなる少し前に行った良いことだけ印象に強く残りながら逝ってくれた。私は最近、自分自身も齢をとってきたせいで、人間、齢をとると昔の記憶が遠のいていくものだと云うことに気付いた。つまり最近の出来事か、そうでなければ若い頃の強烈な出来事か、どちらか以外は記憶が飛んで行ってしまうのだ。よくよく思い起こせば蘇るのだが、普段の生活の中では徐々に感情を伴った記憶が消されていく。妙なもので、出来事として思い出せても、その時の感情は伴っていないのだ。その結果として、高齢の人には最近の印象と云うのが非常に重要となる。昔どんなに良い関係であっても、今現在がギクシャクしていると良い印象として残らない。つまり、亡くなった後?にも「ギクシャクした関係」を引き摺って行くことになる。そういう点から云うと、亡くなる前年からその年にかけては、なるべく良い印象が残せるような関係を築きたいものだ。もっとも、いつ亡くなるのかは分からないのだから、そういう雰囲気の齢になったら、親孝行らしきことを行うようにすれば良い。もちろん、それは私のように親不孝者だった人は…と云うことで、日頃から親子関係を良くして親孝行をしていれば、そんなへんてこりんなテクニックを使う必要はない。
親子にしても、兄弟にしても、自分自身が十代半ばくらいまでの親子関係、及び兄弟関係と云うのは、それ以降とは比べ物にならないくらいに深く濃密だ。それ以降、徐々に親子・兄弟の関係は浅く希薄になっていく。ところが、ここに興味深い事実がある。いったんそうやって希薄となった関係を、或る年齢以降になると、再び深く濃密な関係に戻そうとする本能のようなものが働き出すのだ。どうしてなのかは分からない。本来から云うと兄弟はそれぞれが結婚し、別な家庭を持ち、自分の子供も居て、親子・兄弟との実質的つながりは薄れるはずなのであるが、ちょうど自分の子供達が大人になり出した頃から、その本能は強まるようだ。人相学的に興味深いのは、幼児期から少年期にかけて顔の中で発達しやすいのは、額と耳だが、この二つの部分は、高齢に入ると再び目立ってくる部分でもある。
昨年占いの書物が不振の中で、血液型占いの本だけは異常なほど売れた。それも、日常生活の中での血液型対応の特徴を大まかに描いたもので「自分探し」の指南書のような形で売れたのだ。ブームは昨年だけで去ったのかと思っていたら、そうでもないらしく、手を変え、品を変え、その種の本が書店に山積みされていた。血液型と云うと、何となく科学的なものでもあるかのように誤解している方も多いが、要するに「4タイプの内のどれか」と云うことで、個性もへったくれもあったものではない。しかも、それらは基本的に「あなたは両親からどの性格を受け継いでいるか」と云うことを教えているにすぎない。言ってみれば「血族の書」と云い換えても良い。家系的にどのような性質が受け継がれているか…それを教えてくれるのが血液型占いなのだ。ところが、この血液型、同じ血液型であっても科学的には確か70種以上に細分される。いまではさらにDNAによる個人の特徴が加えられる。したがって、これからの血液型占いは「DNA占い」に形を変えていった方が良いのではないかと思われる。そうすれば、より精密な判断が可能となるはずだ。但し、まるで刑事裁判のような味気ない占いとなるかもしれないが…。
昭和40年代から50年代にかけて、日本人の8割は自らを「中流」と捉えていた。すべての点で横並びになろうとする風潮が社会全体に蔓延していた。欧米の先進諸国、なかでもアメリカ的生活レベルこそが平均的日本人の一応の目標であった。それに向かって追い付け、追い越せが当時の我が国の共通認識としてあった。良い悪いは別として、そういう時代であった。けれども実際そこに近付いて見ると、必ずしも心から豊かになった実感は得られなかった。さらに国民の生活が横並びになったからと云って、誰もが幸福を実感できるわけでもなかった。当たり前の話だが、経済的な豊かさ=幸せではなかった。「8割の中流」社会は、どこぞの小学校の運動会で実施していたように、みんなが横並びで手をつなぎながら徒競争を行うような味気ない社会でしかなかった。そう気付いた時、日本人は戦後築きあげて来た生活レベルの向上、経済的な横並びによって得られるかに錯覚した理想社会の幻想に夢破れ、茫漠とし、目標を見失い、無言の内にそれからは格差社会を容認するかのような風潮へと突き進んでいった。才能ある者や商売巧みな者が若くして社会的成功を掴む一方で、あくせく働くことを自ら拒否するような若者も多くなった。IT長者が生まれる一方で、短期の派遣で自ら職場を転々とする者も多くなった。当然、収入格差は広がったが、幸せの価値観を「自分らしく…」に求める若者たちにとって、それはどうでもよいことであった。戦後の混乱期に、ひもじい思いをして育った世代には理解できない若者たちの価値観がそこにあった。
若い世代の価値観が変わり始めただけでなく、社会全体の構造も変わり始めていた。戦後定着していた学歴社会が崩壊し、終身雇用制度が崩壊し、家族形態も大きく変貌していた。父親は偉くなくなり、核家族化が進んで、男女間の立場もしだいに逆転しつつあった。同じ価値観を共有させることはもはや不可能となり、それぞれがそれぞれの価値観の中で幸福を追い求める時代へと入った。ところが、このような傾向は日本だけの現象ではなかった。インターネットが普及した結果、世界の若者たちの間に、上から押し付けられる思想や価値観を良しとしない傾向が広がりつつある。これまで日本を手本として経済成長を目指してきた韓国や、中国や、東南アジア諸国でも、成功や出世、収入の豊かさに価値を見出さない若者が増えて来た。日本に見習って「8割が中流」と云える社会を目指したが、どうもそれだけでは幸福は得られないらしい…と気付き始めたようなのだ。もちろん中国などの場合、経済的な格差は都会で働くか、地方に残るか、どの仕事に就くか…といった本質的問題が大きく左右している面もある。東南アジア諸国の場合、学歴や家柄の違いが格差を助長している面も否めない。日本のように価値観主体で経済格差が広がっているわけではない。
今回、私が回ってきた東欧諸国においても、そのような風潮が出始めている…と地元ガイドが伝えていた。このところ経済的な格差が急速に広がっていると云うのだ。確かに、先進諸国としてのフランスやイギリスにおいても、失業率の増加と経済的な格差は深刻な社会問題となりつつある。世界的な経済の失速によって、それまで目立たなかった経済格差のもたらす深刻な事態が国の指導者たちへの批判に向けられつつある。自動車と金融のダブルパンチを食らったアメリカはもっと深刻だ。
経済の落ち込みが、日本の場合、値引き合戦を生み、激安商品を誕生させ、下取り還元セールに拍車をかけ、地球にやさしいエコポイントを促進しつつある。新たな発想や新企画、新商品、各企業間の提携・連帯・吸収合併にもつながり、必ずしもマイナスにばかり作用していない。もしかしたら、これが契機となって、新しい日本の未来像を生み出す原動力になるかもしれないのだ。但し、そこに横並びの発想はない。むしろ逆に、横並びからの脱却こそが、日本経済を活性化させる重要なカギを握ってさえいそうなのだ。
もちろん過去の横並び社会が悪いと云うつもりもなく、経済的な格差の広がりが「横並びの失望」によって助長されたと云うつもりもない。私が注目するのは、世界のさまざまな地域で同時進行のように格差社会が急速に広がりを見せ始めている現実だ。
今、世界№1にもっともこだわりを見せているドバイは、そこで暮らしている人たちを明らかに二分している。富裕層と労働者階級だ。その労働者階級のほとんどは海外からの出稼ぎ組で、日給650円くらいの安い賃金で働く人達が大半だ。一見、セレブの国に見えるドバイは、実はその7割以上の生活者は貧困で、過酷な労働を強いられている。そこに日本から100円ショップでおなじみのダイソーが、ドバイ版100円ショップをオープンさせた。そこに買いに来るのは、何と富裕層の人達が大半だと云うのだ。使い捨てコスメ用品を大量に購入していく。コスメに関しては欧米のブランド製品より、日本の激安製品の方が彼女たちのお気に入りらしい。一時期、ドバイの繁栄も終わったか…に報道されたが実際にはそうでもないらしい。ただ100円ショップで何十万も購入していく人達がいて、その一方で日給650円の人達がいる。この現実は重要だ。全世界で加速していく格差社会は、単に価値観の違いだけでなく、運命と呼ぶ不可思議な力の存在も見せ付けているのだ。