5月, 2016年

「プロ」と「アマチュア」の谷間

2016-05-19

ロックシンガーの後藤まりこさんが「活動停止」を宣言したらしい。“後藤まりこ”さんと言っても、多分ほとんどの人は知らないだろう。私も知らなかった。かなり過激なロック・パフォーマンスで知られるミュージシャンだったらしい。その彼女が「音楽、完全にやめることにしました。もう、これ以上、だらだらやりたくないし、これ以上、好きな音楽を汚したくない」というコメントを残し業界を去るようだ。昨年2月に体調を崩し、いったん活動を停止、5月から“楽曲提供”という形で復活していたようだが、最終的には「やるしかないって上京してきたけど、もう疲れちゃった。音楽で何かを変えれると信じたのが間違いだった」とも述べている。たまたま後藤まりこさんを取り上げたが、同じような“経緯をたどる”アーティスト、芸人、俳優、作家、アスリート、漫画家、美容家、占い師……”たくさんおられるに違いない。仕事分野にもよるが、“大きな組織”を背景に仕事をしていく場合と、ほとんど“フリーに近い状態”で仕事をしていく場合とでは、さまざまな点で“格差があり”同じ土俵の上で仕事をしていない。したがって、よほどの幸運にでも恵まれない限り、才能が“有る・無し”とは別の時点で、最初から勝負は決まっている。おそらく、彼女は彼女なりに精いっぱい頑張ったのに違いない。芸術や芸能の分野は特にそうだが、作品そのものの「優劣」によって価値が定まるのではない。時代的な“需要”や“人気”という“曖昧模糊(あいまいもこ)”としたものによって価値が定まる。したがって“売れていない”から、その作品が劣っているわけではない。「プロ」と「アマチュア」の境も判然とはしていない。実際には、プロとアマチュアの谷間に“無数の才能”が煌めいている。

自分にとっての「快適な居場所」

2016-05-18

人の“生き方”というのはさまざまです。どうしてさまざまなのかというと皆“心地よい生活”を求めているからです。そして、その“心地よい生活”が人によって、異なるからです。人は最終的に“自分にとって”というのが何よりも重要になります。あらゆる“選択肢の中”で、何を基準にするかというと、最終的に到達するのは“自分にとっての心地よい生活”が一番なのです。それが他の人から見れば“奇妙”に思えたとしても、自分にとっての“心地よい生活”が保障されているなら、そこに居たいと思うのは当然のことです。仮に現在の生活が“そうではない”なら、無意識に“そういう方向”へと向かってアンテナを研ぎ澄ましながらの“落ち着かない生活”が続くものです。そしていったん“その居場所”を確保したなら、今度はそこから容易には動こうとしないものです。自分にとっての「快適な居場所」は、“仕事や職場”の方にある場合もあれば、“恋愛や家庭”の方にある場合もあります。その両方の「快適な居場所」を既に得ている場合は、本人にとって“満足を得ている生活”となり、自分の“生き方”に後悔することがありません。但し、この「快適な居場所」を得ている生活というのは、あくまでも“心地よい生活”であって、“理想的な生活”というのとは異なります。この二つを混同してしまうと“倖せが遠のいてしまう”から注意しなければいけません。

『女性自身』は偉い

2016-05-17

なんで偉いのか。それは毎回「ジャンボ宝くじ」が発売になる頃、必ず特集を組んで、どこの売り場が当たるとか、どうすれば当たるとか、どういう人達が当たっているとか、どの売り子から当りが沢山出ているとか、どこに仕舞っておけば当たるとか、どの日に買えば当たるとか…毎回、毎回、いろいろな角度から「当たる秘訣」を調査し、みんなに教えようとしてくれているからです。しかも、その記事の中には「3枚だけ買ったのに当たっていた」なんていうエピソードまで拾っている。なんて“夢を与え続けよう”とする姿勢が貫かれているではありませんか。他にも、50年近く1000円だけ買い続けて当てた主婦がいるとか、あえて仏滅の日に買い続けて当てた人がいるとか、グループ買いの時にはリーダーの人が自分の勘で購入すると良いとか、仕事で悩みを抱え街を彷徨っていたら目に飛び込んで購入し当たったとか、気負い過ぎない人が当たっているとか、冷蔵庫の中にしまっておくと良いとか、最終日の夕方に当り券が含まれているケースが多いとか、街に出たついでに購入して当たった人が多いとか、リニューアルしたばかりの売り場が良いとか…少しでも読者が“当てるのに役に立つ”情報を発信し続けようとしている姿勢が素晴らしいではありませんか。それに比べると、或る週刊誌の「株の予測」特集は…。

“縛られない”生き方と「現代アート」

2016-05-16

「ジャンミシェル・バスキア」という画家をご存じだろうか? 多分、知っている人は少ないだろう。ニューヨークのインディーズバンドから出た画家だが27歳にして麻薬ヘロインの吸引過剰で亡くなっている。その間、遺した絵画は900点以上とも言われるが、現代アートなので一般に知られるような絵画ではない。「ブラック・ピカソ」とも呼ばれる雰囲気の作品群だ。その彼の作品「無題」を、オークションで63億円の価格で落札した日本人がいる。「現代芸術振興財団」の会長・前沢友作氏だ。このように書いてもピンとくる人は少ないと思うので、ダルビッシュの前妻・紗栄子さんの“現恋人”で通販「ゾゾタウン」創業者と言った方が理解していただけそうな気がする。ただ彼は確かに“大金持ちの企業家”だが、元々自らも高校生の時にインディーズバンドを結成し、ニューヨークに音楽留学をし、その「出発点」ではバスキアと共通するものがある。つまり彼は本当に「ブラック・ピカソ」を理解して落札している。金持ちの道楽なのではない。事実、彼は多数の現代アートを所有し、近く建設予定の美術館でそれらを公開予定でもある。日本の若手現代画家たちの支援も行っている。通常、企業家で大資産家というと“金にモノを言わせて”と考えがちだが、彼の場合は明らかに意図が異なる。おそらく紗栄子さんとの恋愛も、趣味や価値観の一致から入っているような気がする。二人とも多分「世間の眼」など気にならないタイプなのだ。こういう本当の意味での“縛られない”生き方を実践している人物が支援する「アート」は“未来のピカソ”を生み出すに違いない。

「STAP現象」は、あります!

2016-05-15

人は誰でも、間違いを犯すものです。ところが近年の日本では「間違い」を許さない風潮がはびこっています。一度でも“間違いを犯した人”を、世間は“絶対に許すものか”といった雰囲気で、追い詰めていきます。その代表的な人物の一人が「STAP細胞の発見」で一躍時の人となった小保方晴子氏です。彼女は突如脚光を浴び、そして突如バッシングを浴びました。そのどちらもが“マスコミの暴走”にあり、それを後押しした世間の同調にありました。一つには彼女が“若く”、“可愛らしく”、“女性的”だったからです。もし彼女の見た目が、もっと“陰鬱”で、“やせ細っていて”、“短髪”で、“眼鏡をかけ”、“低音でぼそぼそ喋る”タイプの女性であれば、あんなに脚光を浴びなかったし、あんなにバッシングを浴びなかったでしょう。日本では完全否定された「STAP現象」ですが、海外では必ずしもそうではなかったのです。このほどドイツのハイデルベルク大学から提出された論文では「STAP現象」について、がん細胞の一種JurkatT細胞を用いて再現実験を試みた時の結果が発表されています。それによると、小保方氏が『ネイチャー』誌上で発表した方法では上手くゆかなかったが、独自に修正した酸性ストレスをかける方法では“多能性を示す反応”を確認できた、というのです。但し、すべてではなくて“死んでしまう現象”も同時に確認した、というのです。この二つを分ける原因がどこにあるのか、今後、探っていきたい、という趣旨の論文です。つまり、彼女の論文どおりではなかったが「STAP現象」そのものは一部確認できた、ということです。このような姿勢こそ「科学者の鏡」とすべき態度なのではないでしょうか。

「歯」が入れ替わって「心」も入れ替わる?

2016-05-14

数年前から「歯」が、抜け始めていた。理解しにくいと思うので、もう一度書くと「歯」の何本かが“根本から”抜けていった。違和感が何日か続いた後、或る日、すぅーと抜け落ちる。ほんとうに根元から抜け落ちるのだ。だから“妙に長い歯”だった。そういう「歯」が何本かあって、最後に「前歯」の片方が抜けた。さすがに目立った。ただ食事には支障がなかった。それで、そのままにしていたら、数日たって妻に見破られた。強制的に歯医者に連れて行かれ、抜本的な治療が始まった。こうして一月ほど経って「新しい歯」が出来上がった。7~8本の“ブリッジ型入れ歯”だが、確かに見栄えが良い。まだ少し“違和感”があるが、多分慣れるだろう。あとは“下の方”らしい。私の両親は共に「総入れ歯」だった。不思議と両親共にそうだった。だから遺伝的に抜けやすかったのだ。「歯」というのは、運命学的には“家族・親戚運”と深く関わっている。総じて「歯」に問題のある人は“家庭運”が良くないものだ。私の両親も確かにそうだった。私自身も、あまり良い方ではない。両親に早く死なれたし、兄弟はみな離れていて逢うことが中々難しい。北海道、東京、九州では当然だ。私は最初の結婚で“娘”を得たが、離婚後は滅多に逢えなくなった。もう25になる娘とは十代後半から1度も逢っていない。そういうわけで再婚して“新しい妻”を得たが、子供はいない。「歯」の呪いは、そういう風に的確だ。それでも「前歯」が出来たので「義母」は癌から生還できるだろうか。「妻」も“特殊な病気”から立ち直れるだろうか。「見かけ上の歯」が、私を救ってくれるだろうか。そのうち、新しい「心」に入れ替えたいが、どこへいけば良いのだろう。

“失われた”ように見える時間

2016-05-13

人は時々“何もしていないように”見える時がある。一応、日常生活はそれなりに送っていて、仕事なども最低限の義務は果たしているのだが、本来であれば“もっといろいろ行っている”はずの時間を“ぼうっとして”何もしていないかのように過ごす日々がある。或いは、意識的に日常から遁れるかのように“遊びほうけている”日々がある。客観的にみれば、その人らしくなくて“失われた”時間を過ごしているかのような日々だ。そういう時に、無理に“本来の姿”に戻そうとするとたいていは失敗する。戻そうとすることが失敗なのではなく、“無理に”が失敗の原因なのだ。つまり、そういう時には無理に戻そうとせず、とりあえず“見守っておく”のが正しい対処の仕方である。人はさまざまなことが原因で“やる気”を失ったり、“意欲”を失ったりするものだ。或いは“目標”を見失ったり、“心の支え”が奪われたりすることもある。その“喪失期間”は人によって異なり、“数か月”で本来の姿に戻ってくることもあれば、“数年”経っても戻らないこともある。「心の傷」がそうさせる場合もあれば「衝撃的な出来事」がそうさせる場合もある。多くの人は知らないが“心の傷”と“身体の傷”はほとんど同様で、或る一定の期間は“傷跡”を残す。誰もが知っているように、身体の傷跡は時間の経過とともに徐々に薄れていく。完全に“消えてしまう”ことは少ないが、パッと見では解らないほど“薄れる”ケースは少なくない。それと全く同じように、心の傷跡も時間の経過で徐々に薄れていく。心の傷だから、時間など関係ないかのように思うのは大間違いだ。そして“大きな傷”は「トラウマ」として生涯残る。薄れてはいくが、完全に無くなることはないのだ。けれども、それら“失われた”ように見える時間が、実は人生の後半に活きてくる。必ず“活きて”来るのだ。これこそまさに「運命の神秘」としか言いようがない。

「古代遺跡」が生まれ変わっていく

2016-05-12

カナダの15歳の少年が“新たなマヤ遺跡”を発見した。もっとも現段階ではNASA“衛星写真上の発見”だが、ユカタン半島の密林地帯に86メートル四方のピラミッド遺跡と数十の家屋の点在が確認されている。この発見が15歳の少年によって成し遂げられたことに驚く。彼は現地に赴くことなく、これをやってのけた。どうして可能だったのかというと、一つの仮説を立て、その仮説に沿って遺跡マップを見た時“足りない遺跡”があることに気付いたからだ。その仮説とは「マヤ遺跡都市は夜空の星座を模して造られたのではないか」というものだった。あまりにも“不便な地域にばかり都市が造られている”ことに疑問を持ったのが、発想の原点だった。そこで“遺跡マップ”と“星座マップ”を重ね合わせると22遺跡がぴったり一致したが、一つだけ“不足している遺跡”が存在したのだ。そこで衛星写真を取り寄せ、拡大して、ついに“新たな遺跡”を発見したのだ。実は、マヤ遺跡が「星座と関係があるのではないか」という指摘は、かなり前にエイドリアン・ギルバートによっても指摘されている。ただ彼の仮説は、古代エジプト文明との関係性から主張されたもので、各地のピラミッド遺跡がそのまま星座の“恒星位置に対応している”という仮説ではない。その古代エジプト文明の方でも、今年に入って“ツタンカーメン王墓の奥の部屋”に俄然、注目が集まっている。未発見の「母親の墓室ではないか」という仮説があるからだ。ところで中南米には「ナスカの地上絵」もある。あまり知られていないが、近年、続々と“新たな地上絵”が、それも日本人研究者などにより発見されている。ITが進んだことで「古代遺跡」の“仮面”が次々と引き剥がされていく。

「新京都」に建つ高層ホテル

2016-05-11

アメリカの旅行雑誌が、読者投票で選ぶ世界の観光都市で「京都」が二年連続で1位に選ばれた。さすが「世界の京都」で良いことなのだが、その京都はホテル不足から近年民泊が急増している。そのこと自体は悪いことではないが、近隣住民との間でトラブルも多発している。近年の民泊ブームには、最初から“民宿”を意図した民家ではなく、無許可で本来は“普通の賃貸マンション”の空き室を利用するケースなども増えてきている。マナーの良くない中華系旅行者と、住民の間でトラブルが起こるのは当然ともいえる。京都のホテル不足には抜本的な問題がある。観光都市条例により、京都市内には高層ホテルが建てられないのだ。高層ホテルが建てられないと、当然ながら客室数が限られる。外国人観光客が急増している京都の場合、どうしても慢性的ホテル不足となるのは目に見えている。海外の観光都市などをヒントに考えると、この際「新京都」を市街付近に造ってしまうのが早道のような気がする。海外では「旧市街」と「新市街」を分けているが、京都の場合、建物の高さ制限があるので、一部・新市街区域だけは“高さ制限”を撤廃すれば良いのだ。もし、どうしても“高さ制限”は譲れないのであれば、その地域だけ地盤を30メートルほど低くし、地下都市のような「新京都」にすれば良い。そうすれば15階建てくらいのホテルを建てられる。そういうホテルやマンションばかりで埋め尽くす「新京都」街にすれば、それはそれで“興味深い街”になるのではないだろうか。

人は“さまよいながら”生きていく

2016-05-10

人間社会は「勘違い」で成り立っている。例えば、私は“書きもの”などでは何でも明確に“ズバズバ書く”ので、現実にもさぞかし「即断即決の人」「迷いのない人」「怖い人」であるかのよう誤解されがちだ。とんでもない。普段の私は極めて凡庸だし、即断型ではないし、迷いの塊だし、どちらかと言えば「のほほん」としていて、勘が鈍く働き者でもない。性格は一言でいえば“子供の時のまま”で進歩がなく、昔の私をどこかで知っている人がいたなら「変わらない」というに違いない。私のことなどどうでも良い。云いたいのは、人は誰でも“さまよいながら”生きていくものだということ。どんな人でも「迷いのない人生」などあり得ないし「悩みのない人生」もあり得ない。人は“さまよう”ように出来ているのだ。誰だって理想とする人生がある。けれども、現実に“理想通りの人生”を歩める人など、1万人に1人いるかどうか…というくらいの希少さでしかない。よく“エッセイ本”や“啓発本”などで「望み通りの人生になる」とか「思いは実現する」などというが、そういう本が山ほどあって、いつまでも“売れ続けている”ということは、実際には“そうなっていない人”が山ほどいて、読んでも読んでも“思い通り”にはなっていないという証明のようなものだろう。それにしても、よく同じようなことばかり、何冊も書き続けられるものだ。私には到底できない。同じことを書くなら、出さない方が良い、と思ってしまう。ところが、ここにからくりがあり、同じような本は、大体が“同じ人が買う”ものだ。つまり、絶対数として“簡単に幸せを掴みたい人”が何十万人もいて、そういう人達が必ず買ってくれるから、“あの手の本”は売れ続けることになる。「占い本」の読者数よりも、ずっと多いに違いない。何しろ、“占い”は面倒である。そこへ行くと“あの手の本”に面倒な部分はない。一種の「催眠術」だから、同じことを繰り返し、手を変え品を変えて書き続ければ良い。私が本を一冊書く時に必要なエネルギーや時間の半分も必要がない。私も“そういう本”を書きたいが、どういうわけか私には回ってこない。まあ、一冊書き上げれば飽きてしまうが…。

そういうわけで“世の中のほとんどの人”というのは、簡単に「望み通りの人生」や「思いの実現」を手にするのは“中々に困難”で、常に戸惑いながら、つまり内心“おかしいな”と思いながら、“理想から遠のいていく人生”にしがみついているのが現実なのだ。もっとも、それでは“あの手の本”が嘘を書いているのかというと、そうではない。実際に“潜在意識”をうまく活用することで、物事が形になっていくケースは沢山ある。考えようによっては「占い」が告げる“未来の姿”も“潜在意識へ伝えるイメージ”として捉えれば、新たな活用法があるというものだ。実際、現在のITによる「占いコンテンツ」の多くは、そういう意味合いで文章をまとめているような気がする。

私のところに直接鑑定に訪れる人の中には、明らかにそういう“イメージづくりのいったん”として占いを活用している人達もいる。つまり、“新たな事業”とか“新たな取引”を始める時、一種の「イメージ戦略」として、どうすれば成功へと導けるか、その“具体的なイメージ”を占いに求めて訊きに来る人たちだ。そういう人達に共通しているのは、“茫漠とした未来”を知りたがるのではなくて「このようにした場合はどうなるか」「このように変更した場合はどう変わるか」「改善法としては何が一番良いのか」訊いて来ることすべてが“具体的”であり、目の前の“現実的”なことだ。決して「遠い将来」などは訊かない。決断を迫られる問題で、選択部門と余地とがあって、実際に着手する以前の段階で、あくまでも決断を下すうえで“参考として”訊いて来るのだ。そこには、自分の人生や自分の事業の“ブレーンの一種”として、占い師を活用しようという積極的な姿勢が垣間見える。そのような形で、陰ながら事業に参加するのは占い師としても悪い気分ではない。どのような立場の人間であっても、多数の人間が動いたり、巨額の資金が動いたりする事業では“迷いがあって”当然なのだ。その「迷い」を、具体的な「イメージ」に変えるための最も賢い選択が「占い」にあるのかもしれない。

♪「ハートのA」が出て来ない

2016-05-10

アメリカの次期大統領候補トランプ氏の暴走が止まらない。どこまで本音なのか掴み難いが、日本に「米軍基地費用を100%負担すべきだ」とぶち上げている。この不動産王は、或る意味で“もっとも開拓者時代のアメリカ人”的な発想をする人物だが、彼の主張を吟味すると“それは得なのか・損なのか”の二択で、すべてを考えていく思考形式になっている。したがって、その思考方式を“手玉”にとってさえしまえば、意外に簡単に“手のひらを反してくる”可能性が強い。つまり、もしも彼が大統領になった場合を想定し、先手を打っておくのだ。つまり、日本はロシアとの間で「日ロ平和条約」を締結し、さらに北朝鮮との間で「日朝平和条約」を締結し、ロシアと北朝鮮とを“味方・同朋”としてしまうことである。この二つを行えば、100%間違いなく、トランプの口は封じられる。ロシアとの関係では「引き分け」で二島だけ返してもらい、北朝鮮との関係では“戻ることが可能な拉致被害者”のみ返してもらう作戦にでる。やや“乱暴な方法論”だが、早急な締結にはそれしかない。これを行うことで、100%間違いなくトランプは黙る。こういう人物は黙らせると後は早いのだ。本来の“武士道”には反するが、“拳銃”には“二刀流”で対決するしかない。元々が“損得だけの単純思考”なので、いったん黙らせてしまえば、今度は黙っていても向こうからすり寄ってくる。その時は、AKB48に大昔の「♪ハートのエースが出て来な~い」を歌ってもらおう。もちろん訳す時には「お前には心というものがないんだよ」と笑顔でささやく。

「地球」が、自ら“変貌”し始めている!

2016-05-09

身近なニュースばかりが取り上げられる。だから、誰も気付かないのだ。実は、今年になって“生命体”としての「地球」に“異変”が起こりつつあるのに、誰かがもっと早く気付くべきだった。「地球」はもがいていた。自ら“変貌”するため、もがいていた。その“もがき”は、多分まだ始まったばかりだ。そうして、もっと“大きく”なる。そうして、もっと“頻発”する。「地球」自身が“生命体”であったことに、われわれはもっと早く気付くべきだった。カナダの“山火事”がそれを“象徴”している。東京都の面積分を焼き尽くしても火の勢いは衰えない。9万人以上が避難している。インド各地の“熱波”は尋常じゃない。テイトラガルでは48.5度に達したらしい。東南アジアの各地で、すべての高温記録を塗り替えつつある。熊本地震直後に大地震を起こしたエクアドルでは“大洪水”に見舞われている。実は今年4月の13日~19日までの間に環太平洋の海岸沿いに位置する火山7か所で噴火が起こっている。チリ・メキシコ・アラスカなどだ。インドネシアの火山・トバ湖では魚の大量死があった。チリの海岸では600トンのイワシが打ち上げられていた。メキシコでは今年に入って三つの川が、巨大シンクホールに飲み込まれ一晩にして消えてしまった。普通の川が、翌朝起きたら乾し上がっていたのだ。大地の亀裂に飲み込まれたのだ。スペイン北部などヨーロッパでは4月の末に大雪が降った。サウジアラビアでは雹が降り、砂漠内部から“謎の噴き上がり現象”が見られる。アフガニスタンでは砂漠から“火と水とが同時に吹き出す現象”さえ起こっている。「地球」がもがき苦しんでいるのだ。

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